拾伍之拾弐
今日も、東京は曇り空で、湿気を帯びた空気が三人を包み込んでいた。折角高級ホテルで素敵な朝を迎えたのに、気持ちを下げるような、纏わり付く重い空気だった。
その上、朝から重い話題で一時間も議論したのだから、晴れ晴れとした気分になど、なりようがなかった。
旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、東京駅丸の内駅舎南口の原敬首相遭難現場で話し込んだ後、今日泊まるホテルへと移動を始めた。
その途次平櫻は疑問に思って、羅針と駅夫に尋ねた。
「お二人は、いつもさっきのような議論を交わすことがあるんですか。」
「ああ、良くあるよ。こいつが議論好きだからね。俺は付き合わされる方だけど。」
そう言って羅針を指して駅夫が笑う。
「何言ってるんだよ、大体話題を出すのはお前だろ。付き合ってるのは俺だよ。平櫻さんこいつの方が議論好きだからね。」
そう言って駅夫を指し返して反論する。
「なるほど、お二人とも議論好きと言うことですね。」
平櫻はそう言ってにっこりと笑う。内心、こういうところが二人とも子供みたいで可愛いんだよなと思いながら。
「平櫻さんは議論みたいなのは嫌いなの?」
駅夫は素朴な疑問として聞く。
「嫌いも何も、あまりする機会が無いですね。友達同士だと、議論というよりただのお喋りになっちゃいますから。
好きか嫌いかで言ったら、嫌いではないって感じかも知れません。好きって言える程、議論に対して積極的になれない自分もいますし、議論のなんたるかを知ってる訳でもないですし。ただ、嫌悪感や忌避感があるかと言えば、そんなことはなくて。お二人と議論をするのは楽しいので、嫌いではないって感じです。」
平櫻が自分を省みて答える。
「そうか。……俺らはずっとこうして色んなこと話してきたから、好きとか嫌いとかって言うより、これが当たり前なんだけどね。な。」
そう言って、駅夫が羅針に同意を求める。
「そうだな。互いに自分の考えをぶつけ合ってきたもんな。だからこういう議論が好きなのかもな。
……それが楽しくもあり、私たちがこうして好き勝手言い合える間柄になれた要因でもあるかもしれませんね。」
羅針が駅夫に応えて、平櫻に言う。
「そうなんですね。でもそれって信頼関係があるからですよね。
男性の友情は永遠で、女性の友情は一過性なんだってことを良く聞きますけど、男性同士だとそうやって互いの考えを言い合うから、互いのことが良く分かって、深い付き合いが出来るのかも知れませんね。なんか羨ましいです。」
平櫻が少し表情を曇らせながら言う。
「平櫻さんにだって女性の友人はいらっしゃるんでしょ。彼女たちとの友情はやっぱり一過性のものなんですか。」
羅針が素朴な疑問として聞く。
「ある意味そういう部分がありますね。腹の探り合いっていうと語弊がありますけど、仲良くなった友人でも、本音で話すことなんて殆どなくて、いつも当たり障りのない話題なんですよ。さっきみたいな政治観の話とか、歴史観の話なんて出来ないですし、仮に出来たとしても、感情的になって結局議論にはならないんじゃないでしょうか。
だからという訳ではないですが、友情が一過性って言うよりも、友情が深化しないって感じですかね。ある一定のラインまでは仲良くなれても、それ以上は進まない。つまり、深まらない、そんな感じです。」
平櫻が答える。
「でも、そんなもんなんじゃないですか。
自分には友人自体があんまりいないので、偉そうなことは言えないですけど、深い仲の友人と言えば、こいつしかいないし、腐れ縁といえるのもこいつだけですからね。他の友人が一定ラインを超えることはまずないですし、心を割って話すことはまずないですし。」
羅針はそんな風に言って頭を掻く。
「俺もそんなもんだと思うよ。
自分は自慢じゃないけど、仕事柄、そこそこ友人は多い方で、色々と付き合っては来たけど、結局こいつ程、仲が深まった友達は誰一人いないからね。
信用や信頼を置ける友人は数多くいるけど、でもそれだけ。平櫻さんが言うように、一定以上のラインは超えないし、超えられない。まあ、肥えようとも思わない連中が多いけどね。」そう言って駅夫は笑うが、すぐに真剣な表情になって、「……そう考えたら、男同士だって友情が深まらないことは多いし、深まることはまずないよ。
むしろ騙し合いをして、腹の内探って、表面だけの付き合いをする。そんなのが日常茶飯事だし、気が合わなければすぐにハブるし、敵対したら暴力に発展することもあるから、命の危険もある。ある意味、男の方が命懸けかも知れない。」
駅夫はそう言って、再び笑う。
「そんな、昭和の中学生じゃないんだから、今時そんな暴力沙汰なんてないだろ。ゼロとは言わないけど。」
羅針が呆れて言う。
「そうか?まあ、でも、男の友情なんて零百みたいなところがあるから、仕事の付き合いでもなければ、友人と呼べる人間は限られてくるよね。たとえ友人になっても、それ以上は進展しないし。
一緒に遊びへ行くことはあっても、それは接待や付き合いの延長で、こいつとどっか出掛けるのとは訳が違う。
そんなもんだと思うよ。」
駅夫が真剣な表情で平櫻に言う。
「そうなんですね。結局男性とか女性とか関係なく、人と深く付き合おうとするかどうかってことですかね。
……心を許せる友人……なかなかいないですもんね。……あっ、お二人には何でも話せそうな気がするんで、心を許せる友人になって貰っても良いですか?」
平櫻が急に破顔する。
「何言ってんの、もう俺たちは友人だよ。
心が許せるかどうかは許可貰ってどうこうじゃなくて、自然とそう思えるかどうか、そうするかどうかだと思うよ。
もちろん平櫻さんが俺たちに心を許したいのなら、何でも話してくれて構わないし、内緒にしたいことがあるならそれは言う必要もないし。
だから、許可を貰うものでも、強要するものでも、ましてや宣言するものでもないと思うよ。」
駅夫が諭すように言う。
「そうなんですけど。ちゃんとしておかないと、なんか不安で……。」
平櫻は納得しないようだ。
「気持ちは分かるけど、逆だって同じなんだよ。
俺だって、君に身の上話もしたし、こいつも過去の話をしたぐらい、平櫻さんに対しては、それだけ信頼を置いてるし、信用もしている。俺たちはそれだけの仲になろうとしたし、なったってことなんだよ。
そのラインがどのレベルかは分からないけど、ここから先、それこそ、このラインを超えて、友情を深化させることが出来るかどうかは、互いにどこまで心を許せるかどうかってことだよね。それでも、宣言なんて必要かな?」
「確かにそうなんですけど、なんか確証みたいなのがあれば良いかなって。それがどんな形であれ、心の拠り所になるような気がするんです。」
駅夫の言葉を聞いて、平櫻は自分の考えを言う。
「心の拠り所になる確証ね……。
でもさ、そういうのって、本当の友情じゃないんだと俺は思うな。」
駅夫がバッサリ切り捨てる。
「どうしてですか。」
平櫻が驚いたように聞く。
「もちろん、それが悪いことじゃないし、そういう象徴を友情の絆として持ち合うことは悪いことじゃないと思うけど、何かの事物や事象に拠り所を求める友情って、壊れかけてたり、何かしら問題があるから、そういうものに、しがみつこうとするんだと思うよ。
本当の友情ってそういうもんじゃないと思うんだけど。」
駅夫が自分の考えを言う。
「そんなもんですかね。たとえば約束とか、一緒に買ったアクセとか、何でも友情の証にはなると思うんですけど。それって壊れかけた友情だからだと思いますか?」
平櫻が更に反論する。
「ん~。確かにそういうものが、友情の証であることは否定しないよ。それがあることで安心出来ると言うことも、もちろんあるだろうしね。
でもね、本当の友情にそういうのって必要かな。
友情ってさ、互いを尊重して、信頼して、理解しあって、喜怒哀楽を共有出来る関係でしょ。それで困った時には、側にいてくれる。そういうのが、本当の友情だと思うんだよね。
見せかけだけの、何か相手を縛り付けるような、友情っていう呪詛を掛けるようなそんな関係って、嫌でしょ。
俺はそういうのは嫌だね。
俺とこいつは、たまたま隣に住んでたから、こうして腐れ縁になったけど、別に何かで縛り合ってるとか、互いに弱みを握ってるとか、そういう歪んだ関係じゃないからね。
こいつが側にいてくれるから、色んなことに挑戦出来たし、安心も出来る。普段は意識しないけど、ふとした時に、いないと寂しいし、逆にいると安心出来るからね。」
駅夫が反証する。
「確かに、お二人の関係は私にとって理想ですけど、そこまでの関係にはすぐになれないじゃないですか。だから、皆試行錯誤して、友人でいようとするんだと思うんですよ。
だって、結婚届を提出した夫婦ですら、すぐに離婚してしまう時代ですよ。そういう契約書のない友人関係なんて、すぐに壊れてしまいますよ。
そういうのが不安なんですよ。」
反証されても、平櫻は自分の考えを言う。
「まあ、分からなくはないけどさ。
じゃ、こう考えてみないか。
平櫻さんの大事な友達を一人誰でも良いから頭の中に思い浮かべてみて。」
駅夫がまるで手品師か読心術師のような口調で言う。
「はい。思い浮かべました。」
平櫻はそう言って頷く。
「その友達が、とても大切にしていたあるアクセサリーを、友情の証として平櫻さんにプレゼントしてくれました。」
「はい。」
「そのアクセサリーを大切にして欲しいと言われたので、その友人と会う時には必ず身につけていくようにしました。
ここまでは良いよね。」
「はい。」
「では、質問ね。平櫻さんは、そのアクセサリーをどう思う?」
「どうって、とっても大切なものです。友人が大切にしていたアクセサリーなので、もちろん大切にしますよ。ちゃんと手入れもするだろうし、なくさないように、専用のアクセサリーボックスを買ったり、とにかくちゃんと保管したいし、友達と会う時には身につけてもいくと思います。」
平櫻は、そんな当然のことを何で聞くのか訝しがりながらも、素直に応える。
「じゃ、前提を少し変えようか。」
「はい。」
「たとえば、そのアクセサリーは、別にその友人が大切にしていたものではなくて、たまたま立ち寄った、100均かなにかで見付けたアクセサリーだったとしたら。それでも大切にする?」
「えっ、100均ですか。」
「そう。100均。まあ、100均じゃなくても、そこら辺の雑貨屋で見付けたワンコインぐらいで買えるものを想像して貰っても構わないよ。」
「それでも、その友達に貰ったものですから、大切にしますよ。そういうのって、値段じゃないと思いますし。」
「そうだね。値段じゃないもんね。
じゃ、更にいくよ。その友達からアクセサリーを貰ってから10年の月日が経ちました。100均で買ったアクセサリーはもう、色もはげて、見栄えも良くなく、良い歳をした女性がするにはあまりにも見窄らしい状態になっていたとしようか。そうしたら、どうする。それでも、その友達の前では着けていく?」
「確かに、そんな状態になっていたら、ちょっと躊躇しちゃいますけど、そうして育んできた友情ですし、大切にしているものですから、お気に入りの一つになってる可能性もあるので、多分着けていくと思います。」
平櫻は、少し躊躇いながらも、答えに窮することはなかった。
「そうかぁ、やっぱり、平櫻さんは良い娘だね。じゃ、これで最後の質問ね。もし、ある日、その友達がその見窄らしくなった100均のアクセサリーを見て、『そんなみっともないの着けてこないでよ』とか、『そんな見窄らしいの着けてるなんて、気が知れないわ』とか、『そんなのがお気に入りなの、やめてよみっともない』みたいな、否定されるようなことを言われたとしたら、平櫻さんはどうする?またはどう思う?」
「えっ、それは、……、」平櫻は、答えに窮した。「……、それは、多分悲しくなりますよね。友達の証だと思って身に着けていたものを全否定されたのですから。
……なんか、人格まで否定されたような気分になりました。
あなたがくれたものだから、大切にしてきたのに、値段なんて関係ないから、ずっと大切にしてきたのに、そんなこと言うんだって。
そんな想像をしたら、なんか泣きたくなってきました。」
平櫻は、随分考え込んでから、漸く答えを出した。
「ねっ、結局価値観ってさ、状況や環境によって変わっちゃうんだよね。アクセサリーに対する平櫻さんの思いは多分ずっと同じだった筈なんだよ。だけど、アクセサリーの状態が変わったり、友達の一言によって、価値とか、意味とか、そのものに持たせていた平櫻さんの感情が変化しちゃうんだよ。」
駅夫の説明に平櫻は頷いて聞いている。
「確かにそうですね。大切にしていたものが一気にゴミへと変わるような気がしました。」
「そうだよね。
でもさ、友情ってそんなもんかな。色褪せたり、状況や環境で変わることがないのが友情なんじゃないかな。
もし、そんな些細なことで、壊れたり、変わったりするのは、それは真の友情じゃないよね。理想かも知れないけど、どんなことがあっても変わらないのが真の友情だと思うだよね。
感嘆に壊れる関係なら、それは、それまでの関係ってことだと俺は思うけどな。どう?」
駅夫は言葉を尽くして持論について説明する。
「旅寝さんの仰りたいことは良く分かりました。
ただ、自分にはそういう関係になった友人がいないので、大事にしたい友達には色々と気を遣ってました。そうしなくても良い関係が真の友達であり、真の友情なら、そんなことする必要なんてないってことなんですよね。」
平櫻は自分の中で、駅夫の言葉を噛みしめながら、理解しようとしていた。
「そうだね。最低限気を遣うべきは遣う。でも、過度に遣う必要はない、そんな関係が理想の友情であり、真の友情だと思うんだよね。
だから、最初の話に戻るけど、友情に、証や縛りは必要ないし、ましてやそんな宣言をして、宣誓するようなものでもないんだよ。
俺は、平櫻さんと友情を育む心の準備は出来ている。
だから、これからは互いに理解を深めていけば良いだけなんじゃないかな。それが真の友情へと繋がっていく筈だからさ。
焦る必要なんてこれっぽっちもないんだよ。友情は一足飛びに深化しない。でも、信用し合える限り友情は逃げないから。」
駅夫がそう言って、平櫻を安心させようとする。
「そうですね。焦ることなんてないんですよね。もうお二人とは友達なんだから。後は育てるだけですね。なんか、焦っていた自分が、ちょっと恥ずかしくなってきました。」
平櫻はそう言って頬を赤らめ、照れ臭そうにする。
「平櫻さんがそう言いたくなるのは、きっと俺のせいですよね。
俺が突然旅から抜けて欲しいなんて言ったから。……不安にしてしまって、すみません。本当に嫌な思いまでさせてしまって……。」
羅針が、二人の会話に口を挟んで、申し訳なさそうに平櫻に謝る。
「いや、そんなつもりで言った訳じゃなくてですね……。
星路さん、もうお気になさらないでください。私はただ、この関係がずっと続いたら良いのになって、お二人ともっと長く一緒にいられたらなって、純粋にそう思ったんです。それで、ちゃんと仲間にして貰おうかなって。」
平櫻が慌てたように言う。
「まあ、そう言いたくもなるよね。突然の終了宣言だったもんね。」
駅夫が羅針をからかうように言う。
「悪かったって。本当に俺がどうかしていたって。」
羅針が申し訳なさそうに、少し照れ臭そうに言う。
「本当に気にしないでください。私は全然気にしてませんから。むしろ、もっとお二人と距離を縮めたいと思っているんですから。」
平櫻が本心であるとばかりに真剣に言う。
「それは、嬉しいね。
っていうかさ、もう旅仲間なんだから、充分距離は近いと思うけどね。」
駅夫がちょっと照れくささを隠すように茶化す。
「そうですね。ありがとうございます。」
平櫻が礼を言う。
「でもね、これだけは覚えておいて。
俺と羅針、それに平櫻さんの三人は、既に旅仲間だってこと。
『我ら三人、生まれし日、時は違えども旅仲間の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、旅を楽しまん』だろ。」
羅針に向かって、駅夫は三国志の一説を捩って笑う。
「三国志の桃園の誓いですね。『……同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん。』ですよね。」
平櫻が続きを諳んじる。
「あのさ、旅仲間として誓い合うのは良いけどさ、一緒に死ぬことまで誓わなくて良いから。」
羅針が真面目くさった顔で、二人を窘める。
「ほら、乾杯すんぞ。水杯ならぬ、空気杯だ。」
駅夫はそんな羅針の言葉をどこ吹く風で、杯を持った振りした手を掲げる。
平櫻は、それに乗って同じように杯を持った振りした手を掲げる。
「ほら、羅針も。」
「なんかさっきと言ってることが違う様な……。」
宣言なんていらないとかなんとか駅夫が言ってたことを、羅針は言おうとしたが、駅夫に促されて、しょうがないなって顔をして、羅針も同様に手を掲げた。
三人は、声を揃えて「乾杯!」と言って、杯型にした手を口に持ってきて空気を呑んだ。
そして、三人は周りの目も気にせず、大声で笑い出した。
「まあ、気楽にやろ。気負うことなんてないんだから。」
駅夫が平櫻に言う。
「そうですね。ありがとうございます。でも、これだけは言わせてください。これからもよろしくお願いします。」
平櫻は改めて二人に頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくね。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
駅夫と羅針もそう言って頭を下げる。