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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第参話 市役所駅 (長崎県)
21/180

参之捌


 星路羅針はアラームの前に起きることができた。

 昨晩は、卓袱料理で腹を満たし、大浴場で疲れを取ったためか、朝までぐっすりと眠ることができたのだ。

 駅夫はまだすやすやと眠っている。

 朝食までは、まだ1時間ほどあるので、駅夫を起こさないようにして、まずは洗顔を済ませ、ノーパソを開いて、カメラのデータをハードディスクに移す。それと合わせてワープロソフトに記録を付けていく。

 昨日は贅沢をしすぎたため、予算を大幅に圧迫したが、赤字覚悟の旅行、楽しんだ者勝ちだ。今日はもやしかな、などと考えながら、昨日のことをパソコンに打ち込んでいく。


 6時半、そろそろ駅夫を起こす。

「ん~お~は~よ~。」

 相変わらずの寝惚け状態で、駅夫が目を覚ます。

「おはよ。そろそろ、準備しろ。」

「わかったぁ~。」

 駅夫が眠そうな目をこすりながら、ゴソゴソと起き出して、洗面台に向かった。


 出かける準備を終えた二人は、荷物を持って朝食に向かう。

 朝食は、定番の洋食で、自分で作るサンドイッチのビュッフェを始め、パンケーキやフレンチトーストを中心に、サラダ、スープ、ヨーグルトにドリンクが付いてきた。

 二人とも、昨夜腹一杯食べたはずなのに、またたっぷりと食べてしまった。

「あのさ、旅先ってことを差し引いても、飯が美味すぎないか。」

 駅夫が呆れたように、嬉しい悲鳴を上げる。

「こりゃ、体重増えるな。ただ、食べ過ぎるなよ、今日は船に乗るからな。」

 羅針は冗談を言って笑い、続けて警告した。

「分かったよ。」

 羅針の警告に、駅夫はおかわりのために皿を持って立ち上がろうとしていたのを、渋々止めた。


 二人は朝食を終えると、その足で、路面電車の駅、西浜町電停に向かう。1系統で港のある大波止おおはと電停に向かう。今日運んでくれるのは500形のレトロ車両だ。

 駅夫は早速、前面展望かぶりつきに着く。朝早いとは言え、既に会社員で混み始めた車内には、ちらほらと二人のような観光客も混じっていた。

 大波止駅から受付がある港の建物へ向かうと、未来感のある楕円柱を横に倒したような建物が見えてきた。


 建物に入ると、既に受付では手続きが始まるのを今か今かと並んで待っている人がいた。

 受付は8時から始まり、予約の確認と、誓約書や必要書類を記入して提出をした後、乗船開始まで桟橋で待つ。

 狙うは2階オープンデッキの右側である。なぜなら、右側は説明される箇所が多く、見所満載らしい。幸い前の方に並べたので、苦もなく狙った席に陣取ることができた。

 船は全長35m、速力25ノット、225人乗りである。竹生島クルーズで乗った船に比べて一回りほど大きく、速度も若干だが速い。


 程なく、船長さんの号令で離岸した。

 すると、すぐに、沿岸の説明が始まった。時折ユーモアを交えながら語るガイドさんの話は面白く、時折船内から笑いが起こり、引き込まれていった。


 長崎港は歴史の宝庫であり、周辺には様々な歴史遺産が点在している。昨日訪れた出島や大浦天主堂、そしてグラバー園などももちろんそうだが、それは左舷からで、こちら側からは見えない。だが、こちら右舷側には世界遺産も含め、多数の歴史遺産が点在する。

 出港すると早速現れた歴史遺産、それが世界遺産の巨大なクレーン〔三菱長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン〕である。日本で初めて建設された電動クレーンで、現在も稼働中らしい。同じものが佐世保と横浜でも稼働しているというのだから驚きである。


 更に進むと、イージス艦が停泊していて、現在整備点検中らしい。整備が終われば再び日本の海を守るために、外洋へと向かうのだ。そして、その並びには戦艦大和の姉妹艦である武蔵を建造したドックもあった。


 後ろを振り返ると、白亜の洋館があり、名を占勝閣せんしょうかくと言う。名前の由来は、鶴の様な美しい形をし、長崎港を見渡す眺望を独り占めできることからだと言い、1905年に皇族の東伏見宮依仁親王ひがしふしみのみやよりひとしんのう殿下が宿泊した際に名付けられたと伝えられている。ちなみに、これも世界遺産である。


 やがて、頭上には斜張橋が現れた。女神大橋めがみおおはしと言い、またの名をヴィーナスウィングと言うらしい。これから訪れる軍艦島こと端島はしまは南北に約480mあるが、この女神大橋の支間長も480mあり、しくも同じ長さになるらしい。


 女神大橋を越えると、右手には髙鉾島たかほこしまが見えてきた。

 この島はキリシタンが潜伏し、殉教したと記録されている。また長崎港の入り口に当たるため、多くの砲台が設置された、いわゆる〔台場〕であることでも知られる。現在は無人島だが、長崎の歴史には欠かせない地であると言う。

 髙鉾島の奥には、聖母マリア像や、教会が島を見守るように建っていた。それぞれ、岬のマリア像とカトリック神ノ島(かみのしま)教会である。

 岬のマリア像はザビエル渡来400年を記念して建立、現在建っているのは2代目の像で、4.7mある。また、カトリック神ノ島教会は、江戸時代潜伏していた神ノ島の隠れキリシタンを、晴れて復帰させるために建立されたと伝わる。長崎港に入出港する際のシンボルにもなっているらしい。


 髙鉾島を過ぎると、いよいよ外洋へと出る。

 外洋に出ると、大抵大荒れになることが多く、軍艦島に接岸することが困難になることが多いらしいのだが、船長曰く、今日はギリギリまで判断が難しいそうだ。


 沖ノ島(おきのしま)を迂回し、高島たかしま中ノ島(なかのしま)を横目に通過すると、いよいよ軍艦島が視界に入ってくる。


 船長のゴーサインが出たので、いよいよ上陸となった。

 乗船客は2階客と1階客でグループ分けされ、それぞれ見学順路を分けられた。

見学広場は第一から第三まであり、1階グループは第二から、2階グループは第一から見学が始まった。

 二人は2階席に座ったので、第一見学広場からのスタートである。


 ガイドさんの後ろについて、整備された見学通路を歩いて行く。見学通路はしっかりしたコンクリート敷きだったが、一歩外れると瓦礫の山で、見るからに歩くのが危険であることが分かる。


 第一見学広場は工場跡地を見ることができる。ここは島の東側にあたり、この後行く第二見学広場から見る工場地区と合わせて、比較的波が穏やかだった東側に配置をすることで、自然の驚異をできるだけ排除し、安全に作業できるようにしたと言われているらしい。


 ここでは、軍艦島の歴史について説明があった。

 軍艦島の正式名称は端島はしまで、この名前がいつの頃から使われていたのかは定かではないが、〔正保しょうほう国絵図〕には「はしの島」、〔元禄げんろく国絵図〕には〔端島〕と記されているそうで、正保は1644年から1648年、元禄は1688年から1704年であることを考えると、江戸時代初期にはこの名前が使われていたと言うことになる。


 この端島が石炭の島となるのは、1810年に発見されたことに端を発すると言われているが、実はこの説も定説ではなく、それよりも以前から露出炭を採炭していたと主張する人々がいるそうだ。

 その後明治期に第一縦坑が完成し、本格的な採炭が始まった。1890年に三菱が10万円で譲り受けると、第二、第三の縦坑を掘り、採炭量は急激に上昇した。

 元々は目の前にある岩礁だけの小さな島だったのが、その後埋め立てが進み、元の三倍の大きさにまでなったそうだ。

 この島から採れた上質な石炭は製鉄には欠かせないものとなり、明治、大正、昭和の日本を支えてきたと言っても過言ではない。


 見学広場から奥を見ると、そこには、1000人の子供が通っていた端島小中学校があった。ここにはナイター設備のあるグランドがあったそうだ。その隣には島で一番多くの人が暮らしていたと言われている65号棟もあった。

 手前にはベルトコンベアの跡があり、ここが採炭で成り立っていた島であることを、まざまざと見せつけられる。


「なんか、思ったよりすげぇな。景色とかはテレビとかネットでは見てたけど、受ける印象は全然違うし、この潮のにおいと、瓦礫から発する独特なにおいが混じって、嗅ぎ慣れないにおいになってるなんて、思いもよらないしさ。」

 駅夫があたりを見渡しながら、そんなことを言う。

「確かに、このにおいは、ここに来ないと嗅げないからな。やっぱり来られて良かったよ。延泊許してくれてありがとうな。」

 羅針が殊勝にも礼を言う。

「気にするな。俺もこうして楽しんでるんだから。ってか、お前今日も熱あるだろ。」

 駅夫が羅針の額に手を当てようとするが、羅針がそれを払いのけて、移動を始めたガイドさんの後に付いていく。

「ほら、行くぞ。」

「へ~い。」

 駅夫もふざけた返事で付いていく。


 次に訪れたのは、第二見学広場だ。

 ここから見えるのは赤煉瓦の倉庫と、総合事務所、そして第二縦坑抗口桟橋である。この桟橋の裏側に縦坑があり、ここから東京スカイツリーとほぼ同じ高さである600m程の地下へ90秒で下る。鉱員の中にはこのスピードに絶えられず、失神する者もいたのだとか。剥き出しのエレベーターを降りたら、そこからトロッコで2.5㎞下り、更に400m程歩いて、漸く採炭現場に到着すると、そこは地下1000m以上、温度30度以上、湿度95%の過酷な現場だったそうで、その過酷さは計り知れない。


 後ろを振り返ると、天川あまかわ工法で作られた護岸が見られる。

 この天川工法の護岸を始め、レンガ造りの建物など、明治期に造られた建造物が世界遺産の構成要素となる。

 この護岸も、もちろん明治期に伝統的な石組みで建造され、その後何度もコンクリートで補強されて使われていた。

 天川工法とは、いわゆる水硬性凝結材である天川漆喰、赤土や石灰、海藻などを混ぜたものを接着剤代わりに使用する工法で、日本古来よりおこなわれているらしい。

 それが100年経っても、こうして荒波にも負けずに残っているのだから、凄いことである。ただ、これが次の100年も残るかというと微妙で、保全が難しいそうだ。


 やはり、どこを見ても建物の崩壊が酷く、廃墟の島であることは明らかで、この文明の粋を集めた建築物が、徐々に自然に返ろうとしている、その過程を見せつけられているようだ。


「これが、いずれ自然へと帰るんだろ。自然の力って本当にすげえよな。」

 駅夫が感心したように言う。

「確かにな。風化と言うこともそうだけど、地殻変動も考慮したら、あと1億年もすればもしかしたらこの端島もプレートの底に引き摺り込まれて、跡形もなくなる可能性だってあるんだからな。」

 羅針がそんなことを言う。

「そんなことになったら、日本自体もなくなってるだろ。人類もどうなっていることやら。」

 駅夫が羅針の妄想に、呆れたように応える。

「今の日本ができたのだって、約2万年前なんだぜ、1億年なんて経ったら、そんなことになっててもおかしくはないだろ。」

 羅針にまともに切り替えされ、駅夫はぐうの音も出なかった。

「まったく、お前にはかなわねぇよ。」

 駅夫はそう言って呆れた。


 第三見学広場に移動して来ると、ここからは当時の居住区を見ることができる。

 有名な30号棟もここから見ることができた。30号棟は1916年に建築された最初の高層アパートで、この30号棟を皮切りに次々と高層アパートが建築されていった。

 高層アパートには、売店や保育園、警察派出所、郵便局、理美容室など生活に必要なものはすべてあり、外に出ることなく生活できたと言われている。

 仕事は過酷だったが、日常生活は高水準だったようだ。

 テレビの普及も早く、本土では10%に満たない普及率だった時代、島内では100%に達していたという。

 商業娯楽施設も充実し、映画館、パチンコ屋、ビリヤード場、卓球場、雀荘などもあったらしい。もちろん夜の盛り場も充実していて、スナックや遊郭もあったと言う。


「こんな狭い島で過ごしてたら、そりゃ娯楽も充実するよな。」

 駅夫がガイドさんの説明に納得したように言う。

「俺なら、ネットさえありゃそれで良いんだけどな。」

 羅針が冗談半分で言う。

「嘘つけ、スナックと遊郭は外せないくせに。」

 駅夫が煽る。

「まあ、お前ほどじゃないけどな。」

 羅針が言い返し、二人して笑う。


 こうして、軍艦島での見学は終了し、船へと戻ることになった。

 船の席は早い者勝ちである、再度2階席をゲットするためには、いち早く船に戻る必要がある。

 しかし、いつもは2階席グループが不利なんだそうだ。最後の見学場所が、1階席グループが第一見学広場、2階席グループが第三見学広場となるため、大抵は距離の近い1階席グループが先に戻り、行きと帰りで入れ替わることが多いらしいのだ。

 ところが、今回1階席グループの集まりが悪く、なかなか見学行程を進めなかったため、2階席グループがそのまま帰りも2階席に陣取ることができた。

 二人は来た時と同じ場所に座ることができ、来た時とは反対側を見ることができた。


「ラッキーだったな。」

 駅夫が嬉しそうに言う。

「まあな。でも、こっちはほとんど何もないらしいぞ。」

 羅針が水を差す。

「それでも良いんだよ。景色が違うのが良いんだから。」

 駅夫は気にもせず、そう応える。


 長崎港に入るまでは、確かに何もなかった。しかし、長崎の街や、海にまで迫り来る山々の美しい景色を堪能した。見所は充分にあった。

 長崎港に入ると、昨日廻った大浦天主堂やグラバー園などの建物が遠くに見え隠れし、やがて港に着岸した。

 こうして、待望だった軍艦島上陸を果たした二人のクルーズが無事終了した。


 二人の心に去来していたものは、歴史を支えてきた民衆の日常が、確かにあの島にあり、それが時代の流れとともに放棄され、今まさに自然へと返ろうとしている、その静かなる変遷が与える深い感銘であり、島の沈黙が語る過去への敬意であった。

 かつての喧騒が消え去り、今はただ風の囁きと波の音だけが、時間の経過とともに色褪せ瓦礫となっていく建物に、いま新たな物語を刻み込んでいる様は、悲しくもあり、寂しくもあった。




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