拾伍之陸
平櫻佳音は、旅寝駅夫のお願いもあり、一人で日本橋界隈の観光へと向かうことにした。申し訳なさそうにホテルの入り口で手を挙げる旅寝に、佳音は手を振り返した後、東京駅丸の内口の広場に足を向けた。
外は少し青空は見えるものの、空気は肌寒いため、佳音は上着を羽織った。
佳音の足元はホワイトベースにグレーのアクセントが入った運動靴で、佳音の足にピッタリフィットしていて長年愛用している。
パンツはヘザーグレーのテーパードパンツで、上はオフホワイトのボタンダウンシャツと、少しゆったりとした着心地のものだ。動きやすく、長時間歩いても大丈夫なようにいつもよりカジュアル寄りにコーディネートした。
上に羽織るジャケットはコットンとポリエステルの混紡で、軽量だが皺になりにくく、裏地には薄手のポリエステルが使われ、動きやすさと快適さを兼ね備え、どんなシーンにも困らないようにした。色はダークネイビーで、キャップと合わせた同系色である。
キャップは佳音がファングッズとして製作販売した商品の一つで、右脇に金刺繍で、佳音が描いた0系新幹線を小さくあしらい、左脇には〔kanon〕の直筆文字が金刺繍されていた。
肩からは黒のサコッシュを提げ、貴重品などはこの中に入っている。そして、背中に背負っているダークグレーのバックパックには、撮影機材やパソコンなどがはいっていた。
全体的にカジュアルではあるが、品のあるスタイルである。
佳音は広場の中心まで来ると、辺りをぐるりと見渡した。
東京駅丸の内駅舎は、そのレトロな雰囲気を前面に押し出しつつも、周囲の高層ビルと相まって、独特の景色を作り上げている。まるで過去から駅舎だけがタイムスリップしてきたかのようだ。
後ろを振り返れば、皇居へと続く真っ直ぐな道、御幸通りと呼ばれる都道404号線、皇居前東京停車場線である。皇居への来賓や、皇族の御旅行時に利用される道でもある。
東京駅、言わずと知れた日本鉄道網の中心駅であり、すべての道はローマに通ずというが、それと同様、すべての鉄路は東京に通ずとも言える程、多くの鉄道がこの東京駅から延びていき、日本の津々浦々へと続いているのだ。
また日本の中心駅としてだけでなく、皇室口が設けられていることから、天皇の駅としても重要な役割を担ってきた。
丸の内口の広場に立った佳音は、目の前に横たわる、辰野金吾氏が設計した煉瓦造りの瀟洒な駅舎を見て、その歴史に思いを馳せた。
この東京駅は、1896年に中央停車場の建設事業として帝国議会で決定され、1899年から地質調査が開始された。その後日露戦争などで中断しつつも、戦争終結後から建設が本格化し、1914年12月20日に開業した。
皇居の正面に位置し、まさしく日本の中心駅として、また国家の中枢として、その歴史を刻んできたのだ。
その後、太平洋戦争末期、戦火に見舞われたこの美しい駅舎は大半が焼失し、三階建てだった駅舎は二階建てに減築され、美しいドームも角張った簡易的なものに付け替えられて、修復された。
美しかった駅舎はその魅力を半減しながらも、日本の顔、東京の顔として、その後も多くの人々を見送ってきたのである。
戦後、この丸の内駅舎は何度も建て替えの計画が持ち上がったが、その度に頓挫した。中には地上24階に及ぶ高層ビルにするという計画もあったようだが、法律や予算、様々な柵に阻まれて、すべて実現はしなかった。一方、丸の内駅舎を保存しようという運動も盛んになり、建て替えるか、改築するか、はたまた保存するかで議論が活発になった。
1988年に東京駅周辺地区再開発調査委員会に依る〔東京駅周辺地区総合整備基礎調査〕において、丸の内側駅舎は現在地での形態保存が適当との報告がなされ、これを機に復原保存という話が現実となった。
その後、法律的な制約や、金銭的制約を一つ一つ解決していき、外観を限りなく当時のものに近づけた〔復原〕がおこなわれた。耐震や免震を施され、古い技術と最新の技術が融合して復原された東京駅丸の内駅舎は、2012年10月1日に全面開業し、古くて新しい駅舎として、再び歴史を刻むこととなった。
佳音は、広場の真ん中から駅舎を舐めるように撮影し、この駅舎の歴史を語った。
もちろん、東京駅の歴史は100年以上経っており、数分で語り尽くせる話ではない。語り足りない話はまだ他にも沢山ある。
八重洲口が皇居の外堀を埋められて造られたとか、新幹線開業に到る歴史だとか、地上だけではない。地下においても総武線や横須賀線の乗り入れ、そして京葉線乗り入れに関する紆余曲折など、数えだしたら切りがない。
「皆さんへもっと多くのことをお伝えしたいのですが、東京駅の歴史を全部お話しするとなると、超大作になってしまいますので、この辺にしておきます。」
佳音はそう言って、東京駅をもっと色々と見て、紹介したいとは思ったが、早々に切り上げて、日本橋駅へと向かった。
今日の目的地は日本橋である。まずは、日本橋駅へ向かい、動画に収めてから、日本橋へと向かう予定で、動画を撮りながら北口方向へと歩き出した。
都道407号線を歩きながら見上げると、中央本線の高架線が頭上を併走する。
この中央本線の重層高架線化は、北陸新幹線の東京駅乗り入れを可能にするために、苦肉の策として編み出された方法である。
1998年の長野オリンピック開催が迫る時期、北陸新幹線開通により、東京駅への乗り入れは容量的に困難であった。そのため、新幹線ホームを増設するため、在来線を丸の内側に移動した。それにより中央本線は重層化する必要があったのだ。その結果がこの頭上に走る高架線である。
ここにも、東京駅の歴史が一つ刻まれていた。
中央本線の高架線を撮影しなが歩いていた佳音は、国道1号線の永代通りを右に曲がり、JRのガードを潜る。
「このガード下も歴史を感じますよね。土台に使われている古びた煉瓦、車道の分離帯にあるあの無骨な鉄骨、上の鉄道橋もどれもが100年前に造られたことを考えると、今も現役で使われていることが驚きですよね。」
佳音はそう言って、歴史を感じる場所にカメラを向けて撮影する。
ガードを抜けて更に歩道を進むと、お洒落な茶色の建物に階段があった。地下鉄の入り口である。長い階段を降りると、目の前には東西線の改札口が現れた。呉服橋交差点方面改札口である。
天井の低い地下通路も歴史を感じるポイントではあるが、流石大都会東京である昼日中にも関わらず、人通りが多いことも佳音には驚きである。だが、佳音が一人ブツブツ言いながら動画を撮影していても、チラリと見る人はあっても、ジロジロと視線を寄越したり、後ろ指を指したりするような人間はいなかった。
佳音は改札口をバックに自撮りをして、ルーレット旅のミッションをクリアする。とはいえ、ルーレット旅をしているのは佳音ではなく、旅寝と星路で、佳音はあくまでもオマケである。佳音がミッションをクリアしたところで、意味はない。ただの自己満足である。
この日本橋駅は、この東西線だけではない、銀座線と都営浅草線も乗り入れている。
駅の建設に当たっては、建設費の一部を、老舗の百貨店である髙島屋と白木屋が負担し、副駅名には〔白木屋・髙島屋前〕と入れられていた。しかし、白木屋が東急百貨店に吸収合併された後は〔東急百貨店・髙島屋前〕となり、その東急百貨店が閉店した後は〔髙島屋前〕になった。
佳音は一旦地上に上がり、その副駅名になっている百貨店を目指す。八重洲一丁目交差点を渡り、日本橋交差点を右に曲がると、その髙島屋がある。ちなみに、日本橋交差点のところにあるコレド日本橋は、日本橋駅建設資金を提供したもう一つの企業である、白木屋があった場所でもある。
中央通りを暫く行くと、左手に現れた古い建物が件の百貨店だ。周囲にはガラス張りの高層ビルが建ち並ぶ中、荘厳な鉄骨鉄筋コンクリート造りの建物が異彩な存在感を放っている。
元々この建物は、東京日本生命館として高橋貞太郎氏の設計により1933年竣工した。髙島屋はその一部を借り受ける形で営業を開始したのである。後に増改築や耐震工事をおこない、現在の形で維持保存されている。
2009年に重要文化財に指定されたこの建物は、基部を花崗岩、中層をタイル張り、最上部はテラコッタが使用された外装をしており、所々に見られる和風の意匠と相まって、独特な雰囲気を醸し出している。
「この建物が100年近く建っていることが驚きではないでしょうか。周囲の近代的なビルからは浮いているような感じはしますが、その荘厳さ、壮麗さ、威厳や威風は、どの建物も足元にすら及んでないと思いませんか。」
佳音はそう言って、この歴史ある建物を紹介しつつ、正直な感想を述べる。
佳音はこの歴史ある建物の中へと足を踏み入れた。内部も当時の贅を尽くした造りに、目を瞠り、重厚な西洋の建築様式に、和風建築の意匠を随所に鏤められ、和洋折衷の豪奢な内装が佳音の目を惹く。
大理石の柱には、良く見るとアンモナイトの化石が埋め込まれていて、天井は寺院建築で見られる格天井にロゼッタと同じような装飾が施され、和風照明の形をしたシャンデリアが下がっていて、その一つ一つを見ているだけでも、時間を忘れてしまいそうだ。
この髙島屋日本橋店に来たら、必ず見ておくべきものがある。それは正面奥に設置されているアメリカオーチス社製の昇降機である。現在でも手動で案内係が運転をおこなっており、今の日本ではなかなか見かけることがなくなった昇降機である。創建時の籠を改修しながら現在も使用しているといい、内装の美しさもさることながら、案内係の所作の美しさも一流である。
佳音は、建物の美しさを愛でながら、その後もゆっくりとウインドウショッピングを楽しんだ。
ただ古いだけでなく、現在でも十分通用する、モダンで上品な趣を感じることが出来る格式のある建築に、佳音は感心頻りだった。
一通り見て廻った佳音は、地下のレストラン街へと降りて洋食店に入る。昼食の時間はとっくに回っており、流石にお腹が空いてきた。店内は間接照明が心地よく、ゆったりと寛げる空間で、朝から気を遣いっぱなしだった佳音は、運ばれてきたお水を一口飲むと、漸く人心地ついた。
この店の一番人気はオムレツライスで、一週間も煮込んで作られるというドゥミソースが絶品だという。
佳音は、迷わずオムレツライスにスープとサラダのセットを注文し、それにとんかつ定食を追加した。
佳音は、料理が来るまでの間、再び星路羅針のことについて考えを巡らせた。
旅寝に星路がコミュ障だと聞いていたが、佳音はただの人見知りぐらいに思っていた。それが、今朝からコミュニケーションどころか会話すら覚束ない状態で、まさか、ここまで症状が酷いとは、正直思いもよらなかった。
佳音の軽率な行動が引き金を引いたような気がしていて、ずっと心に引っかかっていた。罪悪感から、ずっと星路に話し掛け、心を開いて貰おうと思ったが、幼馴染みの旅寝ですら星路のコミュ障を改善するのが精一杯で、治すには到ってないということは、当然数日前に知り合ったばかりの佳音が、治療や改善を出来るはずもなく、その上逆効果だったのか、ホテルのロビーで見た星路の目に、佳音は映っていないようだった。
仙台駅での一言も辛かった。「日本橋の旅を最後にしても良い」という言葉は、もうこれっきりにしようと言うことだ。だが、佳音は喰らい付いた。関係を終わらせたくなかったし、お詫びもすんでいないと思っていたからだ。
だから、必死に新幹線の中で星路に話し掛け、受け入れて貰おうと思った。しかし、その願いも虚しく、星路が佳音に心を開くことはなく、空回りしたまま東京駅に着いてしまい、旅寝に対するホテルのサプライズも不発に終わってしまった。
サプライズの失敗はたいした問題ではないが、やはり心配なのは星路の精神状態だ。そちらの方が大きな問題で、このままだと旅行を続けることはもちろん、星路自身が精神を病んでしまわないか、佳音は本気で心配だった。
旅寝のお願いで、こうして一人日本橋の観光に出てきたが、ふとした切っ掛けで、星路のことが気になってしまう。それほど、心の中で大きな存在になっているのだ。
佳音は、漸く運ばれてきた料理を前に、気持ちを切り替え、仕事モードに入り、料理の紹介と食レポを撮影した。
とんかつ定食は、サクッとした衣にとんかつソースがジューシーなお肉に良く合い、洋食の定番でありながら、今や和食にもその地位を確立したこの定食は、食べ応えのある定食であった。
一方、オムレツライスは、一週間じっくり煮込んだというドゥミソースが濃厚でコク深く、ほのかな甘みと酸味のバランスが絶妙で、ふんわりした、まるでスフレのような玉子と良く合い、蕩けるような柔らかさに感動すら覚える。さらに、中のケチャップライスももちろんパラパラで、細かくカットされた具材が良いアクセントとなり、このソース、玉子、ライスの三位一体感が満足感を高めてくれる。
「このオムレツライスは、流石自慢の一品というだけあり、これまで食べたものの中でも確実に上位に入ります。見栄えだけではないですよ、鼻腔を抜けるソース、玉子、ライスが三位一体となった濃厚な香り、舌の上で蕩けるようなこの美味しさは、懐かしくもあり、上品でもあり、本当に幸せを感じます。」
佳音は、一口食べるごとに、感想を録音していくが、脳裏には星路ならこれをどう分析して、どう感想を言うのか、ふと気になってしまった。