拾伍之拾壱
東京駅丸の内駅舎の南口改札付近にある、原首相遭難現場のプレート前で、政治談義に興じていた旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、改札口から三人の方に歩いて来た二人組の若い女性たちの為に、慌てて道を空け、脇に避けた。
ここにも歴史に興味のある女性たちがいたのかと思ったら、三人を押し退けた二人組の女性は、解説板の下に貼られたアイドルグループのポスターに夢中になっていた。
それは、まるで食物に飢えた蝗のように、けたたましい笑い声を響かせ、スマホでポスターと一緒に自撮りをすると、満足そうに人混みなへ紛れて去っていった。
あまりの傍若無人な彼女たちの振る舞いに、三人は呆気にとられ、食い尽くされた農作物を見て立ち尽くす農夫のように、茫然と彼女たちを見送った。
「これが今の若者だよ。別にこのプレートを見ろってことはないけど、なんだかな。」
駅夫が呆れたように言う。
「アイドルに夢中なのは悪いことじゃないけど、どいてあげたんだから、会釈の一つもあればとか思うけどな。」
羅針も呆れ声で言う。
「多分こんなもんなんですよ。まったく周りが見えてませんよね。」
まだ充分に若い平櫻ですら、そう言って呆れ顔である。
「まあ、周りが見えてないのは老若男女関係ないけど、若者が政治や歴史に無関心なのは今に始まったことじゃないからな。俺たちの世代からずっとそうだもんな。」
駅夫がそう言って羅針に同意を求める。
「そうだな。俺たちも若い時は政治に関しては無関心だったからな。他人のことは言えないかもな。
俺たちの親世代までじゃないか、若者が政治に関心を持っていたのは。当時は安保闘争や全共闘とか、学生運動が盛んだったからな。親父もデモには参加したことあるって言ってたし。」
羅針は頷いて言う。
「だよな。俺の親父も参加したって言ってた。過激なのではなく、まだ、街を練り歩いていた時代の平和なデモだったらしいけど。
でもさ、確かに彼らの理想は高かったかも知れないけど、過激派としてただの暴力集団に成り下がってしまったのは、残念な話だよな。暴力じゃ何も解決しないことの証明を自らしたんだから。
一応、俺は選挙に行ってるけどさ、結局何も変わらないんだよな。そう考えると彼らが短絡的になってしまったのも理解は出来るけどさ、だからといって、肯定は出来ないよな。
まあ、暴力も駄目、選挙も駄目、そりゃ皆無気力、無関心、無知にもなるさ。はっきり言ってあほくさいもん。」
「だよな。それは言えてる。何か一つでも良くなるんなら良いけど、何にも良くならないのに、あんなあほくさいもんに時間掛けて学ぶ気なんて起きないもんな。」
「そうそう。俺だって昔は何にも考えずに投票してたからさ。他人のことは言えないけど、過激なことはしないだけで、結局彼らと何ら変わるところはないのかも知れないよ。ややもすれば無気力、無関心に陥るってね。
流石に今は一応しっかり選んでるつもりだけど、それが何になるのって感じでさ。まさに暖簾に腕押しよ。」
駅夫がそう言って苦笑いする
「分かる。分かる。俺もそう。そういう意味では、無関心の連中と大して変わらないよ。今は公約の実現力とか思想や為人まで含めて多少は吟味するようにはなったけどさ。はっきり言って碌な政治家がいないからな。いくらきちんと考えて選んだところで、結局裏切られるし、当たりを引いても、後が続かない。政治家同士で足の引っ張り合いをするか、悪習に染まっていくかだからな。
確かに暖簾だし、糠釘だよ。」
羅針もそう言って苦笑する。
「でも、いつからだろうな、俺たちが政治に少しは関心を持つようになったのって。」
駅夫が自分の人生を振り返って聞く。
「やっぱり政治が身近になってきた辺りじゃないか。ほら、消費税導入とかさ、経済政策の失敗とかさ、物価上昇もそうだし、給料が上がらないのも政治のせいだって、最近は生活に直結する話題が多くなってきたし、否が応でも関心は高まるって。」
羅針が答える。
「確かに、最近の政治家は国民を顧みないからな。私腹を肥やす政治家ってのは昔からいたけど、だからって、日本がこのままで良い訳ないからな。世界は焦臭いことになってる中でさ。」
駅夫は吐き捨てるように言う。
「確かにな。国際情勢も、ロシアのウクライナ侵攻はもちろん、北朝鮮、韓国、中国とは色々あるし、イスラエルだって連日焦臭いニュースが流れてくる。もっと言ったら中東だけじゃない、アフリカだって南米だって政情は不安定だし、アメリカだってヨーロッパだって問題が山積みだからな。」
羅針が言う。
「まったくだよ。拉致問題に、北方領土、竹島に尖閣、解決しなければならない問題は山積みなのに、いったいどんだけほったらかしときゃ気が済むんだよって話。」
駅夫が同調する。
「だよな。いつ何時どこから日本に火の粉が降りかかるか分からない状態なんだから。さっさと周辺問題位は片付けろって言うの。
日本に喧嘩を売ろうとしているのは何も国だけじゃないからな。グローバル企業だって、政治団体だって、環境団体、NPOに到るまで、虎視眈々と日本に圧力を掛けてくる。
隙あらば日本人を食い物にする輩がいるっていうのに、日本人からしたらくだらない話であっても、政府の力が弱いから、それを跳ね返すことも出来ない。どうにかしないと、いつの間にか日本の生活環境が脅かされてる。海外の言いなりになってるとか、日本が日本でなくなる日が来る可能性だってあるんだぜ。
香港のようにな。」
羅針も吐き捨てるように言う。
「そうだな。香港も返還されてからは大変らしいもんな。デモや暴動も頻繁なんだろ。」
駅夫が言う。
「ああそうだな。今は大分水面下に潜ってるみたいだけど、火種は今も燻ってるよ。
俺の友達も台湾に逃げたとかって話だからな。よっぽどだよ。彼の話だと、何人も仲間が捕まったって。まさに日本の60年代から70年代が、今の香港って感じだよ。」
羅針が言う。
「そうなのか。それは大変だな。その友達は大丈夫なのか。」
駅夫が心配する。
「ああ、一応無事だ。連絡はかなり減ったけど、支援者に匿われて、元気にしてるみたいだよ。
日本はさ、戦後、沖縄以外、分割統治されずにすんだけど、今のままなら、いつ何時分割統治される嵌めになるか分からないし、占領統治される可能性だってあるから、気を付けるべきなのに。」
羅針は言う。
「着実に外国の触手は日本に伸びているからな。まさに沖縄を忘れるな、北方領土を忘れるなだよな。」
駅夫も同調する。
「そう。沖縄は無事に返還されたけど、北方領土はいまだにロシアが占領してるからな。
それでも飽き足らず、ロシアを始め、中国、アメリカ、そして朝鮮半島の二国だけでなく、他にも日本を食い物にしようと企む国は山程あって、虎視眈々と狙っているからな。
外国人参政権なんて、その最たるものじゃん。」
羅針が言う。
「そうだな。あれだろ、戸籍廃止論とかも、帰化を隠すためだと何だとか言うじゃねえか。そういう恐ろしい話があるのにも関わらず、誰も関心を持とうとはしないってのが恐ろしくもあり、不思議でもあり、理解に苦しむだよな。」
駅夫は言う。
「まったくだよ。政治の話題が出たと思ったらスキャンダルの話だけが盛り上がる。誰が不正を働いた、誰と誰が不倫した、誰と誰が汚職した、誰かが失言したとか、そんな話ばっかりだもんな。あんなの全部政敵に対する嫌がらせでやってるとしか思えないんだよな。」
羅針は憤る。
「ホントそう。そんな話はどうでも良いんだよ。もっと建設的な話をしろって、な。」
駅夫も同意する。
「そう。もっと、政治家が何をしようとしているのか、この国をどうしようとしているのか、国民の生活をどう変えようとしているのか、社会が良くなるのか悪くなるのか、そんな簡単なことすら報道されないし、国民に知らされないんだから。」
駅夫の言葉に大きく頷き、羅針が怒りにまかせて言う。
「知らされないんじゃない。知ろうとしないんだよ。知りたいとも思わないんだよ。政治家が政治家なら、国民も国民なんだよ。一応国会は中継されてるんだからさ、知ろうと思えばいくらでも手はある筈なんだよ。」
駅夫は言う。
「大体さ、国のトップがコロコロ変わるくせに国が良くならないこんな国の政治に誰が関心なんて持てる?
そんなんで、関心を持てって言う方が土台無理なんだよ。真面目に政治をやってくれるだけで良いのに、そんな政治家見たことないだろ。国会中継なんて、鼾の大合唱だぜ、おっさん、おばさんの居眠りなんて見る気にもならないっての。」
羅針が嘆く。
「まったくだよな。あんなんで高額な議員報酬を貪ってんだぜ。俺たちの税金でな。やってらんないよ。まったく。」
羅針の言葉に、駅夫は大きく頷き、吐き捨てるように言う。
「お二人の言うとおりですよね。
今の日本ってカンフル剤を打ちながらブラック企業で休み無く働いてるようなもんですよ。いつ倒れてもおかしくないですよね。そのカンフル剤さえ、政治家はケチる始末ですもんね。
結局さっきのあの娘たちは、そんな日本の政治観に毒されてしまってるんでしょうね。つまらない政治やってるなら勝手にやってくれっていう。私たちは私たちで楽しくやるからみたいな。
本当はつまらない政治をやらせないように、国民が監視しなきゃいけないんでしょうけど、監視機関である報道機関も機能していないし、国民も監視しようとすらしない。そういうことですよね。」
二人の話を聞いていた平櫻が、黙って聞いていられずに、口を挟む。
「そうですね。まさにそういうことですね。」
「まさにそう。そういうこと。」
羅針と駅夫は平櫻の言葉に大きく頷く。
「だから、あれか、今ネットがその監視機関の役割を担っているってことか。」
駅夫が言う。
「そういうことだな。SNSで皆好き勝手に発言できるようになった。これがある意味、国民の声を直接反映しているってことにはなるからな。
それが正しいか正しくないかは別にしてな。
でも、結局、声が大きいのは一部の人間だけ。それだけ盛り上がってるなら、投票率に表れるはずだろ。そうならないってことは、そういうことなんだよ。」
そう言って羅針は大きく溜め息をつく。
「でもさ、SNSが政治に関心を向ける切っ掛けになるんじゃないのか。」
駅夫が言う。
「俺は、そうは思わないね。結局ネットは見たいものしか見ないだろ。関心がなければそんなの目もくれないさ。さっきの女の娘たちみたいにね。」
羅針が言う。
「まあ、そうか。それもそうだな。」
駅夫も納得する。
「だろ、結局さ、関心があるかないかだけなんだよ。
すべてにおいて無関心が、世の中をこんな風にしてるんじゃないかなって。そう思いたくもなるよ。」
羅針が悟ったようなことを言う。
「まあな。でもさ、政治の無関心もそうだけど、歴史の無関心もあるんじゃないかな。とくにさっきの女の子たちにとっては、歴史的事件よりもアイドルのポスターなんだからさ。」
駅夫は、再び周囲を見渡して、相変わらず足元の白い印に無関心で通り過ぎていく人々を見て、視点を変えて話をする。
「確かにそうかもな。実際自分の興味あることしか関心を向けないからな。若者に限らず人って言うのはさ。」
羅針が悟ってようなことを言う。
「だけどさ、良く事件や事故とかで亡くなった人への献花台が、現場に設けられたりするだろ。大きくニュースなんかで取り上げられると、見ず知らずの人が献花していったりするじゃんか。
だからといって、歴史上の人物に献花したりするか?普通しないだろ。墓参りする人はいるかも知れないけど、こういう現場は見に来るのがせいぜいじゃん。
政治もそうだけど、そもそも、歴史の出来事にすら関心なんて無いんだよ。感心があるは、アイドル、映え、それと楽しいかどうかだけ。だろ。」
駅夫が持論を言う。
「そうだな。それはそうかもな。
でもさ、こうやってあちこち旅してると、人が亡くなった場所で手を合わせないか?このルーレット旅でも何回か手を合わせてきたぞ。それこそ館腰の津波被災地しかり、羽咋でだって能登地震で亡くなった方たちに冥福を祈ってきたし、長崎の平和祈念像でだって、大刀洗の平和記念館でだって手を合わせてきただろ。
献花するまでにはならなくても、手を合わせたり、黙祷したりはするもんじゃないのか。」
羅針が当たり前のことのように言う。
「それは、俺たちだからだろ。あの娘たちがそんなことすると思うか?そもそも、そんなところへ行かないだろうし、行ったところで手を合わせるとは思わない。合掌しろとは言わないけど、それが彼女たちであって、俺たちとは違うってことだ。
その行動原理が無知から来るのか、無関心から来るのか、それとも別の要因があるのかは知らないけどさ。そんなもんなんだよ。」
駅夫が言う。
「そうか、そうだよな。そんなもんだよな。ましてや縁も縁もない政治家に対して、そんな特別な感情は抱かないか。」
羅針がそう言って再び大きな溜め息をついた。
「だいたいさ、日本は二千年からの歴史があるんだろ、縄文時代から数えたら一万年以上あるんだから、他人の生き死にに関わるようなことって、そこら中であったんだ。それこそどれだけの人がこの日本で亡くなってきたって話だ。それを考えたら、関心有るとか無いとかに関係なく、いちいち手を合わせてられないって。
考えてもみろ、日本全国津々浦々すべてに墓石が建っているようなもんだぞ。それ全部に手を合わせて廻れるか?物理的にも無理だろ。」
駅夫が大袈裟に誇張して言う。
「それもそうか。お前の言うとおりかもな。なんか、頑なになりすぎてた。多様性ってことにしとくよ。」
羅針は駅夫の言葉を聞いて、自分が少し熱くなっていたことに気付いて、少し顔を赤らめ、冗談交じりに言う。
「でも、その中でも有名な方、知名度のある方だけなら数がグンと減るんじゃないですか。それこそ歴史に名を残した方なら、そこまで数は多くならないと思うんですけど。」
平櫻が助け船を出す。
「確かにね。でも、その有名とか、知名度があるとか、歴史に名を残したって、どこまでを基準にするの?
極端な話をすれば、たとえばある街に、街の発展に貢献したとか、街に何かを遺したとかいう名士がいて、その街で知らない人はいないとするよ。でも、歴史の教科書に載るようなことはしていない。そんな人は街の歴史には名を残したけど、俺たちが言う歴史に名を残したって言えるの?市区町村で有名ならいいの?、それとも全国区?、もっと言えば世界規模にならないと駄目?
つまり、その線引きってどこなのって話。俺と羅針と平櫻さんの間でも知ってる歴史上の人物の数に差があるように、人それぞれの認識に差があるってこと。だから、羅針が知ってることに俺が無知、無関心は充分あり得るし、逆も然りってこと。」
駅夫が説き伏せるように説明する。
「確かにそうかも知れませんけど。」
平櫻はそれでも納得がいってないが、理解はしているようで、どう反論して良いか分からず、言葉に詰まって、考え込んでしまった。
「とりあえず、そろそろホテルに移動しないか。」
羅針がスマホの時計を見ると一時間近くここで喋っていたのだ。
「そうだな。ちょっと夢中になりすぎた。」
駅夫はそう言って照れ臭そうに頭を掻く。
「そうですね。移動しましょうか。」
平櫻もそう言って頷いた。
三人は、遭難場所を示す印と、それを解説するプレートを改めて眺め、その前で手を合わせた。
相変わらず目の前を行き交う人々は、自分の目的地へ急いでおり、足元の小さな印にも、壁の解説板にも、三人の行動にすら一瞥もくれず、足早に通り過ぎていくだけだった。