捌之壱
いつもの通り6時に起床した星路羅針は、セットしておいたスマホのアラームを止める。
バスルームで、洗顔を済ませ、いつものようにノーパソで、カメラのデータ整理と昨日の纏めをする。
今日はいよいよ本庄を離れ、次の目的地である香登駅へと向かう。
3泊4日の深谷と本庄は、とても充実していた。
渋沢栄一について学んだ深谷、そして神社仏閣を巡った本庄、どちらも学びの多い滞在になった。
今日訪れる香登駅がある備前市は一体どんなところなのか、非常に楽しみではある。
とは言え、下調べで見た香登駅は無人駅で、更に周辺には住宅街が広がるだけで、何もない場所だった。
兎にも角にも、何もないと嘆いていてもしょうがない、一応この2日間、旅寝駅夫には内緒で、あらゆる可能性を考えてプランを立てた。しかし、羅針が考えたプランを駅夫が納得するかは分からないが、彼のワクワクを引き出すことができれば、それで成功である。
ただ、今回のプランに対して駅夫は文句タラタラだろうなと、羅針は自分のプランが、完全にミステリーツアー化していることに、笑いが込み上げてきた。
6時半になり、なんにも知らない駅夫を起こす。
「ん~お~は~よ~。」
いつもの通りである。
「朝だよ、顔洗って、飯行こうぜ。」
駅夫をバスルームに追い遣ると、ベッドを綺麗にし、テーブルの上を整理する。立つ鳥跡を濁さずである。
バスルームから出てきた駅夫を連れ立って、階下のレストランへと向かう。
ビュッフェ形式の朝食はほぼ変わりがないが、日替わりのメニューがいくつかあり、その中にナピラ(納豆ピザライス)のサンドイッチがあった。
「ナピラのサンドイッチだって、これは食べるしかないな。」
羅針は目敏く見付けると、皿に盛った。
「まじか、昨日のナピラは確かに美味かったけどさ、あれを更にパンで挟むとか、本庄市民ってどうかしてるよ。何でもありかよ。」
駅夫もブツブツ文句を言っていたが、羅針が無理矢理皿に盛ってやった。
一通り、食べたいものを盛り付けた二人は、席に戻って、早速食べ始める。
「このナピラのサンドイッチ、美味いぞ。単にナピラをパンで挟んだだけだけど、なんだろ、何とも言えない食感が加わって、これは昨日のナピラを越えるかも。」
真っ先にナピラのサンドイッチに手を付けた羅針は、一口食べる度に唸っている。
「そんなにか。」
そう言って、駅夫は疑心暗鬼で、羅針に盛られたサンドイッチを手に取って、恐る恐る一口食べる。
「……、あのな、本庄市民はなんて物を発明したんだよ。ナピラってパンにも合うのかよ。ネーミングで恐怖を与えておいて、裏切る感じ。ドラQもそうだけど、人を陥れる天才だよ。」
駅夫は、変な感心の仕方をしていたが、どうやら気に入ったようだ。
「ところでさ、今日の予定なんだけど、一応9時までにはチェックアウトしたいから、8時45分には部屋を出るから、そのつもりでな。本庄駅からは熊谷に行って、新幹線に乗り換えて、東京経由で岡山。岡山で赤穂線に乗り換えたら、そのまま一本で香登駅だから。到着は15時ちょっと前の予定になるから。
ただ、駅周辺は住宅街で何もないから、宿は隣駅の伊部で予約した。香登駅到着後、その後の列車で伊部に移動して投宿って感じだ。」
羅針が今日の予定をざっくりと説明する。
「了解。何にもないって言うけどさ、見るところはあるんだろ。」
駅夫は羅針が提示した計画をそのまま了承するが、観光の心配をした。取り敢えず観光はしました、というようなお茶を濁したようなことはしたくないようだ。
「いや、はっきり言って何もない。駅近辺に神社があるから、到着したらそこを参拝して、新幹線の線路も通ってるから、それを見るぐらいかな。まあ、詳しいことは向こうに着いてから説明するよ。」
「なんだよ、もったいぶるなぁ。」
「折角なら現地で聞いた方がワクワク感があるだろ。今ここで明かすよりも。」
「それはそうだ。現地に着いてからの方が確かにいいな。分かったよ。楽しみに待つことにするよ。」
「良い子だ。」
「なんだそれ。」
羅針の言葉に二人は笑った。
なにげに3回もおかわりに立った二人は、出ていたメニューを一通り堪能した。
朝食に満足した二人は、一旦部屋に上がり、時間までテレビを見ながら、ノーパソで作業し、時間を潰した。
8時45分、予定通り部屋を後にし、フロントでチェックアウトの手続きをする。
「お世話になりました。」
羅針が手続きを済ませ、すっかり顔馴染みになった受付係と言葉を交わす。
「こちらこそありがとうございました。今日はこれからどちらへ。」
「岡山の香登駅です。赤穂浪士の故郷を走る赤穂線っていうローカル線の駅ですね。」
「あの忠臣蔵の赤穂浪士ですか。良いところなんでしょうね。ぜひご旅行を楽しんでください。」
「はい。こちらの本庄市同様、歴史のあるところだと思うので、今から楽しみです。」
「それにしてもルーレットで行き先を決めるなんて、素敵ですよね。お気をつけていってらっしゃいませ。」
「ありがとうございます。また、こちらに来た際には寄らして貰います。」
羅針はフロント係の人にお礼を言って、振り返り、椅子に座って待っていた駅夫に声を掛け、二人は受付係にもう一度礼を言って、ホテルを後にした。
本庄駅に着くと、券売機でチケットを発券し、ホームへ降りる。今にも雨が降りそうな雨模様の空は、何か不吉な予感を想起させるが、連日真夏日のような気温だったことを思えば、少し気が休まるというものかも知れない。
「なんか嫌な天気だな。」
駅夫が空を見上げながら呟く。
「ああ、天気予報では岡山は晴れって言ってたから、天気は保つだろうけど、ちょっと嫌だな。」
羅針も空を見上げて、応じる。
時間になり、E231系1000番台の小田原行きが入線してくると、相変わらず駅夫はかぶりつきへ、羅針は近くの座席に陣取った。
いよいよ3日ぶり、6時間に亘る移動が幕を開けた。本庄も深谷もそれぞれ1日しか見て廻ってないが、すでに思い入れが深い街の一つに加わり、名残惜しい。
もしルーレットで同じ目が出たら、一応再投することになっているが、この近辺にはまだ駅は存在するし、深谷駅は再投対象外なので、再度訪れる可能性は充分にあるのだ。そう考えると、それはそれで楽しみではある。
そんなことを考えながら、駅夫は前面展望で、羅針は側面展望で、田園風景が広がる車窓を眺め、この4日間を過ごした本庄と深谷の街に別れを告げていた。
深谷駅を過ぎると沿線には住宅街が広がる。
今日も順調にスタートが切れたと思った矢先、深谷駅を出て暫くすると、運転席の無線が何かをがなり始めた。どこかで抑止が掛かったようで、次の籠原駅で停止するよう指示が入ったようだ。
籠原駅に到着すると、車内放送が入った。
「先程、行田、熊谷間で下り列車が異常を感知したため、安全確認をおこなっております。現在最終的な安全確認をおこなっております。安全の確認が取れ次第、この列車は発車いたします。運転再開までもう暫くお待ちください。」
「なんか嫌な予感がしたんだよな。」
駅夫が羅針の所に来て、そんなことを言う。
「あんまり遅くならないと良いけどな。人身事故とかなら1時間は動かないからな。何でもないと良いんだけど。」
羅針も少し心配になって、そう応じる。
「無線では、安全確認がどうとか、抑止がどうとかしか言ってなかったぞ。人身がどうとかってのは聞こえてこなかったから大丈夫じゃねぇか。」
駅夫が楽観的に言う。
「分からないぞ、隠語とかあったりするからな。まあ、なんともないのが一番だけど。」
羅針は心配気味に言う。
相変わらず運転席からは無線の声が鳴り響いていたが、10分程したら漸く「運転再開」の言葉が聞こえてきた。
すると車内放送が入った。
「安全確認が取れましたので、もう間もなくこの列車は発車いたします。ご乗車になってお待ちください。」
それと呼応するように、ホームでも同様のアナウンスが流れていた。
「どうやら、運転再開だな。」
羅針は一安心し、スマホの時計を確認した。
「取り敢えず何もなくて良かったな。新幹線間に合いそうか?」
駅夫も乗り換えを心配して聞いてくる。
「ああ、ちょっとタイトになったけど、充分時間はあるよ。」
「そうか。それなら良かった。」
駅夫はそう言って、再びかぶりつきの位置へ行った。
正面の信号が青になると、ドアが閉まり、車掌からの出発合図ブザーが鳴り、列車は静かに動き出した。
次の停車駅が熊谷駅であることをアナウンスする自動放送の後、車掌からの車内放送が入った。
「大変長らくお待たせいたしました。本日行田、熊谷間の下り列車が異常を感知したため、安全確認をおこなっておりました。この列車は籠原駅を10分程遅れて出発しております。電車遅れまして大変申し訳ございません。」
とにかく、大幅な遅れがなくて良かった。安全が一番だからな、そう羅針は思いつつ、中国で甘粛省蘭州市へ寝台列車に乗って旅行した時のことをなぜか思い出していた。
当時、北京をそもそも30分遅れで出発した列車は、その後も遅れが進み、蘭州に到着した時には10時間以上遅れていた。元々20時間程の予定が、結局2泊3日の旅程になってしまったのだ。しかし誰も騒ぎ立てることなく、羅針が知る限りは皆和気藹々と列車の旅を楽しんでいるようだった。
のんびりした時代だったのか、国民気質なのかは分からないが、1分でも遅れると怒鳴り散らす、どこかの国民と比べたら、なんて大らかなんだと、当時の羅針は感心したもんだ。
しかし、最近よく列車内のトラブル動画がネットにあがってくるのを見るにつけ、どこの国にもトラブルメーカーは存在するし、SNSがそれを詳らかにしてしまっているんだなと、時代の変化を改めて実感した。
そう言えば、あの時の寝台列車で出会った、日本語を教えてあげた少女は今頃どうしているだろうかと、羅針はふと気になった。
帰省のために両親と列車に乗っていた彼女は、田舎にいる祖父母に日本語で話しかけるんだと、羅針が教えた〔おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは〕というたったそれだけの言葉を一生懸命覚えていた。あの時の少女には、おそらく今頃子供ができていて、その子供があの時の彼女と同じぐらいに成長しているんだろうなと想像し、羅針は時の流れを感じた。
列車は10分遅れのまま、熊谷駅に到着した。二人は、急ぎ足で新幹線ホームへと向かった。エスカレーターを上がり、新幹線乗り換え口を通り、12番ホームに上がるだけなので、ものの5分と掛からない。
駅構内では、頻りに高崎線、湘南新宿ライン、上野東京ラインに遅れが出ている旨のアナウンスが流されていたが、通勤ラッシュの時間を過ぎているためか、人々は落ち着いた感じだった。
二人も、混乱なく余裕で間に合った。
結局遅れの原因は、安全確認のため以外、詳細が分からなかったが、安全が一番大切であることは二人とも良く分かっているので、特に疑問に思うこともなく、乗車目標位置に並んで、列車を待った。
新幹線とき310号東京行きのE7系は、時間通り入線して来た。乗り込んだ二人は、空いてる席に座り、このまま終点の東京までなので、駅夫は窓の外を眺めていたが、羅針は目を閉じて休むことにした。
上野駅を過ぎたあたりで、羅針は駅夫に揺り起こされた。どうやら眠ってしまっていたようだ。
「もうすぐ東京だよ。ゆっくり休めたか。」
「ああ。ありがと。よく眠れたよ。」
羅針は伸びをして、欠伸を一つした。
「どういためしまして。」
「おっ、覚えてたのか、それ。」
羅針が嬉しそうに聞く。
「まあな。」
そういって駅夫は笑う。
「そう言えば、お前は眠らなかったのか。」
羅針は、駅夫の様子を見て、いつもなら駅夫も一緒に眠っているはずなのにと思い、聞いた。
「ああ、ずっと外を眺めてたよ。」
「眠くないのか。」
「ああ、朝ゆっくりできたからな。今は眠くないよ。」
「そうか。」
そうこうしているうちに、列車は終点の東京駅に滑り込んだ。
列車を降りると、東海道新幹線の19番線に移動であるが、紙の切符だから、遠回りする必要はない。
慌てることなく、途中売店に寄って駅弁を購入することもできた。
季節折詰と銘打った涼しげなパッケージの弁当が目を引いたので、多少値が張ったが、二人ともそれにする。もちろんお茶も忘れない。
「例のアイスはどうする?買うか?」
駅夫がこう聞いてくると言うことは、本人はいらないと言っているようなものだ。理由は多分たいしたことではない。涼しいからとか、もう充分堪能したからとか、そう言った類いのことだ。
「今日は少し涼しいし、やめておくか。」
羅針がそう応える。
「だよな。よし、やめとこう。」
駅夫は安心したような顔で頷いている。どうやら、羅針の予想は正解だったようだ。ま、多分羅針が買うと言っても、駅夫が自身買いたくなければ、付き合いでも買うことはないだろうが。