漆之拾壱
旅寝駅夫と星路羅針が、煉瓦舗装の道を行くと、間もなくして城立寺の入り口が現れた。武州本庄七福神めぐりの看板がなければ、気付かずに通り過ぎてしまいそうな程、主張のない入り口で、〔城立寺〕と書かれた石碑も文字が小さく、気付きにくかった。
日蓮宗系の単立寺院である、鉢形山浄眼院城立寺は、天正年間(1573年~1592年)に、寄居の鉢形城の城主、北条氏邦が城内に建立した祈願所が起源である。1898年に現在の地に移転した。御本尊は薬師如来である。
「なあ、単立寺院ってなんだ。」
駅夫がいつものように聞いてくる。
「簡単に言えば、個人商店みたいなもんだ。普通の寺院は被包括宗教法人といって、いわゆる総本山を筆頭に、下部組織があり、一種のグループ企業のような組織形成をしている、つまりチェーン店とかフランチャイズ店とか、そんなものをイメージしたらわかりやすいかもな。」
「なるほどね。でも、ここは日蓮宗系なんだろ、だったら日蓮宗のグループに入ってるんじゃないのか?」
「そうなんだけど、それはちょっと違うんだ。そもそも、日蓮宗っていうのは日蓮聖人を宗祖としていて、山梨県にある身延山久遠寺を総本山とする宗派で、それ以外は日蓮宗であって、日蓮宗ではないんだ。つまり、日蓮宗を信じているけど、信じる教えが微妙に異なるため、日蓮宗とは呼ばないんだ。要は宗派が違うってことだな。系って付いていることが、その確たる証拠だよ。」
「つまり、大手コンビニのブランド商品を取り扱ってるけど、フランチャイズ契約は結んでない個人商店、みたいなことか。」
「まあ、簡単に言っちゃえばそういうことだな。だから他のコンビニのブランドも扱ったりするし、自分で開発した商品を売ったりもする。
つまり、日蓮宗を教義として信じてはいるけど、日蓮宗という宗派団体には属していない。それが日蓮宗系単立寺院ってことだよ。」
「なるほどね。個人商店には厳しい時代だから、そういうこと聞くと、なんか応援したくなるな。」
「確かにな。でも、単立寺院って言っても、京都の法然院、長野の善光寺、鎌倉の長谷寺なんかは、名もあり、歴史もあり、参拝客は引きも切らないから、単立寺院ってだけで、厳しいってことはないんだよ。」
「それって、夢があるじゃん。いずれはここもそうなる可能性があるわけだろ、アメリカンドリームみたいなもんじゃん。ブッディズムドリームってなもんでさ。」
「宗教法人だから、そんな野望は端からないだろうけど、確かに夢がある話ではあるな。」
「なら、ますます応援したくなるじゃん。お賽銭ちょっとだけ弾んどこ。」
「ちょっとだけかよ。」
「ああ、信仰と借金は無理なくな。これはお袋の教え。」
「ああ、旅寝母教の単立寺院だったなお前。」
そう言って、羅針は笑う。
「ん?単立じゃないぞ。お前も宗派に属してるからな。」
「えっ、俺も旅寝母教の宗派なのかよ。まあ子供の頃から散々色々教わったけど。」
怪訝な顔をしている羅針を見て、今度は駅夫が笑った。
参道を進むと右手に武州本庄七福神めぐりの一柱、五穀豊穣、財福の神である、大黒尊天が鎮座していた。米俵に右足をのせて、打ち出の小槌を振り上げて、可愛らしい笑顔を振りまくこの像は、見ていて心穏やかになる気がした。
「この像は可愛いけど、米俵に足を乗せるのはちょっと行儀が悪くないか。」
駅夫が冗談半分で言う。
「確かに、今の感覚で言うと行儀が悪いよな。でもこの米俵は豊作を表していて、足で押さえることで、豊作を確固たるものにしているという意味の説と、もう一つはこの俵は二俵あって、一俵はこの世を、もう一俵はあの世を表していて、この世とあの世を治めているという意味の説があるんだ。
もちろん、どちらも一説に過ぎないけどな。だから、この像の足元にある俵が、豊作を表しているにせよ、この世のことを表しているにせよ、それを治めているのが大黒尊天なんだよってことなのかもな。」
「なるほどね。神様に行儀云々を説くなんてとは思ったけど、そういう意味があるなら、なおさら釈迦に説法、大黒尊天に説教だな。」
「だな。それなりに意味があるってことだからな。今の価値観で作ったら別の像が出来上がるかも知れないけど。」
「いわゆるコンプラってやつか。そうなったら神様も大変だな。神様も時代の波には逆らえないとか、世知辛い世の中になったよな。」
大黒尊天に手を合わせた後、本堂に向かって参拝する。
本堂に向かって右側に、魚の絵が描かれた石碑が建っており、碑には〔淡水魚介類供養碑〕とあり、碑文には〔飲食感謝 報恩生活〕とあった。
「この碑は珍しいな。淡水魚介類に手を合わせ、飲食に感謝し、恩に報いて生活しろってことか。」
羅針が碑文を見ながら呟く。
「そんなに珍しいのか。供養碑なんて結構あちこちで見かける気がするけど。」
駅夫がそう言う。
「確かに、供養碑としては珍しくないかも知れないけど、淡水魚介類と限定しているのが珍しいんだよ。魚類の供養碑なら俺も見かけたことあるし、ほら検索しても数は限られてるけど、一応出てくるだろ、でも淡水魚介類と限定しているのは、どうやらここだけみたいなんだ。ほら、ここ以外検索に引っかかってこない。」
ネットの検索結果を駅夫に見せる。
「へえ。じゃあなんで淡水魚介類に限定したんだろうな。ここが海無し県だからか?」
「まあ、そんなところじゃないか。漁業関係者が扱うのも、飲食に供されるのも淡水魚介類ばかりだっただろうし。」
「確かにそうか。」
「想像の域を出ないけど、いずれにせよ、生き物に感謝するってことは大事なことだからな。」
「だな。」
二人はそう言って、供養碑に向かって手を合わせた。
二人は境内を見て廻った後、最後に観光協会のサイトを開いて、最後のスタンプをゲットする。
「これで、10個コンプリートだな。それにしても七福神で10箇所とはこれ如何にって感じだな。」
駅夫が嬉しそうに言う。
「ああ。大黒尊天が2箇所、弁財天が3箇所あったからな。10箇所は確かに大変だったけど、結構楽しかったな。色々勉強にもなったし、本庄市についても色々学ぶことできたし。
昨日は渋沢栄一で近代を学んで、今日は寺社巡りで中世と近世を学んだし、歴史に触れた二日間だったな。」
「確かにな。ゆっくりするつもりが、色々収穫もあったし、気持ちの余裕ができたってのも大きいけど、ホント色々楽しめたな。」
「昼間、橋のところで会った女性は、何にもないなんて謙遜してたけど、とんでもないよな。見所満載で。今日だって市の中心部だけしか見てないんだぜ、本庄市は新幹線駅もあるし、八高線も通ってるし、更に山間部もあるから、見所はまだまだ尽きないんだぜ。」
「まじか。これだけで本庄市を知った気になってると、本庄市民に笑われるって事だな。」
「あの女性には、感心して貰えるだろうけど、大抵は笑われるだろうな。」
そんな話をしながら、二人は水筒の水を飲んで一息ついた。
「ところで、この後どうする。16時半前だから、飯にするにはまだ早いし、ホテルに戻ってから出るには、ちょっと中途半端だし。」
羅針がこの後どうするか確認する。
「明日は、〔か〕なんとか駅だろ。どれぐらい掛かるんだ。」
「香登駅な。岡山だから半日は少なくともかかるな。急ぐ必要はないから、出るのは9時ぐらいで充分だと思うよ。」
「なら、飲むか?この後、禅寺に行く必要もないんだし。」
「こいつ。まだ言ってやがる。」
「いつも遣り込められるからな、良いネタ貰ったよ。禅寺さんありがとうございます。」
「何に感謝してんだよ、ったく。そんなこと言ってるとまた息吹きかけるぞ。」
「それだけは勘弁してくだせぇ、おでぇかんさま~。」
駅夫が巫山戯て手を合わせている。
「馬鹿なこと言ってないで、南口におでんが美味い居酒屋があるみたいだけど、そこに行くか。ちょっと季節外れだけど、どうだ。」
「おでんか。悪くはないな。よし、そこにしようぜ。」
「あっ、ごめん、オープン17時からだ。あと30分ある。」
「じゃ、ホテルでシャワー浴びてからいくか?」
「それも良いな。じゃそうしようぜ。」
二人は、一旦ホテルに戻ることにした。
二人はホテルに戻ると、大浴場に行って汗を流した。一日歩いて疲れ切った身体に、湯船のお湯は染み渡った。
「気持ちいいなあ。このまま寝ちまいたい。」
駅夫が湯船の中で伸びをする。
「おいおい、マジで寝るなよ。」
羅針もつられて、伸びをする。
「それにしても、ホント良く歩いたな。」
駅夫が湯の中で脹ら脛を揉み拉きながら呟く。
「確かにな。明日筋肉痛だよ。」
「明日か?明後日の間違いだろ。」
駅夫が羅針をからかう。
「良し掛けるか。」
「お前演技するからダメ。掛けないよ。」
「ちっ。騙せると思ったのにな。」
「ほらな。」
二人は声を上げて笑った。
「そうだ、昨日話していた本庄氏の名物って覚えてるか。」
羅針が駅夫に聞く。
「ああ、つみっこに、ドラQに、……って後なんだっけ。」
駅夫が頭を捻っている。
「納豆ピザライス、通称ナピラな。」
「そうそう、それ。それがどうしたんだ。まさか食べに行こうってか。」
「もちろん。この近所に提供してる店があるから、居酒屋行く前に食べていこうぜ。」
「まじか。納豆ライスなら歓迎するけど、ピザだぞ?絶対ダメだって。そんな納豆にもピザにもライスにも冒涜だって。」
駅夫が再びこの世の終わりを迎えたような表情になっていた。
「まあ、そう言うな。食わず嫌いはいけないって、さっき身を以て学んだだろ。」
「確かにそうだけどよ。……分かったよ。食べるよ。どうせ東小金井でのペナルティなんだろ。」
駅夫が自暴自棄のように、清水の舞台から飛び降りるかのような決心をする。
「良く分かってらっしゃる。ただペナルティじゃなくて、ご褒美な。」
羅針はそう言って笑う。
「どっちにしたって同じことだよ。なんで本庄の人は変な組み合わせを考えつくんだよ。納豆もピザも大好きだけどよ、合わせちゃダメなんだって……。」
駅夫は今にも泣きそうな顔をして、ブツブツ言っていた。
風呂で身体と心ががさっぱりした一人と、身体はさっぱりしたが、心はさっぱりできなかった一人が、ホテルから出てきた。
「ほら、行くぞ。」
羅針は駅夫の背中を押しながら、納豆ピザライスをだす店へと向かう。
駅前の通りを真っ直ぐ15分程歩いて、辿り着いたのは、お洒落な洋館風の建物で、自家焙煎が売りの喫茶店である。
長崎のグラバー園で見たような建物を彷彿とさせるその佇まいは、レトロ感がありながらも、時を超えて魅了するような美しさを持っていた。
扉を開けて中に入ると、そこは艶やかな木の床に、木目調のテーブルが並び、コーヒーの香りに満ち、ジャズのサウンドがゆったりとした時間を演出していた。どこか懐かしさのある、落ち着いた雰囲気の店内だった。
テーブル席に通されると、早速納豆ピザライスと、お勧めのブレンドコーヒーを注文した。
暫くして出てきた納豆ピザライスは、一本大きなソーセージが載っていたが、チーズがたっぷり掛かったそれは、まさに見た目はドリアである。
羅針は早速一口運ぶ。
「これは、美味いぞ。納豆御飯の存在感は強いものの、チーズの存在感が和風を洋風に変更してるようで、まさに洋風納豆御飯といった感じだよ。このピーマンやミニトマトも良いアクセントになってるし、その素材一つ一つが噛むごとに変化を感じさせてくれるし、これはマジで美味いぞ。駅夫も食べてみろよ。」
羅針は満足そうに食べているのを見て、駅夫も恐る恐る一口食べた。
「……マジか。確かに洋風納豆御飯だ。マジか……。」
駅夫は、目を見開いて、二口三口と食べ進めていた。
「どうだ。食わず嫌いのおじさん。」
羅針がからかうように言う。
「すまない。本当にすまない。こんなに美味いものだとは思いもよらなかった。納豆のあのネバネバ感がなくて、嫌な感じはないし、発酵食品の相乗効果なのか、チーズと良く合ってるし。」
駅夫がそう言いながら、一口一口噛みしめるように味わっていた。
「確かにな。こんなにチーズが納豆と合うなんて思いもよらなかったよ。」
「ああ。ホントにな。俺はどんなものを食わされるのかと、恐ろしかったけど、こんなに美味いもの、良く考えついたし、良く納豆とピザを合わせようと思ったよな。」
「そうだな。これを考えついた人は、天才だよ。ドラQといい、このナピラといい、本庄市民は天才だな。」
二人は、付いてきたサラダとスープで箸休めをしつつも、ペロリと平らげた。
食後に出てきたブレンドコーヒーは、酸味がありながらも、程よい苦みが口当たり良く、ブラック派の二人にとっては、飲みやすいコーヒーだった。
ゆったりと流れる時間の中で、美味いコーヒーを飲む。至福の一時を味わった二人は、漸く重い腰を上げて、店を後にした。
ナピラとコーヒーに満足した二人は、先程目を付けていた居酒屋へと向かう。
提灯がぶら下がる階段を上り、扉を開けると、居酒屋らしい掛け声が掛かった。昭和歌謡が流れる店内は、先程の喫茶店とは打って変わって賑やかである。だいぶ席が埋まっていて、駅そばだと言うことを差し引いても、人気のお店であることが窺える。
店員に人数を告げると、テーブル席に通された。
席に着くと二人はまず、飲み放題と〔海の生ハムたっぷりのせ〕と銘打ったおでんの盛り合わせ、それとサラダを頼んだ。
最初に頼んだハイボールが、お通しと一緒にすぐに運ばれてきた。
まずは乾杯して、二人はお通しに手を付けた。きゅうり、人参、大根が細切りにされ、それを和風ドレッシングでマリネしたお通しは、さっぱりとした味付けが胃に優しく、食欲を上げてくれる。
続いて、サラダとおでんの盛り合わせが届いた。
早速おでんに手を付けようとしたら、店員に止められた。二人が訝しんでいると、昔懐かしい引き出し付きの鰹節削り器を店員が持ってきて、目の前で削り節を削り出し、おでんに載せてくれた。メニューにあった〔海の生ハムたっぷりのせ〕とはこの削り節のことだったのだ。
店員の許可が出たので、二人は早速削り節を一枚口に運ぶ。
「これは美味い。」
駅夫が唸る。
「確かにこれは生ハムだな。削り節ってこんなに美味いもんだったか。」
羅針も唸るように呟いた。
削り節に気を取られたが、おでんもなかなかの一品で、良くしみこんだ出汁が具材の味を引き立てていて、流石売りにするだけのことはある。この削り節と一緒に食べると、また更に格別である。
おでんだけではない、串カツの盛り合わせもなかなかの一品で、二人は酒が進んだ。
二人はその後も、好きなおでんや串カツを摘まみつつ、駅夫は良い感じに酔えるまで、羅針は微酔い気分になるまで、それぞれ飲み耽った。
飲み放題の時間が終了となったので、会計を済ませ、店を後にする。
少し足元がおぼつかない駅夫を、羅針が抱えるようにして、店の階段を降り、ホテルまでゆっくりと帰った。
夜はまだ始まったばかりだが、明日はまた長距離移動が待っているのだ。今日はゆっくり休んで、明日の移動に備えることにする。
ホテルの部屋に着いた羅針は、駅夫をベッドに寝かしつけ、自分は明日の予定を最終チェックし始めた。
既に寝息を立てている駅夫を、チラリと眺め、馬鹿を言い合えて笑い合える、こんな友人を持てたことに心底感謝していた。
駅夫が思いつきで始めたこのルーレット旅だか、自分が楽しめることももちろんだが、駅夫がこの旅を心から楽しめるようにプロデュースし、サポートしようと、次の目的地である香登駅周辺を、遅くまで下調べした。