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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾陸話 南魚崎駅 (兵庫県)
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拾陸之玖


 靖国神社の遊就館で展示物を見て廻っている旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、歴史観に対する談義で少し重くなってしまった空気を引き連れたまま、次の、日清戦争に関する展示室へと入っていった。


 ここからは、日本が経験した近代戦争としての対外戦争に関する展示であり、日本が帝国としてアジアに君臨した歴史が展示されていた。

 日露戦争に関しては映像資料が上映され、日清戦争後の状況や日露戦争開戦から日本海海戦までの戦況を見ることが出来た。

 展示室は、満州事変、招魂斎庭しょうこんさいてい、支那事変へと続いていく。映像資料のほか、遺品や資料を中心に展示されていた。


 二階の展示室をすべて見終わり、休憩所の椅子に座って、三人は一息ついていた。


「私は、本当に今まで自分が、ただ学校のテストのためや、自分の動画のためだけに上辺だけの歴史を見てきたんだなって、改めて感じました。こういう博物館や資料館は数多く見ましたし、感銘を受けたり、涙を流したり、何かしらを得てきましたし、その時に感じた感情は本物だったとは思います。

 ですが、お二人の歴史観に触れて、改めて見てみると、すべての資料、すべての解説、すべての展示品が意味を持っていて、私に語りかけてくるように感じました。

 如何に自分が上辺だけをなぞっていたのかを思い知らされた感じです。」

 平櫻が、冷房が効いているにもかかわらず、額に浮き上がった汗をハンカチで拭いながら言う。


「そんなに重く考える必要はないと思いますよ。平櫻さんの成長に繋がったというなら、それはそれで嬉しいですけど。」

 羅針は平櫻に考え過ぎないよう言う。

「でも、なんか、展示品から『私は正しいと思う?』って声が聞こえてくるような気がして……。」

 平櫻はそう言ってどこか疲れたような表情をしていた。


「平櫻さん、真面目に考えすぎ。羅針も平櫻さんに脅すようなこと言うからだぞ。」

 駅夫がそう言って平櫻を慰めつつも、羅針を諫める。

「平櫻さんごめんなさいね。別に脅すつもりで言ったんではなくて、私の歴史観を伝えたかっただけですから。平櫻さんがそれに習って、すべての歴史を知ろうとする必要は、別にないんですよ。

 一つ一つ検証する必要なんてないんですから。平櫻さんがこれって正しいのかな、どうなのかなって感じたものに対して、自分なりに答えを出せば良いんですよ。答案用紙の正誤判定みたいに、一から十まで全部する必要はまったくないですからね。」

 羅針がそう言って、平櫻に謝る。


「そうそう。こいつの言うことは極端だからね。話半分で良いんだから。半分でも多いぐらい。十分の一位で充分だからさ。」

 駅夫がそう言って笑う。

「ひでぇな。まあ、何も言い返せねぇけど。でも、平櫻さんホントその通りです。私の言うことは老人の戯言たわごとだと思って、参考にするぐらいで良いですからね。」

 羅針が駅夫を一瞥して言い返すも、それ以上は何も言えず、平櫻に気楽に考えるよう促す。


「すみません。星路さんの言うとおりにしてみようとは思いましたけど、別にそこまで真剣に、杓子定規にしようとは思ってなかったんですが、展示品を見ていくうちに、あれは?これは?ってなってしまって。頭がパンクしそうになってしまいました。

 一朝一夕で身につくようなものではないですよね。お二人が長年培ってきた歴史観の重みというものが、身に染みて理解できた気がします。」

 そう言って平櫻は照れ笑いをする。


「まあ、平櫻さんは真面目だからな。」

 駅夫がからかうように言うが、言外には、そんなに気負わなくても良いよ、という優しさが込められていた。

「でも、気持ちは良く分かりますよ。知識を得ると試したくなる。自分もそうですから。ただ、変な声が聞こえるようになったらおしまいです。危険信号なんで、それ以上深みに嵌まらないうちに中断してくださいね。」

 幻聴に悩まされてきた羅針は、本気で平櫻を心配した。

「そうだよ。こいつが半世紀も苦しんできた同じ轍を踏む必要はないからね。」

 駅夫も冗談交じりの口調で言う。

「分かりました。本当に気をつけます。」

 羅針が一昨日精神的に苦しんでいたのを見ていた平櫻には、羅針にしても、一見冗談を言っているようにも見える駅夫にしても、本気で心配してくれていることが分かり、悄気しょげながらも、大丈夫ですと示すようにそう言って、前を向くように顔を上げた。


 漸く平櫻の気持ちが落ち着いたところで、休憩室を後にして、一階の展示室へと三人は進んでいった。


 ここからは大東亜戦争、いわゆる太平洋戦争であり、第二次世界大戦についての展示になる。つまり戦争の相手が中国からアメリカへと変わっていき、最終的に広島、長崎の原爆投下を経て、敗戦に至る、この日本にとっての黒歴史とも呼べる時代に関する展示である。


 最初の展示は当時の世界情勢から始まり、日米交渉や大東亜戦争開戦への経緯が解説されていた。40分近い日中戦争当時のニュース映像もあり、当時日本国内でどのように日中戦争が報道されていたかが分かる貴重な映像が上映されていた。


 更に進むと、日米開戦に関する展示である。真珠湾攻撃の成功を伝える〔トラ・トラ・トラ〕で知られる電文も展示されていた。

 そして、戦況が転換したミッドウェー海戦から、昭和十九年十月に始まった特攻作戦についても詳しく解説され、遺品なども展示されていた。

 その後は、制空権の要だった硫黄島作戦、本土に対する米軍の無差別爆撃、そして民間人を含め悲惨を極めた沖縄戦に関する資料や遺品が展示されていた。

 最後は終戦後に関する展示があり、1945年8月15日以降のソ連侵攻、極東国際軍事裁判、シベリア抑留、アジア諸国の独立に関する資料が展示されていた。


 一気に太平洋戦争に関する資料を見学していた三人は、その圧倒的な歴史的重みをヒシヒシと感じていた。


 平櫻は二人に言われたように、まずは気楽に肩の力を抜いて、歴史を知ることから始めようと、資料一つ一つを目に焼き付けながらも、ひたすら何があったのか、どんな想いで人々はこの時代を生きていたのか、そしてどう戦争と向き合っていたのか、それを知ろうとしていた。歴史的評価をするのは後回しで、とにかく何があったのかをありのままに知ろうとしていた。

 今までも、平櫻は様々な戦争に関する資料館や博物館などに立ち寄り、動画を撮影して配信してきた。もちろんこういう悲惨な歴史があり、二度と繰り返してはならないし、自分たちのような戦争未経験者が知らなければならないし、知って貰いたいという使命感のようなものもあったから、そういう場所があれば、積極的に取材し配信してきた。

 しかし、星路と旅寝の歴史観に触れたことで、自分が如何に上辺だけを発信していたのか、浅い考えでいたのか、そう改めて思い知ったのだ。

 何も学んでいなかったんだなと、平櫻は心の中で反省し、目の前に並ぶ資料を見ながら、脳裏では歴史というものに対する認識を改めようとしていた。


 駅夫にとって、太平洋戦争はある意味身近な存在であった。母親が満州出身であるということもあり、満州での話は良く子供の頃から聞かされていたからだ。

 もちろん、戦争自体が身近だったというわけではない。ただ、日本という国が辿ってきた歴史に翻弄された市井の人々の一家族が、単に自分と血縁のある家族であっただけなのだが、もし、祖父母一家が逃げ遅れていたら、駅夫は生まれなかったかもしれないし、もし、母親が満州で捨てられていたら、今頃残留孤児の息子として、中国で生まれ育っていたかもしれないのだ。

 そのことは、ここにある資料を見るまでもなく、これまでもいろんな場面で、ことあるごとに考えてきたことである。

 羅針が中国語を学び始めた時もそうだ。自分のルーツである満州、中国がどんな場所なのか興味はあれど、母親から聞かされる引き揚げ時の悲惨な状況は、駅夫の心に深く刻み込まれ、戦争というもの、国が国を支配するということ、そして市民がそれに翻弄されるということ、それらすべてが、駅夫の心の中で渦巻いていたのだ。

 幸い、今こうして駅夫は日本で生まれ育ち、会社の社長として一定の成功を収め、両親や幼なじみの羅針に楽をさせられる程にはなれたのだ。そこに至るまでの旅寝一家の歴史がどれほど奇跡の連続であったのかということを、改めて駅夫は考えさせられていたのだ。


 羅針にとっても太平洋戦争、いや日中戦争は身近な問題であると言っても過言ではない。

 ただ、駅夫のように家族の誰かが満州生まれだということはないし、軍属であった過去を持つものも親類縁者を探してもいなかったし、直接戦争に携わったという歴史も星路家にはなかった。

 羅針の父親の実家は蒟蒻を中心に様々な農作物を栽培する農家であり、母親の実家は洋品店を営んでいた。幸い両家とも空襲などで焼け出されるようなことはなく、戦争に直接巻き込まれることもなかったようで、子供の頃の羅針にとって第二次世界大戦は歴史の中の話であった。


 しかし、そんな羅針にとって、戦争が身近な話になったのは、やはり中国語を学び始めてからである。語学を学ぶと言うことは、その国の文化、社会、そして歴史を学ぶことでもあり、羅針は初めて、学校で習ってきた歴史の教科書とは違う視点で描かれた歴史というものに触れたのだ。

 日本では日中と言うものが、中国では中日と表記順が変わることから始まり、日中戦争は抗日戦争と呼ばれていることなども、その時初めて知ったのだ。

 表記だけではない、その内容も当然だが中国側の視点によって書かれており、その記述の正誤がどうであれ、日本人の羅針にとっては耳の痛い話だったのだ。


 そんな歴史を学んだ中国人が、日本人に敵対心を抱くのは当然で、日本人差別はことあるごとに羅針も体験した。

 羅針が中国語学習のため、横浜中華街に足繁く通っていた時から、日本人差別は見かけたし、羅針自身も差別を受けた。もちろん、酷いことをするのは全員が全員ではない。極一部の心ない人間だけではあるが、中学でいじめを受けてから、ずっと心が病んでいた羅針にとっては、些細な差別でも心にこたえた。

 しかし、羅針を可愛がってくれる中国人も沢山いて、差別を受けていることを知ると、本気で怒り、差別した相手に怒鳴り込みに行くような心優しい中国人もいたのだ。

 羅針はそういう意味では、彼ら中国人に差別を受けながらも、救われもしたのだ。


 とは言っても、日本と中国の間にあった黒い歴史が消えてなくなる訳ではない。なぜ、彼らが日本人を毛嫌いするのか、どうして未だに戦争のことを蒸し返そうとするのか、そこにはいろんな思惑や、軋轢、したたかな思考があることも、もちろん羅針は知っていた。だが、どんなに正当化し取り繕っても戦争をしたのだ。互いに憎しみが残ることはやむを得ない話であると、心の内で羅針はそう悟ったのだ。


 仕事で北京に渡った時の差別はもっと悲惨だった。

 ただ、味方になってくれる中国人も多くいた。特に会社の中国人同僚たちは羅針たち日本人を守るため奔走してくれさえした。

 しかし、そんな彼らとでさえ、歴史認識のズレは一朝一夕で埋められるものではなく、差別はなかったが、羅針が日本人として学んできた歴史を理解はしても、受け入れる中国人は誰もいなかった。


 今、羅針は知り合った中国人たちと、割り切った感情で付き合っている。もちろん害意をなす人間であれば、即切り捨てるが、友好的な人間であれば、歴史認識が異なろうが、考え方が合わなかろうが、関係なく付き合っている。

 それが、羅針と中国人の友人たちとの付き合い方である。だがそれでも、日本人たちよりもその友人たちに対し羅針は信頼を置いていた。なぜなら、彼らの方が本音でぶつかり合えるからである。


 羅針の心にはそんな彼らの祖先と、自分たちの祖先とが起こした戦争というわだかまりが、一世紀近く経とうとしている現在においても、なお両者共に理解し合えない現実に憂いを感じていた。

 羅針はそんなことを考えながら、日本が世界に力を誇示しようとした、その歴史の片鱗を示す展示物を丁寧に見ていったのだった。



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