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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第伍話 東小金井駅 (東京都)
30/180

伍之弐


 知らない天井なのはいつもの通り。昨日の夜に見たばかりの天井だ。

 6時に、いつも通り起床した星路羅針は、そんなアニメの主人公みたいなことを考えてみた。これで、謎の美少女が現れたら、まさにアニメの主人公だが、ここは何の変哲もないホテルであり、隣で寝息を立てているのは、謎も何にもない、只のおっさんである旅寝駅夫だ。そんな状態で主人公らしいことを言ったところで、にすらならない。


 くだらないことを考えるのを止めて、共用の洗面所に行き、顔を洗う。

 部屋に戻り、いつもの様にノーパソを開いて、カメラのデータをハードディスクに移し、昨日のことを纏めた。


 今日の予定は、まずチェックアウトしてから、どこかで朝食を摂り、小金井公園にある江戸東京たてもの園に行って、お昼に九州へと向かう。

 たてもの園の開園が9時半なので、8時頃にホテルを出れば、ゆっくり朝食を摂っても、開園から見学できるので、駅夫は7時頃まで寝かしておくことにする。


 パソコン作業が一段落いちだんらくついて、窓を開けて外を見ると、遠くに富士山がチラリと見えた。何か良いことがありそうな予感がする。

 7時前だったが、駅夫が寝返りを打ったと思うと、ゴソゴソと起き出した。

「ん~お~は~よ~。」

 いつも通り寝起きの悪い駅夫であるが、起こす前に起きたのは驚愕である。

「おはよ。よく起きたな。顔洗ってきな。カードキー持ってくの忘れるなよ。」

「りょ~か~い。」

 駅夫はカードキーを持った手を羅針に見せるようにブラブラさせて出て行った。


「外人に話しかけられちったよ。」

 洗面から駅夫が戻ってくるなり、大騒ぎした。

「外国人な。でなんて話しかけられたんだ。」

 羅針が、大袈裟だなと思いながらも、聞いてみる。

「なんか、モーニって言ったあと、聞いたことのない言葉で捲し立てられた。良く分からないから、ヤーヤーって言って、誤魔化してきた。」

 駅夫が照れたような、困ったような顔をして報告してきた。

「多分、モーニングって言った後、色々質問されたんだろうな。想像するに、どっから来たとか、どこへ行くんだとか、そんなことだろうな。」

 羅針は想像してみた。

「なるほどね。それならそう言えば良いのに。って、あっ無理か、日本語分からないんだもんな。」

 駅夫はそう言って笑った。


「ところで、朝食はどうする?」

 羅針がこの後の朝食について確認する。

「何でも良いよ。牛丼屋の朝定でも、ファミレスでも、コンビニかどっかで買って園内で食べても良いし。って園内は飲食できるんだろ。」

 駅夫が思いつくままに色々言う。

「ああ、園内に飲食スペースはあるみたいだから、大丈夫だよ。だけど、食べてから行けば、開園からすぐ見て回れるから、見学時間をたっぷり取れるぞ。」

 羅針が昨日確認した情報を思い出して、答える。

「そうか。なんか、公園で食べる朝食も魅力的だったけど、それじゃ食べていった方が良いか。」

 駅夫がちょっと残念そうに言う。

「わかった。じゃ、特に食べたいものがないなら、どっか目に付いたところで、食べてからで良いか。」

 羅針がそう決めて、駅夫も納得した。


 二人して、ノーパソで色々作業をしてから、8時頃チェックアウトした。

 ホテルを後にした二人は、まず武蔵小金井駅の方に向かって歩くが、めぼしい飲食店がない。駅を越えたところに、牛丼屋を見つけたので、結局そこにする。

 二人とも焼き魚に、納豆と生卵、海苔、味噌汁が付いたセットと、牛皿を追加した。定番の味、変わり映えのしない味だが、失敗のない味でもあり、安心して食べられる味である。


 腹を満たした二人は、江戸東京たてもの園へと向かう。スマホで調べた予測所要時間は、バスで行っても歩いて行ってもほぼ変わらないのは、良く分からなかったが、時間に余裕があるから、歩くことにする。

 歩き始めて、その理由がすぐに分かった。車がもの凄く渋滞しているのだ。これでは、バスが動かないはずだ。時間も読めないので、歩いて正解だった。


 通りを20分程歩いたところで、茂みが現れた。玉川上水たまがわじょうすいである。江戸時代に飲料水確保の一環として整備された上水である。しかし、今や緑が覆い茂っていて、見る影もない。ただ、緑が覆い茂っていると言うことは、水が流れていて潤っていると言うことは間違いないだろう。


 玉川上水を越えると、すぐに緑が茂る自然豊かな公園が広がり、小金井公園に到着した。

 入り口から江戸東京たてもの園までは、まだ少しあるが、近所の人たちが散歩したり、犬を連れていたり、サイクリングを楽しんでいるのを横目に、公園の中を進む。


 やがて大きな広場に出ると、伝統的な日本建築様式を踏襲しながらも、現代的なガラス戸がある、ビジターセンターが現れた。

 この建物は、1940年に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために建設された式殿で、こちらに移築された際に、光華殿こうかでんと命名された。その後ここに江戸東京たてもの園が開園するにあたり、ビジターセンターとして改修し、現在の姿になったようだ。


 開園時間になり、建物の中に入ると、外観の伝統的な雰囲気とは打って変わって、近代的な内装で、明るい室内だった。

 入園料を払い、建物を進むと、展示室というのがあったが、準備中とあり、見ることはできなかった。


 建物を出ると、かなり広い敷地が広がっていた。

 この江戸東京たてもの園は、1993年に開館した、都内の歴史的、文化的価値のある建築物を、現地で保存不可能なものを中心に、こちらへ移築、保存している野外博物館である。


 二人は早速西ゾーンから見ていくことにする。

 まず現れたのは白亜の洋館。説明には常盤台写真場ときわだいしゃしんじょうとある。つまり、写真屋さんである。カメラを趣味にしている羅針にとっては、興味津々の建物であるため、是非にと中に入っていった。


 入り口を入ると、玄関は普通の家と変わりがない。上がりがまちを上がると、そこには受付のような台があり、ここが普通の家ではないことが分かる。

 左手奥に、黒電話が置いてあったが、二人が子供の頃使っていた黒電話とは形状が違い、少しお洒落な、高級感のあるデザインの黒電話だ。

 階段の脇にはエレベーターホールがあり、レトロな洋館に似つかわしくないが、後から増築したのかも知れないし、昔はもっとレトロなエレベーターだったが、新しく付け替えられたのかも知れなかった。


 階段を上がると、そこは撮影スタジオだった。セットには椅子の他に子供が乗る木馬もあり、おそらく家族写真なんかを撮影したりしたのだろう。窓は巨大な磨りガラスで、隅にはいくつものストロボが取り付けられた、天井にまで届く巨大なラックが設置されていた。


「こんなに沢山の巨大なストロボって必要なのか。」

 駅夫がストロボラックを見て、疑問に思ったようだ。

「ああ。今でもスタジオ撮影では、ストロボを多用してるから、もちろん必要だと思うよ。ただ、その理由は、当時と現在では大きく違うと思うけどな。」

 羅針が応える。

「どういうことだ。」

「簡単に言うと、昔は単に明るくするため、今は光の演出のためだろうな。」

「というと?」

「詳しく説明すると、昔のフィルムは感度が悪くて、少しでも光が弱いときちんと撮影できなかったんだ。だから、その感度を補助する形で、ストロボを焚いて、明るくしてやる必要があったんだよ。」

「なるほどね。でも、今だってストロボ使ってるんだろ。この前国府宮の紫陽花園でお前も真っ昼間なのにストロボ使ってたじゃん。」

「ああ、それが、今のストロボの使い方なんだよ。当然、夜間とか、真っ暗な場所なんかはストロボを焚かないと、真っ黒になってしまうから、そう言う場所では明るくするためにストロボを焚く必要がある。ただ、それでも今はデジタルだから、感度を高感度側に設定してやれば、そんな場所でもちゃんと見られる写真が撮れるんだ。ストロボなしでね。

 だから、むしろ、今ストロボを使う理由のほとんどが、光の演出なんだ。例えばこの前の紫陽花園では、太陽をバックに紫陽花を撮ろうとすると、紫陽花自体が暗くなってしまう。いわゆる逆光って奴だな。それを解消するために、ストロボを焚く。でも、焚かなくても今のカメラなら普通に写真が撮れるんだ。お前がスマホで逆光にも関係なく撮った写真が綺麗に撮れていたのがその証拠だよ。

 もっと言うと、光の当て方で、被写体にできる影の量を調節するんだ。それによって、明るいイメージや、暗いイメージを演出できるんだ。少し暗くすれば、紫陽花なら日陰にひっそりと咲いてるようなそんなイメージになるだろ。たとえ、実際は明るい場所で撮影してたとしてもだ。」

 羅針は長々と駅夫に説明した。


「ん~、分かったような分からないような。とにかく、使う目的が時代によって違うけど、これだけのストロボは重要な意味を持っていたってことだな。」

 駅夫が頭から煙を出しそうな表情をしていたが、羅針の言いたいことはなんとか理解できたようだ。

「そう言うことだ。ストロボってのは奥が深くて、素人の俺には使いこなすのは至難の業なんだよ。特にこんだけの巨大なストロボは俺の手には負えないよ。」

 羅針は、巨大なラックに取り付けられたストロボを見て、そう言った。

「そうなんだ。なかなかストロボ一つでも奥が深いんだな。」

 駅夫は感心したように言った。


 二人は、こんな風に一つ一つ建物に入っては、中の様子を見学し、内装に昔懐かしい感じを覚え、ノスタルジックな気持ちになっては、次建物へと渡り歩いた。


 西ゾーンからセンターゾーンに戻ると、〔高橋是清たかはしこれきよ邸〕があった。1902年に建築された和風の、総栂普請そうつがぶしんの建物である。柱や縁側の板などにつが材が使われているのだ。また、格子のガラス障子は、一枚一枚手作りで、高級なものだが、建物全体を覆う程、贅沢に使われている。

 狭い階段を2階に上がると、書斎や寝室として使われた部屋があり、1936年の2・26事件の現場が、ここだったようだ。

 教科書でも習った歴史の事件現場に、自分たちが足を踏み入れていることが信じられなかった。


 2・26事件のあらましは教科書や歴史読本に譲るとして、元総理大臣の高橋是清大蔵大臣は、陸軍省所管予算の削減を図っていたために恨みを買い、襲撃された。

 積極財政で不況から脱出を図ったが、インフレの兆候が出たため、緊縮財政へと舵を切った。特に軍部予算を陸海問わず一律で削減しようとしたが、元々予算規模が小さい陸軍はこれに不満を募らせていたと言う。こうして、高橋是清は当日拳銃で撃たれ、軍刀でとどめを刺されたと伝わる。


 その現場がここなのだ。

 当時雪が降りしきる未明、約100人の兵士に襲撃され、警備をしていた警官の反撃も虚しく絶命した彼の恐怖は幾許だったか。そして、彼を襲った兵士たちの怒りは幾許だったか、二人の想像が及びもつかない。しかし、そこにはまさに歴史があり、日本を変えようとした者たちの、立場の違う想いがぶつかった結果が存在していた。


「なあ、ここで殺人があったって信じられないな。特に今日みたいな穏やかな陽射しが差し込んでいるとさ。」

 駅夫が部屋を隅々まで見ながら、そんなことを呟く。

「確かにな。こんな日は、高橋是清もここで、政策について考えを巡らしたり、書物を読んだり、書き物をしたりと、日常を送っていたんだろうから、そう考えると、信じられないな。」

 羅針も、駅夫に同意する。


 センターゾーンの建物を一通り見終わった二人は、更に東ゾーンへと向かう。

 東ゾーンはこれまでの建物群とは様相が異なり、昔の商家・銭湯・居酒屋などから、下町の風情が広がっていた。建物の中には、当時の暮らしや商売道具、商品などが展示されていた。

 特に二人にとっては銭湯が懐かしかった。

 子供の頃は、家に風呂がなく、駅近くの銭湯まで、家族皆で通ったものだった。頭を洗うと別料金が取られるため、洗っても良いのは一週間に二回までで、銭湯自体も毎日通えるわけではなかった。

 大きくなると、駅夫と羅針は二人で連れ立って、銭湯に通った。それも、小学校低学年の頃までだが、今となっては良い思い出だ。

 この銭湯は、内装こそ当時通っていた銭湯とは異なるが、構造はほぼ変わらず、番台があって、男女に分かれた浴室があり、脱衣所、洗い場、湯船、そして富士山の絵、まさに当時通っていた銭湯と変わりはなかった。


「なんか懐かしいな。この板張りの脱衣所といい、洗い場といい、溺れそうになりそうな湯船といい。泳いで、どっかのおっちゃんに大目玉喰らったこともあったな。」

 駅夫が懐かしそうに、見て回っている。

「そんなこともあったな。あのおっちゃんはもの凄く恐ろしくてよ、悪魔か魔王にでも遭遇した心地がしたもんだよ。」

 羅針も懐かしそうに言う。

「そうそう、お前俺が怒られてるのに、泣き出しちまってよ。ひたすらおっちゃんに謝ってたっけ。殺さないでくださいって言って。俺、怒られてるのに、お前のその怯えように、笑い堪えるの大変だったんだぜ。」

 駅夫が思い出して笑い出す。

「まじかよ。俺命乞いしてたのかよ、はっず。」

 羅針は半世紀も前のことながら、恥ずかしさに顔が火照ってきた。

「あのおっちゃん、実はあの後番台に居たおばちゃんに、子供泣かすんじゃないよって怒られていたんだぜ。いい気味だったな、あれ。」

 駅夫がことの顛末を教えてくれる。

「まじか。それは見たかったな。ただただ恐ろしくてよ、あの後も時々あの形相を夢に見ては、飛び起きたこともあったんだぜ、完全にトラウマだったのによ。」

 羅針が今更ながら悔しそうにする。


 こうして、2時間ほどの見学が終わりに近づいていった。

 11時半になり、江戸東京たてもの園をたっぷり見学した二人は、駅へと向かうことにする。向かう駅は、もちろん武蔵小金井駅ではなく、東小金井駅である。

 少し距離があるが、住宅街を抜けるように駅まで二人は歩いた。




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