拾伍之拾漆
半蔵門線の押上駅から一階に上がった三人は、スカイツリーをバックに記念撮影をした後、エスカレーターで四階に上がり、土産物屋が並ぶフロアを抜けて、エントランス前の広場に出てきた。
改めて、スカイツリーを見上げた三人は、ここでも写真を撮る。
「スカイツリーのこの形は、空に向かって伸びる木をイメージしてるんだって話だね。」
羅針が塔を見上げながら言う。
「それで、スカイツリーか。」
駅夫が言う。
「そういうことだ。
このシルエットは、伝統的な日本建築に見られる、〔反り〕とか〔起り〕を意識してるんだって。」
羅針が言う。
「反りは分かるけど起りってなんだ。」
「起りっていうのは、部材が加重によって撓むのを予め見越して、撓みとは逆方向に反らせておく手法を言うんだよ。ほら、少し反った感じしてるだろ。」
「確かに。これが、その起りってヤツなのか。」
駅夫が塔を見上げて聞く。
「そういうことらしいな。」
羅針が頷く。
「それにしても不思議な形してるよな。下が三角形で、上が円形だろ。これも何か意味あるのかな。」
駅夫が聞く。
「三角形は、もちろん三脚と同じで安定しているってのもあるけど、隅田川と荒川と交通の東西軸で囲まれたこの押上地域を象徴する形状だって、説明されてたな。」
「隅田川と荒川は分かるけど、交通の東西軸ってなんか取って付けたようだな。」
「まあ、何事もそんなもんだよ。理由なんて後付けだからな。」
「そんなもんかも知れないけど、もっとなんか、歴史と文化と地域社会みたいなさ、何か他にも色々あったと思うんだけどな。」
「そう言うなよ。広報としてはそれが一番良いって思ったんだから。ましてやほら、親会社が東武だからさ。交通って部分は外せなかったんじゃないかな。」
「いや、別に文句がある訳じゃないし、悪くはないけど、なんかもっと、もっともらしいのがあったと思うんだけどなって、そう思っただけ。」
「まあ、いずれにしても三っていう数字は最低限で安定する数字だからね。上部に向けて円形になっていくっていうのも良いシルエットになってると思うんだよね。」
「それは、俺も同意する。」
そう言って駅夫は頷いたが、どこか納得はしていないようだ。
外観を堪能した三人は、いよいよ展望台へと向かうことにした。
エントランスを一歩中に入ると、そこには広いロビーが広がり、左手には東京スカイツリーが建つ押上とその周辺地域に関する、人や文化、産業の歴史を、年表や写真、映像などで見ることができた。また、東京スカイツリーの電波塔としての役割や、塔自体の解説などが展示されているようだった。
「ここも、じっくり見ていたいけど、先に上に登るか。」
羅針が駅夫に言う。
「そうだな。お前のことだから、ここ見始めたら陽が暮れちゃうだろ。」
駅夫はそう言って笑う。
「何も言い返せねぇよ。」
そう言って羅針も笑う。
平櫻はそんな二人を微笑ましく見ながら、始めて来た東京スカイツリーをすべて目に焼き付けるかのように、辺りを見回しながら、動画を撮影している。
エントランスの内装は、どこも近代的な装飾が施されているのだが、どこか懐かしい和のテイストも感じられる雰囲気があった。
通路の奥へ進むとチケット売場があり、三人は当日券を購入して、少し並んだが、漸くエレベーターの前へと到着した。
このエレベーターは四基あり、それぞれ春夏秋冬を表しているらしく、三人は夏のエレベーターに乗った。
中は江戸切り子で花火を表現した模様が描かれ、光の演出がなされていた。
「綺麗ですね。」
平櫻が装飾を見ながらうっとりと感嘆する。
「だね。隅田川の花火か。昔一度見に来たけど、凄い人集りだったよな。」
駅夫が羅針に言う。
「ああ。あの時は花火を見に来たのか、人混みを見に来たのか、分からないぐらいだったからな。」
羅針はそう言って笑う。
エレベーターは分速600m、50秒で350mの展望デッキに到着するという。
扉上部には現在の高さが表示されていて、目まぐるしく数字が上がっていく。流石にこのスピードである、気圧の変化に耐えられず、耳が悲鳴を上げていた。
三人はまるで池の鯉のように、口をパクパクさせて、耳を宥め賺して耳抜きをしていると、あっという間に到着した。
「早いな。」
駅夫が言う。
「あっという間だったな。」
羅針が応える
「耳がまだ痛いです。」
平櫻が耳をマッサージしながら言う。
エレベーターの扉が開くと、まるでステージのカーテンが開くように、光が目に飛び込んできた。
平日の昼間ではあるが、展望デッキにはかなりの人がこの天空からの景色を楽しんでいた。
「結構人がいますね。」
平櫻の開口一番の感想がそれだった。
「やっぱり人気なんだな。」
駅夫が言う。
「そうだな。」
羅針も頷く。
三人はそのまま前に進んでいく。
正面は南の方角で、左の方が千葉方面、右の方が神奈川方面を見渡せる。
生憎の曇りだったため、遠くまで見渡すことは出来なかったが、夢の国や、横浜のランドマークタワー、東京タワー、お台場のテレビ局など、良く知っている施設や建物を見付け出すのが楽しい。
「これだけ高いところにいると、まるでジオラマだな。」
下を見下ろして駅夫が言う。
「本当にそうですね。玩具みたいです。でも、この高さは流石にちょっと怖いですね。」
平櫻も下を見て共感する。
「こうしてみると、東京ってビルがぎっしりだな。立錐の余地なしってまさにこのことだな。」
そう言って、羅針も隣で足が竦む思いで見下ろす。
あれがどこだ、そこがどこだと三人で言い合いながら、暫く景色を眺めていた三人は、ひとまずぐるりと時計回りに廻ることにした。
西側は六本木、渋谷、新宿辺りのビル群が玩具のように見える。その奥に本来なら富士山が見えるはずだが、今日は雲が懸かって裾野しか見えていない。
北の方に廻ると、さいたま新都心のビル群がポコッと顔を見せていて、その奥に群馬から栃木に掛けての山々が見えている、こちらも雲が懸かっていて、どれがどれかは分からないが、榛名山や赤城山、男体山などが見えているはずである。
更に東へ廻り、茨城、千葉方面を眺める。雲が懸かった筑波山、飛行機がひっきりなしに離着陸を繰り返す成田空港の辺りも見ることができた。
地理に明るい羅針が全部説明してくれるので、駅夫と平櫻は、自分が知りたいものを羅針に聞くだけである。
「結構遠くまで見えるんだな。」
駅夫が言う。
「そうだな。曇っていて、山は悉く駄目だったけど、街がほぼ見えたのはラッキーだったかもな。」
羅針が言う。
「ここまで見えれば充分ですよ。また、晴れた時に来たいってなりますし。でも、望遠鏡が欲しいですね。」
平櫻も言う。
「そうだな。羅針、お前のカメラの望遠はどこまで見えるんだ。」
駅夫が羅針に聞く。
「ああ。このレンズは400㎜だから、理論値で8倍程度だね。だから、たとえばあそこの筑波山はここから約60㎞強離れているけど、このレンズで撮影すると7.5㎞手前まで引き寄せたように写せるってことだ。
羅針が簡単に説明する。
「それってすごくね。」
駅夫が感嘆するように言う。
「確かにこのレンズは凄いし、望遠レンズとしての性能も良いけど、たとえば、筑波山の手前に牛久の大仏があるだろ。ここからは点にしか見えない、というか、どれか分からないけど……。」
「ああ。あの巨大な大仏な。確かにここからじゃ判別付かないな。」
「そう、あれを8倍に拡大したと考えてみな。あの大仏が7㎞先に移動してきたとしても、そこら辺のビルと変わらない大きさにしかならないって話。」
「7㎞先ってどの辺りだ。」
「ここから7㎞っていうと、正確には分からないけど、東武線の営業キロで言えば北千住辺りになるかな。」
「つまり、北千住に大仏が立ってるってことか。」
「そう。牛久の大仏は高さが約120mっていうから、北千住にある40階建てのビルをここから見ているようなものってことになるな。」
「あの辺のビルがその位か。」
駅夫が北千住の辺りを指差す。
「そうだな。」
駅夫が指差す先を見て羅針は頷く。
「確かに、どれも豆粒か。」
「だろ。そんなもんなんだよ。」
羅針はそう言って、手の中にある一眼レフへ、まるで愛おしい我が子を見るような視線をやる。
「そろそろ、上に上がらないか。」
駅夫が天望回廊へ行こうと言う。
「そうだな。少し並んでたしな。」
羅針が言う。回廊へのエレベーターには列が少し延びていたのだ。
「そうですね。行きましょう。」
平櫻も頷く。
三人は更に景色を見ながら、北側にあるエレベーターの列に並ぶ。2回分位の待ち列が出来ていた。
順番を待って乗り込んだ、展望回廊へ上がるエレベーターは、天井の一部が透明になっていて、見上げると塔の内部構造が良く分かる仕組みになっていた。そして、扉もガラス張りになっていて、外が見えるようになっている。
一緒に乗り合わせた客の中から「怖い」の声が上がっていた。
三人も声は上げなかったが、確かに怖いなと思った。この高さで外が見えるエレベーターが上がっていくのだ、たったの30秒程だったが、凄く長く感じた。
到着したのは、天望回廊の下の階である445mの高さである。ここから塔の周りを歩いて廻りながら上の階へと上がっていくのが天望回廊である。
「あれは、隅田川か。」
駅夫が真下に流れる川を指差して言う。
「そうだな。」
羅針が頷く。
「あそこのエックスの形した橋は分かりますか。」
平櫻が聞く。
「ああ、あれは桜橋ですね。
周辺の桜並木から名前を採ったんだと思います。自転車・歩行者専用橋梁で、隅田川の景色を存分に楽しめる工夫が随所にされているんですよ。ドラマのロケ地としても有名ですね。」
羅針が答える。
「それで見たことあるんですね。ところで、隅田川の桜って、土手を突き固めるために植えたって話ですよね。」
平櫻が言う。
「そうですね。そもそも、隅田川に桜が植えられたのは、四代将軍家綱が1650年代に常陸国桜川、今の茨城県稲敷市桜川から、桜の苗木を取り寄せて植樹したのが始まりらしいですね。
本格的に並木が出来たのは、八代将軍吉宗が1717年に100本を、その9年後に柳や桃と一緒にそれぞれ150本を植樹したことで、並木として整備されたと言われていますね。
その後も、有志によって徐々に増やされていって今の桜並木が出来上がったってことらしいです。」
羅針が説明する。
「そうなんですね。そういう話を聞くと、壮大な時間の流れを感じますね。」
平櫻が桜並木の歴史に、時の流れを感じ、思いを馳せた。
「隅田川の花火って、ここからだと目の前に上がるんだろうな。」
駅夫がそんなことを言い出す。
「いや、ここからだと多分ほとんどの花火は見下ろすだろうな。」
羅針が言う。
「ええええええ。」
駅夫と平櫻が声を揃えて驚く。
「そんなに驚く程か。大体尺玉だと330m位まで上がるのが相場で、東京タワーとほぼ同じ高さで開くらしいからね。二尺玉とか三尺玉だったら目の前とか見上げる高さにまで来るだろうけど。隅田川の花火は、ほとんどが尺玉以下の大きさだろうから。ほとんど下に見えるんじゃないかな。」
羅針が説明する。
「マジで、下で開くのか。そんなの見たら、すべてを手に入れた気分になるだろうな。」
駅夫が驚いたように言う。
「ホント、神様にでもなった気分でしょうね。」
平櫻も驚きを隠せないでいる。
「そんな大袈裟な。」
羅針はそう言って、二人の様子を微笑ましく見る。
「……それにしても、お前、そんなこと良く知ってるな。」
駅夫が改めて、羅針の知識に驚く。
「花火は観光の目玉だからな。そういうのは基本のきの字だよ。遮蔽物がなければ10㎞先からでも見えるとかね。有名な話では、長崎県の対馬から対岸の釜山で上がる花火が見えるとかね。条件にもよるけど、あそこは約60㎞離れてるけど見えるらしいね。映像でしか見てないけど、しっかりと赤い花火が見えるんだよ。肉眼で見たら、無茶苦茶小さいだろうけどね。」
羅針が言う。
「なるほどね。60㎞っていったら、さっき言ってた筑波山ぐらいの距離だろ。日本って海に囲まれていて、外国は遠いイメージがあるけど、案外近いんだな。」
駅夫が感心したように言う。
「対馬から花火が見えるんですか。それは知りませんでした。」
話を聞いていた、今は長崎県民である平櫻が驚いたように言う。
「ええ、そうらしいですね。私が見た映像では、赤い花火がぼっ、ぽっと上がってるのが辛うじて分かる程度でしたけどね。」
羅針が応える。
「そうなんですね。それでもあの距離が見えるのは凄いですよ。以前フェリーで釜山まで行ったことあるんですけど、ものすごく遠かったですからね。」
平櫻は実感を込めて言う。
「そうなんですね。釜山も良いところですよね。食事が美味しくて。」
羅針が笑顔で言う。
「そうなんですよね。海鮮が美味しくて、日本と味付けが違うから、そういうのも物珍しくて、食べ過ぎちゃいました。」
平櫻が少し照れたように言う。
「平櫻さんが食べ過ぎちゃったら、釜山の人たち食べるものがなくなって困ったでしょ。」
駅夫が横から茶々を入れる。
「そんなことないですよ。少しだけ残してあげましたから。」
平櫻が冗談で返す。
「えっ、そうなの。釜山の人たちも飢えずにすんで良かったよね。」
予想していた反応と違い、戸惑いながらも駅夫は更にからかうように言う。
「でしょ。私って優しいでしょ。」
平櫻は受け流すようにそう言って、腰に手を当ててドヤ顔をした。
「そろそろ進もうぜ。」
肩透かしを喰らい、これ以上は自分が不利だと感じたのか、駅夫が悔しげに羅針へ言う。
「お前の負けだな。」
羅針がそう言って笑う。
駅夫はシュラッグのポーズをして、負けを認めた。
平櫻は、やってしまったというような表情をしていたが、羅針がサムズアップをして微笑み返した。