拾陸之廿弐
秋の花の名を冠した酒蔵を見学し、お土産物屋でまたしても酒を買い漁った旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、利き酒も体験し、少し微酔い気分で記念館を後にした。
雨は相変わらずで、強くはならないが、弱くもならず、シトシトと降り続いていた。
次は鳥の名を冠した酒蔵へと向けて、足を運ぶ。
「なあ、そろそろ腹減らないか。」
駅夫が言う。時計を見ると既に12時を回っていた。
「そうだな。どっか食べるとこでもあれば……って、この先に喫茶店があるだけだな。そこにするか。平櫻さんはどうですか。」
羅針がスマホで確認し、そう言った後、平櫻に確認する。
「はい、その喫茶店にしましょう。お腹空きました。」
平櫻はそう言ってお腹を押さえる。
「やばいぞ、今度は喫茶店が倒産の危機だ。」
駅夫がまたからかってる。
「だから大丈夫ですって、半分だけにしておきますから。」
と言いつつ、平櫻は拳を上げて駅夫をぶつ振りをした。
「暴力反対。」
駅夫はそう言って笑いながら逃げた。
「もう。逃げられちゃいました。」
平櫻が残念そうに羅針に言う。
「後で、しっかり拳骨入れておきましょう。」
羅針もそう言って笑う。
「はい。」
平櫻も頷いて笑う。
程なくして三人は喫茶店に着いた。
住宅街の中に突然その喫茶店は現れた。よく目立つ深い緑色のビニール生地のようなひさしは、長年の風雨に耐えてきた証のように、どこか煤けて見える。そこには、白い文字で〔喫茶&軽食〕とあり、その横には飄々とした響きの店名が書かれていた。
壁は赤いレンガタイルで埋められ、レトロ感のある古い洋館のような雰囲気を醸し出していた。
建物の前には自転車が三台程止められ、設置された大きな空調の室外機からはもわっとした空気が吐き出されていて。完全にその素敵な雰囲気をぶち壊していたが、それも含めて、この喫茶店のレトロ感という景色であり、日常との橋渡しをしているようだった。
重厚な入り口を開けると、リンロンと、少し涼やかだが、少し湿気を感じるようなドアベルの音が店内に響いた。
店内は然程広くはないが、それでもテーブルが五席設けられ、これまで多くの人々の胃袋を満足させてきた矜恃を感じさせた。
テレビからは昼のバラエティ番組が流され、タレントたちの笑い声が響き、マスターがカウンターの裏で調理する音がそれを掻き消そうとしていた。
席は8割方埋まっていたが、まるで恵方巻きを頬張る人々のように、縁起でも担いでいるのかと思う程、皆黙々と食事をしていた。
「いらっしゃいませ。」
正面のカウンターからマスターとアルバイトだろうか女性が声を掛けてきた。
三人が開いている席に座ると、女性がお冷やとおしぼりを持って現れた。
三人が座った席は、懐かしさのある麻雀ゲームが出来るテーブルで、稼働はしていなかったが、操作ボタンのレトロ感に懐かしさを覚えた。
「お勧めはありますか。」
駅夫が尋ねると、
「全部お勧めやから。」
そう言って女性は笑う。
笑いながら彼女が進めてくれたのは、じっくり作り上げたデミグラスソースがかかったハンバーグ、花椒をピリリと聞かせた揚げ物、厳選したスパイスをじっくりと煮込んだカレーライスと、確かにどれもこれもすべてがお勧めと言うだけあって、こだわりを感じられた。
中でもA、B、Cと三種類用意されたランチセットで、多少お得なのだという。
三人は少し悩んだが、駅夫はカツカレーに唐揚げをトッピング、羅針はハンバーグにチキン照り焼きをトッピング、平櫻はBランチにきまぐれ丼を頼んだ。
「少々お待ちください。」
そう言って女性はマスターに注文を通した。
彼女は忙しそうに立ち回っていた。出来上がった料理を運び、食べ終わった客の会計をして、テーブルを片付け、入ってくる客の注文を取る。
カウンターの奥ではマスターは黙々と料理を作っていた。
客が入ってきた時と、出て行く時だけ、顔を上げて声を掛けるが、その他は黙々と作業を続けていた。
「忙しそうだな。」
駅夫が声を潜めて言う。
「そうだな。繁盛してるんだろうな。」
羅針が頷く。
「見てるだけで美味しそうですからね、きっと人気店なんですよ。」
平櫻もそう言って頷いた。
壁に貼られたメニューは豊富で、飽きの来ないようなラインナップになっていた。それに、コーヒーがホットで100円、アイスでも130円とリーズナブルな値段で付いてくるのが、人気の秘密かも知れない。
程なくして、料理が届いた。最初に届いたのは駅夫が頼んだカツカレーに唐揚げトッピングだ。
注文を受けてから揚げたカツと唐揚げは熱々で、駅夫が一口囓るとサクッと言う音が二人にも届いた。
駅夫は言葉もなく、頷きながら食べ進めていた。
次に届いたのは羅針のハンバーグとトッピングした照り焼きチキンだ。ワンプレートにハンパーグと照り焼きチキンが載った絵面は、破壊力があった。
いただきますをして、羅針が最初にハンバーグへ箸を通すと、デミグラスソースの深い味わいと甘み、それに旨味たっぷりの肉汁がじわりと口の中に広がった。
「これは美味い。」
羅針もそう言うと、黙々と食べ進めていった。
最後に届いたのは、平櫻が注文したBランチときまぐれ丼だ。
Bランチは生姜焼き、魚フライ、ミンチカツの三種盛りで、きまぐれ丼は豚肉と鶏肉を炒め甘辛く味付けしたものに玉子と海苔が載っていた。
平櫻はいつものようにカメラで動画を撮りながら食レポをしていく。
「まずは見た目のインパクトが凄いですね。三種類の料理が載ったこのプレートのインパクトは、破壊力抜群です。
でも、味は良いですよ。この生姜焼きはたっぷりと生姜が利いていますし、魚フライも白身の淡泊さが、生姜焼きの味を引き立ててくれますし、ミンチカツも少し甘めのソースがたっぷりかかっていて、これがまたとっても後を引く味で、ご飯が進みます。
それと、このきまぐれ丼。豚と鳥が甘辛く炒められているのですが、上に載った玉子と海苔がマイルドにしてくれて、とっても美味しいんですよ。これだけでも充分だと思いますが、これに魚フライを載せても美味しいでしょうし、何かトッピングしても相乗効果が出ると思います。」
駅夫と羅針がボリュームの多さに少し苦戦する中を、平櫻は熟々と食レポをしながら食べ進め、見る見るうちに皿の上のものが消えていった。
「相変わらず良い食べっぷりだな。」
毎食彼女の食べっぷりを見ているにもかかわらず、駅夫は感心したように言う。
「お店の食材は食べ尽くしませんからね。」
平櫻はそう言って口を尖らかせながらも、料理を食べ進めていた。口を動かさず手を動かせとは良く言うが、彼女は口を動かしながらも、口を動かしていた。
たらふく食べた三人は、食後のコーヒーを堪能していた。
少し酸味の利いた、良いブレンドコーヒーだ。
駅夫と羅針は腹一杯でお腹を擦っていたが、平櫻はまだ余裕があるのか、更に何か食べたそうに、メニューを見ていた。
「本当に美味しかったな。」
駅夫が満足そうに言ってコーヒーカップを置く。
「ああ。満足すぎる程満足した。」
羅針もそう言って、コーヒーを口に運ぶ。
「とても美味しかったです。こんな場所にこんなお店があるなんて、穴場ですよね。」
平櫻も満足そうに言って、コーヒーを飲んだ。
13時を回って少し落ち着いた店内で、三人は心ゆくまでコーヒーを堪能した後、会計を済ませて、ごちそうさまと挨拶をして店を出ると、漸く雨は止んでいた。
三人は鳥の名が付いた酒蔵へと向けて、歩き始めたのだった。




