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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第捌話 香登駅 (岡山県)
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捌之陸


 星路羅針はいつものように6時に目が覚めた。

 部屋には洗面台がないので、共用の洗面台に行って洗顔を済ませてくる。部屋に戻ると、駅夫が起きてくるまではノーパソに向かって作業をする。写真の整理と昨日の纏めだ。

 それと、昨日のうちに準備しておいた、リュックの中身を再度確認する。登山に不要なものをリュックから取り出し、折りたたみのバッグに移し替えておいたので、リュック自体は随分軽くなっている。後で水と食料を入れれば、また重くなるのだが。


 半になり、「ん~お~は~よ~。」と旅寝駅夫に発声させ、朝の支度をさせると、朝食に向かう。

 今朝のメニューは、一般的な御飯、豆腐の味噌汁、出汁巻き卵、塩鮭、漬物に明太子が並び、副菜として、菠薐草の紅おろし、金平蓮根、アミエビの生姜煮が、そして食後にコーヒーが付いてきた。


 菠薐草の紅おろしとは、大根と人参のおろしにしらすを混ぜたものが、菠薐草のお浸しの上に載り、さっぱりいただける一品である。

 金平と言えば一般的に牛蒡だが、こちらは蓮根がメインである。味付けは普通の金平なのだが、食感が牛蒡と異なるため妙な違和感があるが、これがまたクセになる。蓮根のシャキシャキ感が違和感を増長しながらも、また味わいたくなる食感なのだ。

 アミエビの生姜煮は、海老の風味がしっかりありながらも、生姜のさっぱり感とピリリとした辛味が相まって、箸が進む一品だった。


 二人は朝食を摂りながら、今日の登山について確認をし合った。

 最初は羅針に全部任せると言っていた駅夫も、「万が一のために、低山でも登山計画は全員が把握しておかなければならないんだよ」という羅針の言葉に納得し、天気予報、コース、緊急連絡先、この旅館の電話番号をそれぞれ確認し、保険の加入、登山届もアプリで済ませた。そして、万が一の対処法についても確認した。


「でもさ、ここまでする必要あるか。そりゃ、お前の言う万が一に備えるってのは必要だと思うけど、市街地がすぐそばにある山で遭難とか有り得ないだろ。」

 駅夫が一通り確認した後も、過剰じゃないかと言って、羅針が色々準備に奔走しているその負担も心配しているようだ。

「別に、命を懸けたいなら、準備なしで登っても良いよ、でもな、あの高尾山ですら遭難事故、死亡事故があるからな。この前登ったときは何も知らないで登ったから、準備もせずに登ったけど、本来ならここまでして登らなきゃいけない山なんだよ。」

 羅針は、駅夫が心配するような負担など、たいしたことはないと言わんばかりに、二人が以前登った高尾山の反省を踏まえて反論する。

「マジで、あの高尾山で死亡事故?有り得ないだろ。そんなことになるのは、よほど山を舐めた奴だろ。」

「そうやって舐めた奴を舐めた奴が、死亡事故を起こすんだよ。登る人数が多いからというのもあるけど、年100件単位で遭難事故が起きてるし、道迷いの事故や滑落も発生している。体調不良や怪我人が救急搬送されるなんてことは、日常茶飯事らしい。」

「まじかよ。あのピクニック気分で登れる山が、そんなことになってるなんて、全然知らなかった。」

 駅夫が目を見開いている。

「舐めた本人がそのまま捨て置かれ、誰にも迷惑を掛けないって言うなら、勝手にすればいい。でも、捜索隊が出て、色んな関係各署が動く。それも税金でだ。山とはまったく関係ない納税者にまで迷惑が掛かってるんだよ。だからこそ、準備を万端にして、遭難しないようにし、それでも万が一があったら、速やかに捜索、救助してもらえるようにしておく。それが最低限山に入る者の義務であると俺は思うな。」

 羅針が、持論を捲し立てる。

「分かったよ。お前がそこまで言うなら。俺に異論はないよ。さっきのお前の説明だと、今日登る山は、高尾山みたいに観光地化されてないし、熊とか猪も出るんだろ。お前が慎重になる理由が良く分かったよ。色々準備してくれてありがとうな。」

 駅夫は改めて、羅針が準備で奔走したことに感謝した。

「まあ、全部ネットの受け売りだけどな。」

 熱く語りすぎた自分が恥ずかしくなったのか、羅針は駅夫からの感謝の言葉に、照れたように言った。


 二人は、朝食を終えると、昨日頼んでおいたお弁当を仲居さんから受け取った。

 お弁当を用意して貰えると言うことだったので、昨日チェックインする時にお願いしておいたのだ。中身は見てからのお楽しみということだ。

 弁当を持ってきてくれた仲居さんには、今日これから熊山に登ることと、帰りの予定が早ければ17時前後、遅くても18時前後には戻ってくることを、念のため伝えておいた。


 こうして、二人は一旦部屋に戻って荷物を取り、準備万端、熊山へ向けて旅館を後にした。今のところ太陽が雲に遮られているためか、さほど気温が上がっていないが、今日の天気は晴れの予報で、気温もかなり上がるようなので、熱中症には要注意である。


 二人はまず、登山口へ向かう前に、国道2号線沿いにあるコンビニに寄った。

 登山を始める前に、まずしなければならないのは、行動食と水の調達である。幸い弁当は宿で調達できたので、簡単にエネルギー補給できるものをいくつかピックアップしていく。

「なあ、行動食ってどれぐらい用意するもんなんだ。」

 駅夫が、食品棚の前で何をどれだけ買うか迷っているようだ。

「基本自分の食べたいものを食べたいだけ用意しておけば良いけど、少ないとハンガーノックに陥ることもあるから、多めに用意しておくに越したことはないな。目安としては一日に必要な消費カロリーが、体重と運動強度に運動時間と指数を掛け合わせて求めるみたいだね。ほらこれ。」


 羅針がスマホで登山での消費カロリー計算式〔消費カロリー(kcal)=体重(kg)×運動強度(登山は7.3)×1.05×運動時間〕を見せる。


「これに当てはめると、俺が65㎏、お前が75㎏だろ、運動時間はおよそ10時間の行程だから、俺が4982.25kcal、お前が5748.75kcalとなる。ここから、朝食と昼食の摂取カロリーをそれぞれ1000kcalとすると、登山で必要なカロリーは、俺が2982.25kcal、お前が3748.75kcalで、さらに荷物の分も体重として加算すれば、消費カロリーはまだ上がることになる。」

 羅針が予め計算しておいた数値を読み上げる。


「この行動食の他に、プラスして非常食を持ってくと良いらしいね。高カロリーの保存食系のやつね。これは万が一のために取って置く用で、下山までに手を出さなければ、その登山は成功、手を出すようなら、その登山は失敗っていう、試金石でもあるらしいよ。何をもって失敗か成功かってのは、素人の俺には良く分からないけど、登山ペースが悪いとか、自分のレベルが低すぎるとか、そういったことが失敗らしいね。」

 羅針が続けて非常食の話をする。


「なるほどね。じゃ俺の場合カロリーベースで4000kcalの行動食が必要ということか。マジでそんなにいるのか。それに非常食もなんていったら、2日分の食料になるぞ。」

 駅夫があまりの量に驚いて言う。

「確かにな。持って行くに越したことはないけど、そんなにはいらないか。じゃ、最低ラインとして、実質的に7時間位の移動として計算すれば……、俺は1500kcal、お前は2000kcalあれば充分だな。これにプラスアルファあれば安心だろ。」

 羅針が実質移動時間で計算し直す。

「それ位なら理解できるし、用意できるな。」

 納得した駅夫は、棚から高カロリーのものを中心にカゴに入れていく。羅針も同じようなものを自分のカゴに入れていく。


「そうそう、それに、今日も暑くなるらしいから、熱中症対策も考えてな。」

 羅針が、追加で忠告する。

 お菓子コーナーで行動食と非常食をカゴに入れた二人は、飲料コーナーに移動する。


「了解。それと、水も用意するんだろ。たっぷり用意したいけど、あまりにも重いと負担だし、消費カロリーにも響いてくるんだろ、目安とかはどうなってるんだ。」

 駅夫が持って行く量を確認した。

「ああ、これも計算式があるよ。ほらこれ。」


 羅針が見せた画面には、〔(体重+荷物)×5×時間〕という計算式があった。


「それで計算すると、俺の場合、体重と、水、食料、着替えとかで丸めて85㎏として、7時間移動するとして、85の35倍は……2975か。これは分かりやすいな。じゃ、3L持って行けば事足りるな。水筒も別にあるし。」

 駅夫が自分に必要な水の量を暗算で計算した。

「あくまでも目安だからな。万一足りなくなっても、調達できないことを頭に入れとけよ。」

 羅針が忠告する。

「ああ、そうか。じゃ2Lを2本にしておく。」

 駅夫が、2Lのペットボトルを2本取って、カゴに入れる。

「まあ、重くないならそれでも良いけど。大丈夫か。」

「大丈夫、大丈夫。」

 駅夫はそう言って、レジへと向かった。

「どうもフラグにしか聞こえないんだけど。」

 羅針も棚から2Lを2本取り出してカゴに入れ、駅夫の後を追った。


 コンビニで食料と水を調達した二人は、いよいよ登山道へと向かう。

 登山と言えば、高尾山ぐらいしか登ったことがない二人にとって、観光地化した登山道のない山に登るのは、ほぼ初めてのことだ。否が応でも、期待と不安が入り混じる。


 二人が最初に目指すのは、標高301mの医王山いおうざんである。今二人が立つ登山口が標高31mらしいので、標高差270mである。横浜の〔ランドマークタワー〕や、大坂の〔あべのハルカス〕より若干低い、90階建て相当である。

 登山口に立ち、見上げる目の前の山は、大した高さには見えないが、コースマップを見ると、甘えは許さないとばかりに、山頂までほぼ一直線の山道が引かれていた。

 だらだらと山腹をスイッチバックのように行ったり来たりして登るのが良いか、このように急登でも距離を短くして一気に登るのが良いのかは、素人の二人には判断つかないが、目の前に聳え立つ山を見て、二人とも不安が込み上げてきたのは確かである。


「安全第一、無理せず登ること。途中リタイアもありだからな。もし途中断念しても、レンタカーで再挑戦すれば良いし、最悪取り止めでも良い。気楽にいこうぜ。」

 羅針が登山口で、自分に言い聞かせるように、再確認する。

「ああ、了解。あの命を懸けるようなレンタカーには乗りたくないが、無理ならプランBはあると言うことだな。でもよ、だからって、なんで登山口が墓地なんだよ。墓地が悪いとか、そんなことは言わないし、勝手に来てる俺たちが悪いのは分かってるけどさ、なにもこんな所から始めなくてもっていうか、なんていうかさ。」

 駅夫があたりを見渡して、一生懸命言葉を濁すが、要は墓地から登るなんて縁起が悪いとでも言いたいのだろう。

「気を引き締めろってことだよ。この人たちの仲間に入りたくなかったらな。」

「なるほど……ってなるかよ。……分かったよ。気を引き締めていくよ。」

 駅夫の突っ込みに、ニコニコするだけで何も言わない羅針を見て、駅夫は意を決した。

「ほら、グダグダ言ってないで、とっとと登ろうぜ。」

 羅針の一言で、二人はいよいよ登山道に足を踏み入れた。


 先行を体力はないが道を把握している羅針が、後行を体力には自信のある駅夫が歩く。体力がない方が登山ペースを作るという、初心者向けサイトにあったセオリーに則った布陣である。


 墓地から始まった登山道は、山へ足を踏み入れると、いきなり藪の中で、時々(いばら)も混じっている。決して整備されているとは言いがたい、獣道のような登山道である。高尾山と比べたら、登山道と呼べる代物ではないだろう。落葉が敷き詰められていて、所々苔もし、足場も悪い。いきなり高尾山とは勝手の違う登山道の洗礼を浴びる。

 それでも、人が足を踏み入れ、踏み固められた跡を辿って、落ちていた木の棒を使って、蜘蛛の巣を払いながら、一歩一歩登っていく。


「いきなりキツいな。」

 駅夫が後ろで零す。

「ああ、山頂まで直線距離で600m強、標高差が270mだから、単純計算で450(パーミル)近くはあるからね。」

 羅針は早くも息が上がり始めたが、さっと暗算して答える。

「パーミルってなんだよ。」

 駅夫が説明を求める。

「ああ、パーミルは勾配を表す単位で、1㎞進んだら何メートル上がるかを示す単位だよ。」

「それって、パーセントで表すんじゃねぇの。」

「ああ、道路の勾配はパーセントだったな。パーミルは鉄道で使うか。なら、勾配は45%ってことで。」

「ってことで、じゃねぇよ。時々訳分からんこと言うからな、お前。」

「すまん、すまん。ついつい。」

「ったく。勉強になるから良いけどよ。」


 いつものように軽口をたたき合うが、笑い声を上げる余裕は二人ともない。

 しかし、二人ともこの旅で歩き慣れ、鍛えられたのか、息は上がり、途中の自然を楽しむ余裕はほぼないものの、根を上げず、着々と登っていく。


 何度か落ち葉で足を滑らせたりしたが、なんとか無事に、医王山山頂に到着した。掛かった時間は、標準コースタイムに10分程遅れただけで、羅針の予想通りだった。まずは、第一関門突破である。


 山頂には、板に書いた〔医王山〕の文字が木にぶら下がっていて、そのそばに〔三角点〕と書かれた石碑と三角点が設置されていたが、他にはなにもない。

 二人は、そこで記念撮影し、10分程休憩を取る。


「駅夫、問題。」

 羅針が声を掛ける。

「ん?どうした?トラブルか?」

 駅夫が、何かトラブルかと身構える。

「いや、その問題ではなく、クイズ。」

「なんだよ。紛らわしいな。」

「この、標石ひょうせきの名前は分かるよな。」

 駅夫の叱責をスルーして、羅針が足元にある、丈夫に十字が刻まれた石柱を指差した。

「もちろん。そこにも書いてあるし、三角点だろ。」

「正解。この三角点には等級があって、1等は45㎞間隔で設置されていて、2等は8㎞、3等は4㎞って具合に、細分化されていて、3等は約3万1千、2等は約5千箇所が全国に設置されてるんだけど、じゃ、1等は何カ所あると思う。」

「そんなの分かるかよ。日本全国でだろ。45㎞毎に設置すると考えると、日本列島が3500㎞、50で割って700。幅が確か広くて300㎞あると考えると、それだけで6箇所。700掛ける6で4200と出るけど、おそらくこれでは多すぎる。

 2等が5千箇所だろ、1等1箇所を基準に、2等を設置することを考えると、8㎞半径の円上に、8㎞間隔で2等が設置されるのか。円周は2πrだから、一周およそ48㎞。一周6箇所に設置すると考えて、5千箇所の6分の1が1等と考えると、8百から9百箇所の間と言うことになるな。よし、予備も含めて950箇所だろ。」

「どうして、お前はそう言う推理と計算は得意なんだよ。正解は973箇所。国土地理院の2023年発表のデータでだけど。ニアピンだな。」

「マジか。惜しいな。良い線行ったのか。」

 駅夫は悔しそうにしながらも、得意げである。


「じゃ、もう一つ問題。もしこの三角点を動かしたり破損したりしたらどうなる。」

 羅針は悔し紛れに、もう1問出してきた。

「なんだよ。悔し紛れの問題か。まあ、普通に刑事罰に問われるだろうな。一般的には懲役刑もしくは罰金刑だろ。後は年数と金額だ。どれぐらいの罪と同じなのかって話だよな。じゃ懲役3年、罰金100万円でどうだ。」

 駅夫が当てずっぽうで答える。

「まじかよ、なんか今日のお前カンが良いな。測量法に抵触して、2年以下の懲役、または100万円以下の罰金だそうだ。半分当たりだな。」

「よしっ。」

 駅夫はガッツポーズをしている。

「ちなみに、2年以下の懲役だと、犯人蔵匿罪、水利妨害罪、往来妨害罪、猥褻物頒布罪なんかがこれに当たるな。100万円以下の罰金は、富くじ販売取次罪、業務上過失致死、過失致傷、電子計算機損壊等業務妨害罪なんかが該当するな。ほらこれ。」

 羅針はスマホで検索した犯罪ごとの法定刑一覧を見せた。

「こんなのもネットで分かるのかよ。すげぇな。

 さっきの犯人蔵匿罪は2年以下だけど罰金は20万なんだな。でも、業務上過失致死は100万円以下だけど、5年以下だし、自動車の過失だと7年になるのか。こうやって見ると、懲役と罰金のバランスが色々と違うんだな。どういう基準で決まってるのか分からないけど、制定当時の価値観なんだろか。」

 駅夫が羅針のスマホを覗き込み、懲役と罰金のバランスを見て呟く。

「おそらくそういうことだろうな。その当時の金銭的価値観が繁栄されているのは、疑いないだろうな。」

「だよな。」


 駅夫は疑問がすっきりしたのか、興味を失ったか、大きく伸びをして、眼下に広がる街並みを眺めた。

 山頂から見下ろす備前市の街並みは、すでに玩具のように小さく見える。伊部駅の駅ビルや、新幹線の高架線、そしてその高架線が横切る大ヶ池(おおがいけ)も見下ろすことができた。流石に香登駅は遙か遠くで、判別が付かなかった。

 新幹線が通過すると、ここまで走行音が聞こえてきた。



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