漆之拾
旧本庄商業銀行煉瓦倉庫を見学していた旅寝駅夫と星路羅針は、許可を貰って2階に上がった。
多目的ホールとして解放されていたフロアは、屋根の構造が剥き出しで、キングポストトラス構造を直接目にすることができた。
「この構造って、今の俺たちにとっては単純で、簡単な構造に見えるけど、当時の日本人にとっては驚きの構造だったんだろ。」
駅夫がキングポストトラス構造の天井を見上げて呟く。
「だろうな。和式の建物の方がもっと複雑な構造をしている気もするけど、この構造は画期的だったんだろうな。」
羅針も当時最先端といわれた屋根裏構造を、色んな角度から眺めた。
「でもさ、キングっていいうぐらいだから、クイーンとかプリンス、プリンセスなんてあったりするのか。」
駅夫が冗談半分で聞いてくる。
「クイーンはあるよ。」
「クイーンはあるのかよ。まじで。」
冗談半分で言ったものが実際にあると言われて、駅夫は目を開いて驚いた。
「ああ。ほら、あそこに天井から真っ直ぐ降りてる柱のような構造があるだろ、あれを〔しんづか〕っていって、真実の真に束の〔真束〕、もしくは心に束の〔心束〕と書くんだけど、この真束が途中で途切れて、対角線の対に束と書く対束と呼ばれる構造が設けられるのがクイーンだ。ほら、こういう奴だよ。」
羅針は、スマホでクイーンポストトラス構造の図解を駅夫に見せる。
「ん?どこが違うんだ。」
「ぱっと見分からないかもしれないけど、ここだよ。この部分。」
羅針はクイーンポストトラス構造の図と、目の前のキングポストトラス構造の違う部分を指差して教える。
「あっ、なるほどね。真っ直ぐ下まで降りてるのがキング、一対の柱で支えているのがクイーンってことか。」
「そういうことだね。」
「でもさ、日本の屋根裏もこんな感じじゃないっけ。」
「ああ、現代の日本建築はこういう風になってるかも知れないし、なってなかったとしても、見た感じ違いは分からないよな。でも、伝統建築では明らかに違うんだ。さっき言った真束あったよな。あの真束の様な構造、つまり束だな、それを梁の上に必要数を立てた上に、母屋と呼ばれる構造を束の上に置いて、その上から屋根を被せるんだ。束や柱を多く必要とするから、大きな建築物にはあまり適さないけど、増改築が容易だし、変形しやすいから、外部からの力に粘り強く耐えらるというメリットがあるのも特徴かな。
それに比べて、キングポストトラス構造は剛性が高いから、外部から掛かる力をいなすのではなく、反発して耐えることに特化しているんだ。だから、強い力に対する耐性は強い。
それと、巨大建築に適しているため、こういった倉庫や工場などの、柱が邪魔になってしまうような建築物には最適なんだ。増改築には向かないみたいだけどな。」
「なるほどね、それぞれ一長一短か。でも、明治時代の工業力強化に、この構造は役に立ったんだろ。」
「ああ。富国強兵には工業力強化は最優先事項だからな。当然西洋の最先端技術を以て日本を富国強兵に導く、その一端を担ったのは間違いないだろうな。工場の巨大化は至上命令だっただろうし。
このキングポストトラス構造は、トラス構造の一種なんだけど、トラス構造は特に橋梁に用いられていて、鉄道、道路の敷設に役立ったし、他にも様々な建築物が、この構造によって劇的に変化していったんだよ。日本の伝統建築と融合してね。」
「なるほどね。巨大工場も、鉄橋も、確かに富国強兵には欠かせないものだもんな。近代化が一挙に進んだのはこれのお陰か。」
駅夫は羅針の説明に心底納得いったようで、先程までとは違って、感心したようにキングポストトラス構造を色んな角度から眺めていた。
さらにガラスが嵌められた窓の内側に、先程解説で読んだ板戸と網戸の設えも確認することができた。
一息ついた二人は、職員に礼を述べて、次の泉林寺へと向かう。
曹洞宗南陽山泉林寺は1597年の創立と伝わるが、安養院の隠室で安養院主淋西禪師の開いたお寺であるとか、養山長育が1609年に創建したとか、様々いわれているようだ。本尊は釈迦牟尼佛である。
入り口に来ると〔曹洞宗 泉林寺〕と書かれた石碑とは別に、〔不許葷酒入山門〕と彫られた石碑もまた建っていた。
駅夫が、羅針の顔を見たので、羅針は駅夫にはぁ~っと息を掛ける。
「酒臭くはないだろ。」
「わかった。わかった。俺何も言ってないぞ。」
「何か言いたそうだったけどなぁ。」
「ごめんて。息吹きかけるの勘弁しろよ。酒臭くなくても、おっさんの息は嗅ぎたくねぇよ。」
駅夫が嫌そうに顔の前で手を扇いでいるのを見て、羅針は笑いだし、駅夫もつられて笑った。
境内に入ると、すぐ左手に武州本庄七福神めぐりの一柱、人々の安全と健康を守る長寿の神、寿老人が鎮座していた。二人は健康とこの旅の安全を願って手を合わせた。
その隣には六地蔵様と観音様が並んでいたので、続けて手を合わせていった。
そして、本堂にむかっても参拝し、観光協会のサイトを開いて9個目のスタンプをゲットした。
泉林寺を後にし、二人は歩き出す。次は城立寺だ。
「さあ、スタンプラリーは次で最後だ。」
羅針が言う。
「漸く最後か。長かったな。そんなに長い距離歩いたわけじゃないのに、随分歩いた気がする。」
駅夫も流石に疲れを見せていた。
「そんな、疲れた身体に、甘い物欲しくないか。」
「甘い物か。良いねぇ。……ってちょっと待て。その顔、お前また何か企んでいるだろ。」
「いいや、べつにぃ。」
羅針は言葉とは裏腹に、ニヤニヤが止まらない。
「絶対、何か企んでる。まさか……。」
「そう、そのまさか。ドラQで~す。」
計ったかのように、和菓子屋へ到着と同時に、店舗にでかでかと掲示された幟に手を向けて、羅針がネタばらしをする。
「まじかぁ。」
駅夫が和菓子屋の前で、世界の破滅を迎えたような、絶望に満ちた顔をして、その場にへたり込んだ。
「そう言わずに食べてみようぜ。」
そう言って、羅針は意気揚々と店内に入っていく。
「胡瓜もどら焼きも嫌いじゃないんだよ、嫌いじゃ、……でもそれを合わせちゃダメなんだよ、合わせちゃ……。」
駅夫はブツブツ言いながら、嫌々渋々と言った様子で羅針に付いて入店する。
「すみません。ドラQってありますか。」
羅針が店員に開口一番尋ねる。
「はい。ございます。メロン味と青梅味がございますが。どちらになさいますか。」
「へえ、2種類あるんだ。両方とも貰えますか。2つずつで。」
「かしこまりました。」
定員がショーケースの中から、ドラQを取りだした。
「こちらでよろしいですか。」
「はい。」
代金を払って、店を出た二人は、早速頂くことにする。
羅針は黄色の袋に入った青梅味のドラQから手を付けた。
「ん。何だこれ。胡瓜のシャキシャキ感があって、変な食感だけど美味い。むしろこの食感がクセになりそうだ。ほら、駅夫も食べてみろよ。」
羅針が駅夫を促す。
「分かったよ。こういうのホント苦手なんだけどな。だいたいどら焼きと胡瓜なんて……。」
まだブツブツと文句を言っているが、渋々ながら駅夫も青梅味のドラQを、恐る恐る一口囓る。
「どうだ?」
羅針が、駅夫の顔を覗き込むように聞く。
「……う、美味い。」
駅夫が暫く黙っていたと思ったら、どうやら口の中でゆっくりと味わっていたようだ。
「だろ。」
「これは、美味いな。確かにお前が言うように、胡瓜の食感が違和感あるけど、これはクセになる違和感だ。甘さ控えめでありながらも、しっかり胡瓜にも甘味が付いていて、梅の風味もさっぱり感を出しているし、これは確かに美味い。」
駅夫が噛みしめるように呟く。
「本庄市中の菓子店が開発に着手して、4店舗しか成功しなかった至極の一品らしいからな。気合いの入り方が違うんだよ。不味いわけがないって。」
「まじか。そんな苦労があったのか。食わず嫌いでホントすみません、だな。」
「まったくだよ。こっちのメロン味も美味いぜ。メロンの風味が利いてるから、胡瓜の食感がまるでメロン果肉の様に感じられて、こっちは違和感がだいぶなくなるな。」
「確かに。シャキシャキがむしろ高級感を醸し出してる気がするな。これは美味いよ。追加で買っていこうぜ。」
そう言って今度は駅夫が先陣切って、店内に入っていった。
二人が戻ってきたことに、店員はクレームでも言いに来たかと、驚いて身構えていたが、二人がドラQをそれぞれ10個ずつ購入しに来たと知って。ホッとした顔で対応してくれた。
「これ、本当に美味しいですね。想像以上でした。いや、想像を覆してくれました。」
駅夫が感動したように店員に告げた。
「お気に召して頂きありがとうございます。2年の歳月をかけて開発したものですから、そう言って頂けると、本当に菓子店冥利に尽きます。」
店員も顔を綻ばせた。
菓子商工組合などから開発が持ちかけられ、胡瓜を使うことにした時の絶望感、様々な菓子を試作したが、どうしても抜けない青臭さに苦労したこと、次々に脱落していく同業者を見て、何度も心が折れそうになったこと、それでもめげることなく、最後に成功に漕ぎ着け、歓喜に沸いたことなど、様々な開発秘話を話してくれた。
「色々とありがとうございます。またこちらに来た際は、寄らせて貰いますね。」
「是非いらしてください。お待ちしております。」
有意義な時間を過ごした二人は、店員に礼を言って店を後にした。
「さあ、最後のお寺に行こうぜ。」
駅夫がさっきまでの、この世の終わりかとでも言うような表情はどこに行ったのか、足取りも軽く次の城立寺へと歩き出した。
「まったく。お前、道分かるのか。」
羅針は文句を言いつつも、そんな駅夫を見て、笑顔になりながら後を付いていった。
案の定、足取り軽く気分良く先を歩き出した駅夫だったが、結局道が分からず、すぐに羅針に先頭を譲った。