拾陸之拾弐
旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、東京駅の人混みを掻き分けて新幹線ホームへと向かっていた。
時刻は15時を回っているが、金曜日ということもあるのか、平日のこの時間にもかかわらず、なぜか行き交う人は思ったよりも多かった。
三人は八重洲中央南口の東海道山陽新幹線のりばの改札を抜け、18番ホームへと向かう。
東京駅の雑踏も、いつの間にか見慣れた風景の一部になっていた。かつて迷いながら、構内の案内表示を一つ一つ確認しながら歩いたこのコンコースも、今では雑談をしながらでも、迷わず目的のホームに向かうことが出来る。
「平櫻さんは、十河信二さんって知ってますか。」
羅針がホームに上がるエスカレーターで平櫻に聞く。
「はい。元国鉄総裁で、新幹線の父と呼ばれている、新幹線導入に尽力した方ですよね。」
平櫻が当然のように答える。
「やっぱり知ってるんだ。すごいな。」
駅夫が前から口を挟む。
「それじゃ、18、19番ホームに彼の記念碑があることも、知ってますか。」
羅針が続けて聞く。
「はい。もちろん知ってます。レリーフがあるんですよね。何度か見に行きました。」
平櫻はそう言って頷く。
「そうですか。」
羅針が少し残念そうに言う。
「残念だったな。自慢出来なくて。」
駅夫がそう言って笑う。
「別に自慢したくて言った訳じゃないし。」
羅針はそう言って平櫻に向けていた視線を前に戻した。
「えっ、知らない振りした方が良かったですか。」
平櫻が気を遣ったように言う。
「良いんだよ、気にしなくて。たまには、知識で応酬してやって。俺じゃ太刀打ち出来ないから。」
駅夫が平櫻にそう言って自虐的に笑う。
「その覚悟があるなら、新幹線の中で、クイズ三昧と行くか。」
羅針が悔し紛れにそんなことを言い出す。
「勘弁してくれよ。それは。」
駅夫が拒否権を発動する。
「私は良いですよ。星路さんのクイズ楽しいですし。」
平櫻はむしろ歓迎の意を示す。
「マジか。勘弁してくれよ。俺は寝るからな。」
駅夫はそう言って、試合放棄を宣言する。
「なんだよ、つまんねぇヤツだな。」
羅針はそう言いながらも笑っていた。
エスカレーターを降りた三人は、自由席がある先頭車両の乗車口へと向かう。
列に並ぶ前に、売店でビールとおつまみ、それに固いと評判の例のカップアイスを手に入れた。
「そういえば、このルーレット旅を始めた初日にも、買ったなこのアイス。」
駅夫が一ヶ月前の話を懐かしそうに言う。
「あれから一ヶ月か。長かったような、短かったような……。」
羅針もそう言って、この一ヶ月のルーレット旅を振り返っていた。
「お二人の旅は、ここから始まったんですね。」
平櫻はホームの様子を動画に撮りながら、言う。
「そうだね、あの頃は若かったな。」
駅夫が冗談で言う。
「ああ、一ヶ月程な。」
羅針がサクッと突っ込んだ。
三人はそんな冗談を言い合いながら、乗車目標に延びている待機列に並んだ。
既にホームに停車しているN700Sは、車内清掃中であった。
エージェントのようなピンクの清掃員たちが社内清掃を終え、一礼して去って行くと、いよいよ乗車である。
乗客たちは、我先にと乗り込む人は誰もおらず、順序よく車内へと吸い込まれていく。
幸い、三人掛けのA席側を確保出来た三人は、荷物を下ろすと、窓側を平櫻、真ん中を駅夫、通路側に羅針が座った。
「溶けないうちに食べようぜ。」
座るや否や駅夫がカップアイスを取り出して食べ始めようとしていた。
「気が早いな。」
羅針はそう言いながら、荷物の中からタブレットを取りだし、読書の準備をしていた。
そして、平櫻はと目を遣ると、既にカップアイスとビール、おつまみをテーブルに並べ終わり、臨戦態勢だった。
「早っ。」
駅夫が、既に臨戦態勢の平櫻を見て、思わず声を上げる。
「はい。それじゃ、乾杯しましょ。」
平櫻が缶ビールを掲げ、二人に乾杯を促す。
二人は慌てて、缶ビールの蓋を開け、三人で乾杯をする。
その時、列車は漸く滑り出すように、東京駅を出発した。窓の外ではビル群がゆっくりと後方へ流れ出していた。
ビールを一口飲み終えた三人は、早速カップアイスとの格闘を始める。
「これいつも思うんですけど、固いですよね。」
平櫻が、スプーンを折りそうな勢いで、一所懸命に突き立てていた。
「ホント、そのとおりだよな。」
そう言って、駅夫も一所懸命スプーンを突き立てようとしていた。
「まあ、それが売りのアイスだからね。」
そう言う羅針は、アイスをそのままに、タブレットで小説を読み始めていた。
「おっ、戦闘放棄してるヤツがいるぞ。敵前逃亡か。」
それを見て駅夫が平櫻に報告する。
「あっ、私たちの戦況を見て、漁夫の利するつもりですね。ズルいです。」
平櫻が駅夫に乗って羅針を詰る。
「ズルいよな。」
駅夫も平櫻の言葉に乗っかる。
「ズルいも何も、戦況を見極めることこそ、真の戦略家というものだよ。戦に勝つにはまずは大局を見なくてはね。」
そう言って、羅針はどこ吹く風である。
「マジかよ。平櫻さん我々雑兵は地道に頑張ろうぜ。ああいう大将面したヤツは味方に後ろから刺されれば良いんだよ。」
駅夫がそう言って、再びアイスと格闘を始める。
「ですよね。星路さん、背中気を付けてくださいね。」
平櫻もそう言って、再びアイスと格闘を始めた。
「おいおい、二人とも冷たいな。」
羅針がそう言うと、
「アイスだけにな。」
駅夫が間髪入れずに切り返す。
その一言で、三人は声を上げて笑った。しかし、周りが静かなことに気づき、慌てて声を抑え、気まずそうに三人で目を合わせて、肩を竦め、今度は声を抑えて笑った。
列車は順調に品川駅を過ぎ、新横浜駅へと向かって速度を上げていった。その頃には駅夫と平櫻のカップアイスは半分近くがなくなっていた。もちろん羅針もすでに参戦していた。三人はビールを飲みながらカップアイスとの格闘を続けていた。
列車は三島を過ぎ、富士山の絶景スポットに差し掛かっても、厚い雲に覆われた富士山は見ることが出来ず、それどころか、窓に雨粒が叩き付けられていた。
「都内で雨が降らなくて良かったですね。」
平櫻が窓の外の雨粒を眺めながら、二人に言う。
「だな。雨の景色も良いけど、やっぱり雨はこうやって室内から眺めるのが一番。」
駅夫が言う。
「そうだな。」
羅針は、読んでるタブレットから目を一瞬上げると、そう言って、再び小説の世界へと戻っていった。
「星路さんって何をあんなに熱心に読んでるんですか。」
気になって、平櫻は駅夫に小声で聞いた。
「あれ、ウェブ小説らしいよ。この前読んでいたのは、アニメにもなった転生物だったけど、今は何読んでるんだろうな。」
駅夫はそう言って答える。
「今は、ウェブ小説じゃなくて、電子書籍で、中国のSF小説だよ。」
そう言って、二人にタブレットの画面を見せる。そこには見慣れない漢字が羅列していた。
「原文で読んでいるんですか。すごいですね。」
平櫻が驚いたように言う。
「そうですね。翻訳書を買うより、原作を買った方が安いですし、どうせ読めるなら原作の方が良いですしね。」
羅針はこともなげに言う。
「そうなんですね。ちなみにどんな話なんですか。」
羅針は、平櫻に聞かれるまま、とある科学者が軍事基地にスカウトされ、人知を越えた怪現象と対峙するという話の題名と、今まで読んだところまでを掻い摘まんで語った。
中国ではベストセラーになり、日本でもじわりじわりと人気が出ている作品であると羅針は説明した。
「へえ、そうなんですね。今度読んでみます。ところで、そのタブレットって……。」
平櫻がそう言って、羅針が持っているタブレットを指す。
「ああ、これですね。新しく買ったタブレットですよ。お陰で良い買い物が出来ました。結構気に入ってるんですよ、使いやすいし、本を読む以外にも、色々と出来るんで、結構重宝してます。」
羅針は、嫌みでも何でもなく、気に入ったタブレットが平櫻のお陰で買えたことを、正直に喜んでいた。
「そうなんですね。あの時は本当に済みませんでした。でも、気に入ったものを購入いただけて本当に良かったです。」
平櫻は、申し訳なさそうにしながらも、星路が気に入ったものを購入出来たことに安堵した。そして、平櫻の前で躊躇なく使って貰えていることに、少なくとも蟠りがないことを証明しているようで、なんとも嬉しかった。
奇妙な形で始まった三人の関係だが、こうして羅針の持つタブレット同様、新たな絆として、関係を築き上げていることに、平櫻は嬉しく思っていた。
列車は、名古屋を過ぎ、間もなく京都へと滑り込もうとしていた。
このルーレット旅に一区切り付ける最後の目的地へと、三人を乗せた列車は順調に走っていたのだった。




