拾陸之拾壱
靖国神社の参拝をし、遊就館ででたっぷりと時間を使って見学をした旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、13時を回ってから、漸く靖国神社を後にした。
昼食を摂るためにとルーレットで決めた店は、東京駅の近くにあるこぢんまりとした洋食レストランで、ラストオーダーが13時30分となっていた。
三人は靖国神社の境内から出ると、靖国通りで流しのタクシーを拾い、店に直接向かって貰うようお願いした。
「ちょっとのんびりしすぎたな。」
タクシーが走り始めて少しすると、羅針が反省の意味を込めて呟いた。
「まあ、見応えあったからな。それに、お前が、あの分量の資料を流し見出来る訳ないからな。」
そう言って駅夫は笑う。
「でも、お陰で私は凄い勉強になりました。ありがとうございます。」
平櫻がフォローするように羅針に礼を言う。
「あっ、いえ、どういたしまして。」
羅針は突然の礼に、少し戸惑いつつも応える。
「それにしても、皇居の西側半分は歩けなかったな。」
駅夫がホッとしたように言う。そういえば、歩いたせいなのか、それともお陰なのか、昨日のアルコールはすっかり抜けて、二日酔いの自覚症状は微塵も感じていなかった。
「そういえば、酔いどれエッ君はどっか行ったか。もう半分も歩かせたかったのに。」
羅針がからかうように言うと、隣で平櫻がクスリと笑う。
「あっ、平櫻さんまで。ひでぇな。もう充分抜けたから、歩く必要なんてねぇよ。」
駅夫はそう二人を詰りつつも、笑っていた。
「まあ、皇居の西半分は、今度ということにしようぜ。今日の目的地はここじゃないんだし。」
羅針が笑いつつも、そう言う。
そんな話をしているうちに、タクシーは東京駅脇のガード下を潜り抜け、日本橋交差点を右折して、中央通りを南下する。
車窓の外は、相変わらず空がどんよりとして、今にも雨が落ちてきそうな雨模様だった。しかし、人々はそんなことを気にすることもなく、遅い昼休憩をしている人々や観光客が行き交っていた。
タクシーが京橋の交差点を左折したら、目的のレストランはすぐ近くである。幸いここまで道が混むこともなく、順調に走り抜け、およそ20分程で到着した。
駅夫がタクチケで支払いを済ませると、三人は店へと急いだ。
ラストオーダーまで10分を切っていたのだ。三人は小走りで店に駆け込み、席は空いているか店員に尋ねると、店は大分混み合っていたが、幸い席は空いており、オーダーも取ってくれるという。どうやらギリギリ滑り込むことが出来たようだ。
三人は、店員に礼を言い、案内された席に着く。
お冷やを持ってきた店員にお勧めを尋ねると、人気はポークジンジャーとハンバーグ、それにエビフライも良く出るのだとか。
となると、全部食べたくなるのが人情で、もちろんご多分に漏れず平櫻は三種類全部頼んだが、駅夫はハンバーグを、そして羅針がポークジンジャーを頼み、エビフライを二人でシェアすることにした。平櫻といると頼みすぎてしまう嫌いがあるが、二人は強靱な理性を以てセーブした。
「この店、結構人気店で、普段は行列でなかなか入れないらしいぞ。」
店員が注文を取って捌けると、羅針が言った。
「マジで。それじゃ、本当にラッキーだったな。」
駅夫が目を剥いて驚く。
「本当ですね。ラストオーダーにも間に合いましたし。良かったですね。」
平櫻もそう言ってニッコリと微笑んだ。
程なくして、料理が運ばれてきた。こういう店にしては提供までの時間が早いように感じた。
早速いただきますをして、それぞれの料理に手を付ける。
「美味い。」と駅夫。
「美味いな。」と羅針。
「美味しいです。」と平櫻。
三人が三人とも、一口目で唸るように言った。
「このハンバーグは肉汁がジューシーなのはもちろん、デミグラスソースの旨味が堪らないよ。これは美味すぎる。」
駅夫はハンバーグを頬張りながら言った。
「このポークジンジャーも美味いぞ。肉厚なのもポイント高いけど、この生姜のピリッとした味わいが絶妙で、肉に噛み応えがありながらも、この生姜のアクセントがあることで、その旨味が口の中に広がる感じが最高だよ。これは行列出来るのも頷けるな。」
羅針はポークジンジャーを頬張りながら言う。
「このエビフライも美味しいですよ。サクサクとした衣はもちろんですが、エビのプリプリとした食感も丁度良いですし、タルタルソースの酸味と良く合ってます。これは何本もいけそうですね。」
平櫻はエビフライを頬張りながら言う。
「平櫻さんダメだよ店のエビ全部食べちゃ。」
駅夫がもはや定番のようにからかう。
「全部は食べないですって。半分ぐらいにしておきますから。」
平櫻の返しも、もはや定番になりつつある。
そんなことを言い合い、三人は笑いながらも、それぞれの料理を口に運んでいく。
見る見るうちに、目の前の料理が三人の胃袋へと消えていった。
それでも、食事が終わったのは、もう間もなく昼営業が終了する時間間際だった。かなり混み合っていた店内は、数える程のお客しか残っておらず、三人は、来た時同様、慌てるように席を立ち、会計を済ませ、ギリギリに対応してくれたことに対する礼と、ごちそうさまを店員に言って、店を出た。
「なんか慌ただしかったけど、美味かったな。」
駅夫が言う。
「ああ。もっとゆっくり楽しみたかったけど、まあ、仕方ないな。機会があればまた来るか。」
羅針が言う。
「はい。また来たいですね。とても美味しかったです。」
三人は腹ごなしに10分強の距離をホテルまで歩いた。
中央通りは14時半を回っているにもかかわらず、人の往来はそこそこあり、観光客や外国人の姿も多く見られた。
空気は相変わらず湿気も多く、身体に纏わり付くように重かったが、雨模様の空はいまだに沈黙を守り、雨粒はまだその時を待っていた。
ホテルに着くと、預けてあった荷物を受け取った。
「すみません、年明け一月の予約って今から出来ますか。」
羅針がフロント係に確認する。
「はい。もちろん出来ますが。」
フロント係が応える。
「おい、マジで予約するのか。」
駅夫が慌てて聞く。
「するよ。一般参賀行くだろ。」
羅針が言う。
「そりゃ行くけど。今から予約するか、普通。」
駅夫が呆れたように言う。
「今から予約するだろう、普通。」
羅針は当然だ言わんばかりに応える。
「平櫻さんも、それでいいの。」
駅夫は、平櫻にも確認する。
「はい。今から予約しておけば間違いないですもんね。」
平櫻はそう言ってニッコリ笑う。
「マジかよ。平櫻さんもそっち側か。……分かったよ。で、いつからいつまで予約するんだ。」
駅夫が諦めたように羅針に聞く。
「俺たちは一日に一泊で良いだろ。平櫻さんはどうします。」
羅針はそう言って、平櫻にも確認する。
「私は、毎年家族で初日の出と初詣には出かけてるので、それを済ませてから来ます。だから、お二人と同じで一日から一泊で良いですよ。いや、やっぱり二泊にします。その方がゆっくり出来ると思いますし。」
平櫻はそう言った。
「分かりました。それじゃ、すみません。一月一日から一泊をツインで一部屋、それと同じく一日から二泊でシングルを一部屋、お願いします。」
平櫻の意向を確認した羅針は、フロント係にそう伝えると、係員はコンピュータに予約内容を登録し、予約者名と連絡先の確認をおこなった。
予約を済ませた三人は、フロント係に礼を言って、ホテルを出た。
「でもさ、このホテルで良かったのか。」
駅夫がまだ何か言いたげだ。
「なんだ、このホテル気に入らなかったのか。それなら、別のホテル予約し直すけど。今なら別にキャンセル料も取られないだろうし。」
羅針が言う。
「いや、そういう訳じゃないけど、平櫻さんも本当に良かったの?」
駅夫が羅針の言葉は否定しつつも、平櫻にも聞く。
「はい。私は全然かまいませんよ。もちろん、他のホテルでも良いですけど、ここ駅近で便利ですし、料金も手頃ですし、朝食も美味しかったし、言うことはないですよ。」
平櫻も頷いて、そう言う。
「そうか。それなら、俺が文句言う筋合いじゃないか。」
駅夫はまだ何か言いたそうだったが、結局諦めたように言う。
「何だよ、何か言いたいなら、言えよ。遠慮はなしだぜ。」
羅針が駅夫に聞く。
「良いって。文句もないし、言いたいこともないし、このホテルも良かったし、何にもないって。ただ、まだ半年もあるんだぜ、決めるの早くないかって話。」
駅夫がそう言って羅針を見る。本当は、事前に相談して欲しかっただけだが、そんなことは言えない。羅針の中では既に決定事項になっていることは、相談もなしに進めてしまうからだ。駅夫にとってはそれが頼もしくもあり、寂しくもあるのだが、それを言ってもしょうがないので、黙っている。
「まあ、早いは早いけど、でも、ギリギリになって予約取れないとかなったら困るだろ。俺たちは最悪始発で来ればどうにか間に合うし、車で来たってかまわないけど、平櫻さんはそういう訳にいかないだろ。ここなら皇居まで歩いて行ける距離だし、慌てる必要もないだろ。」
羅針が理詰めで答える。
「そうなんだけどさ、それはそうなんだけどさ、……まあ良いよ。単に早いなって思っただけだからさ。」
駅夫が煮え切らないように言う。
「なんだよ。煮え切らねぇな。」
羅針も駅夫が何に引っかかっているのか理解出来ず、頭を捻る。
「だから、何でもないって。ほら、この話は終わり。ほら、次の目的地に向けてレッツらゴー。」
駅夫はそう言って誤魔化すように羅針の背中を押す。
「分かった、分かったから、押すなって。」
羅針は身体を仰け反らせながら、駅夫を窘める。
三人は、そうして漸く人混みを掻き分けて、東京駅の中へと入っていった。




