漆之捌
次に旅寝駅夫と星路羅針が向かったのは、普寛霊場である。
普寛霊場とは、密教御嶽教直轄の本庄普寛大教会で、木曽御嶽山開闢の祖とされる普寛上人とその弟子達の墓を守っている、御嶽教直轄霊場である。武州本庄七福神めぐりの一柱、食物、財福を司る神である、大黒尊天も祀られている。
普寛は1731年、今の埼玉県秩父市大滝に生まれた。幼名を木村好八と言い、24歳の時に江戸の親戚浅見家に養子に迎えられ、浅見左近と名乗る。その後、得度式を済ませ全国修行の行脚にでる。諸国行脚を終えた後、長年の苦労の末、木曽御嶽開闢を成し遂げる。
1801年、本庄宿にて71歳で亡くなったが、その時施主を勤めたのが安養院で、安養院墓地の一角に埋葬されたが、後に現在のこの地に移されたという。
二人が普寛霊場の入り口に来ると、まず目についたのは大量の赤い文字が彫られた石塀である。門柱には〔東京各區消防組〕とあり、おそらく寄進した人の名前が彫られているのだろう。しかし、この赤い文字が異様な雰囲気を醸し出していた。
閑静な住宅街の中に、突如真っ赤な文字が大量に現れるこの異様な雰囲気に、二人はただただ目を見張るだけだった。
参道には良く見る石灯籠ではなく、日本の伝統的なデザインの、朱色に塗られた細長い角材の上に、屋根がある格子模様の窓が付いた、木製の灯籠が載っていた。参拝者たちの行くべき道を示すように立ち並ぶ、この伝統的な灯籠は、どこか懐かしくありながらも、不思議な雰囲気を醸し出していた。
身を清めようと手水舎に行くと、その脇に〔身代わり水鉢背負い亀〕の説明書きが立っていた。この亀は厄除けと金運招福に御利益があると言う。二人は手水舎に鎮座していた亀の全身を撫で、御利益を願い、身を清めた。
「これで俺たちも金持ちだな。」
駅夫が冗談交じりに言う。
「庶民で極悪人のお前がか?」
羅針はそう言って笑う。
「またそれ言うか。」
長崎の出島で羅針がからかった一言を、駅夫はまだ覚えていたようだ。
参道を進むと、狛犬に迎えられ、本堂の向拝で鰐口を鳴らそうと、ふと顔を上げる。何と書いてあるか分からない扁額の更に上、向拝の天井から蟠龍が二人を睨んでいた。二人は思わず驚いて、二度見してしまい、暫し参拝も忘れて見入ってしまった。
「そう言えば、ここ霊場だよな。扁額にはなんとか道場って書いてあるし、ここの参拝方法は仏教方式かな、神道方式かな。それとも他のやり方があるとか。」
駅夫が参拝しようとして迷っていた。
「別段指示がないから、仏教方式で良いと思うよ。御嶽教は密教だし、それにぶら下がってるのが鰐口、つまり銅鑼だからね。」
羅針が説明する。
「あっ、なるほどね。じゃ柏手なしだな。」
「そうだね。それと、ここには大黒尊天も祀られてるようだから、併せてお参りしような。」
鰐口を鳴らし、参拝を済ませた二人は、本堂右に鎮座する稲荷大明神にも参拝し、更に普寛上人の墓所にもお参りをした。
最後にスマホを取りだし、観光協会のサイトで5個目のスタンプをゲットする。
二人が次の場所に移動しようとしたとき、寺務所から人が出てきたので、羅針は疑問に思っていたことを聞いた。
「お忙しいところすみません。一つお伺いしてもよろしいですか。」
「はい。なんでしょうか。」
「あの本堂の扁額はなんて書いてあるのか、教えて頂けますか。」
「あっ、あれですね。あれは〔所求圓満道場〕ですね。所求というのは信仰の目的を意味する言葉で、円満を目指しましょうと言う意味です。ここで言う円満とは、如何に荒行に励んでも、行法を鍛練、つまり修行をしても、その人が円満な人柄、すなわち、人が良いだけでなく、周囲から信頼される人物にならなければ、信仰は成立しないと言うことを表しています。ここは、それを目指して日々修行する場所であると言うことですね。」
「なるほど、良い人であり、信頼される人物になることが、修行の目的であり、信仰の目的なんですね。詳しい説明ありがとうございます。」
「どういたしまして。こちらには観光ですか?」
「ええ。今日はスタンプラリーをしてまして、丁度こちらで半分廻ったところです。」
「そうなんですね。今日は雲があるとは言え、暑い中ですので、大変だとは思いますが気をつけてお参りください。」
「お心遣いありがとうございます。」
二人は、僧侶にお礼を言うと、霊場を後にした。
普寛霊場の次は安養院である。
普寛上人の最後を送った寺院でもあり、正式には曹洞宗若泉山安養院無量寺という。
1475年、武蔵七党の一党、児玉党の本庄信明と、その弟実明が創立、開基したと伝わる。普寛上人を弔った寺院でもある。
安養院へ向かう途中、和菓子屋があったので、例のドラQを購入しようと覗いてみるが、残念ながら取り扱いしていなかった。
「ドラQって、昨日言ってた胡瓜のどら焼きか。」
駅夫がなぜ和菓子屋に立ち寄ったのか訝しんでいたが、どうやらその理由に思い至ったようだ。
「安心しな。後で食べさせてやるから。」
羅針が笑いながら言う。
「安心してねぇよ、むしろ不安でいっぱいだよ。」
駅夫は一難去って安心しつつも、まだ厄災が残っているとでも言いたげな、もの凄く不安な顔をしていた。
安養院の総門の前に立った二人の目の前に、〔本庄新八景 若泉の霊域 安養院〕と彫られた石碑が建っていた。
調べると、1984年に本庄市が市制30周年を記念して制定されたのが〔本庄新八景〕である。その内訳は〔若泉公園〕、〔利根の景勝〕、〔本庄まつりと金鑚神社〕、〔安養院と普寛霊場〕、〔大久保山の自然と宥勝寺〕、〔市街地と赤城の山容〕、〔城山稲荷神社〕、〔歴史民俗資料館と田村本陣の門〕とある。
「なあ、その〔歴史民俗資料館と田村本陣の門〕ってさ、さっき見てきた旧本庄警察署と田村本陣の門のことだよな。こんな石碑立ってたか?」
羅針の説明に駅夫が確認する。
「ああ、本陣の門の所に立ってたぞ。ほら。」
羅針は自分が撮った写真をカメラのモニターで駅夫に見せる。
「まじか。全然気が付かなかった。」
駅夫がモニターを見て、心底驚いていた。その写真には目の前にある石碑と同じ様な石碑で、右上に〔本庄新八景〕と確かにあった。
「城山稲荷神社のところにも、ほら。」
羅針が更に城山稲荷神社の入口付近で撮影した、〔歴史を今に伝える本庄城址の城山稲荷神社〕と彫られた石碑も見せる。
「まじか。これも俺気付いてないや。」
駅夫はまたまた驚いている。
「なんだ、本当に気付いてなかったのか。お前なら気付いてると思ってたけど。」
「ああ。マジで気付かなかった。写真は……あっ、写ってる。神社のとこも、門のとこも。ほら。」
スマホの写真データを見直していた駅夫は、小さくではあったが、偶然にも写してあった石碑を見付けた。どうやら、本当に気付いていないだけのようだ。
「まあ、俺も何これって感じだったからな。八景って言うから、8箇所あるって予測は付いたけど、観光協会や市役所のサイトには記載がないし、あんまり重要じゃないんだろうなと思って、そのままスルーしてたし。」
羅針は正直な気持ちを吐露した。
「観光協会も市役所も何も宣伝してないのか。じゃ何のために決めたんだよ、って市制30周年の記念か。単なる記念でここまでしといて、ほったらかしって、なんだかな。」
「本当にほったらかしているかどうかは分からないけど、少なくともウェブサイトでは、説明も宣伝も見当たらないね。まじで、決めたら決めっぱなしってことかもな。こうやって石碑が建ってるってことは、それなりの予算が付いたんだろうけど、宣伝までは手が回らなかったのかも知れないし、宣伝はしたけど、やめちゃったのかも知れないし。」
「ここでもコストと人手か。世知辛いな。」
「事の成り行きは知らんけど、そう言うことなんじゃないかな。」
二人はそんなことを言いながら、総門に掲げられた、青地に赤い文字が書いてある扁額を見た。
「ところで、これなんて書いてあるんだろうな。」
駅夫が扁額の文字を読もうとするが、やはり読めないようだ。
「多分篆書体だね。印鑑なんかで良く見る。右端の文字は東、左端の園だと思うけど、中の二文字は分からないな……あった。〔東武祇園〕だって。」
羅針がネットで調べて答えを得た。
「で、なんで東武祇園なんだ。祇園って言ったら京都の地名だろ。」
「確かに、京都にも祇園ってあるな。一応全国あちこちにあるけど、有名なのはやはり京都だろうな。でも、ここで言ってる祇園は、京都の祇園とは関係ないみたいだぞ。」
「そうなのか?」
「ああ、この祇園は水戸の祇園寺を指すみたいだな。東方にある祇園寺ということを表しているんだそうだ。」
「でも水戸ってここより東だよな、〔西方にある祇園寺のような寺院〕とかいうなら分かるけど。昔って西を東とか言ったとか、そんなことないよな。」
「それはないと思うけど、言われてみればそうだな。……あっ、多分これだな。〔東方にある祇園寺と同等の寺院である〕って、恐らくこれが正しいのかもな。」
「それなら、理解はできるけど、この4文字がそういう意味になるのか?それなら東武じゃなくて、東方とか単に東とかでも良いし、西部とか西方の方がもっとしっくりくると思うけどな。昔の人の感覚なのかな。」
「だよな。武が武蔵国を表すとしても、ここは武蔵国の北西部だから、東とはいえないし、やはり、真偽は書いた当の本人、もしくは依頼した人にしか分からないってやつかもな。」
「ネットの情報も高が知れてるんだな。」
「そりゃそうさ。ネットは色んな情報を手軽に利用できるけど、その情報源はあくまでも情報提供者の善意でしかない。いや、悪意もあるのか。だから、欲しい情報にありつけるかどうかは運次第だし、情報にありつけたとしてもその情報の真偽は確かではない。まあ、言うまでもないことだけどな。」
「確かにな。だからネットリテラシーなんだろ。」
「ああ。ネットには幼児から老人まで、無知蒙昧の有象無象から博学多識の多士済々まで、多種多様な世界中の人々が集っているから、ネットでは自分の常識は他人の非常識、他人の常識は自分の非常識でもあるからな。情報の真偽には細心の注意を払う必要があるってことだ。」
結局、ネット上ではこれ以上にしっくりくる回答は得られず、二人ともモヤモヤした気分のまま、総門を潜った。
総門を潜ると左手に、武州本庄七福神めぐりの一柱毘沙門天像が安置されていて、二人は手を合わせた。勇壮な毘沙門天に並んで、様々な石碑が建てられていたが、それぞれどのような由来があるのか分からず、二人の目には、只の古い石碑にしか映らなかった。
「こういうのに明るいと、見ていても楽しいんだろうけど。」
駅夫が残念そうに言う。
「まあな。こういうのは、調べても出てこないから、しょうがないな。」
羅針も駅夫に同意する。
更に奥へと進み、山門の前で二人は立ち止まる。山門は楼門様式の二天門で、左から増長天像が、右から持国天像が睨みを利かせていた。扁額には〔若泉山〕と山号が書かれていたが、問題は門に向かって左手に建っている石碑である。
「こういう所に来ると、ホント自分の漢字力のなさにつくづく嫌気がさすよな。」
羅針がそう言って嘆き、スマホで検索していた。
「そう言うなよ、お前が嘆くようなら、まったく読めない俺はどうすりゃ良いんだよ、人間辞めろってか。」
「ああ、辞めた方が良いかもな。」
「こいつ!」
二人して笑うが、境内だからと声は抑える。
「答え出たぞ。〔不許葷酒入山門〕だって。臭いの強い野菜や酒を持ち込んだり、飲み食いしたりした者の入山を禁止するという意味だそうだ。葷と言う字は草冠に軍隊の軍と書いて、生臭いって意味で、ニンニク、ニラ、ネギとかの臭いの強い野菜や、からい野菜を指すみたいだな。」
スマホで調べていた羅針が答えを見付けて、読み上げる。
「要はくせぇ奴と酔っ払いは邪魔だから来んなってことか。」
駅夫がざっくり纏めた。
「そう言うことだな。禅寺の入り口に良く建てられてるらしいぞ。」
「じゃ、お前は入れねぇじゃん。酒臭いし。」
駅夫が羅針に遣り返す。
「酒は昨日の晩に飲んだきりだ。疑うなら、アルコールチェッカーで調べるか。」
羅針がそう言って、背中のリュックを降ろそうとする。
「分かったよ、科学的に証明しなくても良いよ。大体なんでアルコールチェッカーなんて持ち歩いてんだよ。」
「旅行に行くって事は、いつレンタカーに乗るか分からないだろ、車に乗る前にチェックするのは常識だと思うが。」
「そりゃそうだけど。それこそ、お前の常識は世間では非常識だぞ、プロドライバー以外では誰もやってないと思うけどな。」
「そんな考えだから、飲酒運転がなくならないんだよ。お前は酒が残ってても運転するのか?」
「分かった分かった。そんなことしないから。話がドンドンあらぬ方にいくから。止まれ止まれ。」
「なんだよ、一時間ぐらい講釈垂れようと思ったのに。」
「しなくて良いから。」
結局駅夫はまた遣り込められてしまった。真面目な顔をして駅夫に説教垂れようとしていた羅針は既に笑っている。
増長天と持国天に睨まれながら山門を潜ると、真正面に仏像、御本尊の無量寿如来が立っていて、その奥には巨大な本堂が小山のように二人を見下ろしていた。この本堂と、山門、そして総門はすべて本庄市の指定文化財である。
二人は、無量寿如来像に手を合わせ、本堂に向かっても参拝した。
「この〔第一義〕ってどういう意味だ。」
駅夫が本堂の扁額を見上げて、羅針に聞いた。
「言葉自体は、根本となる一番大切なこと、という意味だけど、ここでは、あるがままの真実の姿、っていう意味らしい。」
羅針が答える。
「禅の教えで一番大事なことが、ありのままか。あの氷の女王の話は、禅の教えそのものだったんだな。」
駅夫がまた突拍子もないところへ話を飛ばす。
「確かに、ありのままのって歌ってるけど、あれを禅宗って言われてもな。」
「違うのか?」
「否定はしないけど、違う気がするな。」
「そうかな。」
駅夫は納得がいかないようで、首を傾げているが、その顔は笑っていた。
二人は、現代建築のような建物の上にある鐘楼や、数々の仏像、石碑を見て廻り、最後に観光協会のサイトで6個目のスタンプをゲットして、安養院を後にした。




