肆之参
翌朝、いつも通り星路羅針は6時に起きた。駅夫はまだ夢の中だ。
羅針は洗顔し、着替えて、ノーパソで写真データの整理と文章を纏め、半になって駅夫を起こした。
「ん~お~は~よ~。」
相変わらず、旅寝駅夫の朝はこれから始まる。
「おはよ。もうすぐ朝食の時間だから、支度してきな。」
羅針がそう言って、駅夫を洗面所に追い遣る。
朝食は、釜で焚いた白いご飯だ。魚沼産コシヒカリは、その名に恥じない旨味と甘味を持ち、一口入れたら、箸が止まらなくなる程に美味い。
おかずは昨晩と違って、シンプルに定番の鮭、卵焼き、海苔、納豆、サラダ、鹿尾菜と小鉢の煮物にお味噌汁と漬物、そしてリンゴが付いた。
おかずはどれもご飯に見劣りしない美味しさで、二人とも朝からまた腹一杯食べてしまった。
朝食が終わり、部屋で荷物をピックアップして、8時過ぎにチェックアウトした。
女将さんが朝の忙しい時間に車を出してくれた。
「お願いします。」
挨拶をして、二人が車に乗り込む。
「今日のルーレットはどこが出たんですか?」
女将さんが、興味津々で聞いてくる。
「はい。東京の東小金井駅になりました。ある意味振り出しに戻った感じですね。」
羅針がそう答えて笑う。
「あら、振り出しなの。でも東京は遠いわね。」
「そんなことないですよ、新幹線がありますから、4時間も掛からないんで、近い方です。」
駅夫がそんな風に言う。
「いや、4時間は遠いですよ。」
女将さんが呆れたように言う。
「確かに、自分たち移動のしすぎで、時間感覚がおかしくなってるのかも知れませんね。」
羅針の言葉に、全員が笑う。
途中信濃川を渡るとき、少し速度を落としてくれて、ゆっくりと景色を見せてくれた。
何の変哲もない川ではあるが、これが日本一長い川であると思うと感慨深い。
和気藹々の会話を続け、和やかに過ごしていると、やがて句碑公園に到着した。
「お忙しい中、送っていただき、本当にありがとうございます。」
二人が頭を下げて、礼を言う。
「どういたしまして。何にもないところだけど、観光楽しんでくださいね。地元民の私には気づけない魅力を感じて貰えれば、私も嬉しいですから。」
女将さんがそんな風に言う。
「はい、楽しませていただきます。ありがとうございます。」
二人はお礼を言って、再び頭を下げる
女将さんの軽自動車が去ると、二人は早速公園の中にではなく、お寺の境内に入っていった。
二人が降ろされたのは、曹洞宗のお寺、赤城山清龍寺の前である。階段を上がると、真っ赤な切妻屋根の本殿が現れた。 この清龍寺の本尊は釈迦三尊像で、1568年に創建された。妻有百三十三番札所、第九十六番札所にもなっていて、〔青柳寺〕とも呼ばれている。
更に奥に進むと墓地があり、その手前に〔ブナ林に句碑 句碑公園〕と看板があった。場所が場所な上、看板がちょっと斜めになってしまっているのが、不安を掻き立てるが、二人は意を決して案内通り先へ進む。
墓地を抜け山道に入ると、冬の内に雪の重みで折れたのか、枝が道を塞いでいた。
その枝を避けて、奥へ進むと、句碑が一基現れた。俳句の世界には詳しくないため、二人とも作者の名を聞いたことはなかったが、句碑に遺されるだけあり、素人の二人でも情景がありありと浮かぶ良い句だと感じた。
あまり整備が行き届いていない山道を、上へ上へと上がっていく。少し上ると句碑が一基と言う風に、点在する形で設置されていた。まるでオリエンテーリングのチェックポイントを探すようである。
二人は句碑を見つけては、立ち止まって句を読み、味わってから、次へと向かう。新潟の景色を詠み、故郷への想いを詠み、雪国の過酷さを詠んだ句が多く設置されていた。
ネットで調べると、この句碑公園には千本のブナと三十三基の句碑があるという。二人は既に二十基を見つけていたが、まだあるということである。
ただ、中には苔むして字が読みづらくなっているものもあり、できれば脇に看板でも建ててくれるとありがたいとは思ったが、山道が歩きづらいままなので、おそらくこれだけのものを維持、整備するのも大変なのだろう。贅沢は言わない方が良さそうだ。
一番上まで来ると、少し拓けた場所に出た。
そこには句碑が二基と文殊菩薩が建っていた。
二人は、地べたに腰掛けて、水筒から水を飲み、少し休憩をした。さほど標高があるわけでもない山道だが、落葉で歩きにくいこともあり、多少足腰にきていた。
林を抜けてくる風に木々が揺れる音、時折聞こえてくる鳥の声、木々の間から漏れる太陽の光。二人はこのゆったりと、穏やかに流れる時間を味わっていた。
そろそろ行こうかと羅針が声を掛けると、駅夫も立ち上がる。
二人は残りの句碑を探しながら下山する。
「なかなか良かったな。俳句は難しいのもあって、解説が欲しかったけど、ゆったりと流れる時間を味わえたのは、本当に良かった。」
駅夫が満足そうに言う。
「ああ。一つ一つの句をもっと味わうことができたら、もっと良かったんだろうけど、流石にネットで解説が出てくるような有名な句じゃなかったから、しょうがないね。」
季語や難しい言葉は検索すれば分かるけど、その句が持つ味わいについては検索して出てくるわけではないので、羅針も少し残念ではあったが、自分なりに味わい、概ね満足した。
二人は呼び出したタクシーに乗り込むと、次は西永寺へと向かった。
西永寺は、1727年に真宗大谷派の寺院として創建された。1835年に焼失後1848年に再建されたと伝わる。
豪壮な構えの本堂を中心とする本格的な真宗寺院で、特に本堂の向拝や欄間の彫刻が見事であり、本堂、経蔵、鐘楼、庫裏、六和亭の5棟が国の登録文化財となっている。
ちなみにこの六和亭は、元々境内に在った別の寺院本堂で、昭和10年代に廃寺となった後,現在地に移築されたようだ。正面2間半、奥行4間の寄棟造妻入で,内部は内陣、外陣に分かれ、梁などに絵様を彫るなど小規模ながら整った御堂になっている。
二人は境内をゆっくりと散策した。豪壮な建物を、素晴らしい彫刻をゆっくり見て回った。
入り口に戻ると、先程のタクシーが待っていて、次の節黒城跡に向かって貰った。
20分ほどの移動となり、途中険しい道を通って、駐車場まで上がって来た。
城跡は木造の展望台があるだけだが、草は多少伸びているもののかなり綺麗に整備されていた。
この節黒城は、南北朝時代の正平7年(1352年)に築城され、新田一族の拠点になったと伝えられている。その際、急いで築かれたため砦の木が素材のままで、節が黒々と残っていたことから〔節黒城〕と名付けられたと言われている。
戦国時代には、上杉謙信傘下の上野氏の居城になり、大改造されて妻有地方で最大級の代表的な山城となり、慶長年間(1596年~1615年)まで使用されたと言われている。
展望台に上がると、越後三山の、八海山(1778m)、越後駒ヶ岳またの名を魚沼駒ヶ岳(2003m)、中ノ岳(2085m)が遙かに聳え、更には谷川連峰、日本百名山の巻機山(1967m)も見渡すことができた。
山の稜線だけではない、眼下に流れる信濃川と、信濃川が造り上げた河岸段丘に魚沼丘陵、そしてそこに広がる十日町市の街並みに田園風景が、米所として名高い新潟の景色を作り出していた。
二人は心行くまで眺めると、先程のタクシーが暇なのか、それとも金になると思っているのか、まだ自分たちを待っててくれた。
「運転手さんこのあたりでお勧めの郷土料理ってどこかありますか。」
羅針が、運転手さんに礼を言って、このあたりでお昼をする場所を聞く。
「この辺だとへぎそばがお勧めかな。」
運転手さんが地元の名産を教えてくれる。
「へぎそばですか。」
「ええ。へぎというのは地元の言葉で剥ぐと言う意味で、木を剥いだ板でできた〔へぎ〕という器に盛られた蕎麦を〔へぎそば〕って言うんですよ。」
「へえ、剥いだ板をね。」
駅夫が変な想像をし、不思議そうな顔をする。
「もちろん、そんな、そこら辺で拾ってきたような木片に盛るわけじゃないですよ、ちゃんと器用に加工した、専用の器ですからね。」
「ですよね。」
駅夫が変な想像をしたことを見抜かれ、照れる。
「へぎという器に盛るから、へぎそばなんで、持ち帰り用とか通販用のパックで販売してるのは、〔布海苔蕎麦〕とか〔手繰り蕎麦〕って言うんですよ。」
「つまり、布海苔蕎麦や手繰り蕎麦をへぎに盛るからへぎそばなんですね。」
羅針が運転手の説明を聞いて確認する。
「そういうこと。兄さん頭良いね。」
「ありがとうございます。」
運転手のお世辞に、羅針は照れたように応える。
その後も、店に着くまで色々と説明してくれた。
へぎそばの特徴は、そのコシの強さであるとか、元々織物作りの際に糸に撚りをかけるため使用されていた布海苔をつなぎに使っているとか、織物をする時の糸を撚り紡いだ〔かぜぐり〕を模して盛り付けられているとか、へぎそばの歴史も含めて色々面白可笑しく教えてくれた。
運転手さんが案内してくれたのは、駐車場の入り口に大きな水車がある、越屋根が二段も重なった特徴的な建物の、老舗蕎麦屋だった。
かなりの人気店なのか、昼前の時間なのに、広い駐車場は6割から7割程埋まっていて、店内でも何組か順番待ちをしていた。
整理券発券機で整理券を受け取り順番を待つ。
程なくして、順番が来て、席へ案内される。
店内は落ち着いた雰囲気の和風様式で、カウンターやテーブル席、小上がりもある。
テーブル席に通された二人は、お店の人がお勧めした1.5人前の蕎麦と、駅夫はミニ天丼を、羅針はミニまぐろ丼をセットにして注文した。
出てきた蕎麦は、見た目も美しく艶のある蕎麦だ。芥子をつけて頂くのも珍しく、山葵とは違う味わいに、二人とも声がなかった。
また、蕎麦自体もタクシー運転手が言っていたように、コシが強く、歯応えがあり、蕎麦独特のツルシコ感はもちろんのこと、布海苔がつなぎという独特の食感も、嫌な感じはまったくない。
近江今津で食べた柔らかい蕎麦とはまったくの正反対で、所変われば同じ蕎麦でもここまで変わるのかと、二人は思った。
二人はお腹も心も満たされ、表に出てくると、タクシー運転手さんは椅子を倒して、休んでいた。
窓ガラスを叩くと、起き上がって、ドアを開けてくれた。
「待ってて貰って良かったんですか?」
羅針が気にして聞いた。
「ああ、呼び出しがなかったから良いんだよ。兄さんたちを他のやつに取られたくないだろ。」
そう言って運転手は笑った。
「それなら良いんですが。下条駅までお願いできますか。」
羅針は、駅までをお願いした。
駅に着くと、運転手にお礼を言い、見送った。
「よっぽど暇だったのか、それとも金蔓だと思われたのか。どっちにせよ、面白い運転手さんだったな。」
羅針がそう言うと、
「良い人だったな。色んなこと詳しく教えてくれたし、良かったよ。」
駅夫も楽しそうにそう言った。
こうして、下条駅での観光は終わった。
二人は、次の東小金井駅へ向けて、下条駅の駅舎を改めて眺めた。