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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾伍話 日本橋駅 (東京都)
154/181

拾伍之拾


 三人は一旦部屋に戻り、荷物の整理をする。

 いつもならもう一泊するので、そのまま出掛けてしまうところだが、このホテルで連泊は流石にキツいので、別の格安ホテルを予約してある。平櫻が昨日引き落としがキツいと駅夫に言っていたホテルだ。


 どこまで引き落とされるのか、駅夫はドキドキしながら、今日のホテルをある意味楽しみにしていた。とはいえ、この高級ホテルも堪能しきった訳ではなく、設備や調度品の豪華さに当てられただけ、というのが正直なところだ。


「忘れ物無いな。」

 羅針が部屋を一通りチェックする。

「ああ。なんか名残惜しいな。また泊まりに来ような。」

 先にドアの外に出ていた駅夫が応えて言う。

「そうだな。」

 チェックを終えて出てきた羅針が頷く。


 一階ロビーに降りてきた二人は、チェックアウトの手続きを済ませ、先に手続きを済ませていた平櫻と合流する。

 三人はホテルの前で記念撮影をし、今日のホテルへと向かう。


「その前に、平櫻さん、南口に見ておくべき場所があることをご存知ですか。」

 羅針がホテルへ向かおうとせず、平櫻に声を掛ける。

「ドーム天井の装飾のことですか。」

 平櫻が応える。

「もちろん、ドーム天井の装飾もそうなんですが、床にある丸い点です。」

 羅針がヒントのように言う。

「あっ、分かりました。原敬はらたかし首相の暗殺現場ですね。」

 平櫻がピンときて答える。

「そうです。ご存知でしたか。」

「はい。それはもちろん。ただ、現場は見てないですね。」

「じゃ、折角なんで見ておきますか。解説のプレートがあるだけですけどね。」

 羅針のその一言で、三人は南口へと向かうことにした。


南口の券売機横には、件の現場跡がひっそりとあった。

 黒い丸に六角形の白い印が御影石の床に着けられていたが、誰一人、気にも留めないのか、その上を歩いて行く人々が後を絶たない。

 傍の壁には、〔原首相遭難現場〕と書かれたプレートが掲げられ、大正10年11月4日午後7時20分に内閣総理大臣原敬が一人の青年に刺されたことが記載されていた。


「原敬氏と言えば平民宰相へいみんさいしょうと呼ばれたことでも有名な総理大臣だけど、立憲政友会りっけんせいゆうかいを母体として初めての本格的な政党内閣としても、日本の歴史に名を残しているんですよ。

 ここに、犯人は政党の施策しさくに不満を持っていたとありますが、当時の立憲政友会は内部分裂をしていたようで、次に立った高橋是清たかはしこれきよ氏の代でそれが顕在化して、結局立憲政友会は落ちぶれていくんです。まあ、歴史で習いましたよね。」

 そう言って羅針は平櫻に説明する。

「はい。でも、こうやって歴史の現場に立つと、その臨場感が違いますね。ここで原敬氏が暗殺されたことで歴史が動いた、そして政党内閣は育たなかった。この青年は国民の無知を象徴しているようでありながら、暴力が政治を動かすことができていた時代でもあるんだなと、まざまざと見せ付けられている気がします。」

 平櫻が答える。

「確かにそうですね。政党内閣が育たなかったのは、他にも様々な要因が有りますが、彼の死がその象徴として扱われていることは、間違いないでしょうね。

 近年でも安倍晋三あべしんぞう首相が銃殺されましたよね。日本は令和になっても大正のこの時から何の進歩もしていないんじゃないかって思いますよ。」

 羅針が嘆くように言う。

「そうかも知れませんね。政治的にも、文化的にも、民度的にも、色んなことが大正時代から発展してきたはずなのに、暴力で解決しようとする短落さだけは変わっていないなんて、確かに仰るとおり、進歩してないかも知れませんね。

 自分の主張があるなら言論ですべきであって、その正当な権利を有しながら、安易な手段に及ぶというのは、やはり無知からくるのか、何か裏があるのか、言葉で勝てないから暴力を振るう。なんか勘ぐりたくなりますよね。」

 平櫻も羅針の言葉に同意し、何かをうたぐったような言い方をする。


「でもさ、正攻法でひっくり返そうとしたって、誰も聞く耳持たないだろ。

 だから、ちょっと誰かに何かを吹き込まれたら、それが正しいと信じて邁進する。ちょっと考えれば分かることなのに、自分の信じたいことを信じる。

 政治に対する無知、嫌悪、不信、不満、失望、それに憤慨なんかが政治離れを引き起こしてさ、そうして、無知と無関心が広まり、そういった暴漢が生まれる土壌になっているんだと、俺は思うね。」

 そう言って駅夫が口を挟む。

「たしかにな。聞く耳を持ち、議論する力があれば、あんなことは起こらないか。確かにそうかも知れないな。」

 羅針は駅夫の言葉に頷く。


「だろ、以前政権がひっくり返った時だってさ、漸く正攻法で日本の政治も変わったんだと思ったら、結局今までと違う政権運営に、国民は総出で文句しか言わなかったじゃん。

 だれも、新政権を温かく見守ろうとか、議論を尽くして良くしようなんてなくて、足を引っ張るばかりでさ、結局元の木阿弥もくあみ。」

 駅夫が情けないとばかりに溜め息をつく。

「確かにな。もちろん酷い政権運営をしたからではあるけど、もう少し政党が育つのを見守っても良かったんじゃないかなって、俺も思うよね。今更だけどさ。

 まああの時は震災もあったから、日本中で余裕が無くなったってのもあるけどさ。あまりにもお粗末だよね。」

 羅針もそう言って溜め息をつく。


「まったくだよ。あの頃は影の内閣がどうとか、政権交代を定期的にしようとか、二大政党を作り上げようとか言ってさ、大々的にキャンペーン張って政権をひっくり返した訳でしょ。それがさ、多少うまくいかなかったからって、すぐに元に戻すって、おかしいでしょ。

 結局それから、政治に不満は言うのに、政権を変えようという動きは巻き起こらないもんな。」

 駅夫が呆れたように言う。


「まあ、そういう意味では、お前の言うとおりかもしれない。結局、国民が現状で満足しちゃってるって言うのもあるし、期待外れだった分、政権交代に慎重になってるっていうのもある。

 政権交代が政治の成熟度を測る唯一の基準じゃないけど、それすらままならないなら、やはり政治的には未熟だと言わざるを得ないと、俺は思うね。」

 羅針が強く主張する。


「政治的に未熟か。確かにそんな一面はあるかもしれないけど、それはどうだろうな。国民が安定を求めていれば、政権交代には当然到らないだろ。出来ないんじゃなくて、やらないって可能性だって有り得るだろ?」

 駅夫が疑問を呈する。


「確かにお前の言うとおり、政権に不満がなければ交代しないっていう選択肢もありだ。長期政権は国の安定にも繋がるからな。

 俺が問題にしているのは、政権を交代する、しないの問題ではなく、やらないということが問題なんだよ。

 政権が安定してれば国は安定するかもしれない。だけど、国民にとっては、どうだ。政治が停滞するってことは、何も変わらないということだろ。悪くもならなきゃ良くもならない。

 いや、停滞するってことは悪くなることしかないってことだ。腐食があったら、全体に広がる。そうだろ。」

 羅針が同意を求める。

「腐った蜜柑論法か。組織が保守に走れば、腐食も取り除けないし、腐って行くしかないのかも知れない。」

 駅夫は同意する。

「だろ、逆に政権が交代すれば、色んな問題点が浮き彫りになるだろうし、交代が常態化すれば、自浄作用が働く可能性が高くなるってこと。

 国民も今の政権が駄目なら、交代させるというカードを持つことになるから、政治家は緊張感を以て政治をするだろうし、国民は政権を持たせるに値する政治家かどうかという厳しい目で見るようにもなるだろ。

 もしかしたら国民の間で議論だって活発になるかも知れない。良く見かける野次や暴言、罵り合いの類いじゃなくてね。」

 羅針が持論を展開する。

「まあ、その可能性は多いにあるけど、議員ですら、議論じゃなくて野次の応酬をしているような国に、そんな未来が訪れるかな。」

 駅夫が悲観したように言う。

「確かに今のままでは、未来永劫訪れることはないだろうな。

 政治家は国民を表すバロメーターって言うけどさ、選挙に行く国民は少数。それで、さも大多数に選ばれたと豪語する政治家は、自分の私腹を肥やすことしか考えていないし、出てくる政策は国民から絞ることしか考えてない。そして、選挙の前だけ飴を配って票稼ぎする。

 国民が無知、無関心だから、政治家が国民を侮って、馬鹿にしている。そう思わないか。」

 羅針がヒートアップする。

「確かにな。そういう気はする。確かに馬鹿にされてるような、所詮庶民なんて税金を毟り取れば良いんだよみたいに、虎視眈々と狙ってるような、そんな政策しか出てこないからな。」

 駅夫も言葉に苛立ちが籠もってくる。


「だろ、日本の政治ってさ、そう考えたら、この大正時代からほとんど何も変わってないじゃないかと、うたぐってしまうよ。」

 原首相遭難現場のプレートを顎で指して、眉をひそめて羅針が言う。

「そうだな。そうかも知れないな。なんせ、今更ながら、選挙に行けって啓発しなきゃならないぐらい投票率が低いんだ。選挙にすら無関心な国民が、政治的に成熟するはずないからな。」

 駅夫がそう言って嘆く。


「ホントだよ。選挙権がなくて、不当な扱いを受けてきた庶民が、勝ち取ってきた権利にも関わらず、それを行使しないって、おかしな話だよ。

 中国の友人がよく言ってるよ。日本は政治家を選ぶ権利が国民にあって羨ましいってね。まあ、ああいう国だからね。羨ましく思うのはしょうがないだろうけど。

 香港ではその権利すら奪われようとしているからね。香港の連中は必死だよ。

 それに比べたらって、俺は思うけどね。」

 羅針がそう言って、呆れたように吐き捨てる。

「そうだよな。どこの国も庶民は権力に翻弄される。だから権力を選択できるこの国に生まれた俺たちは幸運な筈なんだけどな。

 権利がないとそれを渇望し、いざ与えられると無駄にする。人間社会のさがというか、人間そのものの性なのかもしれないな。」

 駅夫がそう言って周囲を見渡した。


 そこには、俯き加減で足早に行き交う人々が足元の白い六角形を踏みつけて通り過ぎていく。スーツケースを引く旅行者、スマホをいじる会社員、イヤホンの音に没入する若者、誰一人として、その床に刻まれた意味に目を向けようとはしなかったし、三人の後ろにある解説板に目をやるものはいなかった。

 もちろん、彼らには見慣れた光景であって、一度は立ち止まって読んだことがあるのかも知れない。だが、誰一人として見向きもしないし、誰一人としてそのしるしを踏むことに躊躇しないのだ。

 構内には、ピンポーンという視覚障害者向けの音案内や、ICカードを読み取ったり、切符を通したりする自動改札機の作動音、人々が立てる足音に、引き摺られるスーツケースの音、そして構内アナウンスの声が、まるでカオスのように響き渡っていた。

 あたかも、この場所でかつて一人の人物が血を流したことなど無かったかのように。




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