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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾伍話 日本橋駅 (東京都)
169/180

拾伍之廿伍


 浅草寺の参拝を終えた旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、仲見世通りを抜け、雷門を潜ると、雷門通りを吾妻橋交差点へ向けて歩いていた。


 平日の21時を回っても、不夜城の東京は活気があった。

 昼間程の人通りや喧噪は、なりを潜めているが、それでも、通りを走る車はひっきりなしで途切れることはなく、ほとんどの商店がシャッターを下ろしているにもかかわらず、飲み屋をハシゴするのだろうか、観光客を始めとした、酔客が歩道を行き交っていた。


「皆さん、気持ちよさそうですね。」

 平櫻が半分呆れたように、足元が覚束ない酔客を見て言う。

「だな。人の振り見て我が振り直せだ。」

 呆れたように駅夫が言う。

「まあ、酔ってるヤツは大抵自覚ないから、多分俺たちもあんなもんだぞ。」

 そう言って羅針が苦笑する。

「多分傍から見たら、あんな感じなんだろうな。千鳥足じゃないだけまだマシか。」

 駅夫もそう言って笑う。

「私も肝に銘じます。」

 平櫻もそう言ってにこりと笑う。

 自分たちも先程夕食で酒を嗜んだのだ、他人のことはあまり言えない。


「そうそう、その角にちょっと変わったお酒を提供しているバーがあるんですよ。太宰治だざいおさむ井伏鱒二いぶせますじの小説にも登場する、ブランデーベースのカクテルなんですけどね。」

 羅針が酒の話のついでに言う。

「おい、まさか寄っていくのか。」

 駅夫が慌てて聞く。

「一杯だけ、な。……平櫻さんもどうですか。」

 羅針は人差し指を一本立てて、駅夫に頼み込み、平櫻も誘う。

「私は構いませんけど。というより、むしろ呑んでみたいです。そんな話聞いたら飲まない訳にいかないですよ。」

 平櫻は興味津々に応える。

「知らないぞ。どうなっても。」

 駅夫は諦めたように、覚悟を決め、入店することを了承する。

「よし、決まり。じゃ、軽く呑みますか。」

 ウキウキしたように羅針はくだんのバーへと入っていく。

「まったく。これだから飲兵衛は。」

 駅夫は呆れたように渋々付いていった。

「良いじゃないですか。一杯だけですよ。」

 平櫻もどこか嬉しそうに、駅夫の背中を押す。

「分かった。分かったって。こっちのリトル飲兵衛も大概だな。」

 駅夫は額に手を当てて、呆れかえって降参した。


 三人が店内に入ると、平日の夜だというのに、かなりの盛況で、一階のビヤホール式の席は7割方埋まっていた。

「流石人気店だな。」

 羅針が感心したように言う。


 どこか下町情緒溢れる店内の内装は、大正から昭和にかけての雰囲気を残す、落ち着いた感じで、グラスを酌み交わし、料理を味わい、しゃべりに興じる人々とのギャップを感じるが、その活気がまた昭和っぽくもある。


 三人は空いている席で相席となった。いつもなら羅針と駅夫が並び、平櫻が一人で対面に座るのだが、この時は駅夫と平櫻が並び、羅針が平櫻の対面に座った。何がある訳ではないだろうが、羅針と駅夫なりの気遣いである。


 早速、三人は電気ブランと煮込みを注文することに決め、羅針に食券購入を任せる。

 この店はシステムがややこしく、席に着いた後、入り口へ自分で食券を購入しに行かなければならない。

 店内は日本語が主に飛び交っているが、英語や中国語、韓国語なんかも聞こえてくる。その外国人が、日本語メニューが読めず、スマホで翻訳しながら四苦八苦している姿もチラホラしていた。


 食券を購入してきた羅針は、電気ブランを一人二杯ずつとビール、それに煮込みを二皿注文していた。

「おい、一杯だけじゃなかったのかよ。」

 駅夫が食券を見て羅針を詰る。

「二杯ぐらい行けるだろ、小さなグラスなんだから。」

 羅針がそう言ってどこ吹く風である。

「あのな。もし、俺が潰れたら、お前責任持てよ。」

 駅夫が言う。

「分かった、分かった。大丈夫だって。」

 羅針は飄々と笑っている。

「そんなに、心配することでもないんじゃないですか。旅寝さんがお酒弱いのは知ってますけど、グラス二杯のお酒位、大丈夫ですよ。」

 何も知らない平櫻はそう言って、駅夫を宥める。

「お前ら、飲兵衛に何を言っても通じないな。」

 久々の四面楚歌ならぬ二面楚歌に陥った駅夫は、がっくりと肩を落とす。


 すぐに、煮込み二皿と、電気ブランにビールがそれぞれ運ばれてきた。

「よし、浅草の夜と、電気ブランに乾杯。」

 羅針が意気揚々と乾杯の音頭を取る。

「乾杯!」

「はい、はい、乾杯。」

 楽しそうに乾杯する平櫻に対し、駅夫は渋々杯を挙げる。


 羅針は、一挙にグラスを半分程飲み干した。

「クゥーッ。キックゥ。これよ、これ。」

 羅針は、この甘めのカクテルを呷るように呑んで、その喉越しを楽しんだ。

「これが電気ブランですか。綺麗な色をしてますね。」

 平櫻がグラスを天井の明かりに翳して、その琥珀色をした色味や甘い匂いを楽しんだ。

「平櫻さん、本当に注意して呑んでよ。喉焼けても知らないからね。」

 駅夫が平櫻に注意を促す。

「大丈夫ですよ。結構キツいのも呑んできましたから。……って、うわっ、凄い、なにこれ。確かにキツいですね。」

 平櫻は駅夫の忠告を聞き流しながら、一口グビリとやると、その度数の高さに吃驚する。せ返ることはなかったが、改めてグラスをめつすがめつ眺めた。

「ほら、言わんこっちゃない。羅針これ何度あるんだっけ。」

 駅夫がそう言って、羅針に聞く。

「これは40度だね。」

 そういう羅針は、煮込みをつつきながら、もう間もなく一杯目を飲み終えようとしていた。

「40度ですか。初めての体験です。今まで呑んだのは20度位が最高だったので、記録を倍更新ですね。」

 平櫻はそう言って笑う。

「大丈夫なの?」

 駅夫が心配そうに、平櫻の顔色を覗く。

「ええ、ちょっと吃驚しましたけど、美味しいですよ。この舌で感じる甘味、喉を通っていくビリビリした感触、胃が焼けるような感じ、すべてが堪らないですね。」

 平櫻はそう言って、美味しそうに続けて一口、二口と、味わうようにゆっくり呑んでいる。

「マジかよ。流石リトル飲兵衛。付いて行けないよ。」

 そういう駅夫は、おっかなびっくり一舐め二舐めしながら、口を付けるだけである。


「星路さんは平気なんですね。」

 平櫻がグイグイ呑んでいる羅針を驚きの目で見る。

「そうですね。中国で70度位の白酒《bai jiu》をさんざん呑んでましたから。いつの間にか平気になったんですよね。」

 羅針はそう言って笑う。

「70度ですか。私にとっては未知の世界ですね。凄いですねバイチュー。」

 平櫻が目を見開いて驚く。

「まあ、普通はそう思いますよね。私も最初はとてもじゃないけど呑めませんでしたから。何せアルコールをそのまま呑んでいるような感じで、味なんて分からないですよ。

 でも、何度も呑んで慣らしていくウチに、いつの間にか味が分かるようになったんですよ。こっちはキリッとしてるとか、こっちは少しとろみがあるとか、こっちは甘味があるとか、そういうのがね。もう、それからは虜ですね。」

 羅針はそう言って笑っている。

「そうなんですね。今度、私もバイチューに挑戦してみたいですね。」

 平櫻が好奇心旺盛に言う。

「そしたら、これぐらいは平気で呑めないと駄目ですね。でも、その呑みっぷりなら、問題ないかも知れませんね。」

 そう言って羅針は一杯目の残りを呷り、杯を空ける。

「すごいですね。」

 平櫻が今にも手を叩きそうな勢いで、羅針の呑みっぷりを讃える。


「女の子の前だからって、調子に乗るなよ。」

 羅針を心配しながらも、からかうように言う駅夫の杯は、1㎝も減っていなかった。

「分かってるって。平櫻さん、このモツ煮も美味しいんですよ。是非摘まんでください。」

 駅夫をいなしつつ、平櫻に煮込みを勧め、自分はチェイサー代わりにビールを呷る。

「ちゃんぽんして大丈夫なんですか。」

 平櫻が心配して聞く。

「これが、ここの流儀なんですよ。電気ブランを呷り、チェイサー代わりにビールを呑む。甘い電気ブランに、苦みのあるビールがまた良く合うんですよ。」

 羅針が言う。

「そうなんですか。……あっ、本当だ。これは良いですね。度数の高い電気ブランを、ビールが和らげてくれるなんて目から鱗です。凄い発想ですね。考えた人は天才ですよ。それに、このモツ煮もピッタリです。美味しいですよ。」

 平櫻はそう言って、電気ブラン、ビール、モツ煮と、交互に楽しみ始めた。完全に飲兵衛モードである。


「本当にお前ら大丈夫か。さっきの酔っ払いみたいにならないでくれよ。」

 駅夫は注意を促すが、飲兵衛二人はどこ吹く風なので、諦めたようにマイペースで呑んでいた。


 羅針と平櫻は、駅夫をそっちのけで酒談義に興じていた。

「これってホント美味しいですね。慣れたらスルスル呑めちゃいます。少し甘いのも呑みやすくて良いですよね。」

 平櫻が美味しそうに呑みながら言う。

「でしょ。この電気ブランはこのバーの創業者が1893年頃から売り出し始めたそうで、当時、文明開化の流行として、電気って付けるのが流行っていたみたいで、ブランデーベースのカクテルだから、電気ブランって名前を付けたらしいんですよ。

 当時の電気ブランは45度でそれがまた電気とイメージがピッタリだったみたいですね。

 1912年にこのバーが開業すると、この電気ブランは看板商品としてたちまち人気を博したってことなんですよ。」

 羅針が早速蘊蓄を披露する。

「へえ、明治時代から受け継がれてるんですね。でもブランデーなんて高価なお酒がなんで大衆に受け入れられていったんですか。」

 平櫻が疑問を呈する。

「当時はほら、関税自主権なんてなかったから、国産よりも、輸入品の方が安価だったんですよ。ほら、柳川鍋の泥鰌に呑ませる日本酒も高価だったって話をしたじゃないですか。」

 羅針が答える。

「ああ、なるほど。安い輸入品のブランデーが物珍しさも加わって、大衆に受け入れられていった訳ですね。創業者はさぞ時流を読むのが得意だったんでしょうね。」

 平櫻が感心する。

「そうですね。その上、ワインやジン、キュラソーなんかをブレンドしてカクテルとして提供したことで、他と差別化を図ったのも天才たる所以ですね。」

「そうですね。って、これ、ワインやジンが入ってるんですか。ぜんぜん分からないですね。でも、この甘味はキュラソーが入ってるからなんでしょうね。それは何となく分かります。」

 平櫻はそう言って、味を分析するように舌の上で転がしてみるが、全然分からないようだった。


「でも、横浜でバーというものを教えて貰いましたけど、こんなバーもあるんですね。」

 平櫻はそう言って店内を改めて見渡す。

 大正から昭和に掛けての香りが色濃く残った店内は、レトロということばで片付けるには、少し違う感じがするが、その雰囲気は大正ロマン、昭和レトロといった言葉がよく似合う。

「そうですね。まだ、バーというものが浸透していなかった時代に出来たお店ですからね。西洋居酒屋って言う方がしっくりくるかも知れませんね。」

 羅針が言う。

「西洋居酒屋ですか。確かに柳川鍋屋のあの感じと同じですね。」

 長いテーブルに椅子が並べられた入れ込み席を思い出し、平櫻が言う

「ですよね。あの雰囲気の延長上に、この居酒屋があるのかも知れませんね。」

 羅針が頷く。


「そもそも、居酒屋っていつ頃から始まったんですか。」

「そうですね。庶民が自由に飲酒出来るようになったのは室町時代辺りからで、それまでは醸造と酒販は一緒におこなっていたのが、茶屋のように酒を提供する酒屋が出来たんですね。それが、江戸時代に入ると、酒屋で買った酒をその場で呑むという、居酒いざけというのが流行はやり出すんです。」

「いざけですか。」

「そうです。その場に居続けて呑むから居酒ですね。いわゆる今でいう角打かくうちの走りですね。

 それが、やがて摘まみを提供するようになり、今の居酒屋へと発展していくんですよ。特に江戸の街は独身男性が多かったですからね、需要は多いにあったでしょう。」

「なるほど、角打ちから発展したんですね。」

「もちろん、他にも料理屋が酒を提供するようになったとか、屋台から発展してきたなんて説もありますけどね。」

「へえ、流石お江戸ですね。皆さん商魂たくましい。」

 平櫻はそう言って感心する。

「そうですね。商売と言えば〔大坂〕ってイメージですが、江戸も負けてないですよね。」

 羅針が言う。

「確かにそうですね。」

 平櫻はそう言って感心頻りである。


 二人はそんな話に花を咲かせ、語り合った。

 隣で駅夫は、そんな二人の会話を聞くともなしに、チビリチビリと電気ブランを舐めていた。




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