捌之肆
今にも朽ち果てそうな古民家から、新築のような住宅まで、和風や洋風、そして新旧入り混じった邸宅が建ち並んだ住宅街になっている、この西国街道を歩いてきた二人は、〔大内神社〕と書かれた神額が掲げられた鳥居の前に立ち、これまで歩んできた人生の重荷を振り払うかのように、鳥居を見上げた。
この大内神社の創建年代は分かっていないが、大宝年間(701年~704年)に香登臣秦大兄が修繕したと社記にあるため、少なくとも1300年以上前の創建と推察されるが、弘安8年(1285年)の〔備前国百廿八社神位付神名帳〕に正二位大内大明神とあることから、遅くともその頃には、既に創建され、名が通った神社に昇格していたことは確かである。
この他の神名帳にも、従二位大内大明神、四社大明神、春日四社大明神、大内神社などの記載があり、いずれにせよ名の通った神社であることは間違いない。
明治2年(1869年)には、官許を得て名称を大内神社と定め、明治5年(1872年)、郷社に名を連ねた。大正10年(1921年)10月に、勅令に基づいて県知事から、神饌幣帛料を供進される神社に指定された程である。
ちなみに、神饌幣帛料とは、祈年祭、新嘗祭、例祭に共進されるもののことで、神饌とは神様に供える供物を指し、米、酒、魚、野菜、果物などが用いられ、幣帛とは神様に捧げるお金を指し、紙幣や金貨などが用いられた。この神饌幣帛料を、天皇から共進されることは神社にとっても大いに名誉なことである。
御祭神は、大山津見神、木花之佐久夜毘売、神大市比売神、大香山戸臣神の四柱である。この四柱は家族神であり、木花之佐久夜毘売と神大市比売神は、大山津見神の娘神で、大香山戸臣神は神大市比売神の孫神である。
羅針が一通り説明を終えると、駅夫が疑問を口にした。
「あのさ、さっきの岩長姫も大山津見神の娘だったよな。なんでハブられてるんだろ。神話では邇邇芸命に送り返されて、怒りを露わにしてたのに、あれは形だけの怒りで、大山津見神も岩長姫を嫌ってたのか。」
「それはどうか分からないけど、あくまでもここは神社だからな。祀りたい神様だけを祀ってるのは確かだろうな。この神社を創建した人物が、岩長姫をお気に召さなかったのかもしれないし、もちろん、他の理由があったのかも知れない。」
羅針が、想像で勝手なことを言う。
「もしそうなら、創建者も邇邇芸命と同じ運命を辿った可能性は大いにあり得るな。」
駅夫も、羅針の想像に乗っかる。
「寿命が短くなってたりして?そんなの、マジ怖えよ。」
「ともかく、岩長姫だけお参りしてきたことがバレると、木花之佐久夜毘売が嫉妬して、祟りがありそうだから、ここもしっかりお参りしていかなきゃな。」
そう言って駅夫は脱帽一礼し、先に階段を上がっていく。
「まったく、現金というか何というか。」
羅針も慌てて、脱帽一礼し慌ててついていく。
二人は階段を上がって鳥居と神門を潜り、境内に入っていった。すると、そこには奇妙な顔、いや剽軽な顔をした狛犬が出迎えてくれた。
「何この狛犬。こんなこと言ったら怒られるけど、変な顔してる。」
駅夫が堪えきれずに笑う。
「確かに、奇妙な顔してる。この長い髭みたいな意匠がおかしみを追加してるよな。」
羅針は笑いを堪えながら、カメラを向け、駅夫と一緒に写そうとしたら、カメラに気付いた駅夫が、狛犬と同じ表情を作って、写真に収まった。
「バチあたるぞ」
羅針は笑いを堪えきれず、そう言って吹き出した。
「神の使いを真似るということは、神に近づきたいという信仰の表れであるから、何の問題もない。」
羅針がいつもするような屁理屈を真似て、駅夫が笑う。
剽軽に写る駅夫を見て、先程まで気落ちしていた駅夫が、そんな簡単に吹っ切れるわけはないから、無理をして吹っ切れたフリをしているのかもしれないが、表面的には気持ちが切り替わったように振る舞っているので、後は本人の心が解決するしかないなと、羅針は不安ながらも、ひとまず安心はした。
このまま正面を行けば随神門だが、その左側に大内神社の本殿と見紛うような拝殿が鎮座していた。ここは武内稲荷神社の拝殿である。
二人は、まずこちらで参拝した。農業従事者でもない二人が、穀物と農業の神である稲荷神にお願いすることはただ一つ、旅先で美味い飯を鱈腹食うことだ。
「美味い飯だろ。」と二人がハモる。
互いに同じことを考えてるのか、願い事を確認するように言い合った。案の定二人の考えていることは一緒で、二人とも吹き出して、大笑いしてしまった。
この武内稲荷神社拝殿の裏手に回ると、本殿の脇には備前焼のお狐様が三体鎮座していて、稲荷神を守っていた。二人はそんな境内の様子を一つ一つ見て廻り、境内社を見付けては参拝して廻った。
一通り巡ると、随神門を潜り、更に奥へと進む。
「あのさ、この随神門って本庄でも見たけど、そもそもどういう門なんだ。」
駅夫が思い立ったように聞く。
「ああ、要は神社の御祭神と聖域を御守りしている随神が鎮座している門だよ。お寺の仁王門とか四天王門なんかと役割的には同じかな。」
「なるほど。じゃ、その随神っていうのは、どんな神様なんだ。」
駅夫が更に深掘りする。
「そもそも、随神という神はいなくて、門守神とか、看督長、矢大神・左大神とか、色々呼ばれているんだけど、要は、弓と矢を携えて剣を帯びた、神様を守護する役目の神様のことを、随神と呼ぶんだ。つまり随神というのは役職名みたいなもんだな。
ちなみに、この随神という言葉は、そもそも随行の随に身体の身と書く〔随身〕だったんだ。ところが、平安時代ぐらいから、貴族を守る役職にこの随身を使用するようになって、神様の方は身を神に変えて、〔随神〕と書くようになったんだ。
ここの随神門には誰が鎮座しているのかは書いてないみたいけど、さっきの岩長姫神社の随神門には、豊磐間戸命と奇磐間戸命が鎮座していたよね、古事記にもこの二柱が門神、つまり門番の神様であるという記載があるらしくて、一般的に、随神門にはこの二柱が鎮座していることが多いみたいだね。
ちなみに、神社によっては、〔ずいじん〕と濁ったり〔ずいしん〕と濁らなかったりして、読み方も異なったりするらしいよ。」
羅針が例の如く、スマホで調べたことを噛み砕いて説明する。
「なるほどね。つまり、随神という役職に就いた神様二柱が、ここで警備しているってことか。」
駅夫がざっくりと纏め、格子の隙間から、鎮座している随神を覗き込むように見る。
「まあ、ざっくり言ってそういうことだな。一応これは言っとく。諸説あり。」
羅針が魔法の言葉を一言追加する。
「出たよ、諸説あり。異論は受け付けない時の常套手段。」
駅夫が羅針の方に振り向いて言う。
「分かってるじゃん。異論があったら、勝手に言ってろってやつな。良い言葉だろ。」
「そんなこと言ってると、界隈からクレーム入るぞ。」
「くわばら、くわばら。」
二人はそんなことを言って、また二人は笑った。
その随身門の奥には、20段程の階段があり、漸くそこに大内神社の拝殿が現れた。
唐破風の向拝を設えた、入母屋造の拝殿は、壁もなく、吹きっ曝しの状態である。本坪鈴と賽銭箱が備え付けられ、正面には立派な扁額式の絵馬が2枚掲げられていた。絵馬自体は年季も入っているが、描かれている馬には躍動感があり、この絵馬に込めらた思いがなんとなく伝わってくるようだ。
二人は参拝を終え、ふと見上げると、唐破風の正面には小槌や帳面などが並んだ、独特の兎毛通と呼ばれる懸魚があり、その真ん中に何やら記号のようなものが描かれた丸い装飾があった。
楔形文字やハングルにも見えるその装飾は、調べてみると、〔阿比留文字〕と呼ばれるもので、対馬国の卜部氏・阿比留氏に伝わったといわれる文字であり、阿比留家の文書に阿比留草文字や対馬文字と共に書かれていたものであるという。
この向拝にある兎毛通の阿比留文字は、〔オオウチノヤシロ〕と書かれているらしい。
本殿の裏山へ上がる階段を登っていくと、丁度裏手、大内神社の本殿の屋根と同じ高さにある金刀比羅宮にも参拝した。
参拝を終え、振り返ると、そこには檜皮葺の本殿と、瓦葺の拝殿、弊殿が見下ろせた。ここから見ると権現造りの構造が良く分かり、この神社の格式の高さを窺うことができた。
本殿の屋根の向こうには山陽新幹線の高架線路が見え、視線を合わせると、丁度屋根の上を新幹線が走り抜けているようにも見える。
二人ともタイミング良く写真に収めようと、新幹線が来るのを待ち構えるように、駅夫はスマホを、羅針は一眼を構えた。
そして、収まった新幹線は、何と末期色、もとい真っ黄色の車両、ドクターイエローである。正式名称を新幹線電気軌道総合試験車という、新幹線路線の点検を専門におこなう車両であり、出会えたら幸せになれるとも、まことしやかに噂される車両である。
「おい、今の!」
駅夫が興奮気味に叫ぶ。
「ああ、ドクターイエローだ。」
羅針も、興奮を抑えきれない。
「初めて本物見た。もっと近くで見たかったけど、こんなの普通撮れないぜ。」
駅夫が掲げたスマホの画面には、檜皮葺の屋根の上を疾走する黄色い新幹線が、見事に写っていた。
「流石スマホだな、ジャストの露出で撮れてるじゃん。それにアングルもバッチシだし、上手く撮れたじゃん。」
「お前のはどうなんだ。」
「ああ、こんな感じ。ドクターイエローが来るの分かってたら、露出を上げておけば良かったよ。」
そう言って、羅針が見せた一眼のモニターには、辛うじて黄色が分かる程度に露出が落とされ、シルエットになった新幹線が屋根の上を駆け抜けていた。
「無茶苦茶格好良いじゃん。なにこのシルエット。なんて言うか、色のない世界に突然現れた黄色い列車みたいな感じで、すげえよ。流石羅針だな。」
駅夫が興奮気味に捲し立てる。
「そうか。ドクターイエローの写真としては失敗なんだけどな。」
羅針は、褒められて照れくさいのか、そんなことを言う。
「これで失敗だったら、そいつは見る目がないな。」
「その見る目がないの俺なんだけどな。」
「あっ、そうか。」
羅針の言葉に、駅夫が気付いたように言って、二人は笑った。
幸運の黄色い車両を写真に収め、興奮も冷めやらない二人は、暫くああでもない、こうでもないと、写真談義に花を咲かせながら、裏山を降りてきた。
この神社には、香登招魂社や稲荷神社を始めとした沢山の境内社があるため、二人は、一つ一つ探しながら参拝していった。
変わったところでは、虫除神社や大酒神社、牛神社というのもあった。
虫除神社には、御祭神として豊受大神と御年神が祀られていた。また、大酒神社には農耕の神である香山戸臣神が、牛神社には食物、穀物の神様である保食神がそれぞれ祀られていた。
なぜ食物や穀物の神様が、虫除に御利益があるのかは不明だが、なにか所以があるのだろう。二人は、疑問に思いながらも、その答えが分からないまま、一つ一つ参拝していった。
一通り参拝を終えた二人は、社務所に寄って、御朱印を拝受する。
受け取った御朱印には、阿比留文字が描かれたものと、一見普通のものだが、心願成就の文字にハートが紛れ込んでいるものを頂いた。
「すみません、一つ伺いたいのですが。」
羅針は、社務所で対応してくれた神職に声を掛けた。
「はい、なんでしょう。」
快く応じてくれた神職に、先程の疑問を投げかけた。
「こちらの境内社に虫除神社ってありますよね。その御祭神が豊受大神と御年神という、食物や穀物の神様だと神額に書かれていたんですけど、虫除けと穀物の神様にはどのような関係があるのですか。」
「ああ、それはですね、虫除けいうたら、一般的には蚊や蠅などを追い払うイメージがあるかと思いますが、ここで言う虫除けいうのは、農作業における虫、つまり穀物にとっての害虫を除けることなんです。ですから、食物と穀物の神様に自分たちが育てている農作物に害虫が寄りつかんようにってお願いするんですよ。」
少し岡山弁混じりだったが、神職は分かりやすいようにと、噛み砕いて説明してくれた。
「なるほど。では、自分の身に蚊や蠅が寄りつかないようにお願いするのは、お門違いってことですね。」
羅針がそう言うと。
「いえ、そんなことはありませんよ。確かに穀物や作物の虫除けを祈願する場所じゃけど、祀られている御祭神は穀物、作物の神様じゃから、皆様の健康を見守ってくださってるけえ、害虫除けをお願いすることは、問題ないですよ。」
「そうなんですね。それなら一安心しました。もう一つお伺いしてもよろしいですか。」
疑問が一つ解決した羅針は、ついでにともう一つ質問した。
「こちらの御祭神は大山津見神の家族神が四柱祀られていると思うのですが、岩長姫は祀られてませんよね。その理由は何かあるのでしょうか。」
この神社の説明をしたときに、駅夫が疑問に思っていたことを、羅針が代わりに質問した。
「確かに、岩長姫も大山津見神の娘神ではありますが、そうですねその理由は分かりかねますね。近くに岩長姫神社がございますので、その関係もあるかと思いますが、詳しくは申し訳ございませんが。」
神職が神職が申し訳なさそうに答えてくれた。
「いえ、とんでもないです。変なことを聞いてこちらこそ済みません。お忙しいなか、詳しいお話をありがとうございます。」
「いいえ、どういたしまして。良い御利益を授かるとええですね。」
「そうですね。そう願ってます。」
二人は神職にお礼を言った。
境内には、征露凱旋紀念碑や、旧山陽道の香登一里塚跡などもあり、見所の多いのは流石有名な神社である。
そんなことを思いながら、心行くまで境内を散策した二人は、大内神社を後にした。