捌之捌
登山口で10分程休憩した旅寝駅夫と星路羅針の二人は、尺八山に向けて出発した。
再び落葉が敷き詰められた山道へと足を踏み入れる。ここからはひたすら登りである。先程と同じように、足元と蜘蛛の巣、そして猪と熊に注意しながら、一歩一歩着実に歩みを進める。
「登山クイズ~。」
羅針が突然、声を上げる。
「何だよ突然。またクイズか。お前ホントに好きだな。で、問題は。」
駅夫が呆れたように言う。
「まあ、そう言うなって。黙々と登るのも詰まらないだろ。それとも歌を歌って登るか?」
「分かったよ。クイズで良いよ、いやクイズが良いよ。」
「だよな。では問題。そもそも山って何だ。」
「とんちか?なぞなぞか?それとも大喜利か?」
「クイズだって言ってるだろ。」
「なら、周囲より高くなっている地形を山って言うんだろ。相対的に高ければ山と言っても良いって聞いたことがあるし。」
「まあ、正解。日本では自治体が山と申請すれば、国土地理院は山と認定するらしいからな。じゃ第2問。国連で定義された山はどれ。1、標高2500m以上、2、標高1500m以上、3、標高1000m以上、4、300m以上の高低差がある地形。1から4のどれが正しいでしょうか。」
「また、難解な問題を思いついたな。国連ってことは世界中の山をこれに当てはめて定義づけしてるってことだろ。2500m以上は確かに山と言う資格は確かにある。でも、1000mだって立派な山だ。ここも300mから500mの標高でも低山とはいえ、山と呼ばれているし。でも、国連が認めてるかは別か。どの選択肢も正しいように感じるけど、絶対引っかけがある。こういう定義の場合、但し書きが必ず付くんだよ、普通。但し、どこに付くかが問題なんだよな。それとも、統計を取るための定義付けと見るなら、あまりにも低山になると、統計としては煩雑になるのか。……よし、決めた。3番の1000m以上だ。」
「ファイナルアンサー?」
「ああ、ファイナルアンサーだ。」
「ざんね~ん。ハズレだよ。」
「じゃ、4番か?」
「ブー。それもハズレ。答えは1番の2500m以上の標高があるものを山岳と定義づけているんだ。但し……。」
「出た、ほら但し書きが付くんだ。」
「そう。但し、仰角が2度を超える1500m以上、仰角が5度を越える1000m以上、周囲半径7㎞以内で300mの高低差があり、且つ300m以上の標高がある場所を、それぞれ山と定義するとある。つまり、但し書きがあれば全部正解だね。」
「なんだよそれ、結局俺の推理は良い線行ってたのか。2500mだけはないと思ったんだけど、但し書き付きで300m以上とは、やられたな。」
「まんまと罠に嵌まったな。」
そう言って羅針は得意げに笑う。
「なんか、いつも俺の思考パターンを読まれてる気がするんだよな。」
駅夫が訝しむ。
「そんなことないぞ。お前が騙されやすいだけだからな。」
羅針がそう言って、輪を掛けて笑う。
そんな風にクイズを解いたり、くだらない話をしたりして、山道を歩くこの時間を二人は心から楽しんだ。
しかし、たとえ黙り込んで、黙々と歩いていたとしても、別に気まずくなることもないし、その時間も楽しめるのがこの二人の関係でもある。
駅夫と羅針が生まれ育った街は、東京湾沿いにある小さな市にできた、赤い電車が駆け抜ける線路沿いの新興住宅街である。
彼らが物心ついた頃は、まだ畑が広がるだけで何もない場所に、ポツンと10数軒の家が建つだけだった。
二人の他にも何人か子供はいたが、同い年だし、家が隣同士だったこともあって、特に二人は仲が良かった。どこへ行くにも二人一緒で、近所の自然公園に行っては昆虫を捕まえたり、ボール遊びをしたり、自転車の練習をしたのも二人一緒だった。
まさに兄弟のように遊び、学び、大きくなっていったのだ。
こんな二人だから、巫山戯合い、からかいあっても、茶番で済み、思ったことを言い合っても、相手を陥れるための言葉ではないかことが分かっているから、互いにその言葉に耳を傾けられるのだ。まさに気の置けない仲なのである。
二人が登っている登山道は、徐々に傾斜がキツくなるが、足元は踏み固められた道が続き、先程の医王山への登山道が藪の道だったことに比べたら、雲泥の差である。
平日昼間にもかかわらず、擦れ違う人もいて、人気のコースだと言うことが窺える。
50分程の行程を終え、予定より10分程早く、尺八山山頂に到着した。
二人は、息が上がっているものの、苦しい感じはなかった。良いペースで登ってきたということだ。
標高470mの尺八山だが、眺望は残念ながら望めず、鬱蒼とした木々に覆われていて、細い山道があるだけだった。
「どうする、一応ここで昼食の予定だったけど、ここで飯を広げたら、通る人の邪魔になるよな。」
羅針が周囲を見回して、弁当を広げられそうなスペースがないことを確認する。
「だな。ここじゃ、落ち着いて食べていられない感じだし、次の場所が熊山なんだろ、そこはどうだ。」
駅夫が次の場所に移動することを提案する。
「ここから20数分、マップではドン突きの登山道だから、流石にスペースはあるか。取り敢えず向かってみるか。もしなければ、その次の熊山神社まで更に20分弱の距離になるな。今丁度お昼だから、熊山神社まで行っても13時までには飯にありつけるかな。」
羅針が予定表を確認しながら、プランBを練る。
「1時間位なら腹も保つし、ここでは行動食にして、落ち着いて食べられるところで、昼食にしようぜ。」
駅夫と同意して、二人はここではショート休憩とし、昼食を先延ばしにした。
二人は道端に座って汗を拭い、60kcalのバタークッキーを食べ、水を飲んだ。
羅針は休憩中、スマホに入れてあった予定表の時刻を変更した。
「お前、ホント入力早いな。フリック入力だっけ、JKと良い勝負なんじゃねぇの。」
駅夫が羅針のスマホ操作を見て、そんなことを言う。
「まさか、JKなんか指先が見えない程早いんだぞ、俺なんかじゃ太刀打ちできないって。」
羅針が、そう言いながらも、変更を終えたのか、内容を確認して、頷いている。
「確かに、あいつら至る所でスマホ弄ってるからな。そりゃ達人の域に達するか。でも、お前ガラケーの時も早かったよな、なんて言ったっけト、ト、……。」
「トグル入力な。まあ、練習したし、業務で散々使ったからな。それでも、フルキー入力というか、キーボード入力のスピードには及ばないよ。」
「キーボードか。お前ブラインドタッチできるんだもんな、すげぇよ。俺なんかいまだにキーを探しながらだからな。」
「それにお前ローマ字入力してるだろ、それも遅い原因だよ。頭の中でいちいちローマ字に変換する作業は、達人や外国人ならまだしも、素人が手を出しちゃいけないと、俺は思うね。日本語入力なら仮名入力一択でしょ。打つ文字は半分で済むから、同じ労力で倍のスピードが出せるんだぜ。エコの時代に非効率なローマ字入力はやめとけ。」
「お前が散々そう言うから、最近では一生懸命仮名入力してるんだぜ。スピードは全然上がらないけどよ。50音順で並んでたら、探すの楽なのに、ランダム配置されてるから、まずキーの位置を覚えるのに苦労してるし。ローマ字入力と勝手が違うしよ。」
「まあ、練習あるのみだ。今ブログ続けてるんだろ、少しずつでも覚えていったら良いさ。」「おう。頑張ってみるよ。この旅が終わる頃には、ブラインドタッチ出来るようになってるかもな。」
駅夫は前途多難といった顔をしながらも、もう達成した気分でいる。
10分程休憩をした二人は、次の熊山に向けて、一旦今来た道を折り返す。
先程登ってきた道との分岐を右に折れると、暫くして舗装道路に出た。
「また舗装道か。こうやって舗装道があると、なんで歩いて登ってるのかなって疑問が湧いてくるな。」
駅夫が萎えることを言う。
「まあな。車で来ればアクセル踏むだけだからな。でも、こうやって脚で登ってきたから、こんな低山でも達成感はあるし、変なキノコを見付けたり、動物に出会ったりしてるんだよ。会いたくない動物にも会ったけど。」
羅針は反論し、最後の言葉だけボソッと言った。
「そうなんだけどな。こうやって舗装道を見るとな。多分富士山の山頂に、舗装道があったら同じように萎えると思うぜ。達成感とは別に。」
「確かにな。何時間も掛けて登ってきたら、舗装道があって、車でも来られるのかってなったら、確かに萎えるな。」
駅夫の持論に羅針は納得してしまう。
「だろ、でも、俺たちは脚で登ることを選択したんだから、頑張って登らなきゃ、だろ。」
駅夫がそう言って、萎える気持ちを振り切るように、ニカッと笑って先を促した。
「お、おう。分かってるじゃん。じゃ、熊山へ向けていくか。」
駅夫の言葉に気持ちが振り回された気がした羅針だが、とにかく頷き、先に行くよう促す。
「それじゃ、出発、進行。ほら、歩く歩く。」
駅夫が前方を指差して、列車の運転手のように喚呼し、羅針の背中を押した。
「分かった、分かった、歩くから押すなって。」
羅針は押されながらも、笑っていた。
舗装道路を暫く行くと、進入禁止のマークが描かれた看板が立っていた。看板には〔熊山無線中継所〕とあり、この専用道は行き止まりで、関係者以外通行を禁止するとあった。通行したい場合は下記まで連絡くださいとあり、電話会社の名前と電話番号が記載されていた。
「どうする。無断で立ち入ったら、やっぱマズいよな。」
駅夫がそう言ってるその脇で、羅針は既に電話を掛けていた。
「熊山無線中継所の入り口の所にいる者なのですが……はい。実は、山頂に行きたくてですね。……はい。……車ではないです。登山で来ました。徒歩です。……はい。……よろしいですか。ありがとうございます。……もちろん。それは心得ております。……はい。私星路と申しますが、失礼ですがお名前を頂けますか。……橋本様ですね。お忙しい中ありがとうございます。失礼します。」
許可が下りたのだろう、電話をしながら駅夫にOKサインを出した。
「大丈夫だったのか。」
駅夫が確認すると。
「ああ、施設への立ち入りや毀損を加えなければ問題ないそうだ。車で来てたらダメだったかも知れないけど、とにかく徒歩だって言ったら、二つ返事でOK貰えた。」
「徒歩登山で正解だったって訳か。」
「まあ、そういうことだな。」
「それにしても、お前は行動が早いな。何の躊躇もなく電話できるって、ある意味凄いよ。」
「そうか?とにかく分からないことがあったら確認する、疑問に思ったら確認する、ダメで元々、了承されたらめっけもんだろ。」
「そういうとこだよ。普通は躊躇して、さんざん悩んで、他に手がなくなってから掛ける気がするんだけど。」
「そんな時間もったいないじゃん。電話掛ければすぐに解決するのに、なんで考えてなきゃいけないんだよ。」
「それもそうなんだけど。まあ、それがお前の凄いところだってことだよ。」
「そうかな。」
「そうだよ。」
そんなことを言いながら、二人は右へと分かれる道へと登っていった。
分岐地点から5分程で、熊山山頂に到着した。
山頂には、ドデカい電波塔が2基建っていた。1基は電話会社の中継所、もう1基は消防組合の基地局のようだ。電波塔の周囲には背の高いフェンスと有刺鉄線があり、進入を拒んでいたが、その前は広場になっており、芝生が敷き詰められていた。
電波塔の下、茂みの所に三角点と〔熊山〕と書いたプレートがあったので、そこで二人は記念撮影をする。
そして、いよいよお昼ご飯にするため、広場の端の方にレジャーシートを広げ、荷物を降ろす。二人して、レジャーシートに身を投げ出し、大きく伸びをする。
「歩いたなぁ。」
駅夫が呟く。
「だな。この旅ではホントよく歩く。」
羅針が応える。
「歩かせてるのお前だからな。」
駅夫が羅針を詰る。
「そうか?そうだっけ。」
羅針がとぼける。
「まったく。このまま、ここで寝ていたいけど、飯にしようぜ。ここなら人の邪魔にならないだろ。」
駅夫が呆れ声で言う。
「だな。」
羅針が応じ、二人は起き上がって、旅館で用意して貰った弁当をリュックから取り出した。
包みを開けると、登山用にと言うことで、特別に大きな握り飯が4つ、具は梅干し、鮭、昆布に明太子と定番だ。おかずは唐揚げにハンバーグ、それと汁のない蛸の煮物に、鹿尾菜、そしてポテトサラダがたっぷり入っていた。
「これ、余裕で1000kcal越えるな。」
駅夫が弁当の蓋を開けて呟く。
「だろうな。1000kcalは越えるようにお願いしたからな。」
羅針が昨日頼んだときに、登山で頂くため持ち運びしやすいこと、全部で1000kcalを越えるようにお願いしたのだ。
「昨日チェックインの時に頼んでたのは、これだったのか。」
「そういうこと。ほら、頂こうぜ。」
二人は「いただきます。」と言って、中に入っていたお手拭きで手を拭き、まずおにぎりから手を付けた。
「美味い。これは梅干しか。この梅干し自家製かな?」
駅夫が、大粒の梅干しが入ったおにぎりを一口食べて、いきなり唸る。
「どうだろう。自家製かどうかは分からないけど、確かに美味いな。大粒だし、塩味が利いてるから、疲れた身体に染み渡るな。」
羅針もおにぎりにかぶりついて、身体に染み渡る塩分を感じてるかのような表情をする。
おかずは大きな唐揚げが5個、ハンバーグもチーズが入った高カロリータイプだ。蛸の煮物も里芋が入っていて、甘辛の出汁をたっぷり含んでいた。鹿尾菜は枝豆入りで、他に人参と油揚げが入っていた。ポテトサラダがカロリー補充のためか、たっぷりとあり、中身は胡瓜、人参、微塵切りの玉葱の他にコーンが入っていた。
「どれも美味いな。特にこの蛸が良いよ。甘塩っぱい出汁が良く染みてるし、最高だね。」
駅夫が絶賛する。
「ああ、蛸も良いけど、このハンバーグもチーズが入ってるからか、普通のハンバーグと違って美味いよ。コクもあるし。」
「これは、腹一杯になるな。」
そして、もう一つ気になるのは、葉っぱで包まれた団子のようなものが2つ入った包みだ。おかずとは別の包みだったので、デザートの扱いなのだろうと、二人は最後にとっておいた。
弁当を食べ終わり、最後にこの葉っぱで包まれた団子を食べると、中から甘い餡子が出てきた。爽やかな茗荷の香りが鼻を抜け、この葉っぱが茗荷の葉だということが分かった。
「この団子美味いな。」
駅夫が茗荷の葉で包まれた団子をいたく気に入ったようだ。
「ああ。これは美味い。この辺の郷土料理なのかもな。……あっ、出てきた。多分これだ。〔けんびき焼き〕。けんびき焼きって言うそうだ。
昔、田植えが終わった6月1日を〔ロッカッシテェ〕という休息日にして、その時に作って食べたみたいだね。
〔けんびき〕っていうのは、肩こりのことで、茗荷の葉が肩こりを癒やしてくれると信じられていて、この名前が付いたみたいだね。
茗荷の葉は食べても食べなくても良いみたいだけど、口に残るようならやめた方が良いみたいだ。」
羅針がスマホで検索して、出てきた情報をいくつか読み上げる。
「へえ、肩こりに利くのか。と言うことは、疲れにも良いってことだね。」
「ああ、多分な。宿のご主人の粋な計らいってことかもね。」
「だとすればありがたいね。」
駅夫はけんびき焼きに巻かれた葉っぱの一部、柔らかい部分だけを食べたが、羅針は茗荷の葉ごと全部食べてしまった。
口の中に残る甘い餡子の後味と、口から鼻に広がる茗荷の香りが相まって、素朴でありながらも、上品なハーブを食したような、何とも言えない美味さを感じた。
二人は、弁当をすべて食べ終わり、水を飲むと、そのままレジャーシートに横になった。
「このレジャーシート便利だな。」
羅針が呟く。
「だろ、持ってきておいて正解だっただろ。」
駅夫が得意顔で応える。
「ホント、お前の大荷物を見たときは、何持ってきたんだよって思ったけど、アウトドア用品を持ってきたのは大正解だよ。」
「へっへ~ん。」
駅夫は得意げに言う。
二人は、暫しレジャーシートに横になって休憩した。頭上を流れる雲と電波塔を見上げながら。