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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾伍話 日本橋駅 (東京都)
158/182

拾伍之拾肆


 三越前駅から、地上に上がってきた三人は、空調の効いていた地下空間と異なり、湿気を帯びた空気にモワッと包み込まれる。

 三越百貨店のライオン口に出てきた三人は、ここから日本橋へ向けて中央通り沿いを歩き出す。


「この中央通りには、日本橋が起点になる国道が7本通っているんだ。1号、4号、6号、14号、15号、17号、20号の7本がね。」

 羅針が駅夫に説明を始める。

「流石五街道の起点だけあるな。」

 駅夫が感心したように言う。

「その五街道の起点は、どうして日本橋に決まったか知ってるか?」

 羅針が駅夫に聞く。

「幕府が通達を出したとか?」

 駅夫が適当に答える。


「いいや、通達とかお触れみたいな明確な下知げじは資料として遺っていないらしいんだ。もしかしたら口頭での下知はあったかも知れないけどね。

 この日本橋が起点になったことが分かるのは、一里塚が整備されたことに依るんだ。

 もともと、家康が全国へ向けて街道整備を始めた1601年、慶長6年の時点では、明確に起点が決まっていなかったらしいんだ。

 家康は諸大名に対し、宿駅しゅくえきの整備や伝馬てんま制度の確立を命じたことは歴史の事実として残っていて、それならば、おそらく江戸と諸国を結ぶ街道建設、整備も併せて命じたであろうと考えられるんだ。

 1603年、家康が征夷大将軍になって江戸幕府が正式に開府すると、江戸の区画整理の一環としてこの日本橋が架橋されたんだけど、その時に初めて、この日本橋にこれまで整備してきた街道を繋げて、ここを起点にしようと決めたようなんだ。

 ただ、あくまでも、日本橋を起点に決めたのは推測にしか過ぎなくて、1604年頃から各地に日本橋を起点とした一里塚が整備されたという事実によって、おそらく起点に決められたのだろうと推測しているに過ぎないんだ。今後何かしらの資料や文献が出てくれば、その理由とか経緯とかが明確になるだろうけどね。」

 羅針が熟々と説明する。


「つまり、明確な下知の証拠は遺っていないけど、状況証拠によって推測しているってことか。」

 駅夫が言う。

「そういうこと。起点として明文化されたのは、明治になってからなんだよ。これまで慣習として起点だった日本橋を明確に起点にしたんだね。」

「なるほどね。」

「この五街道が整備されたことにより、江戸は実質的に政治、経済の中心となることが出来、後に参勤交代などがおこなわれるようになると、街道沿いは大いに賑わいを見せていくことになるんだよ。」

 羅針が追加で説明した。

「ああ、本庄とか深谷なんかもそうだったもんな。あそこが発展したのも家康のお陰ってことか。」

 本庄や深谷は二人が以前このルーレット旅で訪れた場所だ。その時本陣跡などを見たのを駅夫は思い出したのだ。

「そういうことになるな。」

 羅針が駅夫の言葉に頷いた。


 そんな話をしながら歩いていたら、すぐに日本橋に到着した。

 まず三人は、道路元標のレプリカを見に、〔元標の広場〕へと向かう。

 移設された、装飾が素晴らしい架線柱の根元にある道路元標のレプリカ、その左右にある里程標、ここが日本の中心であり、道路の起点であることが分かる。


「駅夫、ここには、7本の国道の起点があるってさっき言ったよな。実はもう一つの起点にもなっているんだ。それは何だか分かるか。」

 羅針が聞く。

「いや、分からないな。都道の起点か何かか。」

 駅夫が答える。

「残念ながら違うね。平櫻さんは分かりますか。」

 羅針は隣で聞いていた平櫻にも聞く。

「はい、アジアハイウェイ1号線ですよね。」

 平櫻が即答する。

「そのとおりです。流石ですね。」

 羅針が嬉しそうに満足したような表情を浮かべる。

「なに、そのアジアハイウェイって。そんなの初めて聞いたぞ。」

 駅夫は驚いている。


「アジアハイウェイ1号線っていうのは、この日本橋の上にある首都高を起点として、韓国、北朝鮮、中国、を通って、更にベトナムから、カンボジア、タイ、ミャンマーを廻って、インド、バングラデシュ、インドと抜けて、そしてパキスタン、アフガニスタン、イランを経由してトルコとブルガリアの国境付近まで通る、総延長は20,557㎞になる高速道路のことだよ。」

 羅針が説明する。

「それって、全線走破できるの。」

 駅夫が聞く。

「そうだね。政情不安なところ、そもそも入国できないところ、未開通区間なんかもあるからね。通しで走ることは出来ないね。

 本来このアジアハイウェイ構想は、アジアとヨーロッパを結ぶ道路網を造って、地域間や国際間の経済、社会開発に貢献したり、貿易や観光産業を育成しようとしたりするもので、アジア地域の活性化に貢献しようと構想されたんだ。いわゆる現代版シルクロードだね。

 1959年に|国際連合アジア極東委員会《Economic Commission for Asia and the Far East》、ECAFEがこの構想を計画に昇華して、具体化に向けて動き出し、1968年、|国際連合アジア太平洋経済社会委員会《United Nations Economic and Social Commission for Asia and the Pacific》、ESCAPにアジアハイウェイ・プロジェクト、AHP事務局を設立して計画の下地が作られていくんだ。

 しかし、計画はしたものの、アジアは国際紛争や内戦が多い地域だからね、政情不安なんかで整備が滞ったり、発展途上国、今は開発途上国って言うのかな、とにかく経済的に厳しい国が多くて、整備そのものに予算が割けなかったりするケースも多かったんだ。

 ところが1980年代末、冷戦の終結や各国の外交関係が大きく変化して、アジア各国がアジアハイウェイの導入に漸く重い腰を上げることになると、1992年から1993年の2年間に亘り、日本からの資金援助によって、計画の見直しや現地調査などがおこなわれ、様々な取り決め、基準、方針などが整備されていったんだ。

 こうして漸く動き出した計画は、既存の路線を組み入れながら、総延長を伸ばして整備されていったんだ。

 日本は2003年11月に正式加盟を表明し、東京、福岡間を路線に組み入れたことで、日本橋はアジアハイウェイ1号線の起点になったんだよ。」

 羅針が長々とアジアハイウェイの歴史を説明する。


「お前、ホントにすげぇな。良くそれだけ熟々と説明できるよ。」

 駅夫が感心したように言う。

「星路さんの説明があると、やっぱり観光もひと味違いますよね。昨日もここを訪れたのに、五街道制定の歴史とか、アジアハイウェイの歴史とか、全然気にも留めてなかったことに気付かせてくれるんですから。」

 平櫻が嬉しそうに言う。

「なんか、二人して持ち上げすぎだぞ。何か企んでるだろ。」

 二人の態度にどことなく胡麻擂りのような雰囲気を感じ、羅針が疑う。

「なんにもねぇよ。なぁ。」

 駅夫は平櫻に同意を求める。

「ええ。何にもないですよ。考えすぎです。ほら、皆で記念撮影しましょ。」

 平櫻はそう言って、二人を並ばせて、自分も間に入り道路元標の所在を示す架線柱をバックに写真を撮る。駅夫も自分のスマホで記念撮影し、それぞれ写真を撮り合った。


 相変わらず空は曇り、湿気を帯びた重苦しい空気の中で、三人の話し声が、街の喧騒に溶け込んでいた。

 通りには、行き交う人々、先を急ぐ車、その間を縫うように縦横無尽に走り抜けていくバイクのエンジン音、そして、命が惜しくないのか、交通ルールなどどこ吹く風の自転車たち。その自転車に怒りをぶつけるようなクラクションの音。

 いつから日本の街はこんなにカオス状態になってしまったのか。東京のど真ん中にもかかわらず、開発途上国となんら変わりない光景に、三人とも呆れ顔である。

「まったく嘆かわしいな。」と吐き捨てるように言う羅針。

「まったくだよ。」と舌打ちする駅夫。

「ああいう運転をする人を見てると、歩道だからって油断できないんだなって、つい思っちゃいますよね。」と平櫻は苦笑いである。

「異世界人のオーバーツーリズムだな。」

 そう言って駅夫が笑う。

「外国人さえ持て余してるのに、異世界人なんて無理な話だよ。」

 お手上げとばかりに羅針が言う。

「でも、私たちも旅行者だから、他人のことはあまり言えませんね。」

 平櫻が自分を戒めるように言う。

「だよね。人の振り見て我が振り直せだもんな。」

 駅夫が言う。

「そうですね。私たちはあんな無法者にならないようにしましょ。」

 平櫻がそう言って笑う。

「だな。」

「そうですね。」

 駅夫と羅針が平櫻の言葉に大きく頷いた。


 三人は、その後も、周囲に気を配りながら、日本橋をゆっくり見て廻り、写真を撮ったり、羅針の解説を聞いたりして、日本橋をたっぷりと堪能した。


 特に、日本橋は国の重要文化財に指定されているのだ、その歴史的、芸術的価値は計り知れない。

 花崗岩を主要材料とした西洋風の二径間にけいかん連続アーチ橋の上に配置された装飾台には、象徴的な彫刻像で、東京市章を抱える獅子と、柱座左右に蹲踞そんきょする麒麟きりんが鎮座し、更に、鋳銅ちゅうどう製の用材で施した宝珠ほうじゅ火袋ひぶくろ飾りがある花形ランプ、獅子面ししめん松榎紋まつえのきもんの浮彫装飾がある方錐柱ほうすいちゅうなどが散見される。

 側面アーチの要石かなめいしにも獅子面が施され、川面からの正面性をも意識した壮麗な橋梁となっている。


「何度見ても素敵な橋ですよね。」

 平櫻がきのうに引き続き二度目となるこの日本橋橋梁に、改めて簡単の言葉を漏らす。

「そうだね。見慣れた橋だけど、こうしてまじまじと見ると、その良さが良く分かるよ。」

 駅夫にとって、この日本橋界隈は営業しまくった場所であり、悲しみも喜びも味わった悲歓之地ひかんのちである。

 そんな場所に鎮座する日本橋橋梁は、駅夫にとってただの橋だった。だが、今日はその芸術的価値、歴史的価値、そしてこの地にとっての存在価値を、改めて感じたのだった。


「それにしても良い橋だよな。

 毎年に七月に橋洗いと称して、地元の町内会や周辺企業が協力して大掃除してるらしいんだよ。この美しさが保たれているのは、そういう人たちのお陰なんだよな。」

 羅針がこの橋の美しさに見とれながら言う。

「そうなんだ。ありがたい話だな。日本ってどこ行っても清潔だけどさ、その影で清掃してくれている人が必ずいるんだよな。」

 駅夫が感謝の念を込めて言う。

「そうですよね。そういう人たちのお陰で、こうして気持ちよく観光が出来て、綺麗な写真や動画が撮れるんですよね。本当に感謝しなくちゃ。」

 平櫻も自分に言い聞かせるように言う。


「でも、日本がこんなに清潔になったのって、戦後最初のオリンピックが切っ掛けだったんですよ。」

 羅針が平櫻に言う。

「そうそう、俺たちが子供の頃なんて、まだ、街中のあちこちにゴミが散乱しててさ。川へゴミ箱空けるなんて暴挙に出るヤツなんてザラにいたもんな。」

 駅夫が言う。

「本当ですか。日本でそんなこと、今じゃ考えられないですよ。」

 平櫻が驚いたように言う。

「本当ですよ。ザラにいたかどうかはともかく、大人たちは、今よりも、そこら中にゴミを捨てることに抵抗はなかったみたいですね。」

 羅針が言う。

「そうなんですね。昔の日本、がっかりです。」

 平櫻が残念そうな、怒りに満ちた表情で言う。

「今でも直らない人いるじゃん。タバコ、空き缶、不法投棄、数えたら切りないよ。」

 駅夫がそう言って嘆く。

「確かにな。ゴミ捨てたい病ってヤツだからな。」

 羅針が冗談交じりに言う。

「日本も大変ですね。異世界人に、不治の病、先が思いやられます。」

 平櫻が悲しそうにそう言って、肩を落とす。


「ホントにな。ただ、世界のスタンダードになったんだと思えば……。」

 駅夫が冗談めかして言う。

「そう思えば、異世界人や、病人、外国人にとっては住みやすい街になってくのかもな。俺たち日本人は、追い遣られるけどさ。」

 羅針がそう言って、シュラッグのポーズをする。

「で、あれか、政治家が頼りにならないって、今朝の話に戻るのか。」

 駅夫が呆れたように言う。

「そう。」

 羅針が頷く。

「そこで話が繋がるんですね。」

 平櫻が感心したように、笑っている。

「何事にも、因果ってありますからね。全部繋がってるんですよ。」

 羅針もそう言って笑う。

「まったく、誰がこんな世の中にしたんだろうな。」

 駅夫が言う。

「有権者の俺たちだよ。」

 羅針がそう言って、再びシュラッグのポーズをした。


 そんな話をしながら、その荘厳で、重厚で、歴史の重みが感じられるこの橋梁を、三人は隅から隅まで見て廻った。

 特に平櫻は昨日に引き続き二度目だが、羅針の説明を熱心に聞き、疑問に思ったことを質問するなど、学びながら、羅針との知的な会話をし、また、駅夫との掛け合いを楽しんだり、色んな議論をして楽しんだ。


「そろそろ昼にしないか。」

 駅夫が言う。時刻は12時をとうに回っていた。

「そうだな。そんなに腹は空いてないけど、もう、そんな時間か。……平櫻さんはどうします。どこか行きたいところがあれば。」

 羅針がそう言って、平櫻にも聞く。

「特に行きたい場所はないですけど、コレドに行くとか旅寝さん仰ってましたよね。」

 平櫻が言う。

「そうだね。ちょっと見てみたいね。」

 駅夫が言う。

「じゃ、コレドを見ながら、どこか良い店があったらそこで食事にしましょう。」

 羅針が言う。

「了解。」

「はい。」

 駅夫と平櫻が応える。


 三人は、日本橋橋梁を後にし、人で賑わう室町方面へと歩き出した。


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