拾陸之捌
靖国神社の遊就館の展示室で歴史談義に興じていた旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、特別展示室に展示されている皇室から賜った品々や、皇室縁の品々を見て、皇室と靖国神社の繋がりが如何に密であったかを知る。
今でこそ距離を置いている両者だが、やはり靖国神社というものが国のため、天皇の名の下に命を賭した人々を祀っている場所であるということが如実に分かる展示であった。
しかし、戦後天皇家は靖国神社と距離を置いた。
天皇家としては英霊たちを慰霊したいであろう、だがしかし、ここには犯罪者とされるA級戦犯が合祀されているのだ。皇室側と靖国神社側でどんな遣り取りがあったかは明らかにされていないが、現在皇室が靖国を参拝することはない。
その歴史がここに展示されていたのだ。
「皇室と靖国って、やはり密接な関係があったんですね。」
平櫻が展示物を見ながら呟く。
「そうですね。元々は明治天皇の勅許に依って創建された神社ですし、なにより国のために犠牲となった人たちです。その頂点である天皇を始めとした天皇家が手厚く保護し、目を掛けるのは当然のことでしょう。」
羅針が言う。
「そうなんですけど、今はそんな姿を微塵も見ないですよね。」
平櫻が言う。
「そうですね。やはり、A級戦犯という存在が大きいんじゃないですかね。もしかしたら私たちの知らないところで、解決できない確執が生まれているのかもしれませんが。」
羅針が言う。
「でも、天皇家としては、確執があるにせよ、ないにせよ、軍拡主義から平和への舵取りをしたのだから、戦争に加担した人間を祀り上げるような行為は憚られるだろ。英霊たちを慰霊する気持ちはあっても、国内も含めて対外的には出来ない話だと思うぞ。」
駅夫が言う。
「確かにな。A級戦犯というレッテルを貼られた人間が合祀されている以上、天皇家としては参拝できないよな。」
羅針も駅夫に同意する。
「私は、象徴として崇められているだけになった天皇家の、小さな意思表明のような気がします。
政治や国民生活に口出しはしない、そういう象徴となった天皇が、平和な国にして欲しい、過去の過ちを正して欲しい、謝罪と懺悔、そして心からの願いを、靖国不参拝という形で発信しているような気がします。」
平櫻が自分なりの考えを言う。
「そうかもしれませんね。昭和天皇にせよ、今上上皇にせよ、そして今上天皇にせよ、みな戦没者追悼式典などには精力的に参加されてるし、追悼のため海外へ渡航することもありますからね、靖国だけ来ない理由はない。そういう意味では、不参拝という形で、平和を発信する発信者としての役割を自ら担っているのかもしれませんね。」
そう言って羅針が平櫻の考えに同意する。
「でもさ、そもそも、なんで靖国はA級戦犯を合祀したんだろう。元々合祀されていた人間がA級戦犯になったというなら仕方ないとなるけど、A級戦犯という判決が下ってから処刑された人物を合祀したわけだろ、そこには何かしらの意図があるよね。」
駅夫が羅針に自分の疑問をぶつける。
「そうだな。何かしらの意図がなければ、犯罪者とされた人物を合祀することにはならない。普通はそう考えるよな。でも、さっきの話じゃないけど、靖国神社の立場で考えてみ。」
羅針がそう言って、駅夫に意見を促す。
「そういうことか。」
駅夫が合点がいったように頷く。
「どういうことですか。」
平櫻がそれに対し理解できないという風に聞く。
「平櫻さんが靖国神社の立場だったら、どうしますか。やはりA級戦犯は合祀しませんか、それともしますか。」
羅針が改めて平櫻に質問する。
「合祀するかどうかですか……。私としては犯罪者を合祀することは嫌ですが、靖国神社の立場を考えると、……ああ、そういうことですか。
つまり、靖国神社は国のために犠牲になった英霊を祀る場所である。それは根本的な靖国神社の理念ですよね。ですから、たとえ犯罪者とされた人物であっても、それは外国が決めた法に依るもので、国に害意をなしていたのならまだしも、その犯罪者が日本のために働いていない、犠牲になっていないことにはならない。であれば、当然合祀する。そういうことですね。」
平櫻が、そう言って自分で結論を導いた。
「そういうことです。靖国神社の本音というか、本心は私も知るところではありませんが、そう考えるのが妥当だと思います。」
羅針が大きく頷いて、そう答える。
「つまり、これがさっき仰ってた歴史ということですね。」
平櫻が何かを悟ったように言う。
「そう、それで、その歴史に対して正誤を決めるのは平櫻さん君なんだよ。」
駅夫が横から平櫻を促すように言う。
「私が正誤を決める……。」
天皇家と靖国神社という大きな組織が決断したことに対し、自分が正誤という判断を下すことに、戸惑いを隠せず、平櫻は考え込むように視線を落とした。
「深く考え込む必要はないんですよ。自分の価値観に照らし合わせて、どっちが正しいか、それとも両方正しいか、はたまた両方とも間違えているか、それを判断するだけです。
天皇家を支持するか、靖国を支持するか、どちらも支持しないか、それとも保留して中立の立場を採るか、いずれにせよ、それを決めるのは平櫻さんあなた自身です。」
羅針が促すように言う。
「でも、結局私が選択したとしても、その選択が間違いであるとレッテルを貼られる可能性はあるわけですよね。」
平櫻が戸惑うように言う。
「そうですね。世間の趨勢と違う選択をすれば、当然その誹りを受けることは必至でしょうね。
でも、そんな誹りをものともしない強靱な信念と理想、理念を以て自分の選択に自信を持てば良いのではないでしょうか。今の日本は思想の自由が保障されています。平櫻さんがもし、反社会的な選択をしたとしても、それを咎められる謂われはないと思いますよ。
ただ、平櫻さんが思想の自由という権利を有しているのと同様、他人が平櫻さんに対して、糾弾する権利も当然あるわけです。その覚悟を以て選択する必要があるということは忘れないでください。」
羅針が脅すようなことを言う。
そう言われて平櫻は旅寝を見るが、いつもなら助け船を出してくれる旅寝が、黙って星路の言葉に頷いている。平櫻はそれが脅しではなく、当然のことなのだと悟った。
「もちろん、私はそんな選択をしたくないですし、しませんけど、でも、その覚悟を以て自分の意見に責任を持たなければならないということですよね。それが歴史を知り、歴史を学び、歴史を伝えるということなんですね。」
平櫻が羅針の言葉の意味を理解し、そう応えるしかなかった。
「そうです。思想の自由というのは、そこに権利があり、義務もある。そして、責任が伴うということです。天皇家は天皇家の選択をし、靖国は靖国の選択をした。で、平櫻さん、あなたはどっちにつきますかっていう話です。」
羅針が言う。
「答えは言う必要ないよ。その答えは平櫻さんの心の中に仕舞っておいて良いから。そうだろ、羅針。」
駅夫はそう言って、今度は助け船を出してくれた。何かを言おうとした平櫻を制止して、口を挟んでくれたのだ。
「そう、そうですよ。その答えは平櫻さん自身の中に仕舞っておいてください。もし、自信を持って主張できるなら、その主張も含めて聞きますから。」
羅針も駅夫に同意して、平櫻から答えを無理に引き出そうとはしなかった。
「そ、そうですか。自分の中で答えを見付けることは自由だけど、それを主張するならば、責任が伴うというわけですね。
分かりました。凄く勉強になりました。
今まで学んできた歴史というものが、如何に上辺だけを学んできたのかということが、身に染みて分かったような気がします。
いや、そうじゃないですね。上辺だけを学んできたのではなく、私が上辺だけしか見てなかったんですよね。歴史を知るということは、もっと深い部分を見る必要があるし、自分の考えを確立し、権利や義務以上に責任のある行為なんだということを、理解できたような気がします。」
平櫻が自分の過去を振り返り、歴史というものに対する態度、姿勢を改めなければならないと、改めて心に誓うのだった。
「さあ、先に進もうか。」
少し重苦しくなった空気を払拭するように、駅夫が二人を促す。
「ああ。」
「はい。」
羅針と平櫻は駅夫の声に応え、次の展示室へと向かった。