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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾伍話 日本橋駅 (東京都)
147/183

拾伍之参


 列車を降りた旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、新幹線ホームへと向けて歩き出した。


 仙台駅のコンコースは相変わらず会社員と旅行客が行き交っていた。西洋人の姿もチラホラ見かけたし、見た目は日本人と変わらないため、目には付かないが、聞こえてくる言葉から、中国や韓国からの観光客も多くいるようだ。

 今までの三人なら、そんなことすら楽しむことが出来ていたはずなのに、今はそんなことさえ、心に留まらなかった。


 佳音は、先を歩く星路の背中を見ながら歩いていた。

 佳音は正直、これまで星路が本当にコミュ障なのかどうか疑っていた。旅寝は「無理をしているんだ」と言っていたが、佳音の目には楽しそうに接してくれる星路の姿しか見えていなかったから、単に人見知りが激しいぐらいに思っていたのだ。

 しかし、今朝思い知った。これが星路のコミュ障なのだと。


 佳音はコミュ障がどんなものなのかは知らない。周囲にコミュ障を患っている友人知人がいなかったからだ。ただ、言葉のイメージから、家に引きこもって、誰とも会話をせず、日がな一日パソコンやゲームをしている、そんな人を想像していた。

 だが、コミュ障にも色んなタイプがあるのだろう。星路のように普段は普通の生活を送り、対人関係もそつなく熟すような人も、実はコミュ障だったりするということを、今日の星路を見て、初めて佳音は知った。


 そんな佳音でも、こうして星路の背中を見ていると、彼の中で何かが葛藤していることぐらいは容易に想像できた。この一週間何度も見た背中である。今までとはどこかが違うことぐらいは佳音にも分かる。何が違うかは分からなくても。


 四姉妹の中で育った佳音にとって、男性の心の機微のようなものははっきり言って分からない。身近な男性と言えば父親であるが、大学教授である父は、昔気質(かたぎ)の厳格で、多くを語らない寡黙な人である。そんな男性しか知らない佳音にとって、普通の男性が何を考えているかなんて、到底分かるはずもない。

 もちろん、男性の友人知人がいない訳ではないが、表面だけの付き合いでは、見えないものも多い。


 世の女性は「男性なんて単純」なんて言うけど、男性程複雑な精神構造をしている生き物はいないと佳音は思っている。もし、男性が単純だというなら、男性の気持ちが理解できないなんてことはないし、理解し合えなくて傷つけ合うことなんてないはずだ。

 男性が単純に見えるのは、彼らがそう装っているからだ。女性に花を持たせてくれていることが理解できていないから、「男性なんて単純」なんてことが言えるのだ。

 そんなに男性が単純なら、今頃佳音は素敵な男性を射止め、幸せな結婚生活を送れていたかも知れない。それはありもしない願望や妄想かも知れないが、佳音にとっては真剣に悩んできたことである。

 佳音は、だからこそ、星路の心の奥底に眠る、その精神構造を理解したいと思ったのだ。星路のことをもっと知りたい、もっと理解したい、もっと語り合いたい、もっと一緒にいたい、そして、何よりもつぐないがしたい。そう佳音の心が渇望していたのだ。

 理由なんてない。他でもない佳音の心が、ただ渇望しているのだ。


「平櫻さん、御免な。さっきは任せっきりにして。」平櫻の横に並んだ駅夫が話し掛けてきた。「……でも、俺がここで腫れ物に触るようにすると余計に拗らせるからさ。俺は出来るだけ普段どおりにしたいんだよ。だから平櫻さんも普段どおりに接してくれて構わないからね。

 ただ、一つ、お願いがあるんだ。あいつの精神を壊すことだけはしないで欲しい。具体的にああしろこうしろってことは無いし、言えないんだけど、あいつを追い詰めることだけはしないで欲しいんだ。ただそれだけ。

 すまないね。こんなことしか言えなくて。」

 駅夫が、その巨体をかがませて、小さな声で平櫻に言う。


「分かりました。出来るかどうかは分かりませんが、充分気を付けます。……でも、星路さん大丈夫ですよね。なんか、背中が凄く辛そうに見えて……。」

 平櫻は大きく頷くと、心配そうに先を歩く羅針の背中を見た。

「ああ。今のところはね。」

 そう言う駅夫も、辛そうな顔だ。どうして良いか分からないのだ。

 二人きりなら旅を中断して、羅針の心が落ち着くまで待つと言う方法も採れる。しかし、平櫻が一緒だ。予定を変更することは、契約書のこともあって、簡単には出来ない。

 だからこそ、羅針にはもう少し踏ん張って欲しいし、平櫻にも我慢を強いることになる。それを考えると、駅夫の心は重石おもしで押し潰されそうになる。


「あいつはさ、あれで多くの友人を失ったんだよ。」そう続ける駅夫の声は、悲痛に満ちていた。「だからさ、俺だけでもあいつの傍にいてやりたくてさ。」そう言って駅夫は溜め息交じりに俯いた。

「旅寝さんも気苦労されてきたんですね。」

 平櫻はそう言って駅夫を労った。

「いや、俺は良いんだよ。腐れ縁だしさ、兄弟みたいなもんだからね。」そう言った駅夫は、更に言葉を続けようとするが、どこか言いにくそうだ。


 少し考えていた駅夫は重い口を開いた。

「……、怒らないで聞いてくれるかな。……、俺はさ、あいつを見捨てることは出来ないけど、平櫻さん、君には何にも責任ないから……、もし……、もしも嫌なら……、あいつを……、羅針を……、見捨ててくれても構わないんだからね。」

 言葉を絞り出すように駅夫は言った。表情はどこか辛そうだ。


「そんな……、そんなのないですよ……。それは流石に私でも怒りますよ……。」

 そう言うと、駅夫の突然の申し出に、平櫻は寂しそうな顔をして続ける。

「そんなの、寂しいじゃないですか。乗りかかった船ですよ。私も最後まで乗ります。いや、乗せてください。お願いします。」

 そう言って平櫻は頭を深々と下げる。そして、頭を上げると、

「あんな、星路さんを見て、それで見捨てるなんて、私にだって出来ませんよ。そんな人でなしみたいなこと。……だって、折角神様から貰ったこんな素敵な縁なんですよ……。どうして……、どうして……そんなことが出来るって言うんですか。」

 平櫻はそう言って駅夫の目を見る。平櫻の目は真剣そのものだったし、その目の色に偽りは見えなかった。


「……良いのかい。」

 駅夫は、念を押すように聞いた。

「もちろんです。だって……、だって、この一週間あんな素敵な笑顔を見せてくれた星路さんが……、私に色んなことを教えてくれた星路さんが……、あんなに楽しそうに私の話を聞いてくれた星路さんが……、あんなに、あんなに苦しんでるんですよ、あんなに辛そうにしているんですよ、あんなに……、そんなの……、そんなの、耐えられないですよ。」

 そう言う平櫻の声は今にも泣き出しそうだ。目には薄らと涙すら浮かんでいた。


 先を行く羅針が、新幹線乗り換え口を入る前に振り返って、二人が付いてきていることを確認した。そして、駅ナカのコンビニを指差していた。それを見た駅夫が両手で大きな丸を作ると、羅針は大きく頷いて、スマホを自動改札機に翳して、中へと入っていった。


「どんなに自分が辛くても、ああやって人を心配できる人なんですよね。本当に優しくて、素敵な人だと思います。だから、力になりたいんですよ。なってあげたいんです。」

 平櫻は改めて駅夫に言う。

「そうか。本当にありがとう。そう言ってくれると、あいつも喜ぶと思うよ。」

 そう言って駅夫が心の底から嬉しそうな顔をした。


「そんなお礼なんて……。だって、私、ずっと星路さんに迷惑掛けっぱなしなんですよ……。出会った時から……。」

 佳音は、自宅へ戻るリレーかもめの中で、よろめいて星路のタブレットを壊してしまったことを思い出していた。

 確かに、そのタブレットの弁償は済んだかも知れない。しかし、それは保険会社が肩代わりしてくれたもの。佳音自身は謝罪金も、お詫びの品も、有形無形に関わらず、なに一つ償っていないことを、ずっと気に病んでいたのだ。何か星路の力になれたら、何か星路の役に立てたら、そんな気持ちで、ここまで二人に付いて来たのだ。今更、来るなと言われても、佳音には受け入れられなかった。

 

 平櫻は続けた。

「……出会った時から、ずっと私は迷惑を掛けてばかりだったんです。だから、ちゃんとお詫びをしたいんです。お金で済むなら、それでも構いません。この旅の動画の収益金だって還元するつもりでしたし、書籍を出せれば、その印税も微々たるものですが、還元できます。

 でも、私の気持ちはお金じゃないんですよ。お二人に、星路さんに、きちんと償いたいんです。懺悔ざんげとか、贖罪しょくざいとか、そんな崇高なものではないですが、私の気持ちはそれぐらい真剣なんです。

 それが、償うどころか、罪を重ねてしまっているんです。

 そして、今回のことです。旅寝さんは私のせいじゃないって仰ってくれますが、私は申し訳なさすぎて……。」

 平櫻はそう言って俯いた。


「君の気持ちは本当に嬉しいよ。あいつが聞いたらきっと喜ぶよ。多分受け取ろうとはしないだろうけどね。『受け取れというなら契約書を作る』とか言い出してね。」

 駅夫は、そう言って笑う。その笑いは乾いていた。平櫻の気持ちが痛いほど良く分かったからだ。そして、話を続ける。

「……でも、これだけは言っとく。決して君のせいじゃないし、君のせいにするつもりもない。そう言っても君は納得しないだろうから、これ以上の水掛け論はしないよ。

 ただ、本当にありがとう。

 君なら、もしかしたら、あいつのことを救ってやれるかも知れないって、勝手な期待をしちゃいそうだ。いや、もうしてるのかも知れない……。」

 そう言って、駅夫は微笑んだ。その笑みはとても温かいもののように平櫻は感じた。


 駅夫と平櫻は乗り換え改札を抜け、コンビニの前で羅針が出てくるのを待ちながら、話を続けた。


「星路さんは、子供の頃からずっとああだったんですか。」

 平櫻が尋ねる。

「ん~、俺の口から言って良いか分からないけど、あくまでも、俺の主観として聞いてくれるかな。

 あいつがコミュ障を患ったのは中学に入ってからなんだ。それまでは、普通に友達もいたし、ほら鉄道好きだからさ、そう言う仲間も何人かいたんだよ。

 でも、中学に入ってからかな。あいつがおかしくなったの。何があったのかは知らない。教えられないんじゃなくて実際知らないんだ。気が付いた時には、既におかしくなっていたんだ。

 あいつ頭良かったから、いつも学年トップでさ、自慢の友人だったんだけどね。気が付いたら、学校で浮いてたんだよね。

 もしかしたら思春期特有の何かで、小学生の時から予兆はあったのかも知れないけど、子供の俺がそんな細やかな精神の機微に気づけるはずもないし、ましてや理解するなんてできるはずもない。だからさ、気が付いた時にはもう既に手遅れだったんだ。

 何があったのか、何度も聞こうとしたけど、結局聞けずじまいで、この歳までになってしまってね、出来ればこの旅で、あの時あいつに何があったのか聞き出せたら良いかなってね、今更聞いたところでどうにもならないだろうけど、解決の糸口、あるいはあいつの心の負担を和らげてやることが出来れば良いかななんてね。

 お節介にも程があるだろうけど、どうにかしてやりたくてね。

 出来れば、あいつにこの後の人生を心の底から楽しんで欲しいんだよ。あいつにとっては余計なお世話かも知れないけどさ。」

 駅夫は照れ臭そうにそう言った時、コンビニの自動ドアが開いた。


「お待たせ。」

 中から羅針がトートバッグを下げて出てきた。

「何買ったんだ。」

 駅夫が聞く。

「ん、飲み物とお菓子だよ。」

 そう言うと、羅針はトートバッグからビニール袋に入った紅茶とお菓子を、それぞれ駅夫と平櫻に手渡した。

「ごめんな。こんなんじゃ詫びの一つにもならないけど。……平櫻さんも嫌な思いをさせてしまってすみません。ちょっと心の整理が付かないので、あなたにご迷惑を掛けそうです。もし良かったら、日本橋の旅を最後にして貰っても構いません。

 決して、あなたを追い出したくて言ってるのでも、あなたを嫌いになった訳でも、あなたを責めている訳でもありません。ただ、これ以上あなたと一緒にいると、あなたに嫌な思いをさせてしまいそうで、自分が怖いんです。すみません。我が儘を言って。」

 羅針は、そう言って深々と平櫻に頭を下げた。


「あの、そんな事言わないでください。私の方こそ、星路さんにご迷惑を掛けっぱなしなんです。星路さんから受ける迷惑なんて、何一つありません。むしろ、私に迷惑を掛けてください。それでも私が掛けた迷惑に比べたら微々たるものですから。

 それよりも、星路さんと縁が切れることの方が大迷惑です。私は星路さんと一緒にいたいんです。もっと、星路さんとお話がしたいんです。もっと星路さんと旅がしたいんです。もっと星路さんと……」

 最後は平櫻も声にならなかった。涙が溢れてきて、止まらなかった。

「羅針。あのな、平櫻さんはお前と一緒にいたいんだそうだ。できることならお前の役に立ちたいんだそうだ。それで償いになるなら、そうしたいんだそうだ。それに、この旅の動画で得た収益金も、お前に還元したいとまで言ってくれたんだよ。

 お前、そんな平櫻さんに、そんなこと言って良いのか?お前は、それで満足なのか?」

 駅夫はそう言って、平櫻の援護に回る。


「……御免、……少し考えさせてくれ。」

 羅針は、一瞬驚いたような表情を見せたが、再び何かを考えるように難しい顔に戻ってしまった。

「ああ、いくらでも考えろ。お前が納得するまでな。ただし、墓場までは持って行くなよ。墓場に行くなら、答えを置いていけ。分かったな。」

 駅夫はそう言うと、羅針の肩をポンと叩く。

「ああ。分かった。……ホントにすまない。」

 羅針はそう言って、独り再び歩き出し、新幹線ホームへと向かった。

 駅夫と平櫻は顔を見合わせ、慌ててその後を追った。



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