拾陸之拾肆
新大阪駅から快速列車で到着した住吉駅はシトシトと雨が降っていて、湿気を含んだ空気に纏わり付かれた旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は顔を顰めたが、そんな嫌な気分を振り払おうと、いつものように、ホーム上で思い思いに動画や写真を撮り始めた。
日没の時間を迎えようとしているのか、辺りは徐々に暗くなり始め、街灯の明かりが点いていた。
住吉駅は2面4線の橋上駅で、ここから神戸新交通六甲アイランド線が出ている乗換駅である。
1874年に開業したこの住吉駅は、1990年に六甲アイランド線が開業し乗換駅となる。現在一日当たりの乗車人員が、JR、新交通併せて四万人以上を推移する中規模駅である。
三人が乗ってきた快速列車からも多くの人が降り、普通列車に乗り換えるためかそのままホームで待つ人もいた。
ホームで動画や写真を撮り終えた三人は、階段上の改札口へと向かった。
コンコースの壁にはあちこちに〔六甲アイランドへは改札出て左すぐ乗換え〕とあり、余程聞かれることが多いのか、これでもかと言わんばかりに案内されていた。
その案内どおり、三人はJRの改札口を抜け左へ向かうと、確かにすぐ六甲アイランド線の改札口があった。
六甲アイランド線はICカードでも乗車できたが、平櫻が記念に切符を買いたいというので、券売機で三人は切符を購入したが、その切符は使わず、結局スマホのICカードで改札を抜けた。
なぜなら、南魚崎駅が無人駅であるため、切符で乗ってしまうと自動改札機に回収されてしまうからだ。
階段を上がりホームへ出ると、天井まで完全密封された、フルハイトタイプのホームドアが設置されたホームが現れた。新交通システムでは、乗務員や駅員が少なく、無人である場合も多いため、人身事故を防ぐために良く採用されているようだが、この六甲アイランド線も同様に、ガラス張りの箱のようなホームになっていた。
三人はもちろん、写真や動画にその様子を収めていく。
神戸新交通六甲アイランド線は、1990年2月21日に開業した、自動案内軌条式旅客輸送システム (AGT) 路線である。全長4.5㎞、駅数6駅で、全線が神戸市東灘区で完結する、短距離営業の路線である。
最高速度は62.5㎞/h、住吉駅とマリンパーク駅間をおよそ10分で結ぶ。
将来は、現在埋め立て工事中の六甲アイランド南まで延伸する計画もあり、今後の発展が楽しみな路線でもある。
停車中の車両は3000型の4両編成で、グリーンの車体が鮮やかである。このグリーンはガス灯をイメージした緑青で、船舶をイメージした形状の車体はアルミ合金で出来ている。
「平櫻さん、この車体はエンツォフェラーリやE6系新幹線のデザインも手掛けた奥山清行さんがデザインしたんですよ。」
羅針が平櫻に言う。
「本当ですか、E6って秋田新幹線こまちの車両ですよね、それは凄いですね。この車両もデザインが洗練されてますもんね。」
平櫻が感心したように、ガラスの向こうにある車両をまざまざと眺め、動画に収める。
「なあ、羅針、エンツォフェラーリと言えば、創業者の名を冠した限定車だよな。確かフェラーリの創業記念かなんかで発表した車だったと思うけど。」
駅夫が記憶が曖昧ながらも、そう言って羅針に確認する。
「そうだな。創業55周年の記念にフェラーリの創業者エンツォ・フェラーリ氏の名を冠した車として、大々的に発表されてたな。確か2002年だったか。……ほら、そうだ。21世紀初の限定生産車って書いてある。」
羅針が、さっとスマホで検索して確認する。
「だよな。それを、日本人がデザインしてたとは驚きだな。その人、すげぇんだな。」
駅夫はこまちやこの車両よりも、フェラーリのデザインをしたことに感心したようだ。
「ああ、奥山清行さんな。世界ではKen Okuyamaの名前で活動してるみたいだけどね。ちなみに、山形の出身らしいよ。」
羅針が補足する。
そんな話をしていたら、発車のベルが鳴り始めたので、三人は慌てて列車に乗り込んだ。
まだまだ帰宅ラッシュなのか、車内は混み合っていて、立ち客もかなりいたが、JRの快速列車のように寿司詰め状態ではなく、程良い混み具合だった。
車両は無人運転で、車内には運転手も車掌もいなかった。
列車が走り出すと、ゴムタイヤのためか、線路の継ぎ目でガタンとなる以外は、比較的静かな乗り心地である。
すると、走り始めてすぐに、突然窓ガラスが曇りガラスになった。
「何、何、どういうこと。」
駅夫が驚いて、窓ガラスをまじまじと見ている。曇りガラスになったのは座席がある部分で、正面やドアの部分はなっていなかった。
「これは、沿線のマンションに配慮した仕組みで、ガラスの中に特殊ポリマーの液晶が仕込まれていて、電圧を掛けると真っ白になる仕組みなんだよ。」
羅針が説明する。
「なるほど。要は電気流すと白くなるってことか。」
駅夫は細かいことを理解するのを放棄した。
「まあ、そういうこと。」
羅針はいつものことと、説明し直すことはしなかった。
「でも、これ、30年も前の技術なんですよね。ホント凄いですよね。」
今度は平櫻が感心したように言う。
「そうですね。1990年の開業当時から使ってる技術ですから、既に34年経ってますね。この3000型は2018年から導入が始まったので、多少の改良はされていると思いますけど。基本技術は同じだと思いますよ。」
平櫻が興味を持ってくれたことで、羅針は少し嬉しそうに得意気に応える。
「そうなんですね。でも、プライベートに配慮するなら、他の鉄道会社で導入されても良いと思うんですけど、どうして広まらなかったんですかね。」
平櫻が更に質問をした。
「一つは、コストの問題でしょうね。当然、普通のガラスより高価になりますから、車体価格が跳ね上がります。
もう一つは、曇りにする場所の選定が難しいというのもあるでしょうね。線路に近いと言っても、その距離は様々です、道路を挟んだら曇りにしないのかとか、何メートル離れたら曇りにしないとか、そういった基準をもうけるのか、それとも、個別に沿線住民と話し合って決めていくのか。そういう面でも手間とコストが莫大になります。
他にも様々な要因が考えられますが、導入に踏み切れない、いや踏み切らない企業は多いんじゃないでしょうか。」
羅針が私見を交えて答える。
「なるほど。やはりコスト面が大きなネックなんですね。1990年と言えばバブル真っ只中ですもんね。コストなんて気にせず導入出来たのは、この路線の強みでしょうね。」
平櫻が納得したように言う。
「でもさ、こんなのあちこちで導入されたら、せっかくの景色が見られなくて困るじゃん。」
駅夫が口を挟む。
「お前みたいなヤツにとっては、無用の長物だろうな。」羅針が一頻り笑い、続ける。「でも、お前みたいなヤツに見られたくないって、沿線住民の気持ちも考えておけよ。」
「でもよ、見られたくないなら、こんなところに引っ越してこなければ良いし、目隠しするなり、なんなり、自分たちで対策すれば良いだけの話じゃねぇのかよ。」
駅夫が言う。
「それは、そうなんだけど、元々ここに住んでいた人にとっては迷惑な話だし、対策するって言ったって、タダじゃないからな。ましてや、彼らが高層マンションに住んでるのは、景色を楽しみたいという一面もあるからな。目隠しをしろって言うことは、彼らからその景色を奪うことになると思うぞ。
お前が景色を見られなくて憤るように、沿線住民だって景色が見られずに憤っている可能性だってある。」
羅針が理詰めで駅夫に言う。
「それはそうなんだけどよ。……分かったよ。お前には敵わない。降参、降参。」
駅夫はまだ何か言いたそうだったが、結局何も言い返せず、白旗を揚げた。
列車は、空中散歩のようにマンションが建ち並ぶ住宅街を抜け、阪神電鉄との乗換駅である魚崎駅を過ぎ、窓ガラスが白くなる度に悔しそうにする駅夫とともに、三人を乗せた列車は、目的地である南魚崎駅に到着した。
駅はまるで運河の上にあるような感じで、ホームから見ると、真下に運河が流れているように見えた。
この南魚崎駅は1990年、六甲アイランド線開業と共に開業した駅で、副駅名に酒蔵の道とある。1面2線の島式ホームの高架駅で、無人駅でもある。1日平均乗車人員は800人から900人を推移しており、人数的にはローカル駅といった感じである。
「とうちゃ~く。」
そう言って、駅夫はドアが開くと、小さくジャンプして列車から飛び降りた。
「着いたな。」
「着きましたね。」
「なんか、漸くって感じじゃね。」
駅夫が言う。
「JRが混んでたから、余計そう感じるのかもな。」
羅針が応える。
「皆さん毎日あれに乗られてるんですよね。本当に大変ですよね。」
どこか他人事ながらも、平櫻はそう言って同情する。
「まあね。でも、昔に比べたら空いた方だよ。関内でも言ったけどさ。」
会社に行くために毎日通勤ラッシュに遭遇している駅夫が実感を込めて言う。
「それは、大変ですね。」
平櫻はそう言うが、やはりどこか他人事である。しかし、平櫻はこれまでほとんど通勤ラッシュというものを経験したことがないのだから、他人事になるのも当然である。
三人は、ホームに降りると、早速駅名標をバックに記念撮影を始めた。この駅はルーレット旅を始めて既に16駅目で、記念撮影は手慣れたものだ。一人一人順番に撮影し、最後に三人一緒に駅夫と平櫻の自撮りで終わる。
更に、駅を見て廻ろうとしたが、ホームドアで完全に密閉されたガラス張りの箱のようなホームからは、景色がガラスの向こうで、既に陽も落ちた街は暗く、雨が降っているためか、街灯以外は何も見えず、また、ホーム自体も、ベンチがあるだけの、特に特徴がある訳ではない、どこにでもあるような新交通システム式のホームである。三人が写真や動画に収めるのに然程時間は掛からなかった。
「そろそろ、一旦駅を出ましょうか。」
羅針が平櫻に声を掛ける。
「はい。」
動画にナレーションを吹き込んでいた平櫻が、一段落つくのを待って、羅針が声を掛ける。
三人は階段を降り、自動改札機をICカードで抜け、一階まで降りると、駅舎から表に出てきた。
すると、雨の匂いに混じって潮の香りが鼻を突く。暗くて今はよく見えないが、すぐ下を流れる運河の向こうには、六甲アイランド、そして神戸港が広がるのだ。時折、船の汽笛も聞こえてくる。
雨足は然程強くはなかったが、傘を差さなければびしょ濡れになってしまう程には降っていた。三人はバッグから折り畳み傘を取り出した。
駅前には自転車が無造作に並べられていて、駅舎の軒先とは言え、吹き込む雨に濡れていた。
三人は駅名が書いてある入り口の前で、記念撮影をしてから、傘を差して駅舎の外観を撮影し、記念撮影をする。
撮影を終えて、再び駅舎内に戻ってきた三人は、傘に着いた雨粒を払い、傘を折りたたんで、再びホームへと上がる。
南魚崎駅の近辺には一軒だけホテルがあったが、そこは一人では利用出来ない、ムード照明と設備の研究に勤しんだ愛を育むためのホテルで、男二人でチェックインするのは憚られるし、部屋を別にするとは言っても、流石に平櫻と一緒にチェックインするのは、世間体も悪いし、平櫻自身も嫌だろうと思ったので、この先にあるアイランドセンター駅傍にあるホテルへと向かうことにしたのだ。
再びホームに上がってきた三人は、マリンパーク行きの列車を待った。
「明日も雨なのかな。」
列車を待つ間、駅夫がぽつりと呟く。
「ああ、明日も予報は雨だな。」
羅針が答える。
「そうか。また雨か。」駅夫が残念そうに言うが、平櫻が何か言いたそうにしたのを見て、「……分かってるよ。雨も楽しめって言うんだろ。そうは言ってもなぁ。」
そう言って、駅夫は平櫻にも言うが、どうも嫌なものは嫌なようだ。
今度到着した車両は1000型で開業当時から走っている車両である。
古い車両ではあるが、そのデザインといい、車体の設備といい、30年も使われているとは思えない、古さを感じさせない車両である。
三人はドアが開くと乗り込んだ。車内は帰宅ラッシュのピークを過ぎたのか、乗客は満遍なく乗っていたが、混み合っているという程ではなく、座席に空きも見られた。
列車は運河を越えて、六甲アイランドへと向けて、降りしきる雨の中をゆっくりと走り出した。




