漆之参
渋沢栄一記念館を後にした旅寝駅夫と星路羅針は、更に渋沢栄一氏縁の地を巡ろうと、パンフレットに紹介されている場所を歩いて廻ることにし、まずは〔中の家〕と呼ばれる渋沢栄一氏の生家に向かう。
渋沢栄一記念館からは徒歩約10分強の道程である。二人は田畑が広がる田園風景の中をのんびりと散歩気分で歩いた。
空は薄い雲が棚引き、日差しも強くなく、歩くのには丁度良い天気だった。
どこからともなく漂ってくる土塊の匂いが二人の鼻を突き、どこか懐かしさと、郷愁を感じた。
そんな田園風景の中に渋沢栄一氏の生家、中の家があった。
この屋敷は、この地を開拓した渋沢家一族が分家して、数々の家を興したうちの一つで、この呼び名はその位置関係に由来すると言われている。
渋沢栄一氏が生まれてから23歳までを過ごしたこの屋敷は、家業の中心が養蚕になると建て替えられたが、その主屋は火災で焼失し、現在建っているのは1895年に上棟されたものであり、近年観光客に開放するために、耐震補強などの工事をしたものである。
血洗島獅子舞の奉納見たさに、諏訪神社の祭礼に合わせて帰郷した時に滞在した、渋沢栄一が親しく立ち寄った、数少ない現存する建物でもある。
屋敷に到着すると、その立派な門構えに二人は圧倒された。
二人がこの場所に訪れた瞬間、目の前に広がるのは、まるで時を超えた風景だった。
アスファルトが敷き詰められた、今二人が立つこちらが現在だとするならば、目の前にある門を境として、その向こうは過去の明治期なのではないかと錯覚させるような、タイムゲートを想起させる門構えであったのだ。
立派な棟門はまるで歴史の重みを物語るかのように堂々としており、渋沢栄一氏という人物がどれほど裕福な豪農の家系に生まれたかを物語っていた。
その門構えは、ただの入り口以上の意味を持ち、訪れる者に対して、この地で培われた文化とその歴史を静かに語りかけているように、二人は感じた。
棟門に続く土塀は、上半分が白く美しい漆喰で覆われ、下半分は丁寧に張られた板塀で構成されている。その細部に至るまでの手の込んだ造りは、職人技が光る芸術作品のようでもある。
そして、棟門の前には〔青淵翁生誕之地〕と刻まれた石碑があり、幸田露伴の筆であると伝えられるが、訪れる者を歓迎するかのように静かに佇んでいた。
「門を入る前から、渋沢家一族の凄さに圧倒されるな。」
駅夫が門や塀を眺めながら呟いた。
「確かにな。この精緻な造りは、そこら辺の農家では発注できないよ。豪農という名に相応しい造りだし、渋沢家という名がいかに凄いかを知らしめているようだな。」
羅針も感心頻りである。
「まったくだ。ここに立ってるだけで、威圧感に圧倒されそうだよ。」
「確かにな。令和のこの時代の俺たちがこれだけ威圧感に圧倒されるんだから、この門構えを見た当時の庶民の気持ちは、推して知るべしだな。」
「ああ。」
二人とも、その門構えを見て、暫し呆然と立ち尽くしてしまった。
意を決して門を潜ると、そこには広大な庭園が広がっていた。その正面奥には、2階建ての主屋が聳え立ち、その威厳ある姿は、かつてこの地で栄えた渋沢家の繁栄を今に語り継いでいるようである。
主屋の屋根に設けられた高窓は、養蚕業を営む家屋特有の、風通しを良くするためのものであり、〔天窓〕と呼ばれるが、その機能的な美しさは、この家が刻んできた渋沢家の歴史を感じさせる。
庭に入っていくと、左手には袴姿の渋沢栄一の銅像が立っていた。
その銘には〔若き日の榮一 Eiichi in Paris〕と刻まれており、彼がパリ万国博覧会の随行員として渡欧した際の姿を留めていた。彼の視線の先には何があり、彼は何を思ったのだろうか。
その銅像の背後には、美しい日本庭園が広がっており、池には錦鯉が優雅に泳ぎ、その色とりどりの姿が水面に映え、訪れる者の心を和ませていた。
右手には、土蔵が2棟建っており、その堅牢な造りは、渋沢家の繁栄と豊かさを今に伝えている。振り返ると、木造の副屋がそこにはあり、その温もりある佇まいが、訪れる者を易しく迎え入れるとともに、主屋の威圧するような威厳を、窘めているようにも思えた。
主屋の扉を開けると、そこには広々とした土間が広がっており、その空間は、訪れる人々を歓迎するかのように静かで落ち着いた雰囲気を醸し出していた。日本家屋の伝統的な造りが見学者の目を楽しませる一方で、現代の安全基準に合わせて改装された部分もあり、過去と現在が見事に融合された空間となっていた。
その絶妙なバランスは、歴史を感じさせつつも、訪れる人々が安心して過ごせるよう配慮されていた。
靴を脱ぎ、奥に進むと、渋沢栄一氏に関する詳細な説明が、壁に取り付けられたパネルによって展示されており、記念館で得た知識をここでも再確認することができた。彼の偉業とその時代背景を復習し、いかに偉大な人物であったかと言うことを、改めて確認でき、理解を深めることができた。
更に奥に進むと、そこには渋沢栄一アンドロイドが座っており、訪れる人々に4つの異なる話を聞かせてくれるという。論語、藍玉、血洗島獅子舞、そして凱旋門のフィギュアにそれぞれ当たる光を手で遮ることで、アンドロイドが異なる話を映像とともに語ってくれた。
その動き、語り口は非常にリアルで、まるで本物の渋沢栄一氏がそこにいるかのような錯覚に陥るほどだった。
「これは楽しいな。」
駅夫が一つ一つ解説映像を再生させながら、渋沢栄一アンドロイドの話に耳を傾けていた。
「確かにな。アンドロイドの動きもリアルだし、ぎこちなさがかえって年老いた渋沢栄一氏らしさを醸し出しているようで、余計リアルに感じるっていうのも、まさか計算じゃないだろうな。」
羅針は解説よりも、アンドロイドの動きや構造が気になり、解説は話半分だった。
一階の奥には、渋沢栄一が実際に寝泊まりしていたといわれる部屋があり、その部屋には立派な書院造りの床の間が設えてあった。
この部屋の天井は他よりも高くなっていたので、ガイドさんにその理由を尋ねると、この部屋の上にだけ養蚕用の部屋を設けていないためで、蚕の活動音が夜間に響かないよう、配慮していたからだという。そのお陰で、渋沢栄一氏は安眠できたという。
二階に上がると、そこには大河ドラマで使用された小道具が展示されていた。
それらを通じて渋沢栄一氏の生い立ちや、時代背景を、よりリアルに感じることができた。展示されている小道具は、彼の生涯における重要な出来事や、彼が関わった歴史的な瞬間を象徴しており、大河を見た人はもちろんのこと、見ていない人にも深い印象を与えていた。
二人は大河をほぼ見ていないので、小道具や衣装に対する思い入れは皆無だったが、こういう物を彼が使っていたのかと思うと、それはそれで、感慨深いものがあった。
「なんかさ、これだけのものを見せつけられると、大きな事を成し遂げた人って言うのは、やっぱり幼少期から違うんだなって思うよな。」
駅夫が感心したように言う。
「生まれも育ちも違うとは言うけど、いくら本人の努力がなければ為し得ないと言っても、その努力ができる環境を用意して貰えるって、恵まれてるよな。」
羅針も、人一倍努力してきた人間ではあるが、渋沢栄一の足元にも及ばない人生を歩んでいる自分を振り返り、埋められない生まれの違いと、努力の差というものをまざまざと見せ付けられた気がした。
「これだけの偉人を前にすると、俺たちの人生がちっぽけに見えるな。それなりに満足してきたけど、彼はこんな小さな満足では終わらなかったんだろうな。」
駅夫は自分と見比べて、彼の偉大さに感服していた。
「だからこそ、偉人たり得たわけだからな。凄い人だよ。」
羅針も脱帽するしかなかった。
二人は〔中の家〕を出ると、まだお昼には早かったが、隣にある煮ぼうとう屋さんで、渋沢栄一氏も食べたと言う煮ぼうとうを頂くことにした。
煮ぼうとうとは、幅広の麺に、地元の野菜をふんだんに使った醤油ベースのうどんで、山梨のほうとうはカボチャが入っているのが特徴だが、こちらは深谷ネギと根菜類、鶏肉を煮込むのが特徴である。
明治28年創業というこちらのお店は、古民家で営業しており、客室は昔ながらの高い上がり框を上がって、和室でテーブルについて頂く。まるで長崎で見た出島にあった建物や、卓袱料理を頂いたお店のようで、明治の文明開化を彷彿とさせるような雰囲気だった。
奥の床の間には、渋沢栄一氏の直筆とされる掛け軸が掛けられていた。
掛け軸には〔天意重夕陽人間貴晩晴〕とあり、〔人の一生に無駄な時間はなく、特に晩年は最も大切であり、晩年が晴れやかでなければ、その人の価値が低く見られてしまう〕と言う意味が込められているそうで、渋沢栄一氏の人生観を如実に語っている書であるとも言える。
「俺たちも、これから人生晩年に突入するんだから、大切に生きていかないとな。」
駅夫がもう感化されている。
「一日一日大切に生きることは大事だけど、人に評価される人生で良いのか?自分の人生だろ。人に低く見られようが何しようが、自分が自分を評価してやればそれで良いじゃん。人の評価なんて千の次、万の次、いや無量大数の次だよ。」
我が道を行くを地で生きてきた羅針らしく、どうやら渋沢栄一氏の座右の銘は刺さらなかったようだ。
「お前らしいな。あれだろ、孔子と孟子だろ。」
駅夫は、羅針が昔から良く口にする言葉を思い出していた。
「そう。孔子のは〔仁者は己が立たんと欲して人を立て、己が達せんと欲して人を達す〕。孟子のは〔仁義礼智は、外より我れを鑠るに非ず。我れ之を固より有す〕、だ。」
「そうそれ。〔自分がやりたいと思ったらまずは他人を優先しろ〕、〔仁義礼智は外から与えられるものではなく、自分の中にあるものだ〕、だよな。」
「そう。良く覚えていたな。だから、他人の評価は関係ないんだよ。自分の行動は自分の中にある仁義礼智より発露するものだからな。」
「何度も聞かされりゃ俺でも覚えるって。それにしても、お前と渋沢栄一氏が語り合ったら、熱い議論をしそうだけどな。」
「それは面白そうだけど、まず議論にならないな。彼が生きた時代の価値観と、今俺たちが生きている時代の価値観がまったく以て違うし、俺の知識、経験は、彼の足元にも及ばないからな。すぐ論破されて終わりだよ。」
「そうか。そんなもんか。お前なら良い線行きそうな気がしたんだけどな。」
「やってみなきゃ分からないけど、負け戦に挑むようなものだな。」
羅針の言葉に、少しがっかりした様子の駅夫だったが、羅針はどこ吹く風だ。
「でもさ、人間社会にいる以上、他人の評価からは逃げられないよな。学校然り、仕事然り。お前が気にしないで生きてきたってのは知ってるけど、今までどう向き合ってきたんだよ。」
「確かに、社会生活を営む以上、他人は何らかの評価をしてくる。それは避けられない事実だ。俺だって他人を評価する。あいつはああだ、こいつはこうだってな。
だから、評価自体を否定しているんではないよ。評価をしたりされたりすることで、人類は社会生活を築き上げてきたんだし、法律も、ルールも、マナーもすべて他者の行動を評価する規範として作られてきたものだからな。あの行動は悪、この行動は善ってな。
当然、俺自身も法律、ルール、マナーはできる限り守っているし、それは他者の評価云々ではなく、社会生活を営む上で、社会を構成する一員としての義務だからな。
だけど、他人の評価はそれだけに留まらないよな。人の行動を好き嫌いで判断したり、自分勝手な規範に基づいて評価を下したり、コミュニティ内でしか通用しない勝手なルールで人を評価したりが横行している。学校ならクラスや部活、職場なら部署や派閥といった狭い環境での独自ルールに縛られる。
そういう勝手な規範、基準による評価は、例え他人がどう評価しようと、俺自身の価値観で行動するって事だ。他人の顔色を見て生きる程、俺の人生は安くないからな。」
羅針が一気にそこまで捲し立てると、お茶を一口流し込んだ。
「そういえば、聞いたことなかったけど、お前がツアー会社辞めた時、なんかあったのか。あの頃からだよな、お前がこんなことを頻りに言い出したの。」
「ああ、覚えていたのか。もう20年以上になるか。確かにあの頃は腐りきっていたな。中国支社と本社との間で色々あってな。価値観と評価の間で色々ぶつかったよ。社長のところまで行って直談判もしたっけ。若気の至りだよ。でもあの行動を後押ししたのは、孔子と孟子の教えであり、それを教えてくれた、当時の中国支社長だよ。お前の正義に正直に行動しろってね。その結果がクビだ。支社長は色々手を回してくれたけど、結局俺が心折られたかな。完全に敗残兵だ。悔しかったけど、力不足は自分のせいだからな。」
「そんなことがあったんだな。察してやれずに済まなかったな。」
「良いんだよ。あの時お前に付き合って貰って、気晴らしできたからな。お陰で今こうしてピンピン生きている。感謝してるよ。」
「そう言ってくれると、嬉しいけどよ。」
駅夫は少し照れくさそうにしたが、当時死にそうな顔をした羅針の顔を思い出し、ここまで元気になったことに、一役買えたことは彼としても嬉しかったし、大切な友人をなくさずに済んだことに心底嬉しかった。
「まあ、さっきの話に戻すけど、他人の評価なんて、そんなもんなんだよ。結局自分のため、自分の立場のためにしか他人を評価していないんだ。だから、それを鵜呑みにする必要もないし、その評価に一喜一憂する必要もない。ましてや、その評価のために行動する必要なんて微塵もないんだよ。」
「だから、渋沢栄一氏の言葉は鵜呑みにできないと。」
「ああ。彼の言葉を全否定するわけではないよ。彼の生きた時代には、それが最高の金言だったはずだし、彼はそれを座右の銘にして、日本近代経済の父という評価を得たんだからな。まさに有言実行だ。それに彼自身も我武者羅に生きたその結果が好評価だった。好評価を貰うためだけに我武者羅に頑張ったんじゃないと思うんだよな。まあそう思いたいっていう俺の願望でもあるけど。
だから、彼のこの言葉を否定するんではなく、俺とは価値観が違うんだ。俺とは見ている世界が違うんだと思うだけだよ。」
「なるほどな。経験から発露した言葉っていうのは、流石に響くな。お前が事ある毎に孔子と孟子を口にする意味が漸く分かったよ。」
「なんか、悪いないつも小難しい話ばかりで。」
「良いんだよ。お前の話はいつもためになるし、色々気付かされるからな。」
「ありがとな。なんかウン十年ぶりに気持ちが少しすっきりしたよ。」
「どういたしまして。」
駅夫はそう言ってニコリ笑う。半世紀も生きてきたんだ、それなりに刻んできた人生がある。これまで駅夫と羅針は互いに馬鹿を言い合いながらも、慰め、助け合い、一緒になって歩んできたのだ。駅夫は羅針の心にあった蟠りのようなものが少しでも取れればそれに越したことはないかと思いながら、羅針の小難しい話を聞いていた。
長い話を二人で話し込んでいたら、漸く、二人が注文した、煮ぼうとうと、とろろ御飯のセットが運ばれて来た。
二人は早速その熱々の煮ぼうとうから頂いた。白菜、大根、牛蒡、人参、椎茸、油揚げ、三つ葉に加え、鶏肉、そして深谷ネギが入っていて、具沢山であることがまず嬉しい。幅広のうどんを一本口に運ぶと、その食感が異次元であった。
「なんだこの麺!プルンプルン、チュルンチュルンで、これは美味い。」
駅夫が目を見開いている。
「確かに、麺の食感が全然違うな。優しい味にもかかわらず、具沢山であるからか、野菜と鶏肉の旨味が麺に良く絡んでいて、この麺の食感がそれを引き立てているような感じがする。確かにこれは美味い。」
羅針も絶賛である。
「山梨のほうとうも美味いけど、これはこれで違った美味さがあって良いな。」
「ああ、まったくだ。山梨のほうとうはカボチャの甘味が利いていて、カボチャうどんという感じが強いけど、これは根菜類と鶏肉が絶妙なバランスを取っているよな。」
二人は、粘り気が強いが喉越しが良い、セットのとろろ御飯を間に挟みながら、煮ぼうとうとともに、あっという間にペロリと平らげたのだった。