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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾陸話 南魚崎駅 (兵庫県)
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拾陸之陸


 田安門を出ると都道302号新宿(しんじゅく)両国(りょうごく)線、通称靖国通(やすくにどお)りに出る。そして、その名前の由来となっている靖国神社は目の前である。

「ここが靖国神社ですか。」

 平櫻が言う。

「ああ、英霊が祀られている神社だね。」

 駅夫が応える。

「珍しく鳥居が東面している神社ですね。」

 羅針が言う。

「そういえば、南を向いていないですね。何か理由があるんですか。」

 平櫻が聞く。

「言われている理由は色々ありますが、主なものは三つですね。

 まずはそもそも敷地が東西に長く、そのように造営するしかなかったと言うこと。

 もう一つは神武東征じんむとうせい伝説に依る説です。敵が太陽を背にして優勢だった戦いを、後ろから廻って太陽を背にして敵を討ったことが由来とする説です。

 そして、もう一つが西方浄土の考えによる説です。つまり英霊たちは西にある浄土にいるため、西に向かってお参りできるよう本殿が東を向いているという説です。」

 羅針が簡単に三つの説を説明する。


「そうなんですね。敷地が東西に長いからというのは、分かりますが、神武東征とか、西方浄土とか、なんか後付け感が否めませんね。」

 平櫻は羅針の説明を聞いて、そんな感想を言う。

「そうですね。確かにその二つの説は、後付け感がありますが、私は、西方浄土の考え方が、このような敷地取りをしているんじゃないかなと、考えています。

 なぜなら、当時は国の力が強く、用地の接収は然程難しい話ではなかったはずで、南面にしようと思えば、できたはずだからです。それに、南面にしたければ、態々(わざわざ)この地を選ぶ必要はなかったのですから。実際、大正九年に造営された明治神宮めいじじんぐうは南面ですからね。

 しかし、それをしなかったのは、おそらく仏教的な考えである西方浄土の考え方が大きく影響していることはあると思いますね。」

 羅針が西方浄土の説を推す理由と私見を説明する。


「なるほど。西方浄土ですか。」羅針の言葉を聞いて、平櫻も納得しつつ言葉を続ける。「……確かエジプトのピラミッドも街の西側に作られているんですよね。ナイル川の西側が死の世界だっていう考え方に依るものだって聞いたことがあります。西方浄土という考え方は世界共通の考え方なのかもしれませんね。」

 平櫻がそう言って理解する。

「そうですね。そもそも地球の自転に依ってすべての天体が東から昇って西へ沈む訳ですから、そのあたりの考え方は世界共通になってもおかしくないかもしれませんね。」

 羅針もそう言って頷く。


 三人は、歩道橋を渡り、靖国神社へ続く坂道の下に降り立った。

 目の前には、かつて日本一とも言われた巨大な大鳥居へと、坂道は続いていた。右手には巨大な石碑に〔靖國神社〕と彫られていた。


「あそこにある大きな石、見えますか。」

 羅針が平櫻に向かって、参道の一角、林の奥まったところに鎮座する大きな石を指して聞く。

「はい。あの石がなにか。」

 平櫻が何の変哲もない石をなぜ羅針が指し示しているのか不思議に思いながらも頷く。

「実はあれ、細石さざれいしなんですよ。」

 羅針が答える。

「細石って、あの君が代に出てくる細石ですか。」

 平櫻が驚いて聞く。

「そうですよ。といってもあの石をモチーフにして君が代の元になった賀歌がかが詠まれたわけではないですが、あの石は学術的には石灰質角礫岩せっかいしつかくれきがんと呼ばれる石で、鍾乳液しょうにゅうえきを含む石灰石が雨水で溶解して乳液状になって、砂礫や石を集めてあそこまで成長したものなんですよ。」

 羅針が説明する。

「そうなんですね。まさに細石の巌となりてですね。」

 平櫻がそう言って頷く。

「そうですね。細石はあちこちで見ることが出来ますが、あの大きさになるまでには、何千年、何万年も掛かりますからね。まさに千代に八千代にといった月日を表す象徴たり得ますよね。」

 羅針もそう言って頷く。


 三人は坂をのぼり、巨大な大鳥居の前で脱帽一礼して境内へと進むと、石畳の参道を挟むように公孫樹並木が植えられ、等間隔で並ぶ石灯籠が三人を出迎えてくれた。

 境内に入ると都会の喧噪から切り離されたように一気に空気が変わった気がしたのは、三人の気のせいだろうか。


 三人は、厳かな雰囲気に包まれながら、石畳の境内を進んでいく。

「この靖国神社は、元々1869年に勅命によって東京招魂社とうきょうしょうこんしゃとして創建されたんですよ。そして、その十年後には靖国神社と改称したんです。」

 羅針が平櫻に説明を始める。

「英霊が祀られているって聞きますけど、創建された時からなんですか。」

 平櫻が尋ねる。

「そうです。東京招魂社と名乗ったことからも分かるとおり、明治に入り、幕末維新期の内戦等で亡くなった多くの人々を慰霊、顕彰する気運が高まって、それを受けて明治天皇が勅許して創建されたのが、東京招魂社でありこの靖国神社なんです。

 ですから、創建当初から、何か神様を祀ってとかではなく、戦没者を慰霊し、祀るためだったんですよ。」

 羅針が答える。


「じゃあ、なんで神社って名前にしたんだ。」

 駅夫が尋ねる。

「それは、軍が管轄権を握ったからだな。」

 羅針が答える。

「どういうこと。」

 駅夫が聞く。

「元々この靖国神社、つまり東京招魂社は国の管理だったんだけど、戦没者を祀るということから、軍の管轄にすべきだということになって、陸海両軍が共同で管轄することになったんだ。その時、軍はただの戦没者の慰霊場所ではなく、正式な神社として認めて貰うために、社名変更と、別格官弊社べっかくかんへいしゃ、つまり国に功績のあった人物を祀る神社として、正式に認めて貰えるよう働きかけたんだけど、それが天皇の裁可を得たんだ。」

 羅針が駅夫に答える。

「その結果が靖国神社という社名っていう訳か。」

 駅夫が言う。

「そういうこと。靖国という名前は〔春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん〕の一説〔われくにやすんずるなり〕から、明治天皇が命名されたと伝えられてるんだよ。」

 駅夫の言葉に羅針が頷き、補足する。

「それで、正式に神社として認められた訳だ。」

 駅夫が言う。

「そういうこと。神社には、菅原道真すがわらのみちざねや、豊臣秀吉、徳川家康のように、実在の人物が祀られていることがあるけれど、大抵が名の通った人物が神格化されることが常で、無名の人々が神格化されることはなく、神として崇められることはなかった訳だ。

 それを神社として認めて貰い、戦没者たちを神として祀ろうとしたのが、靖国であり、その管轄である軍だったということだね。」

 羅針が更に付け加える。

「そういうことか。神になれなかった人々を神として認めろと。」

 駅夫が言う。

「そういうこと。だから、ここ靖国は神社としてはある意味特殊なんだよ。」

 羅針が言う。


 そんな話をしながら歩いてきた三人は、ちょうど大村益次郎おおむらますじろう像の前に到着した。

「この方はどなたですか。」

 平櫻が尋ねる。ちょうど案内板に人集りができていたため、仕方なく羅針に聞いた。

「この人は、大村益次郎といって、戊辰ぼしん戦争の東征大総督府補佐として活躍した後、兵部省ひょうぶしょう初代大輔(たいふ)、いわゆる今で言う防衛省長官みたいな地位に着いた人で、陸軍を創設した人ですね。」

 羅針が答える。


「そうなんですね。銅像の下の漢文は何が書いてあるか分かりますか。」

 銅像の下にぐるりと浮き彫りされている文字を見て、平櫻が更に尋ねる。

「え~っと、……ああ、はいはい。」羅針はその碑文に一通り目を通し、説明を続けた。「要するに大村益次郎の功績について讃える文章ですね。

 要約すると長門ながとの藩士として兵法にけ、戊辰戦争では判事として敵を討った。その功績が認められ、兵部省ひょうぶしょう大輔たいふに抜擢され、陸海軍の基礎を築いた。明治二年暗殺され、四十七歳で亡くなった。天皇は深く悲しまれ、従三位と爵位を与えられた。旧知の有志が、その功績をここに残すことにした、とありますね。

 更に、彼の功績については、故郷である圓山まるやまの墓碑に載せるとあります。

 記したのは、内大臣従一位大勲位公爵の三條實美さんじょうさねとみ氏ですね。」

 羅針がざっと要約する。

「ありがとうございます。天皇陛下にまで目を掛けて貰えるなんて、相当凄い人物だったんですね。」

 平櫻が羅針に礼を言い、感心したように、改めて銅像を見上げた。


 解説板前の人集りがけ、解説文を読むと、羅針の説明と碑文に書いてあったことに加え、彼の経歴が細かく記されていた。

 その一文に、東京招魂社の創建に際し、社地選定のため視察したとあり、それが縁でここに銅像が建てられたようである。


 更に参道を進むと、右手に休憩所があったが、そのまま通り過ぎて、第二鳥居を潜り、手水舎でお清めを済ませ、三間三戸の切妻造銅板葺である神門を潜った。桜の木が植わる境内の先に中門鳥居があり、そして菊の御紋があしらわれた白い垂れ幕が下がる拝殿が現れた。

 拝殿は、桁行7間、梁間5間の入母屋造平入屋根銅板葺で、前面には3間の向入母屋造むこういりもやづくりで軒に唐破風を構えた向拝が付いていた。明治三十四年に建てられた建物とは思えない程、手入れが行き届いていて、美しく荘厳な佇まいを見せていた。


 三人は本殿に歩を進め、順番を待って、参拝した。参拝方法は他の神社同様、二拝二拍手一拝である。

 三人はこれまで日本のために命を落とした英霊に敬意を表し、心から冥福を祈り、加護を願った。


 平櫻は手を合わせながら、遠い時代に自らの命を差し出した市井しせいの人々を思い浮かべていた。自分とはえんゆかりもない人々ではあるが、その人々の犠牲の上に今の平和があることを改めて考え、その重みを受け止めようとしていた。


 駅夫は自分の祖父母について考えていた。祖父は軍属ではなかったが、満州へ渡り満州鉄道で技師として働いていたと聞く。そこで祖母と知り合い、母を含む五人兄弟姉妹を産み育てた。母は良く祖父母について語ってくれたが、そんな母も含めて祖父母たちを守ってくれていた軍属の人々を、駅夫は心の底からありがたい存在だったんだと認識していたし、尊敬の念を感じていた。


 羅針の心には、複雑な感情が渦巻いていた。市井の人々が命を捧げ、日本を守ったことには確かに敬意を抱く。しかし、靖国神社に祀られているのは政府側の人間たちであり、西郷隆盛や白虎隊の少年たちは当然のように祀られてはいない。

 更に、A級戦犯の合祀も、羅針にとっては葛藤の種だった。中国滞在中、何度も反日感情に晒され、その背景を考えざるを得なかったからだ。彼らの主張が正しいとも思わないし、自分が学んできた歴史が唯一の正解とも信じていない。ただそこに歴史があるだけなのだ。

 それでも羅針は、日本人として英霊たちを否定することはできなかった。国の命令に従い、あるいは国の犠牲となった人々へ、敬意をもって手を合わせることに、迷いはなかった。

 英霊たちのおかげで今の日本があるのだから。


 空はどんよりと曇っていて、三人の心にもいろんな感情が沸き上がってはいたが、その心には日本を守ってきた英霊たちへの感謝の気持ちで満たされていた。




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