拾伍之拾玖
東京スカイツリーの五階に降りてきた旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、地上に降りてきたことで、どことなくホッとした気持ちが過ぎった。
地に足を着けるというのが、人間の本能としてどこか安心感を与えるのだろうと、三人はそれぞれ心の中で想像していた。
三人は思わずトントンと足を踏みならしてしまい、お互いに顔を見合わせて笑った。
「この後どうする。」
駅夫が羅針に聞く。時刻は16時半を回ろうとしていた。正味二時間ほど上にいたことになる。
「そうだな。そこのお土産物屋を覗いてから、ソラマチを見て廻るのも良いかもな。」
羅針が提案する。
「だな。平櫻さんはどうする。ネギからの提案です。」
駅夫が言う。
「そうですね。カモとしては、その提案に乗りましょう。って誰がカモなんですか、もう。」
平櫻がそう言うと、三人は思わず声を上げて笑った。
「じゃ、カモ御一行様は土産物屋へレッツらGo!」
駅夫は懲りずにそう言って、先頭で旗を振る真似をしながら移動を始めた。
エレベーターホールからすぐのところにあるのは、展望台にも出店していた店舗だ。さっと見た感じ、ラインナップは然程変わらないが、上で販売していないものもいくつかあり、平櫻は家族や友人へのお土産と称していくつか買い足していた。
駅夫と羅針も、東京スカイツリーのキャラクターがあしらわれたキーホルダーを購入した。以前旅のお供にと琵琶湖の竹生島にある宝厳寺でいただいた幸せ願いダルマの弁天様のストラップが、二人のリュックにはぶら下がっているが、そのお供にこの星の頭をした女の子のキーホルダーをぶら下げることにしたのだ。
「旅と言えば、やっぱり女神は付きものだからな。」
駅夫が言う。
「そうだな。旅に女神様は必要だからな。」
羅針もそう言って頷く。
「あの、どうして旅には女神が付きものなんですか。男神?、男の神様でも良いと思うんですけど。」
平櫻が聞く。
「そうですね。信仰心の問題なんで、男神でも女神でも、自分が信じるものを信じれば良いと思うんですよ。ただ、歴史的に見れば旅行には女神へ加護を求めることが多いですね。」
羅針が簡単に答える。
「そうなんですね。でもなぜ女神なんですかね。」
平櫻が更に質問する。
「女神である理由ですか。
諸説あるでしょうし、正確な歴史的事実は分かりませんが、旅が自然の脅威に怯えながら、命懸けでするものだったことと関係しているんではないかなと、私は考えています。
つまり、旅を脅かす自然に対し、その怒りを鎮めて貰いたいという願いが、自ずと女神への信仰と結びついたんだと思うんです。
要するに旅をする場所である海洋や大地は、ものを産み出し、豊穣の恵みを与えてくれる存在、いわば女性のイメージなんですよ。だから女神信仰に自然と結びついた。それが長い年月を経て、風習、習慣、文化へと昇華していったんだと、私は考えています。
それが信仰の自然な帰結だと思うからです。
もちろん、私見なんで、歴史的に正しいとは言えないと思いますが、当たらずとも遠からずだと思ってます。」
羅針が持論を展開する。
「なるほど。理に適ってますね。確かに、海洋や大地の神様は女神が多いですし、その女神に旅の安全を祈願するというのも分かります。
でも、女神っていうのが腑に落ちないんですよね。もちろん神様だから人々を守り導く存在ではあるのでしょうけど、危険や災難から守ってくれるような力強さは感じないんですよね。どちらかというと、『今日も無事で良かったね』みたいな感じで、ただ見守ってるだけのような気がするんですよね。
それなら、海洋でいえばポセイドン、大地でいえばウラノスのような、どこか力強さのようなものを感じる男神の方が、守られているっていう安心感がある気がします。」
平櫻が羅針の持論に異論を唱える。
「確かに、日本でも海洋の男神である底筒男命に航海の無事を祈念したり、大地を開き導く男神である猿田彦命に旅行の無事を祈念したりします。私もこの旅で何度も猿田彦命に旅の無事を祈念してきました。
だから、平櫻さんが言うように、女神に安心感をもてないというのであれば、男神に安心感を求め、祈念することも全然問題ないし、むしろそうしても良いと思います。
ただ、歴史的な信仰心の風習や文化は、あくまでも多くの人々が培ってきたものであるということであって、私たちが女神に加護を求めるのもそう言った習慣からくるものだと思います。
当然、平櫻さんの信仰心を制限するものではありませんし、もちろん信仰しないという選択肢もありです。
私たちのリュックに着いているこの弁財天様は、才覚や財宝の神様として崇められる存在ですが、交通安全の御利益もあるとされる神様です。私たちはこの弁財天様を旅のお供として、安全に旅が出来るよう見守って貰おうと、連れて歩いているんですよ。
ある種、心の拠り所みたいなものですね。」
羅針が丁寧に持論の説明をし、平櫻の疑問に答える。
「心の拠り所ですか。
私も、旅行好きとして各地の神社仏閣には良く訪れるので、もちろん参拝することも多いですし、色んなことをお願いしてきました。でも、それって、神様に叶えて貰うというよりも、誓いを立てるというような意味合いの方が強いと思っていました。」
佳音は心の拠り所という言葉に、今まで自分が信仰と称しておこなってきた行動である、参拝というものに対して、どんな気持ち、どんな態度だったのかを、改めて思い知らされたような気がした。
それが正しいとか、正しくないとかではない、それは星路もそう言っていた。自分が信じるものを信じれば良い。信じたくなければ信じなければ良いとも。
ならば、旅寝と星路が女神を旅のお供にし、旅を見守って貰っていることに、異を唱えることは筋が通らないし、不見識であると言わざるを得ないし、二人を馬鹿にし、蔑んでいることに他ならない。
佳音は、そう考えていた。
「確かに、それで良いと思いますよ。子供の頃から駅夫の母親がよく言ってました。『努力しない人に神様は願い事を叶えてくれないんだよ。』ってね。神様に願い事をするっていうのは、努力しますと誓いを立てることですから。自分の努力を見守ってくださいとお願いすることでもあるんです。そう考えたら、平櫻さんのその考えは良いことだと思いますよ。」
羅針が言う。
「旅寝さんのお母様がそんなことを仰ってたんですね。なんか、親近感が湧きますね。」平櫻はそういって微笑む。そして「なぜ、女神である必要があるのか、ふと疑問に思ったのですが、信仰というものが、人々の心の発露に依るもので、自由なんだと聞いて、旅の加護をするのが女神であるという等号式は、別に守るべきものではなくて、そういう風習、習慣、文化であるのだということが分かりました。」
平櫻が納得したのか、何度も頷きながら言う。
「そうですね。信仰は誰からも強制されたり、強要されたりするものではない。ただ、そういう文化があるということです。」
羅針が平櫻の理解にお墨付きを与えるように言う。
「ありがとうございます。漸く腑に落ちた気がします。」
平櫻はそう言って頭を下げた。
「どういたしまして。」
羅針は、こうして平櫻と議論することを楽しいと感じており、考え方を擦り寄せることの楽しさを味わえることに、喜びを感じていた。
「議論に興じるのは良いけどさ、ネギとしては、そろそろウチのカモ女神様と一緒に、次の鍋に移りたいと思うんだけど。」
二人の話を傍で聞いていた駅夫が、冗談交じりに言う。
「誰がカモ女神様ですか。もう。」
平櫻が口を尖らかす。
「では、女神様、次へ参りましょうか。」
羅針も駅夫の冗談に乗り、軽く頭を下げ、慇懃で優雅に右手を振って行き先を指し示した。
「もう、星路さんまで。」
平櫻は口を尖らかしながらも、その顔には笑顔が溢れていた。
駅夫と羅針は、声を上げて笑っていた。
三人は四階へ降り、エントランスロビーへと戻ってきた。
先程詳しく見るのを諦めた、スカイツリーアーカイブスを、三人は詳しく見ることにした。
押上地区と東武鉄道の120年と称し、江戸から明治、大正、昭和、そして平成へと移り変わっていく歴史が、絵や写真、文章で事細かに説明されていた。
特に昭和では、空襲、オリンピック、高度経済成長へと到る、日本がどん底から大きく世界に羽ばたいていったことが、この押上という地区にどう影響を与えたのかが説明されていた。
そして平成に入り、時代はミレニアムを迎えると共に、テレビもアナログからデジタルへと変わり、電波塔も東京タワーに替わる新たな担い手として、東京スカイツリーの建築が開始された。
最後の締めくくりとして、開闢の儀に着用された式三番叟の白装束が飾られていた。
「式三番叟って何。」
駅夫が聞く。
「能楽の演目の名称だね。式三番というのは例式の三番の演目という意味で、〔父尉〕〔翁〕〔三番猿楽〕の三演目を指すんだよ。叟というのは、翁とか年寄りという意味の言葉で、時代が下ると共に略称として付随したようだね。」
羅針が簡単に説明する。
「なるほどね。能楽の衣装なんだ。」
駅夫がそう言って感心した。
「そう、この式三番叟は、能楽の中でも、特に古風な様式で演じられる点でも、特別な演目であると言えるんだ。三演目はそれぞれ直接の関係はないけど、必ず三番一組として演じるもので、どれも老体の神が祝言、祝舞をおこなうものなんだよ。まあ、要するにおめでたい席で演じられる演目と言うことになるかな。」
羅針が追加で説明する。
「だから、開闢の儀として演じられたってことか。」
「そういうことだろうな。」
その装束の隣には、大型ビジョンに、開業10周年を記念して、歌舞伎役者がにらみを披露している映像が流されており、歌舞伎の独特な口調で口上が流されていた。
更にその奥には、電波塔としての東京スカイツリーについて詳しく説明されていて、各種電波設備や、これから東京スカイツリーが担っていく役割についても言及されていた。
そして、往きも気になっていたが、大きな隅田川の絵地図が壁一杯に描かれたコーナーがあり、そこでは絵地図に合わせて、モニターで地域のコミュニティと文化を紹介していた。
たっぷりと時間を取って、その資料を見て廻った三人は、エントランスロビーから外に出て、改めてその巨大な電波塔である、スカイツリーを見上げた。
そこにあるのは、登塔前に見たただの巨大な電波塔ではなく、三人の心の中にある種感慨のような、親しみにも似た感情が湧き上がっていた。
「楽しかったな。」
駅夫がボソリと言う。
「だな。」
羅針は言葉もない。
「ええ。とっても楽しかったです。連れてきていただいてありがとうございます。」
平櫻はそう言って塔を見上げながらも、隣に立つ旅寝と星路の二人にも感謝していた。元はといえば、平櫻の我が儘を聞いて貰ったのだから。
「良いんだよ。こっちこそ初登塔が出来たんだから。お互い様ってことで。」
駅夫が言う。
「そうですよ。こんな機会でもなければ、なかなか上がろうなんて思わないんですから。こちらこそありがとうございます。」
そう言って羅針もお礼を言う。
最後に三人はエントランスをバックに記念撮影をし、スカイツリーを後にした。




