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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾伍話 日本橋駅 (東京都)
152/180

拾伍之捌


 東京駅にあるホテルの喫茶ラウンジで、旅寝駅夫は、星路羅針の過去のトラウマを聞いた後も、ホテルのチェックイン時間まで、コーヒーを飲みながら過ごした。


 羅針は過去のトラウマを駅夫に話したことにより、大分落ち着きを取り戻し、駅夫のくだらない冗談にも、笑顔も見せるようになったが、顔色は相変わらずあまり良くはなかった。

 駅夫は、羅針の話を聞いて、色々な誤解や勘違い、そして羅針が抱えていたものを知ることとなった。


 駅夫はこのルーレット旅を始めた時、羅針のコミュ障の原因を知ることが出来れば良いな位に思っていた。あまり大きな期待はしていなかったが、そんな淡い希望を持っていた。

 諫早で平櫻佳音がこの旅に同行すると言った時、駅夫のコミュ障に何らかの良い影響があればと期待は膨らんだ。

 実際、平櫻が同行して一週間、羅針の平櫻に対する態度にコミュ障を発現することなく、楽しそうに会話をしていた。駅夫はてっきり平櫻に羅針は心を許したものだとばかり思っていた。


 ところが、そうではなかった。平櫻に駅夫がヒューマンパスの社長であると明かした翌日、つまり今朝、羅針がおかしくなった。

 実際はおかしくなったのではなく、脳内に響き渡る声に悩まされていたのだったが、周りの声が聞こえなくなる程で、駅夫から見れば、気がおかしくなったと見紛うような様子だったのだ。

 駅夫はもとより平櫻も心配していた。

 そんな平櫻には羅針と少し距離を置いて貰うために、一人で観光に出て貰ったが、それが功を奏した。羅針から、過去のトラウマについてあれこれ聞き出すことが出来たのだ。

 あまり期待していなかったことが、思わぬ形で実現してしまい、駅夫は戸惑いながらも、羅針の話を黙って聞いた。


 話の内容は、予想できていたこと三割、予想していなかったが想像できたこと三割、そして残りは完全に想定外だった。まさか、クラスから完全にハブられ、その上、教師とも折りが合わず、完全に孤立していたなんて、怒りが湧いてきた。当時駅夫自身が知っていたら、なんとか出来たかと言えば、それは分からないが、知らなかった自分が赦せなかったし、それ以上にクラスの連中や先公たち、特に高橋は赦せなかった。


 話を聞き終えた駅夫は、すぐに秘書の糸原亜利紗いとはらありさに連絡を取って、高橋との取り引きをすべて取り止めることを進言した。

 彼女への説明はもちろん包み隠すことはしない。彼女は羅針のことも知っているし、何度か顔合わせもしていて、既知の間柄である。

 よって、件の企業の現社長が、中学時代に羅針を不当に貶めていたことを知ったためであると言ったら、糸原は駅夫以上に怒り心頭で、一も二もなく即取り引きを中止すると言っていた。駅夫が「穏便にな」と釘を刺す程、電話口で怒っていた。

 日頃から糸原は「星路さんには、色々とお世話になっているんですから、社長もちゃんと恩返ししないと駄目ですよ。」と事ある毎に言っていたのだ。糸原にとって羅針は社長の友人以上のものを感じているのだろう。だからこそ、今回のことは怒り心頭だったのかも知れない。

 

 羅針にそれを伝えると、「糸原さんも、猪突猛進だからな。」と言って苦笑いをしていた。

 その様子を見て、駅夫も少しホッとする。どうやら、普段の羅針に戻りつつあるようだ。


 15時を回り、駅夫は羅針にチェックインの時間だと伝えると、羅針は大きく頷き、ラウンジを後にした。

 チェックインのあと、部屋に通された二人は、豪奢な部屋でゆっくりすることにした。

 ルーレット旅では、目的地の駅へ行って写真を撮るのがルールだが、取り敢えず今日は休むことにしたのだ。そんなことも気楽な旅だからできる臨機応変である。


 部屋はクラッシックモダンの内装で、設備も充実している。ブルーレイディスクやコーヒーマシンなどもあり、長期滞在する人にもありがたいだろうが、今の二人には特に恩恵は無い。

 羅針は、部屋に入ると、そのままベッドに横になって眠ってしまった。気分は良くなったのだろうが、やはり疲れていたのだろう。夕飯まで寝かしておくことにする。


 それにしても、こんな豪華なホテルを予約しているとは、駅夫も驚きだった。

 どうやら、羅針は平櫻と結託してサプライズをしようとしていたみたいだが、羅針がこんなことになって、サプライズは失敗と言ったところだったのだろう。平櫻さんのためにも、もう少しリアクションを取ってあげれば良かったかなと、駅夫は少し反省をするが、まあ、仕方ない。

 羅針の寝顔を見ながら、駅夫はそんなことを思う。


 駅夫は、ノートパソコンを取り出して、作業を始めた。自分のブログの更新、仕事のメール返信、糸原秘書から送られてくる書類の確認など、溜まっているものを片付けていった。

 作業に集中していた駅夫は、自分の携帯が振動していることに気が付いた。見ると平櫻からである。

「はい、旅寝です。……もうそんな時間か。日本橋は楽しめた?……そう、それは良かった。……今どちらに。……部屋なんだ。……羅針なら大丈夫だよ。今ベッドで寝てる。平櫻さんにも見せてあげたいね、可愛い寝顔してるよ。……ハハハ。……笑い事じゃないって。……大丈夫、こいつはもう落ち着いたから。……上級回復魔法をね。……そう。後で本人からきちんと説明させるからさ。……分かったよ。ところで、夕飯だよね。……夕飯は地下のレストランで取ろうと思うけど、羅針が鉄板焼きの店を予約してるって言ってたから。予約時間は18時だね。……分かった。18時にお店でね。……ああ、後でね。」

 駅夫が電話を切ると、羅針が起きていた。

「誰から?」

「平櫻さんからだよ。夕飯はどうするって。」

「ああ、店のことは伝えたのか。」

「伝えたよ。18時で良かったんだろ。」

「ああ。問題ないよ。」

 羅針はそう応えると、洗面所へ行った。暫くして顔を洗って戻ってきた。その顔は先程までにない、大きな憑きものが取れたような、少しすっきりした表情になっていた。


 二人は、時間になったので、地下の鉄板焼き屋へと向かった。

 鉄板焼き屋に着くと、店の前で平櫻が待っていた。

「平櫻さん、今日はすみませんでした。嫌な思いをさせてしまいました。」

 羅針はそう言って深々と平櫻に頭を下げる。

「いいえ、こちらこそ、星路さんに嫌な思いをさせてしまいました。ご迷惑を掛けてばかりなのに、本当にすみませんでした。」

 平櫻もそう言って深々と羅針に頭を下げた。

「二人とも、取り敢えず中に入ろうぜ。」

 駅夫はそう言って、二人を促す。

 頭を下げ合っていた羅針と平櫻の二人は、頭を上げると頷いて、駅夫に続き店の中へと入っていった。


 店内は和モダンな雰囲気で、調度品に和を感じるが、白を基調とした上品でお洒落な内装は洋の雰囲気がある。

 三人は八人しか座れないカウンター席に通された。何も聞かされていない駅夫と平櫻は少し緊張する。いや、平櫻はこんなところにはほぼ来たことがないので、大いに緊張していた。

 三人の他に老夫婦らしき男女一組が先客で、既に食事を始めていた。三人が席に着くと、予約でシェフのお任せを注文しておいたので、飲み物だけ確認された。三人は日本酒を頼んだ。

 これは羅針の拘りである。羅針が言うには、こういう会席料理をビールの口にしてしまうと、料理の味を楽しめないというのだ。特に繊細な料理が提供される会席料理には日本酒が一番だと言う。

「お前、ホントにそういうところ拘るよな。」

 駅夫が言う。

「まあね。折角なら美味しくいただきたいだろ。」

 羅針が応える。

 平櫻は二人の会話を聞いていて、いつもの星路に戻ったようで一安心した。


 シェフが今日の料理に合うと提案してくれた、少しキリリとするやや辛口の日本酒が運ばれてきた。三人はそれで乾杯すると、続けて運ばれてきた前菜、はもの湯引き、夏野菜のジュレ寄せ、オクラの胡麻和えのプレートをいただく。

「鱧の梅肉ソースの酸味が利くな。」

 駅夫がブルッと身体を震わせて、そう言う。

「確かにこの酸味は利くな。」

 羅針もそう言って口をすぼめている。

 二人の様子が面白く、平櫻はクスッと笑った。

「この夏野菜も美味しいですよ。さっぱりしたジュレが夏野菜にピッタリです。」

 見た目にも美しくカットされた胡瓜に茄子、それにトマトがお洒落に盛られていた夏野菜を一つずつ平櫻は口に運ぶ。


 次に出されたのは、あわびの鉄板焼きに肝バターソースが掛かっていた。

 これはもちろんシェフが目の前で焼いてくれる。シェフの手捌きは見とれるほどに鮮やかで、簡単にやって見せてはいるが、この微妙な焼き加減が出来るようになるには相当な修練を積んだことだろう。ましてや、こんな高級店でシェフを任されているのだ、素人目には簡単に見えても、その技は絶対に素人には真似できないはずである。


「美味っ。」

 駅夫は相変わらずの一言である。

「ああ。確かに美味い。鮑と言えばこの食感だな。旬の時期もあるけど、焼き加減が絶妙で良い。」

 羅針がそう言うと、シェフが満面の笑みを湛えながら小さく会釈をしていた。

「美味しいです。醤油とバターの香ばしい香りも良いですね。」

 平櫻も得も言われぬ表情で堪能している。


 その後出てきた柚子胡椒のドレッシングが掛かった水茄子のサラダを箸休めに、目の前で焼かれていく隠岐牛おきぎゅうのフィレ肉に、三人は目を奪われる。

 香ばしい肉の焼かれる音と匂いに耳と鼻腔がくすぐられ、五感を震わせるそのシェフの手捌きに、否が応でも食欲が湧く。


 目の前に出された焼きたてのフィレ肉はミディアムレアで、その焼き加減はやはり絶妙だった。

「この山葵醤油が良いんだよ。」と駅夫。

「もうクセになってるよな。」と羅針。

「このツーンとするのが良いんですよね。」と平櫻。

「ステーキに山葵が合うのは理にかなっていてね、肉の濃厚な旨味やコクを際ただせるためには最高の素材なんだよ。辛味と爽やかな風味に醤油の塩味と旨味が加わることで、肉の味わいに深みを与えるんだよね。それに山葵には食欲増進の効果もあるからね……。」

 羅針が得意の分析を始めたら、駅夫が、「また始まったよ。蘊蓄は良いから、とにかく味わえ。」そう言って笑う。

 平櫻はそれを聞いて、「星路さんはやっぱりこうじゃないと。」と言って微笑んだ。


 次に出てきたのはトウモロコシとズッキーニの塩バター焼き。もちろんこれも目の前で調理されて提供される。

 まだ湯気の立つ熱々のトウモロコシとズッキーニ、その甘味と歯応えに三人は舌を巻く。


 そして、最後に出されたのが、釜炊きご飯のガーリックライスに、しらすと刻み茗荷が添えられていた。それと三つ葉が散らされた白味噌仕立ての茄子とオクラの味噌汁と、胡瓜の浅漬け、茄子のぬか漬けが香の物として出された。

 釜炊きのご飯を目の前の鉄板で炒め、ガーリックと醤油で香ばしく仕上げられた、そのガーリックライスは、見た目にも楽しい上、お腹も満たしてくれるが、初夏らしいしらすと茗荷が清涼感を増して、口の中がさっぱりするのも、重くなりすぎず、腹がもたれないのが良い。そこに、白味噌の味噌汁と、香の物が加わると、口直しには最適で、更に満足感を高めてくれる。


 最後の締めは、抹茶あんみつである。旬の桃がトッピングされた、この店一番の人気デザートだそうだ。

 確かに、今まで食べたあんみつとは一線を画す出来で、餡やクリームの上品な甘味と、

一緒に出された八女茶やめちゃの爽やかな香りを楽しんで、三人は食事を終えた。


 三人は余韻を楽しみながら、店を出た。

 会計は羅針がすべて出した。本人はお詫びだと言っていたが、駅夫はともかく、平櫻は恐縮してしまった。平櫻は自分で出すと言ったが、羅針は受け取らなかった。


 そして、三人はその足でバー・カフェに移動した。

 ここも、お洒落なバーである。店内に一歩踏み入れると、赤を基調とした内装が目を惹くが、一つ一つの調度品に上品な高級感を覚える。

 三人はパサージュ席へと通された。

「パサージュとはフランス語で〔通過〕や〔小径〕という意味で、パリの商店街において18世紀末から19世紀にかけて流行った、鉄とガラスを用いたアーケード商店街を指すようになった言葉だよ。」

 駅夫が羅針にパサージュって何という顔をしているので、羅針が答える。

 この店のパサージュ席は鉄製の仕切りで区切られた席のことで、四人掛けのテーブル席を指すようだ。

 三人は関内のバーで羅針が言っていたように、店お勧めのウィスキーをシングルで頼んだ。バーではウィスキーから頼むことで、ゆっくりと飲みながらこの後頼む酒をじっくりと選ぶのだという。羅針の持論である。


 三人は運ばれてきたウィスキーとつまみで人心地付けると、おもむろに羅針が口を開いた。

「平櫻さん、今日は本当にすみませんでした。」

 そう言って改めて羅針は平櫻に頭を下げる。

「いいえ、こちらこそ色々ご迷惑を掛けているんですから、頭を上げてください。」

 平櫻はそう言って、羅針を制止しようとする。

「いや、これはきちんと謝っておかないといけない話なんです。」

 そう言って羅針は、どうして今日一日こんな態度になってしまったのか、中学時代のことから、脳内で響く声のこと、駅夫がコミュ障と勘違いしていた人付き合いのこと、そして、いまだにその声が消えてなくならないことなどを、順を追って説明した。


「そういう訳なんだ。完全に自分が悪いと思っている。だから、君に謝りたいんだ。本当にすみませんでした。」

 再び羅針は頭を下げた。

「事情は良く分かりました。でも、それって普通のことじゃないですか。他人ひとなんて簡単に信用できないですよ。

 星路さんが経験されてきたことは、確かに普通のことじゃないし、私も憤りを感じます。出来ることなら今からでも星路さんを陥れた人たちを告発してやりたい、そんな気持ちです。

 でも、星路さんはそれを乗り越えてこられた。ご自身の精神を保つために、そして人付き合いを大切にしようとする星路さんの気持ちが、ビジネスライクという形を採ったんだと思います。

 だから、無理矢理他人を信用することはないと思います。それは私も含みます。私は星路さんに信用されるようにこれまでも、これからも努力します。その結果は、星路さんが決めればいい話です。それでも信用されないのならば、それは星路さんの責ではなく、私の責です。

 ですから、星路さんは無理をしなくて良いんです。無理をしければならないのは、むしろ私なのですから。

 改めて、これからもよろしくお願いします。星路さんに信頼して貰えるよう、粉骨砕身頑張りますので。」

 平櫻はそう言って、深々と頭を下げ、最後に茶目っ気たっぷりに微笑んだ。


「そうですか。そう言って貰えると気持ちが大分楽になりました。」

 羅針はそう言うと、平櫻の言葉が身に染みたのか、少し目を潤ませていた。

「こんな、私の言葉で星路さんの気持ちを和らげることが出来るなら、お安い御用です。」

 平櫻はにっこりと微笑んで言う。


 平櫻は、最初に自分が嫌われたのではないことに対し、心の底から安心していた。そして、星路の過去にこのような壮絶な物語があったことに、驚きと、憤りと、悲しみと、憐憫と、とにかく色んな感情が湧き起こっていた。まるで自分のことのように感じていた。


「ウチの会社でもその首謀者との取り引きを停止することにしたんだ。」駅夫はそう言って話を続ける。「実は、パスセレクションでは、地元の会社を優先的に取り扱ってきたんだよね。地元還元ていう意味でもね。

 でも、こんなことがあったと知ったら、優先させる意味はないよね。だからさ、これからは、会社経営者の為人ひととなりも含めて取引先を審議しようってなってね。ウチの秘書が精力的に動いてくれることになったんだ。」駅夫は羅針を見て「こいつのためにもって言ってね。」と微笑んだ。

「その秘書さん猪突猛進でね。」

 羅針が照れ臭そうに言う。


「それは素晴らしい判断ですね。そういうのは絶対許しちゃ駄目ですよ。」

 平櫻はその話を聞いて、心の底から喝采を送った。自分が大好きなパスセレクションが悪の権化と取り引きしていたことは残念に思ったが、それが過去のことになったのだ。平櫻は歓迎こそすれ、パスセレクションを嫌いになることはなかった。むしろ、取り引き中止を即決した旅寝とそれを推進する秘書に尊敬と、喝采を送った。


 駅夫は、平櫻がこの旅に同行してくれたことに心の中で感謝していた。彼女がたとえ何か裏があって、悪巧みをしていたとしても、もう、駅夫に彼女を疑う気持ちは微塵もなかった。羅針に言ったら「少しは疑え」とでも言われるだろうけど。


 その後、三人はバーの閉店まで語り合った。

 羅針と駅夫との間に有った勘違いという齟齬も解消されたし、平櫻が感じていた羅針がコミュ障という違和感も解消された。

 三人はこれまで以上に親密な関係となり、互いの関係性は新たな段階に入ったのだった。



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