陸之肆
筑前町立大刀洗平和記念館を見学した旅寝駅夫と星路羅針は、言い知れぬ怒りに満ちた心のまま、次の目的地であるビール工場へと向かう。道中二人は言葉を発することは出来なかった。
二人が向かうビール工場の見学は予約制であるため、本当は10時からの回に申し込みたかったが、満員だったため、11時からの回に申し込んだ。前日の申し込みだったにもかかわらず、なんとか滑り込んだのは僥倖だった。
工場に到着したのは15分程前で、広大な敷地に足を踏み込むと、先程まで心の中に渦巻いていてた気持ちを漸く心の奥底へ仕舞い込むことが出来、二人はビール工場の見学に期待感が膨らんだ。
どんな見学コースになっているのか分からないが、工場を見るのは、やはり気分が高まるものだ。
駅夫が敷地奥にある赤い鳥居を見付け、勝手に〔ビール神社〕と名付け、二人して美味いビールにありつけますようにと遥拝した。
入り口で受付を済ませ、リストバンドを受け取り、時間になるのを待つ。
二人は徒歩で来たが、中には車で来訪した人もいて、〔ハンドルキーパーバッジ〕なるものを胸に付けていた。ハンドルをモチーフにしたデザインはなかなか可愛くて、二人は欲しくなったが、貰ってしまうとこの後テイスティングできなくなるので、二人とも諦めた。
見学者の上限は25人だったが、今回のグループは20人程でショートしていた。前の回が満員だったので、ラッキーだったかも知れない。
時間になり、まずはシアタールームで、ビデオを見た。内容は、ビールやこの会社の歴史から、ビールの製法、一推し商品の誕生秘話に至るまで、美しい映像とともに紹介され、更に、味の最高責任者であるマスターブリュワーが、どのようなビールを理想としているかこれからの展望を紹介していた。
そもそも、ビールとは、主に大麦を発芽させ、アミラーゼという酵素でデンプンを糖化させた麦芽を、ビール酵母によりアルコール発酵させて作る酒類の一種であるが、紀元前5千年紀のイランで製造された痕跡があり、その後古代エジプトやメソポタミアを介して、世界に広まっていったと言われている。
その製法は、時代とともに改良され、黒ビール、褐色ビール、強精ビールなど様々なビールが誕生した。
日本には江戸時代初期にオランダからもたらされたものが、幕臣たちの口に上り、実際に口にした者もいたという。
製造が本格化するのは、明治維新以降で、蘭学者であり医師でもある川本幸民が製造を試みたのを皮切りに、全国に醸造所が造られたとされる。
また、ビールと言う言葉はラテン語の〔ビベール〕が語源で、〔飲む〕と言う動詞を由来としている。
麦芽飲料を表す言葉としてエールもあるが、こちらはインド・ヨーロッパ祖語の〔alu-〕が語源で、〔酔う〕とか〔魔術的な〕という意味があり、元々この言葉は、シードル、すなわち林檎酒を指す言葉だったと言う説もあって、使用されている言語は限定的である。
他にも様々な呼び方があるが、それぞれの語族でどこの言葉の影響を受けたかが良く分かる言葉でもある。
特にその顕著な例が漢字語圏である日中韓で、漢字という共通の文字を使いながらも、異なる音が当てられたり、そもそも当て字自体も異なっていたりすることもある。例えば日本語ではオランダ語由来の〔ビール〕が一般的だが、漢字語として〔バクシュ(麦酒)〕を当てるし、麦酒と書いてビールと読んだりする。更に、北京語では〔ピーチゥ(啤酒)〕、台湾では〔ベーハーチュー(麥仔酒)〕、韓国では〔メクチュ(麦酒)〕となり、それぞれ音や字が異なっていたりするのは興味深いところである。
ビデオを見ながら、羅針はビールが言葉とともに広がっていったその経路に思いを馳せた。この話は駅夫にはしない。おそらく頭から煙を噴き出すだろうから。もし、語源について聞かれたら、心置きなくたっぷりと、煙を噴くまで話してやるんだけど、と企んではいたが。
次のコーナーでは、素材について学ぶ。
ビールの原材料は基本的に〔麦芽、ホップ、水〕の3種類である。ここでは、麦芽を試食し、ホップの匂いを嗅いだ。
麦芽は少し香ばしく、味も良く、下手するとどこかの海老のお菓子のように、手が止まらなくなりそうだった。
また、ホップは割ってみると、すごく良い香りが広がり、ガイドの案内を話半分で、二人ともクンクンと嗅ぎまくってしまった。
「これ、アロマにして、部屋で使いたいよな。」
駅夫がそんなことを言っていた。
「流石に、それは部屋中ビール臭くなるぞ。」
だが、羅針は、そう言って駅夫を窘めた。
しかし、たまにならそれも良いかもと羅針が内心考えてしまうほど、グレープフルーツやオレンジのような柑橘系の香りに、スパイシーな香りが混じり、アルコール臭がないためか、ビールの匂いにしては、本当に良い匂いだった。
次に連れてこられたのは、仕込みの工程である。
麦芽を煮込んで麦汁をつくり、ホップを加えてビール独特の香りと苦みを引き出す仕込みの工程や、それを行う仕込釜を紹介された。
良く映像で見る、とんがり帽子のような、あの独特な形をしたものは仕込釜で、様々な種類があり、大まかに分けて、麦芽を糖化する糖化槽、クリアーな麦汁を得る濾過槽、ホップを入れて煮沸して苦みや香りを付ける煮沸槽、熱凝固物を沈殿させ不純物を取り除く沈殿槽に分かれているようだ。
仕込みの工程を見学すると、今度は一番搾りと二番搾りの麦汁を飲み比べた。
見た目の色は一目瞭然で異なり、一番搾りは色濃い飴色をしていて、匂いに香ばしさのある甘味を感じるが、二番搾りの方は淡い黄金色で、微かに麦の香りを感じる程度である。
飲み比べは二番搾りからと注意があり、その通りにすると、その違いがはっきりと分かる。どちらもアルコール発酵されていないので、飲みやすく、ジュースのような味わいがあるのだが、まろやかさがまったく異なり、一番搾りにはしっかりと甘味があって、香ばしさもしっかり伝わってくるのだが、二番搾りの方は、それが半分ほどにしか感じられず、まるで出涸らしのようだった。
この後、ビール酵母を加え、1週間掛けて発酵させ、調和の取れた風味と香りに仕上げるために、1、2ヶ月貯蔵してから出荷する。その工程が、プロジェクションマッピングを使用して体験しながら学ぶことができた。
そうして完成したビールを容器に詰め、検査を経て製品として仕上げていくパッケージング工程も見学した。
もの凄いスピードで缶に充填されていく様は、目が回りそうな程だった。
壁一面に缶ビールがびっしり並べられた写真があったが、これだけの量を1分間で充填してしまうという。ざっと数えただけでも300本ぐらいはあった。
40分ほどの見学ツアーはこれで終了し、いよいよ待ちに待った試飲タイムである。1杯ずつ3種類まで試飲できるということで、特製のプレミアムと黒ビールも飲み比べをした。
どれも味わい深く、美味いのだが、プレミアムはよりコクがあり、甘さやフルーティーさが増しているようにも感じた。黒ビールはダークラガータイプで、ほのかな甘味がありながらも後味がすっきりしていた。黒ビール独特のガツンとした感じがなかったのは、少し物足りなさもあったが、総じて飲みやすかったのは良かった。
いわゆる乾き物の米菓がおつまみに出てきたが、これもまた美味かった。ビールに良く合い、試飲だけでは足りないと感じてしまう程だった。
最後に、特製グラスをお土産に貰い、ビール味のスナック菓子を売店で購入し、ツアーの全行程が終了した。
「なかなか楽しかったな。ちょっと酔っ払っちゃったけど。」
駅夫が微酔い顔で、呟く。
「確かに楽しかった。ここまで詳しく色々教えてくれるとは思わなかったし、単に見学コースを歩いて終わりかと思ったら、色々体験もできて、確かに楽しかったよ。」
羅針も満足そうにそう言う。
「お前が楽しかったのは、最後のテイスティングだろ。嬉々として飲み比べしてたし。」
駅夫が突っ込む。
「そんなことないぞ。」
そう言う羅針の目は泳いでいた。
くだらないことを言い合いながら、二人が太刀洗駅に戻ってくると、やはり気になるのが、頭上に展示されている飛行機と、レトロをコンセプトにしたカフェ、そしてその隣にある博物館である。昭和の遺物を多数展示してあるというその博物館には、昨日見たときから気になっていたのだ。
「ここ寄っていかないのか。」
駅夫が残念そうに言う。
「ああ、寄って……いくよ。」
羅針が、もったいぶってそう言う。
「なんだよ、もったいぶりやがって。こんな魅力的な所、寄っていかない手はないよな。」
駅夫が破顔して、グウタッチをしてくる。
「まあな。ちゃんと時間取ってあるから。」
羅針が時計を見ながら言う。
「流石羅針だぜ、分かってるぅ。」
駅夫はサムズアップをして、喜び勇んで中へと入っていく。
二人はカフェに入った。
中にはカウンター席と、テーブル席が二席設けられていた。外観とは異なり、年期はあるが清潔感のある内装で、天井が高く解放感があった。
席に着くと二人より歳を召した物腰の柔らかい女性マスターが出迎えてくれた。
メニューはカレーとぜんざい、それにコーヒーだけだったので、カレーライスとコーヒーを注文する。
カレーは約40種類のスパイスを使ってじっくりと煮込んだらしく、数種類の素揚げ野菜が載ったカレーライスはどこか懐かしさを覚える甘辛いカレーで、コーヒーはマスターが手ずから淹れてくれた、深みのあるコーヒーだった。
マスターの取り留めない話を聞きながら、二人は美味しく頂いた。
マスターに表の飛行機について聞いてみると、あれは自衛隊のもので、時折塗装しに自衛隊員が訪れるのだとか。只、結局、どういう経緯でそこにあるのかは分からずじまいだった。
隣の博物館を見学したいと言うと、別途入館料がいると言われたが、気になっていたので、もちろん支払って中を見学することにした。
博物館の中は、まさに昭和にタイムスリップしたような感じで、国鉄時代の太刀洗駅で使用していた駅名標やカンテラ、手持ち信号ライト、列車用信号機などが所狭しと並べられ、更には、懐かしい昭和の遺物である、レトロなカメラ、蓄音機、テレビ、電話機、計算機、果てはタバコやライターに至るまで、二人にとっては懐かしい物ばかりが並べられていた。
ショルダーフォンを見付けたときには、当時憧れていただけあって、二人とも熱心に見入っていた。
歳がいった男性館長が、時折聞き取りづらい福岡訛りを交えながら、熱心に説明してくれた。特に熱を帯びていたのが、ここが元々の平和記念館で、筑前町が今の平和記念館を建築するまで、15年程私設博物館として運営していたこと、この地域が東洋一の飛行場があって、多くの若者が死地に飛び立っていったことを、丁寧かつ熱心に説明してくれた。
二人は、先程町立の平和記念館で学んできたばかりだったので、館長の話は聞き取り辛いながらも、良く理解でき、生の声として勉強になった。
そして、驚いたのは、当時空襲が激しくなった時代、今のように踏切でホームと行き来するのではなく、地下道を通っていたそうで、実際に、その地下道も見せてくれた。
薄暗いコンクリートの壁に覆われたその地下道は、激しい爆撃にも堪え、こうして時を超えて遺っていた。何の説明もなく見せられれば、ただの地下道にしか過ぎなかっただろうが、説明を聞いた二人は、その光景を奇跡だと思えた。
館長に羅針は聞いてみた。
「表の飛行機はどうされたんですか。」
「あれは、ウチが平和記念館をやっとった関係で、自衛隊から払い下げてもろうたっちゃんね。」
「そうだったんですね。漸く疑問が解消しました。」
羅針は納得してお礼を言った。
館長の話は、まだまだ続いていたが、そろそろ列車の時間が迫ってきたので、申し訳ないと断って、話を遮り、お礼を言って、博物館を後にした。
「なんか悪いことしたな。」
駅夫が申し訳なさそうにそうに言う。
「まあな。でも、あのまま話を聞いてたら、明日まで話し続けてそうだよ。」
羅針が申し訳ないとは思いながらも、無情にもそう言う。
「いつまでも元気でいて欲しいな。また話の続きを聞きに来ようぜ。結構楽しかったし。」
駅夫は社交辞令でも何でもなく、心からそう思ってるようだった。
「お前がそう言うなら、またこの辺がルーレットで出たら訪れような。」
羅針もまんざらでもなさそうにそう言った。




