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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾伍話 日本橋駅 (東京都)
167/181

拾伍之廿参


 老舗の泥鰌鍋屋で舌鼓を打ち、酒の入った旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人にとって、隅田川から吹いてくる夜風はとても心地がよかった。

 東京の夜はまさに不夜城。間もなく20時になろうとする時間は、東京の下町にとって、まだまだ宵の口である。


「夜の浅草寺せんそうじに行かないか。」

 駅夫が言う。

「参拝だけでもしていくか。平櫻さんもどうですか。」

 羅針も頷き、平櫻にも聞く。

「もちろんご一緒します。」

 平櫻もそう言って頷く。


 目の前の国道6号線は交通量も多く、車がひっきりなしに行き交っていた。

 三人は街の灯と車のヘッドライトが照らし出す歩道を浅草寺へと向かって歩き出した。


 吾妻橋あづまばしの交差点を、雷門通かみなりもんどおりへ向かって曲がると、かの有名な雷門かみなりもんの前に出てくる。

 言わずと知れた、聖観音宗しょうかんのんしゅう金龍山きんりゅうざん浅草寺せんそうじの山門である。


 昼間は、外国人も多く、自撮りしたり、記念撮影したり、タクシーや人力車を探してうろうろする観光客、その観光客たちに向かって飛んでくる商店からの呼び込みの声や、ルールを守らない観光客に対して拡声器で注意する交番からの声、そして飛び交う様々な国の言葉。

 まさに人種のるつぼと化す雷門前は、観光客が作り出すカオスが支配する世界である。


 しかし、夜の雷門前には、カオスに支配された世界はなかった。観光客がチラホラ見えはするものの、そこにあるのは、静けさと灯火だけだった。

 昼間の喧噪が嘘のように、雷門はただ夜空に浮かぶ門として、凛と佇んでいた。


「これが有名な雷門ですね。」

 平櫻は、ライトアップされた巨大な提灯がぶら下がった山門を見て、感激したように言う。

「スペーシアXに乗った時に浅草へ来たんですよね、その時は寄らなかったんですか。」

 羅針が聞く。

「ええ。あの時は羽田から直接浅草駅に来て、そのまま乗っていったので、浅草観光はしてないんですよ。」

 平櫻は少し恥ずかしそうに答える。

「そりゃ、あんな列車に乗れるんじゃ、他のことには目が行かないよな。」

 駅夫が言う。

「はい。そのとおりです。観光するなんて頭は全然なくて。終点の日光ではたっぷり観光したんですけどね。」

 平櫻はそう言って照れ笑いをする。


「ちなみに、この雷門は、正式には風雷神門ふうらいじんもんと言って、門に向かって右側に風神、左側に雷神が配されているんですよ。」

 羅針が説明する。

「へえ。こちらが風神で、こちらが雷神ですか。」平櫻が羅針の説明を聞いて、左右の彫像を見比べるように確認し「立派な像ですね。確か、この門は松下幸之助さんが寄進ししたんですよね。」と羅針に確認する。

「そうですね。元々この門は慶応元年、1865年に焼失してから、仮設の門が建ってるだけだったんですよ。今の鉄筋コンクリート造りの門になったのは、平櫻さんが言うとおりで、松下電器産業の松下幸之助さんが祈願して病気平癒した報恩として、寄進したそうですね。提灯にほら、〔松下電器〕ってあるでしょ。」

 羅針がそう言って提灯を指し示す。

「本当ですね。やっぱり、こういうのは実際に見に来ないと気付かないもんですね。」

 平櫻がそんな会社銘板も動画に収めていた。


「でも、雷門って名前、風神さんにとってはちょっと理不尽ですよね。」

 平櫻はそう言って風神の方を見る。

「風神さんにとっては確かに理不尽ですね。」

 羅針はその発想に微笑ましく思った。


「風神よ、お前はどうして風神なんだ。」

 駅夫がどこか芝居がかった台詞を風神に投げ掛けている。

われが風神である理由は、貴様が貴様である理由と変わりはない。」

 羅針がその台詞に乗ってやる。

「そうか、それならば仕方ないな。」

 駅夫はオチもなく、芝居がかった台詞をやめる。

「なんだよ、オチなしかよ。」

 折角乗ってやったのにと、羅針が駅夫を詰る。

「そりゃそうだよ、落とすのは雷神様の仕事であって、俺の仕事じゃないからな。」

 駅夫がそう言い返す。

「それじゃ雷を落とされてお前終わるな。」

 羅針が言う。

「何言ってんの、雷神様の怒りは買わねぇよ。なにせ俺は風神様と共にあるんだ。」

 駅夫が得意気になって言う。

「はあ、風上にも置けないヤツが何言ってんの。」

 羅針が小馬鹿にする。

「おっ、言ったな。この品行方正な俺を捕まえて。風神様どうかこいつに天罰をお与えください。」

 駅夫が振り返って風神に手を合わせる。

「おっ、お前がその気なら、こっちは雷神様を味方に付けるからな。雷神様、この男に鉄槌をお与えください。」

 羅針も振り返って雷神に手を合わせる。


 そして、二人は振り返りざまに、じゃんけんをした。駅夫がパーを羅針がチョキを出す。

「よし、俺の勝ち。」

「くっそぉ、負けた。」

「いつの時代も正義が勝つんだよ。」

 そう言って羅針は高らかに笑う。

「マジかよ。絶対勝てると思ったのに。あ~あ、今日は風向きが悪かったか。」

 そう言って駅夫は悔しそうだ。


 その様子を見ていた平櫻は目を白黒させている。いつもの茶番だと思って見ていたら、なぜか最後はじゃんけんになったのだ。いったい何のじゃんけんだったのか、どんな茶番だったか、理解が追いつかなかった。

「これが、五十年来の竹馬ちくばの友というヤツですね。」

 平櫻は感心したように言う。自分の理解を超える二人の行動をそう定義づけて理解しようとしたのだ。

「なにそれ、なんか改めてそんな風に言われると違和感だな。」

 駅夫が少し照れ臭そうに言う。

「ああ、確かに竹馬の友とは幼馴染みという意味ではあるけど、なんか違うな。」

 羅針も照れ臭そうにしながら首を捻る。

「そうですかね。私から見れば、充分竹馬の友ですよ。竹馬たけうま一つで仲良くなったり喧嘩したり、一緒に成長していくんですから。」

 平櫻が言う。

「そういう意味なら、こいつとは常に丁々発止、やり合ってきたもんな。」

 駅夫は納得する。

「そうですね。平櫻さんの言うことにも一理ありますね。なんか違和感しかないですが。」

 羅針もそう言うが、納得するまでには到らない。

「まあ、お二人の仲が良いことは分かりましたから、先に進みましょ。」

 そう言って平櫻が先を促した。


 雷門を潜ると、いつもなら賑やかで、通り抜けるのも一苦労する仲見世通なかみせどおりは、迷い込んだ観光客がチラホラ見えるだけで、完全にシャッターが降りていた。

 とはいえ、街灯もあり、通りは明るく照らされていて、怖さはない。


「この仲見世通りも結構見所があって、面白いんだけどな。」

 駅夫が平櫻に聞かせるように言う。

「そうなんですね。今度また昼間に連れてきてください。」

 平櫻がそう言ってにこりと笑う。

「ああ。良いよ。浅草なら何度でも飽きるぐらい連れて来てあげるよ。」

 駅夫がそう言って笑う。

「いや、飽きるのは遠慮しておきます。」

 平櫻はそう言い返して笑う。


 三人は仲見世通りを進む。シャッターは閉まっているが、電灯が灯されていて、そのシャッターに描かれた絵が鮮やかに浮かび上がり、まさに壮観である。

「このシャッターに描かれた絵は〔浅草絵巻〕と言って、平成元年に完成した、浅草のもう一つの名物なんですよ。」

 羅針が平櫻に説明する。

「素敵な絵ですね。浅草絵巻ということは、浅草が題材なんですね。」

 平櫻が言う。

「そうです。東京芸術大学の教授たちが監修した原画を元に、シャッター画としてアレンジしたものだそうです。

 内容は浅草の草創から、歴史、四季折々の風景、伝統行事、そう言ったものが描かれています。」

 羅針が説明する。

「へえ、そうなんですね。あっ、あれは三社祭さんじゃまつりですね。」

 平櫻が神輿を担いだ男たちの絵を指して言う。

「良く分かりましたね。浅草と言えば三社祭、江戸三大祭りの一つですね。凄い人出なので、見に来る人も揉みくちゃにされるんですよ。」

 羅針はそう言って笑う。

「そうそう、満員電車の方がまだマシかってぐらいだよな。」

 駅夫が口を挟む。

「そうなんですね。それは凄い。是非見に来てみたいですね。もの凄い熱気なんでしょうね。」

 平櫻が感心したように言う。

「三社祭は確か5月だから、来るなら来年ですね。」

 羅針が言う。

「じゃ、来年是非連れてきてください。お願いします。」

 平櫻が二人にお願いする。

「ああ、良いよ。」

「はい、良いですよ。」

 駅夫と羅針が声を揃えて応える。


 他にも、桜の絵や、出初め式の梯子乗り、ほおずき市の様子など、この絵巻を見ているだけで浅草観光を済ました気になりそうだ。

 そんな仲見世通りを通り抜け、三人は宝蔵門ほうぞうもんの前に来る。


 三人の目の前に現れたのは、ライトアップされた、巨大な入母屋造りの和様わよう三手先みてさき五間ごけん三扉さんぴ重層門じゅうそうもんである。

 二階建ての二重門にじゅうもんはその荘厳な門構えを以て三人の前に建っていた。


「この門は宝蔵門と言って、先代の仁王門が空襲で焼失したのを、戦後1964年に再建したものですね。二階に宝物が収納されていることから、この名が付いたようです。」

 羅針が平櫻に説明する。

「立派な門ですね。」

 平櫻はこの荘厳な二重門を見上げた。

「そうですね。立派な重層門、二重門ですよね。

 この門は大谷重工業の社長大谷米太郎(おおたによねたろう)ご夫妻の寄進に寄るものなんですよ。大谷米太郎さんはホテルニューオータニの創業者で、日本の三大億万長者と称されたこともある人物です。」

 羅針が説明する。

「へえ、凄いですね。門を寄進するってどんな気分なんでしょうね。」

 平櫻はそう言って、改めてこの大きな門を見上げた。

「ちなみに、目の前のあの提灯は、1659年に日本橋小舟町(こぶなちょう)の信徒が寄進したもので、10年毎に新調されているんですよ。脇の黒いのは提灯の形をした吊り灯籠で金属製なんです。奉納したのは魚河岸講うおがしこうですね。」

 羅針が説明を加える。


「そうなんですね。松下幸之助さんといい、大谷米太郎さんといい、小舟町や魚河岸講の皆さんといい、門とか提灯とか、こうして寄進される理由は何かあるんですか。」

 平櫻が羅針に聞く。

「色々理由はあると思います。一つは宗教的な理由で、山門は俗世と修養の場を分ける境界でもあった訳で、人々が山門を潜るというのは、俗世を離れる通過儀礼でもあった訳です。その通過儀礼の場を示すのがこの山門であり、提灯であるという訳です。

 また、提灯というのは、道標みちしるべの意味もありました。なので、俗世で迷った人々を教え導くという意味もあったようです。

 そういうものを寄進することで、功徳を積む。つまり、お賽銭の最たるものという意味合いですね。

 お賽銭とはそもそも浄財と言って、身銭を切ることで功徳を積むという考え方から来るものですから。」

「そんな崇高な意味があったんですね。」

 羅針の説明に平櫻は感心したように言う。


「ただ、もう一つは、宣伝広告の役割もあったんですよ。今で言う、渋谷なんかで見かける大型広告ビジョンみたいなものですね。つまり、山門や提灯を寄進することで、その寄進した企業や個人の宣伝に寄与するというものですね。現在はそう言ったことは憚れるようですが、昔はそう言った側面もあったと言われています。

 ちなみに、先代の仁王門時代には、両脇の提灯には四日市と書いてあって、日本橋と江戸橋の間にあった市場が寄進した提灯が下がっていたようです。まさに宣伝ですよね。」

 羅針が説明を加える。

「なるほどそんな意味もあるんですね。そういうのは俗人の私にも分かりやすいですね。確かに大きな宣伝効果が見込めますもんね。」

 平櫻は感心したように言う。


「松下幸之助さんや大谷米太郎さんが、宣伝目的で寄進したとは言いませんし、純粋に報恩としての寄進であるとは思いますけど、人々がその寄進した経緯を知ることによる宣伝効果は、計り知れないと思います。この小舟町もそうですよね。浅草寺に来る人は必ず目にしますからね。

 ちなみに、この小舟町は、日本橋橋梁のある中央通りから少し東に行ったところにある地域で、半蔵門線の人形町にんぎょうちょう駅の手前になります。」

 羅針が更に付け加える。

「確かに、純粋に寄進したい人がそんな風に言われるのは、心外かも知れませんね。でも、結果的に大きな宣伝効果にはなりますよね。世界の松下は提灯のお陰かも知れませんね。」

 平櫻が納得したように言う。

「そうですね。もちろん、社員の皆さんが努力した結果ではありますけど、提灯が後押ししたことは間違いないでしょうね。」

 羅針も平櫻に同調する。


「さあ、本殿にご挨拶しましょうか。」

 羅針はそう言って、先を促す。




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