肆之弐
東京駅を出発した新幹線、E7系とき329号は上野駅で一旦地下に入り、地上に再び出てくると、都会の高層ビルの間を抜け、市街地を抜けて、大宮へと向かう。山手線と別れ、京浜東北線と併走しながら、高架線をひたすら北上する。
車窓から見えるビルは徐々に背が低くなり、マンションやアパートなどが目立つようになる。所々見える林は神社仏閣かはたまた公園などであろうか。
「駅夫、森と林の違いって知ってるか?」
星路羅針が熱心に外を見ている旅寝駅夫に声を掛ける。チラホラ見える林を見て羅針は溜まらずクイズを出したくなったのだ。
「簡単じゃん。森は大きくて、林は小さい森林だろ。」
「ハズレ。森にも大中小はあるし、林にも大中小があって、林より小さな森も、森より大きな林もある。だから、ハズレ。」
羅針が楽しそうにハズレを宣告する。
「じゃ、鎮守の森とか言うから、神聖なところが森で、原生林とか言うから、人の手の加わっていないところが林とか。」
駅夫が羅針のヒントに確信に近い答えを導く。
「それはある意味正しいんだけど、ハズレだな。」
またしても、羅針は楽しそうにハズレを宣告した。
「じゃ、逆とか。人の手が加わっていないのが森で、人の手が加わっているところが林。」
羅針の出題傾向を知っている駅夫が漸く正解に辿り着く。
「そう、当たり。」
羅針は、当たりを宣言し、駅夫の「どういうこと」という問いに、解説を続けた。
「森も林も樹木が覆い茂るところで違いはないんだけど、森は盛り付けると言う字の〔盛り〕が語源で、林は木を生やすという字の〔生やし〕が語源と言われていることから、本来は今お前が答えたとおり、人の手が加えられていれば〔林〕、加えられていなければ〔森〕と区別しているんだ。本来はね。」
羅針がそう解説する。
「じゃ、鎮守の森とか、市民憩いの森とか、人間の手が加えられたところを森って言ったり、さっきも言ったとおり原生林とか自然林、天然林なんて言ったりするように、人の手が加わっていないのに林って言ったりするのはなぜだ。」
駅夫が至極当然の疑問をぶつけてくる。
「それが、混用っていうやつだな。言葉って言うのは明確に定義されて使用されているわけではない。特に母国語はね。だから、どうしても意味を曖昧にして記憶している人が、その言葉の持つイメージにつられて混用し、それを周りも認知して使用を始め、定着してしまうんだ。」
「つまり、教養のないヤツが誤用を広めちゃったってことか。」
羅針の説明に、駅夫が身も蓋もないことを言う。
「まあ、それは言い過ぎだけど、極端に言えばそういうことだな。
だから、森を林に使ったり、林を森に使ったりする逆転現象が起きてるんだよ。
ただ、その誤用が起こった理由を想像するに、森は人の手が加わっていない山深い場所というイメージから、神聖な場所、大切な場所と言うイメージがあって、鎮守の森とか、市民憩いの森の様な使われ方をしてると思うし、逆に、林の方は手を加える分、身近な場所にあるから、そこにある樹木が、自然に生えた物か人工的に植えられた物か区別するために、原生林とか自然林、天然林って言葉が生まれたんだと思うよ。
これはあくまでも俺の私見だから、一概には言えないけどな。」
「なるほどな。良く最近の若者は言葉が乱れて、なんて言うけど、昔から言葉は乱れてたってことだな。だから、お前みたいな奴にクイズにされてしまうんだ。」
駅夫が羅針の解説を聞いて、ぼやく。
「まあな。」
そう言って、羅針はどやり、二人は笑った。
やがて、荒川を越えると、がらりと車窓の様相が変わる。
都内のごちゃごちゃした感じから、整然と並べられたような雰囲気になったのだ。工場や大きなショッピングセンターも目に付き、時折背の高い巨大なマンションが現れるのも、都内とは異なる。
そして、30分もしないうちに大宮に到着する。
列車は、この先東北新幹線と分かれて、上越新幹線へと入っていく。
大宮を出ると、一気に加速し、最高速度275㎞/hで爆走する。
徐々に住宅街に田畑が混じるようになり、一軒家もちらほら見えてくると、熊谷、高崎へと順に停車する。
高崎を出て北陸新幹線と分かれると、長いトンネルが何本も続く。そのうちの一本が大清水トンネル、全長22,221mである。
川端康成の小説〔雪国〕の書き出し「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」で有名なトンネルは、この隣にある在来線用の清水トンネルのことを指している。
今日は長いトンネルを抜けても雪は降っておらず、抜ける様な青い空が広がっていた。
トンネルを抜けると間もなく乗り換えする長岡駅である。
〔長岡花火〕で有名なこの駅も、花火のない今は閑散としていた。
二人が乗る予定の、上越線越後中里駅行きは4番線ホームで、11番の新幹線ホームからひたすら下に降りるだけである。
在来線の4番ホームには既にE129系が停まっていた。ピンクと黄色のラインが何となく可愛い2両編成の車両に乗り込むと、旅寝駅夫は前面展望かぶりつきへ、星路羅針は一番前のロングシートにそれぞれ陣取った。
時間となり長岡駅を出発すると、列車は複雑に張り巡らされた線路を、当然だが間違えることなく確実に本線へと進んでいく。
やがて宮内駅に近づくとATSの警告音が鳴り響いた。
駅夫が、羅針の方を振り返り、これこれという顔をしている。先日覚えたばかりの自動列車停止装置を再び体感できて、嬉しいのだろう。
宮内駅から列車は名実ともに上越線の線路を走ることになる。長岡と宮内の間は信越本線に乗り入れという形で、上越線でありながら上越線ではないのだ。
沿線には田圃が広がり、まるで緑色の絨毯のように稲が植えられていた。まさにここが新潟、米所であることを物語っていた。
やがて、列車が比較的大きな小千谷駅を過ぎると、次は越後川口駅。ここで飯山線に乗り換えとなる。
二人は列車を降りると、地下通路を通って1番線に移動する。
この駅は弓の様に大きくカーブを描いていて、1番線は円弧の内側になる。円弧の外側に目を向けると、正面には山が迫り、どこか寂しさを感じるローカル駅だが、かつてここは優等列車も止まる駅だったのだ。ホームの長さだけがその当時の面影を唯一遺していた。
程なく、キハ110系が1両で到着した。白地にドアだけが緑に塗られた、なんとも愛らしい雰囲気のある車両である。
18時を過ぎた夕方のこの時間にも関わらず、なぜか乗客は数えるほどしかいなかった。
例のごとく駅夫はかぶりつき、羅針はシートへそれぞれ陣取ると、気動車特有のエンジン音が唸り、ゆっくりと列車が走り出す。
山間の線路を、然程スピードを上げることなく進む気動車は、新幹線、電車と乗り継いできた二人にとって、あまりにもゆっくりに感じた。
線路は背の高い草や木が覆い茂る中を縫うように走り、トンネルを潜り抜けていく。
夏も近づき、日も少しずつ長くなってはきたが、山間を走るこの線路は、既に山の影が落ちていた。
やがて沿線に集落が見え、暫く走ると、今日の目的地、下条駅である。
長崎の西浜町電停からここまで、10時間35分掛かったことになる。長い列車の旅が漸く終わりを迎えたのだ。
二人は運転手に長崎駅から下条駅までの切符を渡した。運転手は切符の文字を二度見していたが、特にそれについては言及せず、お礼を言っただけだった。
下車したのは二人だけで、すっかり陽が傾き、夜の帳が降りようと待ち構えているようだった。
二人は例のごとく、駅名標と一緒に記念撮影をし、無人駅の駅舎を潜り抜ける。
するとそこには、宿の女将さんが、ワンボックスの軽乗用車で迎えに来ていた。
女将さんに出迎えの礼を言いつつも、駅舎の前で再度記念撮影をする。ありがたいことに、女将さんがシャッターを押してくれた。
記念撮影を終えた二人は、再度女将さんにお礼を言い、軽自動車に乗り込むと、宿へ向けて出発した。
「どうして、お二人は下条なんかにいらしたの?何にもないのに。」
年の頃は二人と然程変わらない女将さんが、聞いてくる。
「自分たち、ルーレット旅っていうのをやってるんですよ。それで、ルーレットで出た駅が、この下条駅だったんです。」
羅針が説明すると。
「そうなんですよ。私がアイディアを出して、こいつを連れ出したんです。最初は滋賀の近江今津、次が名古屋の国府宮、その次が長崎、で今回こちらにお邪魔したって訳です。次の行き先はルーレットで今夜決めるので、明日はどこに行くかまだ分からないんですよ。」
駅夫が自慢げに言う。
「それは、面白そうな旅ですね。」
駅夫の説明に、女将さんは半分感心、半分呆れ顔で応じた。
「このあたり、どこか観光名所みたいなところはありますか。」
少し打ち解けたところで、羅針が女将さんに聞いた。
「そうですね。何にもないところだから、これといった場所はないはね。長岡とか十日町に出ればそれなりに見所はあるし、湯沢まで足を伸ばせば清津峡っていう絶景があるんだけどね。この辺でってことですよね。」
女将さんが頭を捻っている。
「神社仏閣とか、古城跡とか何でも良いんですけど。下条駅周辺を観光したって言えれば、それで良いんで。」
羅針がハードルをグンと下げる。
「それなら、西永寺なんてどうかしら。国の登録文化財もあるらしいから、それなりに見所はあると思うし、その近くには句碑公園っていう俳句の句碑がいくつもある公園があるの。俳句に興味があれば、そこもお勧めかしらね。」
女将さんが捻り出してくれた場所は、なかなか魅力的な場所である。
「ありがとうございます。明日早速行ってみます。後で詳しい場所を教えていただいても良いですか。」
意外に良さそうな場所が提示されたことに、二人は礼を言った。
そんな話をしていたら、車は程なく宿に到着した。食事の準備は既にできているので、部屋に荷物を入れたら、すぐにお食事をどうぞと言われたので、チェックイン手続きを済ませ、部屋に荷物を放り込むと、その足で食堂へ向かう。
魚沼産コシヒカリと山の幸をふんだんに使った釜飯が自慢の宿と標榜するだけあって、期待以上に美味しく、釜飯だけでなく、山女の塩焼き、野菜の天ぷら、虹鱒のお刺身に加え、妻有ポークという地元のブランド豚を焼き上げたプレート焼きは、これまた絶品だった。
新潟の銘酒も進み、ほろ酔い気分で二人は食事を堪能することができた。
食事中に女将さんが、先程言っていた観光地の地図と、十日町市内のお勧め場所をいくつかピックアップしてくれていた。句碑公園か西永寺に向かうなら、送ってくれるというので、お言葉に甘えることにした。
部屋に戻り、着替えを持って大浴場に向かい、さっぱりすると、いよいよ明日行く場所を決めるルーレットである。
「もし、行き先が北海道とか九州だったら、観光してからだとキツくなるから、途中で一泊するか、ここでもう一泊することになるけど、それでも良いよな。」
羅針が駅夫に確認する。
「もちろん。自由気ままな旅なんだ。無理することはないし、臨機応変がこの旅の醍醐味だし。」
駅夫が当然だよという風に応える。
「それじゃ、ルーレット回すぞ。ドゥルドゥルドゥルドゥル……ジャン!東小金井駅!」
駅夫がセルフドラムロールとともにルーレットを回した。
「おっ、今日は読めたな。……東小金井ってことは、東京か。本当に振り出しに戻ってるじゃねぇか。」
駅夫のスマホを覗き込み、結果を確認して、羅針がぼやく。
「遠くじゃなくて良かったじゃん。でも、東小金井に観光地なんてあるのか?」
「さあな。後で調べてみるよ。まずはチケット予約からだな。」