捌之玖
流れる雲を眺めながら、寝転がっていた二人は、出発予定の13時半になる前に起きあがり、後片付けを始めた。
「ゆっくりしたな。」
駅夫が呟く。
「だな。しっかり疲れも取れたし、残りの行程も気を抜かずに頑張ろうな。」
羅針が気合いを入れる。
忘れ物もゴミもないことを確認し、熊山山頂を後にする。
羅針はこの場所を管理している電話会社に再度電話をし、先程の担当者、橋本さんに繋いで貰い、今退去する旨と礼を述べた。
「お前、そういうところ、ちゃんとしてるよな。」
羅針が電話を終えると、駅夫が言った。
「まあな。ちゃんと連絡しとかないと、先方もヤキモキしてるかも知れないし、お邪魔したんだから、お礼は言っておかないと。たとえ向こうが忙しくて、内心邪魔くせぇ電話してくんなって思ってても、俺の気持ちが許さないからな。感謝の押し売りだよ。」
羅針が当然だろとばかりに言って笑う。
しかし、いつもはコミュ障だと言っては、人と話すのを苦手そうにしている羅針が、そういうことは躊躇なくちゃんとするのが、駅夫にとってはいつも不思議なのだが、会社員時代に相当鍛えられたのだろうと想像し、こいつも色々苦労したんだなと、駅夫は慮った。
入り口にあった、熊山無線中継所の看板を右に曲がり、二人は舗装道路をひたすら進む。
やがて駐車場が現れ、その奥に色褪せた案内地図が建っていたが、その脇に熊山神社へ向かう細い山道があった。山道の入り口には、石柱に括り付けられた細い竹が立ち、その先に注連縄が渡され、ここから神の領域に入ることを示していた。
人一人がやっと通れる山道なのに、足元には〔一般車は通行できません これより歩いて下さい ありがとうございます〕という立て看板があった。
「おいおい、こんなとこ車で行けっかよ。」
駅夫が巫山戯て突っ込みを入れる。
「だよな。なんでこんな看板立ててんだろうな。……って、あっバイクで行く馬鹿がいるんじゃねぇのか。」
羅針が駅夫の突っ込みに真面目に考えて、バイクで行けなくもないかと思い立った。
「まじ、こんなとこバイクで行くヤツいるか、普通。」
駅夫は首を傾げている。
「普通じゃないのがいるから、こういう看板が立つんだろ。それに、モトクロスとか、オフロード系のバイクなら走行は可能だし、あとチャリもあり得るんじゃねぇか、マウンテンバイクとかそう言う類いの。」
「なるほど。チャリで行こうとするヤツはいるかも知れないな。」
駅夫は漸く納得する。
「でも、こんな小さな看板見て、進入するのやめよってヤツがどれだけいるかな。行きたいヤツは、こんな小さな看板絶対見ないぞ。」
羅針は、率直な感想を口にする。
「だよな。それこそそこの地図ぐらいの大きさで書いた方が良いと思うけどな。」
駅夫が、そばに立つ案内地図を指差す。
「まぁ、無法者は文字が読めないってのが相場だから、いくら大きく書いても読めないし、読まないよ。」
羅針が腐す。
「無知は盲目ってか。」
駅夫が捩って言う。
「それを言うなら愛は盲目。でもまあ、あながち間違いではないか。」
羅針がすかさず突っ込みを入れるが、納得してしまった。
「だろ。一次停止の〔止まれ〕すら読めない連中が多い世の中だぜ、こんな難しい文章理解する分けねぇよ。」
駅夫がそう言って笑う。
「だよな。〔あるきでなければ けいさつよぶ〕とかひらがなで書いたら、警察から逃げ回ってる連中だから、流石に理解するんじゃねぇ。警察ぐらいは理解できるだろうし。」
羅針もそう言って笑う。
「おお、良いアイディア。その方が効き目あるかも。」
駅夫がサムズアップする。
「でも、まあ、無法者には何やっても聞かないんだろうな。この看板だって、おそらく苦肉の策だぜ。神社としての品位は落としたくないだろうし。かといって、無法者をのさばらせたくないしで。」
羅針が急に真面目なトーンで話す。
「だよな。それを腐しちゃダメか。」
駅夫も羅針のトーンにつられて、勢いが削がれる。
「ああ。ちゃんと謝っておこう。済みませんでした。」
「済みませんでした。」
二人はそう謝って頭を下げた。しかし、顔を見合わせて、照れくさそうに口角を上げて、吹き出し、声を上げて笑った。
「さあ、馬鹿なこと言ってないで、行こうぜ。」
茶番を終えた二人は、羅針の号令に、脱帽一礼し、平らに均された、その山道を上がっていく。
山道を暫く行ったところに〔竜神二つ井戸 雄竜と雌竜井戸〕とあり、木でできた囲いと、屋根が設けられていた。看板には〔この湧き水は登山者が口にする大切な水です 清潔にしてください〕とあり、どうやら飲めるようだ。
「この湧き水、飲めるらしいぞ。」
駅夫が好奇心マックスで木柵に近づく。
「マジかよ。」
そう言って、羅針も木柵から覗き込む。そこには落ち葉が浮き、アメンボが泳いでいる、お世辞にも清潔とは言えない湧き水が溜まった池が2つあった。
「これを飲むのは流石にキツいな。」
羅針がそう言ってる脇で、駅夫は木の扉を開けて、手で水を掬い、口を付けた。
「結構冷たくて美味いぞ。これ。」
「おい、マジかよ。よく飲めるな。〔地元の珍味〕は拒絶するくせに。腹壊すぞ。」
長崎でワラスボとムツゴロウを拒絶していた駅夫を詰る。
「だって、水は恐ろしくないじゃん。」
「その基準が良く分からん。中に何がいるか分からないのにか?」
「まあ良いから、お前も飲んでみろよ。」
そう言われて、羅針も恐る恐る手で掬って口を付ける。
「確かに冷たくて美味いけど、衛生的にな。なんかフィルターみたいなのがあればいいけど。」
「おお、なるほどね。そしたら面倒くさくなくて、がぶがぶいけそうだな。」
駅夫は良いアイディアを貰ったとばかりに喜んだ。
「病原菌は濾過できないだろうけどな。」
喜ぶ駅夫に、羅針がボソッと言う。
井戸を後にして、二人は山道を更に進む。
やがて、熊山神社の鳥居の脇に出てきた。左を見ると、真っ直ぐ伸びる坂道と階段でできた参道があったので、どうやら近道だったようだ。
二人は脱帽一礼して石造りの鳥居を潜った。
真正面に立派な拝殿があるが、目立つのは向かって左側にある赤い建造物だ。四阿のように、4本の細い柱で屋根を支えているだけの上屋だが、そこに鎮座している大きな釜の様なものが非常に気になる。
「これは大香炉かな。」
羅針が釜の中を覗くと、線香の燃えかすと灰が敷き詰められていた。
「あの、お寺で頭に煙を浴びるあれか?」
駅夫が聞く。
「頭に浴びるかどうかは人それぞれだけど、身を清めるためのお香を焚く場所だな。」
「それが、これなのか。」
「いや、特定はできないな。普通大香炉は寺院にあるものだし、置いてある位置も拝殿の真正面で、こんな端っこに設置してあるのは見たことないから、断定はできない。もしかしたら、お札とかの御焚上をする場所なのかもしれないし。他の用途に設えたものかも知れないし、なんとも言えないな。……ネットにも記述は出てこないから。」
「ふ~ん。」
「でも、こんな真っ赤な上屋がこんな所にあるっていうのは本当に珍しいな。鳥居が赤いのは良く見るけどさ。」
二人は疑問を解決できないまま、拝殿に向かって参拝した。
拝殿の中を覗き込むと、木造の牛と馬が安置されていた。
この熊山神社の創建年代は不詳であるが、神位従四位下、式内外で128社の一つであったとされる。唐僧鑑真和尚が天平勝宝6年(754年)に聖武天皇の招きにより入朝し、帝釈山霊山寺を開き地蔵菩薩を社内に安置し、国家泰平、牛馬安全の守護神としたと伝わる。
享保年間(1716年〜1736年)に旧藩主池田候から墨印、社領高二十石、山林八町四面を賜ったが、明治維新の際、神仏混淆御引分け、すなわち神仏分離に伴って、明治6年(1873年)に熊山神社と改称した。
「鑑真和尚って、あの盲目の中国人和尚か?」
駅夫が聞く。
「ああ、6回の挑戦で漸く渡日に成功した盲目の僧侶だな。牛馬像が安置されているのは地蔵菩薩が牛馬安全の守護神だからみたいだな。」
羅針が、拝殿の中に安置されている牛馬像を覗き込みながら、応える。
中に安置されている牛馬は、どちらも埃を被り、木像特有の収縮で大きな隙間があり、安置されてからの年月を感じた。
参拝を終えた二人は境内を見て廻った。
拝殿に向かって右手には、真っ赤な鳥居の稲荷社があり、参拝する。
その隣には、〔児島三郎高徳挙兵の跡〕の看板が大きな岩の脇に立っていた。
建武中興(1334年)の初め、後醍醐天皇が西遷した時に、児島高徳が義旗を揚げ、天皇が率いる軍隊である皇師を起こしたとされるが、境内には、熊山で挙兵した際、児島高徳が旗を立てたと伝えられる岩があるとされ、それが、この児島三郎高徳挙兵の跡である。
「この児島三郎高徳ってどんな人物なんだ。」
駅夫が羅針に聞いてくる。
「この人物は、忠臣として名を上げた人だな。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる武将で、元弘元年、1331年に起きた元弘の乱以降、後醍醐天皇に対して忠勤を励んだとされる人物だね。それ以降も後醍醐天皇の南朝側に仕え、忠義を尽くしたとされているらしい。この話が太平記なんかで伝わって、忠臣の鑑として、江戸時代には国民的英雄の一人として讃えられたらしいよ。」
羅針がネットの情報を噛み砕いて駅夫に説明する。
「なるほどね。日本人って本当に昔から忠臣って好きなんだな。忠臣蔵といい、忠犬ハチ公といい。」
羅針の説明に、駅夫がそう感想を言った。
「なんでだろうな。聖人君子と忠臣の関係は、御恩と奉公の関係に通じるものがあって、上の者は下の者を大事にし、下の者は上の者の恩に報いるという、日本人の規範として面々と受け継がれてきたものだから、かもしれないな。」
「なるほどね。確かにDNAに刻まれてるのかもな。」
羅針分析に、駅夫は納得したようだ。
二人はぐるっと一廻りして、入り口の狛犬をふと見る。
「そう言えば、この狛犬尾っぽが多いな。5本、いや6本か。」
駅夫が狛犬を見て呟く。
「ああ、ホントだ。九尾とかその類いだろうな。でもやっぱり備前焼の本場だな、ここの狛犬も陶器製だよ。こうやって風雨に晒される場所に置けるってことは、備前焼が丈夫だって証拠なんだろうな。」
羅針は、狛犬が陶器製であることに感心してた。
二人は、境内を一通り見て廻り、鳥居のところで脱帽一礼して、熊山神社を後にした。
次に向かうのは、熊山遺跡である。
今度は坂道と階段で出来た参道を下り、熊山遺跡への山道を辿る。
途中、樹齢一千年、樹高三十八メートルと書かれた立て看板のある、天然記念物の熊山天然杉二本が立っていた。苔生した幹は、まるで樹齢千年という歴史を纏うかのようだ。
二人は、下から見上げるようなアングルで天然杉と記念撮影をしてから、遺跡に向かった。
熊山神社から歩くこと5分弱。山道を抜けて、広場に出ると、その奥に石で出来た遺跡らしきものが見えた。
この遺跡は国指定史跡で、奈良時代の仏塔と考えられているらしい。
こういう遺跡と呼ばれる場所には、普通何もなくて、来てみてがっかりというケースが多いのだが、ここには石積みの遺構がきちんと残っていた。
近寄ってみると、この遺構は4段になったピラミッド状の石積みで、基壇の長さは10m強、高さは3mから4mはあるだろうか、見上げるような高さがある。3段目には横穴が窓のように開いていて、石造りの家のようにも見える。
立て看板の説明によると、方形の基壇に割石で3段を積み上げ、2段目は台形、3段目は逆向きにした台形、4段目は方形で、中央に縦穴の石室があり、陶製の筒型容器が収められていたという。その中には三彩釉の器と、文字が書かれた皮の巻物が収められていたそうだ。
「この皮の巻物が気になるな。どこかの博物館にでも収蔵されてるんだろうな。」
羅針が説明書きを読み終えて、呟く。
「何が書いてあったんだろうな。案外不満がグチグチと書いてあるだけだったりして。」
駅夫が適当なことを言う。
「ああ、ありうるな。重要そうに保管されていたのが、僧侶の不満を綴った日記だったりとかな。平安京とか平城京から出てきた木簡のほとんどが、物品の出入りだったり、日常業務の記録だったりするって聞くから、案外お布施の記録を綴ってたりして。」
羅針もそんなことを言って笑う。
「冗談はともかく、ここが鑑真和尚の開いた帝釈山霊山寺の跡なんだろ。唐招提寺には修学旅行で行ったけど、なんかそれ以上に感慨深いな。こういう遺跡遺跡した場所の方が、歴史を感じるというか、鑑真和尚の軌跡を辿ってるような気がする。」
羅針はそう呟いて、真面目な顔で、石積みの遺構を眺めていた。
「悠久の歴史かぁ。色んなことを想起させるのは、遺跡のなせる技だな。」
駅夫も羅針の言葉に感化されたのか、唸るように呟いた。
二人はここでも記念撮影をして、猿田彦神社の方へ移動する。
鬱蒼と茂った木々の間を抜けるように参道があり、その奥に小さな祠が鎮座していた。近づくと拝殿と本殿に分かれた、小さいながらもちゃんとしたお堂になっていた。
猿田彦とは、天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命を道案内した国津神である。中世には庚申信仰や道祖神と結びついて信仰され、道の神、旅人の神として祀られるようになったらしい。
二人は旅の安全を願った。
お堂の前に立つと、聞こえてくるのは、鳥の囀りだけで、幽寂という言葉がピッタリくる。あたりは鬱蒼と茂る森林が広がるだけで、下界からはもちろん、現世からも切り離されたような世界が広がっていた。