拾陸之伍
震災イチョウを見た旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、再び都道301号線内堀通りを歩き始めた。
通り沿いには様々な史跡が点在していて、羅針はそれを一つ一つ丁寧に平櫻へと説明していた。
このあたりに、一橋徳川家の屋敷があって、十一代将軍の家斉や、十五代将軍の慶喜を輩出した家柄でもあったことだとか、平川門の前に来ると、仙台藩主の伊達政宗を始めとした大名六名によって築かれた門であるが、大奥に出入りする人物が使用するため、お局門と呼ばれたり、死者や罪人が出入りすることから、不浄門と呼ばれたりしていたことなどを、訥々と説明していた。
平櫻は飽きもせず、色々と質問し、羅針の知識を引き出すことに夢中だった。
親子程も年の離れた二人だが、その親密さには駅夫も嫉妬を覚える程だ。ここまでずっと後ろから二人の仲睦まじさを眺めていた駅夫は、突然振り向いた二人に驚いた顔をする。
「どうした。」
羅針と平櫻が何かを企んでいるような恍けた表情で駅夫を見たので、訝しんで聞く。
「玉葱を見に行こうと思うんだけど。良いよな。」
羅針が有無を言わせないように言う。
「旅寝さん、玉葱見に行きましょう。」
平櫻もどこかノリノリで言う。
「なんだよ玉葱って。見に行くのは良いけど、その玉葱って何だよ。」
駅夫は訳が分からず、羅針に聞く。
「玉葱は玉葱ですよね。」
羅針がそう平櫻に言う。
「ええ。そうですね。玉葱は玉葱です。」
平櫻は一生懸命笑いを堪えている。
「玉葱は玉葱って。……あっ、武道館か。」
二人の言ってることに漸く合点がいった駅夫は、手を叩いて言う。
「なんだ。やっぱり分かったか。」
羅針が残念そうに言う。
「それは、分かりますよ。旅寝さんが知らない訳ないですもん。」
平櫻はそう言って堪えていた笑いを発散する。
「なんだよ、なんだよ、二人して。俺を試してたのかよ。」
駅夫は少しむっとして言う。
「まあ、そう怒るな。お前が知らなかったらこのままスルー、知ってたら武道館に寄ることにしたんだから。」
羅針が答える。
「なんだそれ。結局俺を出汁に使ってんじゃねぇか。」
駅夫は怒りながらも笑っている。傍から見ると変なヤツである。
三人は新聞社の前にある竹橋を通り抜け、その先の歩道橋から北の丸公園へと向かう。国立公文書館を横目に、首都高を越えて、緑豊かな公園へと入っていく。
「ここには良く来たな。」
北の丸公園に入ってすぐに、三人の右手に現れた建物を指して、駅夫が懐かしそうに言う。
その建物とは、白い壁に沢山の穴が開いたような壁を持つ、国立科学技術館で、駅夫と羅針の二人は幼少の頃から親に何度か連れてきて貰っていた。
「ああ、懐かしいな。スーパーカーとか隕石とか、ロボットとか色々見に来たよな。」
羅針も少し目を細めて懐かしそうにしている。
「お二人の思い出の地ですね。」
平櫻が言う。
「そんな大げさなもんじゃないけど、確かに思い出は詰まってるな。」
駅夫が少し照れたように言う。
もちろん、今は中に入る時間がないので、三人は横目に通り過ぎたが、何か催し物があるのか分からないが、小さな子供を連れた親子が金曜日にもかかわらず、何組か建物の中へと消えていった。
「別に特別展はやってないみたいだけど、子供の教育のためなんだろうな。」
羅針がスマホで催し物のスケジュールを確認しながら言う。
「そういう親に育てられたら、将来は天才科学者だな。」
駅夫が言う。
「なら、お二人はどうして天才科学者にならなかったんですか。小さい頃いらしたんですよね。」
平櫻が痛いところを突く。
「まいったな。これは一本とられた。」
駅夫が手を挙げて降参のポーズをとる。
「こいつは科学の展示ではなく、コンパニオンのお姉さんが目当てだったからですよ。」
羅針が駅夫をからかって平櫻に言う
「おい、人聞きの悪いこと言うなよ。コンパニオンなんていなかったよ。きれいな学芸員のお姉さんはいたけど。」
駅夫が墓穴を掘るような反論をする。
「ほらね。やっぱりきれいなお姉さんが目的だったでしょ。」
案の定、羅針が駅夫の言葉を聞いて、やっぱりという風に平櫻に言う。
「そうなんですね。旅寝さんてそういう人だったんですね。見損ないました。」
そう言って平櫻は一生懸命笑いを堪えている。
「ひでぇなぁ。誤解だって、冤罪だって、羅針からも言ってくれよ。」
駅夫が嘆くように言う。
「俺は、黙秘権を行使するよ。」
羅針が駅夫を見放す。
「マジかよ。おお神よ。我が運命を救い給え。」
そう言って、駅夫は両手を天に向かって掲げ、大げさに言う。
「もう、おかしいからやめてください。もう。」平櫻が笑いを堪えられず、腹を抱えだした。目に涙まで浮かべている。「お二人の茶番には、参りました。」
平櫻はそう言って、目に浮かんだ涙を拭いている。
「駅夫、女の子泣かしちゃだめだぞ。」
羅針がそう言って更に追い打ちをかける。
「お、俺のせいか?俺のせいだよな。すみませんでした。」
駅夫はそう言って、腰を90度曲げて、深々とお辞儀をした。
「もう、良いですって。勘弁してください。」
平櫻が、声を上げて笑っていた。
平櫻の笑いが収まったところで、再び三人は歩き出した。
北の丸公園を、玉葱を目指して更に奥へと三人は歩いていく。
湿気が纏わり付く雨模様の空気は、三人の額に汗を噴き出させていた。決して暑いわけではないが、ムシムシした空気が肌に纏わり付くので、身体が快適を求めて汗を噴き出しているのだろう。
ただ、緑に囲まれた北の丸公園を、時折吹き抜ける風はとても心地良く、汗ばむ三人の身体を優しく包み込んでくれた。
しかし、空を見上げると、そこには今にも怒りだしそうな、どす黒い色をした雲が天空を覆い、雨粒をいつ落とそうかと手薬煉を引いているようだった。
やがて、木々の向こうから緑色の屋根の上に金色の玉葱が載った建物が現れた。まさにこれが武道館である。
「あの世界的ロックバンドが初めてコンサートをした場所だな。」
駅夫が言う。
「それって甲虫ですね。」
平櫻が笑いながら言う。
「そう。コンサートは俺たちも生まれる前だから、詳しくは知らないけど、親たちが言うにはものすごい熱狂だったらしいね。」
駅夫が言う。
「当時はビートルズとストーンズの二大巨頭がロック界を二分していた時代で、その片方が来日するんだから、熱狂する人が多くいてもおかしくないでしょ。」
羅針が言う。
「そうだな。でも、生で見てみたかったな。」
駅夫が言う。
「でも、行った人の話だと、歓声で何にも聞こえなかったとか、演奏も酷いもんだったとか、色々と言われてるぞ。」
羅針は呆れたように言う。
「それでもさ。その雰囲気はその時しか味わえない訳だろ。目の前に彼らがいるって言うことが大事なんだよ。ねぇ。」
駅夫がそう言って平櫻に振る。
「そうですね。確かにコンサートって曲を聴くと言うより、その雰囲気を味わいに行く、観客皆で一体感を味わうみたいなところがありますからね。確かに酷い演奏でも、たとえ音が聞こえなくても、見に行く価値はあったかもしれませんね。」
平櫻もそう言って応える。
「だろ。ほら見ろ。」
駅夫が平櫻の言葉を受けて、羅針にどや顔をする。
「何がほら見ろだ。ったく。」
平櫻にも言われてしまっては何も言い返せず、羅針はそう言って苦笑いする。
武道館の正面まで歩いてきた三人は、記念撮影をして、田安門へと向かう。
「このあたりは、昔、田安台と呼ばれていた地域で、農地があって、田安大明神があった場所でもあるんですよ。」
羅針が平櫻に説明する。
「ここが農地だったんですか。」
平櫻が驚いている。今や都会のど真ん中、ましてや北の丸公園とはいえ、皇居の敷地の一部である。そこに農地があったなど、信じられないのも無理はない。
「それだけ、この辺がど田舎だったってことだよ。」
駅夫が言う。
「まあ、そういうことですね。」
羅針が頷く。
「それを、ここまで改造してしまうって、太田道灌や徳川家康の力というか、人間の力というのはすごいものですね。」
平櫻が感心したように言う。