伍之壱
昨日は記念撮影だけして、宿へ向かったので、よく見ていなかった下条駅を、旅寝駅夫と星路羅針の二人は、写真を撮ったりしながら、今日はゆっくりと見て回る。
1927年に十日町線として開業したこの駅は、1944年から飯山線の駅として、歴史を刻んできた。1982年から無人駅となり、十日町駅が管理しているという。
駅舎は倉庫のようなシャッターがある三角屋根の建物で、正面から見る姿は合掌造りを彷彿とさせるが、その造りは板張りの木造建築で、1997年に改築されたらしい。
表には、今時珍しい電話ボックスがあり、緑色の公衆電話がちゃんと設置されている。
そして、この合掌造りのような駅舎よりも目立っているのが、正面に向かって右手にある、まさに茅葺きの塔だ。中国にある寺院の仏塔や法塔の様な佇まいをした、高さが3階には達するかと思われるこの建物は、入り口が板戸で閉じられていて、中がどうなっているのかも、何の目的で建てられているのかも、皆目見当が付かないが、その存在感だけは異彩を放っていた。
「これ何なんだろうな。」
駅夫が塔を見上げて首を捻る。
「さあな。倉庫かなんかなんだろうけど、分かんねぇな。ネットにも出てこねぇし。」
羅針もスマホで検索したが、結局は分からずじまいだった。
駅舎に戻ると、その内部はベンチがあるだけの簡単なもので、自動券売機も乗車駅証明書発行機もない。
掲げられた時刻表には上下10本ずつの時刻が記載され、1時間に一本も列車がないことを示していた。
ホームは1面1線の単式ホームだが、ホームと外を区分けするのは、赤白に塗られたUバリカーだけで、駅舎を通らなくてもホームに出入りできてしまう。外の広場には学生のものなのか、自転車が数台駐輪してあった。
時間になり、キハ110系の気動車が駅に近づいてきた。
二人が乗り込むと、気動車独特のエンジン音が唸りを上げ、すぐに発車した。
ここから大宮までは、昨日来た道を帰るだけである。
緑の中を走り抜け、キハ110系で越後川口に着くと、地下通路を抜けて上越線のE129系に乗り換えて、長岡駅へと向かう。
長岡駅で、新幹線のチケットを発券し、E7系で大宮駅へと向かう。
大宮駅、この巨大な駅は、交通の要衝であり、埼玉県で一番の乗降人員を誇る。
大宮駅に降り立った二人は、行き交う人々のあまりの多さに面食らった。
そう言えば、この旅を始める前は都内でこのぐらいの人混みは当たり前に見ていたはずだし、昨日東京駅で乗り換えしたときも、体感したはずだった。
だが、大勢の人間が、それぞれ目的地に向けて、誰もぶつかることなく、秩序だって行き交っている様は、東京駅で見た無秩序の混雑とは違って、導線が計算尽くされた証左であるかもしれない、と星路羅針は感じた。
二人は、人の流れに乗って、新幹線ホームから京浜東北線のホームに降り、磯子行きのE233系1000番台の青い車両に乗り込む。平日昼間なのに、車内はかなり混み合っていた。
流石に旅寝駅夫も前面展望に行けず、でかいザックが邪魔にならないように乗り込むだけで精一杯だった。
列車はビルやマンションが立ち並ぶ街並みを横目に見ながら、東京へ向けて走り出す。
すぐに隣のさいたま新都心駅に到着する。今まで駅間の長い列車を乗ってきたので、こんなに近い駅間は久々だった。この後、南浦和駅まで、10分ほどで5駅、つまり2分間隔で駅だった。
南浦和駅に着いた二人は、武蔵野線に乗り換える。
武蔵野線のホームは、京浜東北線に交差する形で上を横切っていた。3階にある府中本町方面のプラットホームに入線してきた、オレンジ色のE231系900番台に、二人は乗り込んだ。
高架線なのに南浦和駅を出てすぐにトンネルに入る。こんな市街地でトンネルに入るのは奇妙な感じがするが、トンネルを出ると再び高架駅の武蔵浦和駅に着いた。地図で見る限り、ここに山があるとか、標高の高い高台がある訳ではないようだが、住宅街の下を潜り抜ける様に線路が通り抜けていた。
ちなみに、浦和と名の付く駅は、浦和を始め、北浦和、南浦和、西浦和、武蔵浦和、中浦和、東浦和、浦和美園の8駅が存在している。埼玉県の中心地に点在する駅たちであるが、余所者にとってはややこしい駅群ではないだろうか。
荒川を越えても、そこは埼玉県が続き、住宅街の中を抜けていく。時折貨物列車とすれ違いながら、高架線をひたすら走る。
武蔵野線は本来、山手貨物線、すなわち山手線に沿って新宿駅経由で品川駅から田端駅間を走る貨物線の代替として、戦前に建設が計画された路線である。
戦後、武蔵野線として開業すると、貨物列車の間隙を縫って旅客列車が運行されていたが、貨物の取り扱いがトラックにシフトすると、沿線住民が増加したことも相まって、貨物輸送を減らし、旅客輸送を増便した。今でこそ旅客輸送が中心となっているが、今でも、貨物列車が多く走っているのだ。
列車が西国分寺駅に着くと、流石乗換駅である、大量の降車客が一斉に乗り換え口へと向かう。
車両後方にある、まるでどこかの劇団の大階段のような乗り換え口を進み、中央快速線ホームへと向かう。
この西国分寺駅、いわゆる中央快速線の中で日野、高尾に続いて3番目に少ない乗降人員となる駅らしいが、コンコースはそんなことないだろと思うぐらいの混雑であった。
中央快速線上りホームへ降りるとすぐに、E233系0番台のオレンジバーミリオンの帯が入った列車が入線してきた。
これに乗れば、今日の目的地である東小金井駅は間もなくである。
緑の壁に囲まれた西国分寺駅を出発すると、居合わせた5歳ぐらいの男の子が父親に「うごいてるねぇ」とか「はやくしまってぇ」と言ってはしゃいでいた。二人は、その光景を微笑ましく見つめていた。
そんな男の子に興味を引かれながらも、羅針が駅夫に中央線について蘊蓄を語り出した。
「この中央線、色んな呼び方があるのは知ってるよな。」
羅針が言う。
「もちろん。中央線、中央本線だろ、それに中央快速、総武・中央緩行線だろ、そんなもんじゃねぇか。」
「そうだな。まあそこまでは流石に知ってるよな。だけど、実はもう二つあるんだよ。」
「なんだよ、もったい付けるなよ。」
駅夫が焦れる。
「長野の塩尻駅は知ってるよな。」
「ああ。」
「そこを境に東京側を中央東線、名古屋側を中央西線って言うんだよ。」
「マジか。それは、初めて聞いた。まあ、確かに東と西だもんな、長野の人から見たらそういう呼び方にもなるか。」
駅夫が納得したように頷く。
目の前の男の子は、おとなしく窓の外を眺めていた。
列車は、背の高いビルのようなマンションが建ち並ぶ国分寺駅を出て、ひたすら東へと向けてひた走る。
「ところで、この中央線、この辺りは真っ直ぐに引かれてるよな。その理由は知っているか。」
羅針が更に聞く。
「誰かが定規で引いたって話は聞いたことあるけど、その理由までは知らないな。まあ、大方面倒くさいとか、権力を笠に着た連中が考えたんだろ。」
駅夫が呆れたような、小馬鹿にしたように言う。
「まあ、そういう話も聞くよな。
元々、中央線は甲武鉄道という会社が建設したんだけど、そこの工事担当者だった仙石貢氏という人物が、周りからの注文に腹を立てて、ごちゃごちゃ言うならこれでどうだって、定規を使って引いたって話だよな。
この話は、彼の為人を示すエピソードとして語られるけど、結局それも確かだという証拠はなくて、真実は闇の中なんだ。
ただ、甲州街道や青梅街道沿いに通さずに、直線にしたのは、用地買収や当時の土木技術の拙さ、それに蒸気機関車が煙や火の粉をまき散らす公害への懸念など、様々な要因が絡まって、このルートに決定したってことらしいな。」
羅針が長々と説明する。
「まあ、諸説ありってことか。」
駅夫が言う。
「そういうこと。もう一つ考えられるのは、直線ルートありきで計画が出され、その理由が色々後付けされたんじゃないかっていう話もあって、もしそれが本当だとすると、理由付けの一次資料が見当たらないことの証左ではないかっていう見方もあるんだよ。」
羅針が補足する。
「なるほどね。つまり、直線にしたのがその仙石氏か、工事を発注した誰かで、何で直線なんだって聞かれるから、理由を後付けで色々言い訳したってことか。なんだか親に怒られた子供が一生懸命に言い訳してるみたいじゃねぇか。」
駅夫が呆れたように言う。
「まあ、あくまでも一説に過ぎないけどな。」
羅針が諸説あるうちの一つだと強調する。
「そうか、坊やはそんな子供になるなよ。」
駅夫は目の前で、無邪気に外の景色を眺めている男の子に向かってポツリと言った。
列車は、眼下に武蔵小金井電車区を横目に、高架駅の武蔵小金井駅を出ると、いよいよ東小金井駅に到着しようとしていた。
駅夫の声が聞こえたのか分からないが、先程から、父親と楽しげに会話をしていたその男の子が、突然振り返り、二人と目が合った。
男の子は、列車が駅に到着し降りていく二人に、「バイバイ」と手を振ってくれた。思わず二人も手を振り返し「バイバイ」と挨拶をし、父親に会釈をして列車を降りた。
「可愛かったな。」
駅夫が思わず呟く。
「確かにな。俺たちにもあんな子供や孫ができてたのかな。無いもの強請りだけど。」
羅針が微笑ましくも、羨ましそうな表情で応える。
「まあな。」
駅夫はどこか寂しそうな表情で頷いた。
東小金井駅は、非常に変則的なホーム構成で、下り方面が単式ホームの1面1線、上り方面が島式ホームの1面2線となっていて、計2面3線のホームを有する高架駅である。おそらく朝のラッシュ時間に特快を追い越しさせるための設備なのだろう。
二人は、早速駅名標と記念撮影をする。
到着したのは16時22分で、そろそろ陽が傾き始める時間だが、まだ充分明るい。
改札口を出ると、いつもの通り駅周辺地図を見ながら、宿と観光地を探すことにした。
ところが、周辺にはまったく何もないのだ。
ここ東小金井駅周辺には住宅街が広がり、大学が二校あるだけの閑静な街なのだ。スーパーや商店はかなり充実しているようだが、見て回れるような観光地もなければ、宿泊施設も皆無である。ただ、北側に大きな公園、小金井公園があるだけだった。
「どうするよ。」
羅針が嘆く。
「どうもこうも、宿がないんじゃ、どうしようもないじゃん。」
駅夫も途方に暮れたように嘆く。
「隣駅にでも足を伸ばせば、宿泊施設は確保できるだろうし、観光地もこの公園には〔江戸東京たてもの園〕って言うのもあるみたいだから、そこを見て回るだけだと思うけど。」
そう言って、羅針は手がないわけではないことを示すが、あまり納得はいっていないようだ。
「これなら下条駅の方が見るところはあったな。」
駅夫がぼやく。
「そう言うなよ。たてもの園には色んな建物があるらしいから、一応見応えはあるだろ。ただ、おそらく17時位で閉園時間だろうから、今からいっても閉まってるだろな。
ホテルは武蔵小金井、武蔵境、三鷹、吉祥寺に行けば、何件かはそれぞれあるけど、なぜかここには一件もないね。漫喫すらないから、駅周辺縛りなら、今日は野宿だな。」
そう言って羅針は笑うが、その笑いは乾いていた。
「東京のど真ん中で野宿は勘弁だぜ。それじゃしかたないから、隣駅に行こうぜ。泊まれないんじゃ、どうしようもないからな。」
駅夫が提案する。
「了解。空きがあるのは、……武蔵小金井のビジホだな。ここで良いか。」
検索を掛けて羅針が応える。
「いいよ。」
羅針は駅夫に確認してから、ホテルに予約を入れる。
完全素泊まりにしては多少割高感が否めないが、そこは都内のホテル、納得の値段ではある。ただ、素泊まりだからといっても、食事を調達するのに困ることがないのは、都内の良いところではある。
二人は駅前で駅舎をバックに記念撮影をした後、先程出てきた改札口を再び潜って、下り線のホームに上がり、武蔵小金井駅へとE233系0番台で向かった。
武蔵小金井駅は、東小金井駅と違って、駅そばにスーパーマーケットが林立した商業地区を有していて、ホテルがあるのも頷けた。
まずは予約したホテルに向かい、チェックインをしようとしたら、フロント係がチェックインマシーンを使用するように案内してきたので、羅針が操作して無事カードキーをゲットする。
エレベーターに入ると、カードキーを翳さないと宿泊階に行くことができず、先に乗り込んだ駅夫が案の定慌てていた。
部屋は二人部屋で、畳式のベッドに布団を敷く形だ。トイレは付いてるが、シャワーと洗面は共用のものを利用することになっている。まさに、長期滞在者向けの、ホテルというよりはホステル形式であるようだ。
取り敢えず部屋に荷物を放り込むと、夕食を求めて街をぶらつくことにした。
本来なら、東小金井の街をぶらつかなければならないが、それは明日に回すとして、今日は武蔵小金井の街をぶらつく。
流石都内である。和洋中の各飲食店はもちろんのこと、ファストフードも充実してるし、ファミレスも当然のように点在しているので、選びたい放題である。
ただし、武蔵小金井の名産とか東小金井の名物とか言われると、いささか疑問である。そもそも、武蔵小金井、東小金井の特産品がなんであるかが分からない。
東京の地元グルメといえば、まず思い浮かぶのが、江戸前寿司、深川飯、もんじゃ、柳川鍋、そしてちゃんこ鍋と言ったところか。しかしこれらは23区、特に下町に根付いたグルメであり、このあたり北多摩地区のグルメではない。
このあたりの郷土料理と言って出てくるのは、独活の酢味噌和えとか、武蔵野うどんが出てくるぐらいである。独活の酢味噌和えは専門店で食べるものではなく、居酒屋のような場所で、お通しや突き出しの形で出るものであろう。
また、武蔵野うどんに関しては、そもそも、武蔵野うどんとは呼ばれず、手打ちうどんと呼ばれ、このあたりのうどんを紹介するときに、便宜的に誰かが言い始めたようだ。元々家庭料理であったためか、太麺で茶色がかり、塩分高めな上、コシがかなり強く、食感は力強い物でゴツゴツしている。そのためか、商業ベースに乗りにくいと判断され、ツルツルシコシコ麺を武蔵野うどんと謳っているものが多数出回っており、本物志向の人にとっては、選択肢が限られてしまっているようだ。
と言うことで、二人は食べたいものを食べることにした。東京で食べれば、それが地元飯と言うことだ。そう考えたら、インドにイタリア、トルコ、韓国、フランス料理と、何でもありである。
と言う訳で、二人はネパール料理に決めた。
ネットで調べたお勧めの店に入店すると、飲み放題を付けたコースで、本格的なカレーが選べた。二人が選んだカレーは、香辛料の利いたチキンマサラとマトンマサラ、そしてポークマサラである。ネパールの地元の味を聞いたら、そう店員が教えてくれたのだ。
他に、ジャガイモの漬物であるアルコアチャルや、豆せんべいのパパド、タンドリーチキンやフライドチキン、ネパール風焼きそばのベジタブルチャウミンに、サラダとナンがついていた。
更に、ネパールビールの〔ネパールアイス〕を注文した。このビール、荒い泡が立ち上がる、少しつんとするアルコール臭があるものの、ヨーロッパ系のラガーのようでもあり、麦の味わいが広がり、後味も癖がなく徐々に引いてく感じが好ましい。ただ、ヨーロッパや日本のビールのような繊細さには欠けるのは、少し残念な点ではある。
本格的なネパール料理に、二人は舌鼓を打ち、スパイシーな味を堪能した。羅針は平気な顔をして食べていたが、駅夫はシーハー言いながら辛いのを堪えながらも、美味いといって食べ進めていた。
食べて、飲んで、満足した二人は、ほろ酔い加減で宿に戻った。
シャワーを浴びて、歯を磨いた二人は、部屋で次の目的地を決める。
「ルーレットスタート!ドゥルドゥルドゥルドゥル……ジャン!ん?これは読めない。太いに、刀に、洗うって言う駅だ。」
駅夫がいつもの様にセルフドラムロールで、ルーレットを回したが、出た駅名が読めず、羅針にスマホを見せた。
「これは、太刀洗駅だな。また九州かよ。確か甘木鉄道の駅だ。福岡県と佐賀県を結んでいる鉄道だな。」
羅針が記憶を引っ張り出して、答える。
「まじで、また九州か。」
駅夫が信じられないという顔をしているが、自分で決めたルールである。こうなることは分かりきっていたこと。渋々だが納得はしているようだ。
「お前は付いてくるだけだから良いけど、手配するの俺だからな。」
羅針は、納得したような表情になった駅夫を見て、愚痴を零す。
「悪いな。それは感謝してる。……マジだよ。」
羅針が疑わしそうな視線を寄越したのを見て、駅夫は慌てた。
「お前の企画に乗ったときから、覚悟の上だよ。」
羅針は呆れ顔で言いつつ、笑う。
翌日の行き先は九州、福岡の太刀洗駅に決まったが、東小金井駅での観光が残っているため、午後に出発することになるので、おそらく向こうに着くのは夜中になる。
下条駅から、半日ずれているのが、ここに来て響いてきたようだ。
二人は、明日の予定を念入りに詰めていった。