拾伍之廿
東京スカイツリーの初登塔を終えて、エントランスロビーから出てきた旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、感慨深げに塔を見上げた後、スカイツリーの足元にある商業施設のビルに入ってウインドウショッピングをすることにした。
「カモ御一行様、こちらです。」
駅夫がツアーガイドよろしく、旗を振る真似をして先頭を歩く。
「はい、はい。」
「まだやってるよ。」
平櫻が半分呆れ気味で、羅針は完全に呆れていた。
この商業施設には、お土産屋はもちろん、キャラクターグッズやファッション、雑貨、レストランやフードコートが並ぶ。地下三階の押上駅連絡通路から、地上31階のレストランフロアまで様々な施設が揃っている。中には水族館やプラネタリウムなどもあり、一日いても飽きないような複合商業施設になっている。
三人は、何を買うでもなく、まずは四階を一店一店見て廻る。
猫をモチーフにしたキャラクターの店舗には女の子たちが、アメコミのキャラクターの店舗には男の子たちが群がっていた。
そういうファンシーなファッションや雑貨などの店舗が並ぶ中、梅干し専門店や、包丁専門店など、伝統的な、ザ・ジャパンとでもいうような感じの店も並んでいて、そのチグハグ感がこの商業施設の魅力にもなっているのだろう。外国人の観光客も数多く見受けられた。
「そろそろ18時を回るけど、ここでめしにするか、日本橋に戻ってから探すか、どうする。」
四階を一通り見た後、羅針が駅夫に聞く。
「そうだな。どっちでも構わないけど、平櫻さんはどうする。何か食べたいものとかあれば。」
駅夫が平櫻にも聞く。
「あの、柳川鍋ってこの辺りの料理ですよね。もし良ければ、食べてみたいです。」
平櫻が遠慮がちに言う。
「柳川鍋って泥鰌ですけど、大丈夫ですか。」
羅針が一応確認する。
「はい。大丈夫です。というか、食べたことないので、大丈夫かどうか分かりませんが、一度は食べてみたいなって思ったので。」
平櫻が答える。
「駅夫はどうだ。」
羅針は、駅夫にも確認する。
「柳川なら俺も食べたいな。久しぶりだし。」
変わりものにはいつも拒否反応を示す駅夫だが、どうやら泥鰌は別物らしい。久々に聞いた柳川という言葉に、顔を綻ばせている。
「じゃ、浅草に移動するか。泥鰌と言えばあの店しかないからな。」
羅針が言う。
「浅草って、ここから近いんですか。」
平櫻が遠慮がちに聞く。
「まあ、近いと言えば近いですよ。東武なら一駅、地下鉄でも二駅ですからね。」
羅針が答える。
「そうなんですね。そしたら、お願い出来ますか。」
平櫻が言う。
「良いですよ。私も柳川は久しぶりなんで。是非頂きましょう。」
そう言って、羅針は東武のとうきょうスカイツリー駅の方へと移動を始める。
駅夫と平櫻もその後を追うように付いていく。
商業施設を一階まで降り、四階と同じような店が並ぶ通路を抜けて、表に出てくると、愛称を東武スカイツリーラインという東武伊勢崎線の駅、とうきょうスカイツリー駅の目の前に出てくる。
駅夫が蘊蓄を欲しそうな顔を羅針に向けたため、羅針がこの駅について説明を始める。
「元々、この駅は業平橋駅という名称だったのが、スカイツリー完成と共に改称されたんだよね。
ただ、この駅も立地のせいなのか紆余曲折があってね、1902年に開業した時には吾妻橋駅という名称だったんだ。吾妻橋は、隅田川に架かる有名な橋の名前だよね。
ところが、その2年後の1904年に東武亀戸線が開業して、両国橋駅、今の総武緩行線両国駅に乗り入れを開始すると、一旦廃止となるんだ。
だけど、時代の流れなのか、1908年に貨物輸送の需要に応えるために再び貨物駅として復活し、1910年に今度は浅草駅として旅客営業を再開するんだ。
時が過ぎ1931年に浅草雷門駅、今の浅草駅が開業すると、再び名前を変えて、業平橋駅となるんだ。
ちなみに、業平橋っていうのは、駅の南西に大横川っていうのがあって、そこに架かっていた橋の名前から採ったらしいね。
そして、東京スカイツリーの開業で今の駅名に改称されたんだ。
それと、今の駅名が東京を漢字表記じゃなくて、平仮名にしているのは、東京と名の付く他の駅名と差別化を図るためと、外国人にも親しみを持って貰うためらしいね。」
羅針が熟々ととうきょうスカイツリー駅について説明する。
「そうそう、そういうのが聞きたかったんだよ。そういうのを聞くと、旅って感じがするだろ。
でもさ、三回も名前を変えてるなんて、何か結婚式で三回もお色直しをした花嫁みたいだな。」
駅夫は満足そうに言いながらも、その三回改称という事実に驚きを隠せなかった。
「三回のお色直しって、確かにそんな感じかもな。」
羅針が小刻みに頷いている。
「三回もお色直しなんて、凄い贅沢ですよ。芸能人でも二回ぐらいがせいぜいじゃないですかね。ましてや、今の時代そんな贅沢は流行らないですし。」
平櫻は羨ましそうに言いながらも、有り得ないと言った風に頭を横に振る。
「でも、まあ、それ位凄いってことだよ。三回も名前を変えるっていうのは。」
駅夫が言う。
「確かに、そうですね。有り得ませんもんね、三回もお色直しなんて。」
平櫻はそう言って納得する。
「ちなみに、日本で一番改称した回数が多い駅は阪急電鉄千里線の関大前駅で、今の駅名は六回改称した結果、七つ目の名前になるんだよね。正確には一回同じ名前に戻ってるから、六つ目ということになるけど。」
羅針が言う。
「六回!」
「六回ですか!」
駅夫と平櫻が声を揃えて驚く。
「そう。六回。確か、開業時は花壇前駅で始まって、千里山遊園駅、千里山厚生園駅と改称し、千里山遊園駅に戻したと思ったら女子学院前駅、花壇町駅と改称し、1964年に今の関大前駅になったんだよね。」
指折り数えながら羅針が説明する。
「確かに六回だ。」
駅夫は羅針が折った指の数を見て頷く。
「六回のお色直しなんて、贅沢の極み過ぎて私の想像を超えちゃってます。」
平櫻はそう言って単なる改称を、先程駅夫がたとえたお色直しと完全にごちゃ混ぜにしているような口振りだ。
「平櫻さんでもご存じなかったんですか。」
羅針が珍しいとばかりに聞く。
「はい。初めて聞きました。阪急千里線は乗ったことありますけど、関大前駅のことは初耳です。」
平櫻が言う。
「そうなんですね。」
羅針は少し寂しそうな顔をした。平櫻ならそれ位知ってるもんだと期待していた分、知らなかったことに驚き、勝手に残念に思った。だが、20も歳が違うんだから、当然知らないことがあっても不思議ではないし、知識の量が同じとは限らないのだ。
羅針はそう思い直し、改めて歳の差というものを認識してしまった。
「で、今これ何の工事をしているんだ。」
駅は現在工事が続けられており、白い鉄の壁が通路を狭めていた。
「これは線路の高架化と、駅の新設だね。」
羅針が答える。
「高架化って、もう高架になってるじゃん。」
駅夫が言う。
「そうだね、ここはもう高架化工事が終わってるからね。今高架化工事をしているのは下り線と、留置線になるのかな。」
羅針が説明する。
「じゃぁ、この辺も更に様変わりする訳だ。」
駅夫が言う。
「そうだな。」
羅針が頷く。
「完成予定は?」
「確か令和10年だから、2028年頃だね。」
「あと4年か。まだまだ先だな。」
「だな。」
「それじゃ、行こうか。」
駅夫からの質問が途絶えたので、羅針がそう言って西口へ向けて歩き始める。
「おう。」
「はい。」
駅夫と平櫻が応える。
三人は改札を抜け、ホームへ上がると、目の前には下り線用のホームが工事中だった。
現在下り線は元のホームをそのまま使用していて、工事が終了したら、こちらに移る予定のようだ。
「まさに工事真っ只中だな。」
新しく上り用として共用されたホームで、駅夫が目の前の工事現場を見て、開口一番そう言う。
「だな。新しくなったら、また色々と雰囲気が変わるんだろうな。」
羅針がカメラで写真を撮りながら言う。
「私たち、まさに景色が変わる瞬間に立ち会ってるんですね。」
平櫻も動画を撮りながら言う。
「そうだね。俺たちも歴史の生き証人ってヤツだ。」
駅夫が大袈裟に言う。
「なにが歴史の生き証人だよ。ただの工事現場の目撃者だろ。これが日本初の地下鉄の工事現場とか、リニア新幹線の工事現場とか言うなら話は違うけど。」
羅針が呆れたように言う。
「分かんねぇよ、もしかしたら、この高架工事によって、時代が大きく変わったなんてことが将来起こるかも知れないじゃん。」
駅夫はそう言って引き下がらない。
「分かった、分かった。どんな歴史的出来事が起こるのか楽しみにしておこうな。」
羅針はそう言って呆れ顔をした。
「おう、楽しみにしてろ。」
駅夫は根拠もなく自信ありげに言う。
やがて、浅草行き10000系10030型50番台が入線してきた。波状のコルゲーションが目立つ銀色のアルミ車体に、ロイヤルマルーンと呼ばれる茶系色の帯が走る車体は、東武鉄道の顔と言っても良い車体の一つだ。
車内に入ると、年季の入った車体であることが其処此処に見出せるが、丁寧に手入れされているのだろう古くささは感じない。
「一駅だからすぐ着くぞ。」
駅夫が先頭車両へ行こうとしたので、羅針が言う。
「良いんだよ。浅草駅に入っていくところを見たいんだから。」
駅夫がそう言って、先頭車両へと向かって行った。
「本当に、旅寝さんて前面展望が好きですよね。」
平櫻が言う。
「あいつは子供の時から、電車に乗ると前に行きたがるんですよ。もう習慣のようなものですね。」
羅針が応える。
「旅寝さんの習慣も年季が入ってるんですね。」
平櫻がそう言って笑う。
「ですね。高いところが好きな煙と大して変わらないかも知れませんね。」
羅針も頷いて笑った。
「それって……、旅寝さんに悪いですよ。」
平櫻は皆まで言わずに笑った。
列車は隅田川に掛かる橋梁をゆっくりと渡り、左へ大きくカーブを描くと、浅草駅が入るビルへと吸い込まれるように入線していく。
浅草駅は浅草寺を中心とした観光地の玄関口であるが、この駅が出来たのは、銀座線が東洋初の地下鉄として開業した浅草駅に、浅草雷門駅を造り、東武伊勢崎線を延伸したのが始まりである。
駅ビルは東京初の百貨店直結型で、2階に位置するホームは3面4線の頭端式となっていて、ホームは5番線まである。つまり、4番と5番ホームが一つの線路を共有しているのだ。ちなみに5番ホームはスペーシアXの専用ホームとなっている。
2番ホームに着いた列車から羅針と平櫻が降りると、先頭車両からも駅夫が降りてきて、二人を待っていた。
「堪能出来たか。」
羅針が駅夫と合流して聞く。
「ああ。やっぱりこういう形のホームに入っていくのは面白いな。」
駅夫が応える。
「頭端式な。」
羅針が言う。
「そう、その頭端式。こういうのが旅の醍醐味って言うか、都内に居ながらにして、旅情が味わえるっていうもんだよな。」
駅夫が嬉しそうに言う。
「まあ、それは否定しないけど。」
羅針は苦笑いをしていた。
「そう言えば、平櫻さんスペーシアXに乗ったんですよね。あのホームを使ったんですね。」
羅針が今は何も留まっていない5番ホームを指差して言った。
「そうですね。懐かしいですね。でも、考えたら乗車したのって去年の秋なんですよね。一年経ってないんですけど。」
平櫻は懐かしそうに言う。
「羨ましいですよね。」
羅針は以前静和で聞いた平櫻の乗車体験談を思い出していた。
「今度は三人で乗りましょうね。予約が取れたらですけど。」
平櫻が言う。
「そうですね。予定を合わせて是非。」
羅針もそう言って頷いた。
帰宅ラッシュを迎えた浅草の駅を、三人は改札口へ向けて歩き出した。