捌之弐
旅寝駅夫と星路羅針の二人が新幹線ホームに上がると、既にのぞみ67号広島行きのN700Sは停車し、奇跡の7分が間もなく終わろうとしていた。
相変わらずエージェントのように一礼して立ち去った清掃員を見送ると、一斉に乗客が乗り込んでいった。
今日も二人はE席である。もちろんEは駅夫、Dは羅針である。
「今日は富士山見えないだろうな。」
駅夫がビルの隙間から見える空模様を確認するように見上げながら呟く。
「これほどひどい雨模様だと、多分無理だろな。」
今にも雨が降りそうな空を覗き込むように眺めて、羅針も同意する。
そんな話をしていたら、滑り出すように列車は走り出した。
定刻通りに出発し、3時間強の旅が始まった。
「高崎線ではトラブったけど、このまま順調に岡山まで行ってくれると良いな。」
駅夫が外を眺めながら、呟く。
「まったくだよ。まじでどうなることかと、焦ったからな。」
「でも、お前言ってたじゃん。安全に配慮してくれてるから、俺たちは安心して旅行できるって。」
「そうだな。今回は何にもなかったから良かったんだもんな。感謝だよな。」
「だろ。」
「なんか、今日のお前頼もしいな。どうした?なんか変なもん拾い食いしたか?」
いつもと違う感じがする駅夫に、羅針はからかいを入れてみる。
「拾わねぇし、食わねぇよ、んなもん。いつも通りだ。」
駅夫は、ちらっと羅針を見てそう言うと、また窓の外を眺めた。
「やっぱり、どこか違う。宇宙人に中身入れ替えられたとか。そもそも、プログラムを書き換えられたとか。いや、まったくの別人にすり替わったとか。もしかしたら別の世界線から現れた?こんな駅夫にしてしまって、ご両親に合わせる顔がないよ……。」
羅針が、聞こえよがしに次から次とからかってみる。
「くそっ、俺はロボットじゃねぇし、別の世界線から来てねぇよ。わらかしやがって。」
どうやら駅夫はクールを決め込んでいたようだが、あっさり化けの皮が剥がれ、堪えきれずに吹き出して、笑っている。
「よかったよぉ~、ホントによかったよぉ~、危うくお前の両親に顔向けできなくなるところだった。」
羅針は泣き真似して、喜びの声を上げていたが、堪えられずに笑い出した。
茶番で巫山戯ている二人を乗せて、新幹線は順調に西へ向けて爆走する。
新横浜を過ぎたあたりから、雨模様の空はとうとう雨降りに変わり、窓に大きな雨粒を打ち付けてきた。窓に着いた雨粒が真横へと流れる様は、新幹線のスピードならではの現象なのだろう。
小田原を過ぎると車窓には徐々に霧が増え、熱海では立ち込める霧が街を覆っていた。
丹那トンネルを過ぎ、三島を通過しても雨足は弱まらず、案の定、富士山は雲に隠れていて、そのほとんどを見ることができなかった。それでも二人は、写真に収めてみたが、当然満足のいく出来ではなかった。なにせ裾野まで雲だか霧が覆っていたのだから。
静岡を過ぎたあたりで、昼時になったので、東京駅で買った弁当を開けることにした。
値が張るだけあり、中は二段重になっていて、一の重は茶飯、二の重には色とりどりのおかずが並ぶ。唐揚げ、鰻の蒲焼き、茄子の揚げ煮など、20品近くが入っていた。幕の内弁当らしく、弁当としての纏まりはないが、どれも味は良く、一つ一つが上品な味付けで、素朴な味付けの茶飯と良く合った。
「これ、ちょっと贅沢かと思ったけど、正解だな。」
駅夫がそう呟き、茶飯を口に運んで美味そうに食べる。
「ああ、冷めてても美味いっていう味付けは、暑い中で食べても美味いだろうからな。広告に偽りなしってとこか。」
涼しさを売りにした名前が付いたこの弁当について、羅針は枝豆入りの豆腐天麩羅を頬張りながら評価する。
名古屋を過ぎたあたりから雨足が徐々に弱くなり、米原を過ぎると雨が降っているのかどうかは分からなかった。
京都に着く頃には、お弁当をペロリと食べきってしまった二人は、高い建物のない古都の街並みを眺めながら、ペットボトルのお茶を飲んでいた。
「京都駅前の京都タワーあるだろ。」
突然羅針が京都タワーについて話し始めた。
「ああ、あの白いやつな。京都と言ったら京都タワーだよな。デザインも美しいし、令和の今でも色褪せないよな。」
駅夫も先程京都駅に到着する時にチラリと見えた京都タワーを思い浮かべ、応える。
「で、ここでクイズだ。」
「なんだよ、またクイズかよ。いいぞ。」
駅夫はまた始まったよと思いつつも、今度こそ正解してやると意気込んだ。
「京都には景観維持のために高い建物が建てられないのは知ってるよな。じゃ、京都タワーはどうしてあれだけ高い建物を建てることができたと思う。」
「そんなの簡単だよ。当時そんな法律がなかったんだろ。」
「ん~。まあ半分当たりかな。」
「なんだよ半分って。じゃ、残り半分って何だ。」
「当時の京都でも既に、〔東寺の塔よりも高いものは建てない〕って言うのは不文律の常識だったんだ。それに、建築物の規制は当時も厳しかったんだよ。」
「じゃ、なんで建てられたんだよ。法律の抜け穴を使ったのか。悪徳政治家が良くやる奴。」
「悪徳政治家云々は置いといて、まさに法律の抜け道だな。工作物として建てたんだ。」
「まじか、建築物じゃないなら良いだろって建てたのか。あんなデカイもの工作物として建てちゃったら、法律の意味ないじゃん。」
「そう、だから、後に制定された〔京都市景観条例〕にその辺も盛り込まれて、穴埋めされたらしいよ。」
「だろうな。でなきゃ、我も我もって続いて、今頃高層ビルだらけだよ。」
駅夫は東京のように高層ビルが建ち並ぶ京都の街並みを想像し、げんなりした。
「そんな法律の穴を抜けて建てられた京都タワーなんだけど、今や京都の顔になるまでに認知された。でも、誰も京都タワーが工作物って知らないし、分からないと思うんだけど、ここで次の問題。京都タワーが工作物っていう理由がもう一つあるんだ。それが、お前の答えが半分しか正解してない理由だな。何だと思う。」
「それは何だって話か。建物と工作物の違いって言ったら、構造問題だよな。きちんと杭打ちしてなかったら、おそらく地震なんかで倒れてしまうだろうし、非常階段がないとかいったら、工作物だろうが何だろうが、消防法に引っかかるだろうし。構造だってのは分かるけど、どこが違うか検討着かないな。あてずっぽで柱がないとか。」
駅夫は両手を挙げて、諦めのポーズをしつつも、あてずっぽで答える。
「柱がないか。まあ惜しいな。構造が問題ってのは当たりなんだけど、正解は、構造に鉄骨が一つも使われていないってことなんだよ。」
「マジで!鉄骨使わずに、あんな高い建物を造ったのか、あっ工作物か。」
駅夫が羅針の言葉に目を見開いて驚いた。
「ああ、そうだよ。ただ勘違いするなよ、あくまでも使ってないのは構造にってことだからな。京都タワーの工法は簡単に説明すると、自動車や鉄道、飛行機、もっと言えばロケットとかミサイルなんかで使用される〔モノコック構造〕を使用したんだ。だから建築物じゃなくて工作物なんだって理由を付けたとかいう話らしいよ。」
「何だ、そのモノコック構造って。」
「外板に応力を掛けて、構造を維持する構造だよ。要は、外壁だけで構造を支えているんだ。簡単に言えば、板状の鉄板を筒状に丸めて建てたって感じかな。要はロケットが立ってるようなもんだ。」
「って言うことは、京都タワーの中身はスカスカなのか。」
「スカスカって、何もないってことはないけど、構造的にはそういうことになるな。」
駅夫の言葉に、羅針は頷く。
「でも、もう半世紀は経つだろ、良くそんな構造物が倒れずに保ってるな。」
駅夫が、昔と変わることのない姿で建っている京都タワーを思い浮かべて呟く。
「それだけ、建築時の構造計算が正しかったってことだろうな。地震とかにも耐えてるわけだし。」
「そういうことか。設計者はすげぇな。有名な建築家なのか。」
「えっと、確か山田……山田守さんだね。有名なところだと、隅田川に架かる永代橋とか、日本武道館も彼の設計みたいだね。ほら、これが彼の実績だよ。」
羅針はスマホの検索結果を駅夫に見せる。
「へえ、聖橋って、御茶ノ水のところの橋だろ、それに、この東京中央電信局の建物は、写真でだけど見たことあるよ。」
「ああ、これね。今は解体されて、電話会社のデータセンターが跡地に建ってるんじゃないかな。モダニズムの先駆と言っても良い建築物だからな、残しておいて欲しかったけど、時代の波には勝てなかったってことだな。」
「時代の波か。俺たちが今見ているこの景色も、後100年もすれば、がらりと変わってるんだろうな。子供の頃漫画で見たチューブ道路とかはまだ走ってないけど、縦横無尽に道路網が整備されて、鉄道網が造り上げられたのも、この100年だからな。」
「確かにな。これからどんな景観になっていくか、楽しみではあるよな。」
二人は、そんなことを言いながら、窓の外を流れていく景色を眺めていた。
あれだけ降っていた雨も、京都駅を出ると完全に止み、新大阪を過ぎたあたりから、雲の隙間から陽も差すようになり、天使の梯子が見られた。
何事もなく無事定刻通り岡山駅に到着し、ホームに降りた二人が身体を解すために伸びをしていると、銀河を駆ける鉄道アニメの主題歌が流れ、二人が乗ってきた列車が出発していった。
二人は新幹線の車両を見送ると、赤穂線の乗り場である、3番線に向かった。新幹線ホームからそのまま下へ下へと降りいていくだけだが、流石巨大駅である、目的の在来線ホームに辿り着くのはちょっと大変だった。
岡山駅は言わずもがな、岡山県の県庁所在地に位置する、岡山の中心駅である。新幹線を始め、在来線、路面電車が乗り入れ、中四国地方最大のターミナル駅でもあり、新幹線ホームは2面4線、在来線は4面10線という巨大駅で、中四国地方各地へ向かう列車がここ岡山駅に集結しているため、構造も複雑である。
赤穂線のホームには〔山陽色〕とも、〔末期色〕とも揶揄される、濃い黄色に塗られた115系が既に停車していた。
「真っ黄色だな。まるで西武線だな。」
駅夫が黄色の車両を見て呟く。
「ああ、末期色だろ。」
羅針が応える。
「ん?なんか今、この世の終わりみたいに聞こえたんだけど。」
駅夫が耳聡く反応する。
「良く分かったな。この黄色を揶揄して、黄色一色の真っ黄色じゃなくて、終わりって言う意味の末期を掛けて、末期色って言うんだよ、界隈では。」
「ひでぇ界隈だな。でもなんで黄色なんだ。他にもイメージの良い色があっただろうに。西武鉄道をリスペクトしたのか?」
「西武鉄道がどうこうは分からないけど、元々この黄色は、瀬戸内地方の豊かな海に反射する陽光をイメージした濃黄色に統一されたらしい。地域住民に親しまれる色っていうことと、塗装工程の単純化でコスト削減を狙ったってことらしいね。」
「陽光のイメージねぇ。確かに言われてみれば、そう見えなくもないけど、それならもっと明るい黄色を採用すれば良かったのに。」
「確かにな。だから、揶揄されるのかも知れないな。でも、そのせいかどうかは分からないけど、最近では黄色からの脱色、いや脱却を図っているらしいよ。」
「じゃ、この色もそのうち見られなくなるのか。」
駅夫は羅針の言葉をスルーし、スマホを取りだし、末期色の車両を写真に収めた。
「すぐにと言うことではないだろうけど、そういうことになるかもな。でも、減ったら減ったで、保存しろって言い出す輩が絶対出てくるから、一部では残るんじゃないか。どこまで減るかは攻防の結果次第だろうけど。」
羅針も一眼で撮って、そんなことを言う。
二人が乗る赤穂線は、岡山県の東岡山駅と兵庫県の相生駅間を走る鉄道だが、そこを走る列車は、西は広島県の福山駅、北は新見駅、東は新快速として滋賀県の米原、草津方面まで直通運転をしている。しかし、途中駅の播州赤穂駅で完全に分断されているため、赤穂線内を全線直通する列車は現状一本もない。
ローカル線扱いであり、単線でもあるため、乗り通すには多少時間が掛かるが、山陽本線の迂回路線としても一応機能しているようだ。
二人が乗り込んだ列車は、備前片上行きのワンマン列車、2両編成である。当然のように駅夫はかぶりつきへ、羅針は座席へそれぞれ陣取る。
定刻になり、ドアが閉まると、列車は滑り出すように出発した。
巨大ターミナル駅であるため、転線してポイントをいくつも超えて、本線へと入っていく。併走する線路が徐々に減り、4本に集約されると、やがて津山線と別れ、新幹線の高架を潜り、右へと大きくそれていく。
東岡山までは山陽本線乗り入れ区間であるため、複線が続く。
一級河川の旭川を渡ると、最初の停車駅の〔西川原・就実駅〕である。この駅は請願駅であるが、名称決定で揉めに揉め、その結果、正式駅名は〔西川原駅〕、駅名標や案内では〔西川原・就実駅〕を採用することにしたらしく、駅名に中黒点が入る珍しい駅である。
珍しい名前の駅を出ると、引き続き住宅街の中を進む。左側には新幹線の高架が併走している。
3面4線の東岡山駅を出ると、右端の線路へと渡っていき、いよいよ山陽本線から別れて、赤穂線の単線区間へと入り、右へ大きくカーブしていく。
車内放送が、頻りにこの先の駅では自動でドアが開かず、ドア横のボタンで開く旨のアナウンスが繰り返されていた。
それまで住宅街を走っていた列車は、単線区間に入った途端、両脇に茂みが覆い、いきなり田舎感が増す。
川を越え、トンネルを潜り、線路は左側に見える鬱蒼と茂る森に覆われた山を迂回するように進んで行く。
単線区間に入ってから、列車は警笛を鳴らすことが多くなった。所々黄色地に黒の罰点が描かれた標識、鉄道用の汽笛吹鳴標識が点在しているからだ。確かに沿線は見通しが悪い上に、警報器も遮断機も存在しない第4種踏切も存在しているため、鳴らす必要があるのだろう。
運転手は標識に従って吹鳴しているだけだが、鉄道標識などまったく知らない駅夫は、さっきから頻りに警笛を鳴らす運転手を見て、これだけ見通しの悪い場所を走る運転手は、何が飛び出してくるか分からず、気が気ではないだろうなと、自分が見通しの悪い道路を自動車で運転することと重ね合わせ、吹鳴標識がない場所でも鳴らしたくなるのを堪えて運転する恐怖はどんなものかと、考えてしまった。
しかし、当の運転手に目をやると、前をしっかりと見て、淡々と運転を熟しているようで、駅夫は改めて、流石プロは違うんだなと感心した。
沿線の風景は、茂み、田畑、住宅が入れ替わり立ち替わり現れ、やがて2面3線の西大寺駅に到着する。近隣には日本三大奇祭の一つと言われる、裸祭である会陽で有名な金陵山西大寺観音院があり、乗降客数も相生、東岡山、播州赤穂に続く第4位を誇る駅である。一日平均乗車人員は3000人強を推移してはいるが、上位3位までが7000人台を叩き出していることを見れば、だいぶ水を空けられてはいる。
西大寺を出てすぐに、岡山3大河川と言われる吉井川を渡る。
ちなみに岡山の3大河川とは吉井川と、旭川、高梁川の3水系で、その流域面積は岡山県の80%を占めているという。
左手奥には、この吉井川を横切るように大きな堰が見えた。鴨越堰である。江戸時代中期、今から300年程前に造られた、水を取り入れるための堰であり、決壊と改修を繰り返しているが、今なお現役で使用されているようだ。
吉井川を越えると、再び茂み、田畑、住宅が入れ替わり立ち替わり現れ、無人駅をいくつか過ぎると、刀剣の世界では名高い、長船派の拠点があった、長船駅に到着する。
長船の刀工が拵えた刀剣は、長船物、備前長船として高く評価され、日本刀史上最大の流派とも言われている。近隣には刀剣を扱った博物館も存在していて、刀剣マニアが多数訪れるという。
長船駅を出ると、目的地の香登駅はもうすぐである。
正面には400m級の山々が聳え、列車はそこへ向かって走っていくが、やがて右へ大きくカーブをすると、1面1線の香登駅が現れ、およそ6時間の旅程が終わった。