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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾伍話 日本橋駅 (東京都)
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拾伍之弐


 朝食を終えて、平櫻佳音と別れた後、部屋に戻った旅寝駅夫と星路羅針の二人は、荷物の整理と、部屋の片付けをしていた。


「羅針、さっきのあの態度はないと思うぞ。平櫻さん困ってたじゃねぇか。」

 駅夫は、羅針の心情を分かってはいながらも、言わずにはいられなかった。平櫻も駅夫にとっては大事な仲間だからだ。

「そうだな。それは悪かった。気を付けるよ。」

 拍子抜けするぐらい羅針は素直に応じたが、その口調は素っ気ない。


 駅夫は、羅針の表情を見て、羅針が何かを葛藤しているのは分かった。だが、それが何なのかは分からない。羅針の口からは何も出てこないからだ。

 ただ、今朝の風呂場で「平櫻に警戒しろ」と言った時の羅針は笑顔も見せていたのだが、それが、朝食の時は明らかに心ここにあらずで、表情も暗かった。その上、いつもなら正確を期す羅針が、予定を間違えたのだ。間違えたと言うより、記憶が飛んでいたのだ。

 羅針に何かあるのは明らかである。


 とはいえ、その何かを暴く意味は特にない。なぜなら、その何かよりも、なぜそうなったのかを知る方が重要であり、その原因を取り除いてやることが先決だと駅夫は考えているからだ。


 だが、その方法は慎重を期さなければならない。

 なぜなら、これ以上羅針を追い詰めれば、また殻に閉じこもってしまうし、数十年前の学生時代に逆戻りしてしまう可能性があるからだ。もし、そうなってしまったら、再び羅針の心の殻を破ることは不可能で、羅針の心が壊れてしまうことは避けられない。

 だがらこそ、無理矢理にでもこっちに引き戻す必要があるが、失敗は絶対許されないのだ。 


 駅夫はそう思うからこそ、まるで綱渡りでもしているかのように、微妙な匙加減で羅針に話しかけたのだ。

 それが、素っ気ない返事をされては、怒りを覚えてしまう。しかし、それを感情のままにぶつけてしまっては元も子もない。駅夫はぐっと堪えて、穏やかに話をする。


「平櫻さんが、もし俺の財産を狙っていたら、彼女を突き放すつもりなのか。」

 駅夫が慎重に言葉を選んで羅針に尋ねる。

「ああ。そう言うことになるな。」

 羅針は相変わらず素っ気ない。

「お前、それで良いのか。」

 駅夫は努めて穏やかな口調で聞く。

「そうだな。彼女がもしそうだとしたら、心を鬼にするしかないだろ。」

 羅針の口調は素っ気ないが、どこか辛そうだ。

「そうだよな。俺としては、彼女とお前はすげぇ気が合ってたし、良い仲間になれると思ったんだけどな。そんなことなら、縁を切るしかないか。」

 駅夫は、羅針に同調するように言い、直接的な言葉で羅針の気持ちを揺さぶる。

「そんなことは分かってるんだよ!俺だって、分かってるんだよ。だけどどうしようもねぇんだよ。この湧き上がってくる不信感にあらがえねぇんだよ!」

 羅針は感情を爆発させ、自分の太ももを拳で殴り、その場にへたり込んだ。目には薄らと涙を浮かべている。


 今朝、風呂場では軽口を叩いていて笑っていた羅針からは、想像もつかない変貌振りだ。だが、駅夫には想定内だ。

「いや、良いんだよ。抗わなくたって良いんだよ。お前の気持ちは俺も良く分かってる。誰もお前を責めたりしないよ。

 俺だってそうさ。お前を責めてるんじゃない。お前の心を心配してるんだよ。独りで抱え込むなよ。俺たち兄弟みたいなもんだろ。お前が辛いと、俺も辛いんだよ。だから、二人で解決しようぜ。」

 そう言って駅夫は、羅針の肩に手をやる。羅針はその上から手を重ねた。

 互いに言葉はない。


 暫くして、気持ちを落ち着けようとしているのか羅針が口を開いた。

「ありがとな。分かってるんだよ。……平櫻さんは良いだよ。それは間違いない。あんな下賤げせんな女どもとはまったく違うことも。……分かってるんだよ。……そんなことは、分かってるんだよ……。」

 何度も何度も自分を納得させようと、同じ言葉を繰り返す羅針、そして、

「……でもよ、俺の心がそれを受け入れないんだよ。どうしようもねぇじゃん。疑え、信用するな、騙されてるぞって、心が囁くんだよ。どうしようもねぇんだよ。耳を塞いだって聞こえてくるんだからよ。

 ……俺だって抗いてぇんだよ。」

 羅針は、静かに力なく吐き捨てるように言う


 駅夫は、羅針の悲痛な叫びに、羅針を苦しめているものの一端を見た気がした。しかし、どう声を掛けて良いか、駅夫はまったく分からなくなった。もちろん、羅針との付き合いが長い駅夫にとって、羅針の心情は痛いほど良く分かる。だが、こうなってしまった羅針に掛ける言葉はいつも見付からないのだ。

 ただ、ただ、羅針の心が落ち着くのを待つしか、駅夫に出来ることはなかった。


「ありがとな。こんな俺を心配してくれて。それに、ごめんな。折角の旅行に水を差して。」

 羅針が漸く落ち着いたのか、目に浮かべた涙を手の甲で拭い去り、顔を上げた。

「良いんだよ。気にするな。俺はいつだってお前の味方だよ。」

 駅夫はそう言うと、羅針に向かって大きく頷いた。


「そろそろ時間だな。遅くなっちまう。」

 羅針が沈んだ心を吹っ切るように言う。

「そうだな。忘れ物だけないようにな。」

 駅夫が言う。

「ああ。」

 羅針は大きく頷いた。


 駅夫は、羅針の気持ちをもう少し深くまで聞いておきたかったが、新幹線の時間もある。これ以上は時間も掛けられない。いつも羅針がやっているように、羅針の代わりに、部屋の中に忘れ物がないか指差し確認をして見て廻った。

 部屋を出て、ロビーに降りてくると、既に平櫻はフロントで精算をしていた。二人は、その後ろに並んで待つ。


「あっ、お待たせしました。どうぞ。」

 そう言って平櫻が精算を終わると、羅針に場所を譲る。その時、「ありがとうございます。」とお礼を言う羅針の目が少し赤くなっているのを平櫻は見逃さなかった。

 平櫻は、駅夫を少し離れたところに呼んで、どうしたのか小声で聞いた。

「いや、たいしたことじゃないんだけどな。ちょっとな。後で詳しく教えるよ。今は何もなかった振りをしててくれないかな。悪いけど。」

 駅夫は、簡単に説明が付かず、言葉を濁した。

「分かりました。もし私のせいなら、旅寝さんからも謝罪の口添えをしてください。お願いします。」

 平櫻はそう言って頭を下げた。

「いや、大丈夫だから。平櫻さんが謝るようなことじゃないから……。」

 駅夫はそう言うが、どこか歯切れが悪い。


「お待たせしました。それじゃ、駅に向かいましょうか。」

 会計を終えた羅針はそれだけを事務的に言うと、先頭を切って歩きだした。

 何かを吹っ切ろうとするかのように早足の羅針はドンドン先へと行く。その後ろを遅れ気味に駅夫と平櫻が付いていく。


 三人は館腰駅へ向けてホテルを後にした。


「あのな、あまり気を悪くしないで聞いて貰いたいんだけど……。」駅夫は、羅針から少し離れて、小声で平櫻に話し掛けた。「羅針がコミュ障だって話は何度もしてるから、分かってると思うけど、それをちょっとこじらせちまったんだ。」と、平櫻に話をし始める。

「それは、私のせいですよね。昨日私があんな風にはしゃぎ過ぎちゃって、星路さんの心に負担を掛けちゃったんじゃないかって、心配だったんですよ。やっぱりちゃんと謝らないと。」

 そう言って、平櫻が羅針の方へ行こうとするのを、駅夫は慌てて止めた。

「いや、そうじゃないんだ。どう説明したら良いかな……。」

 駅夫は、言葉を探すように顎に手を当てている。


「順を追って説明すると、ちょっと長くなるから、細かいことは端折るけど、取り敢えず話を聞いてね。」そう言って、駅夫は話を続けた。「俺が社長をやってることは、昨日話をしたから分かってると思うけど、色んな人が悪意も含めて俺に寄ってくるんだ。だから、いつもあいつは俺の防波堤になってくれるんだよ。だけど、ほら、あいつコミュ障だろ、だから、心に負担が掛かりやすいんだ。

 俺が昨日、不用意に社長であることを君にバラしただろ、だから、あいつの心は警戒モードに入ったんだよ。だけど、ほら、君とは信頼関係を築いてきたじゃん。だから、あいつの心の中で葛藤が起こってるんだよ。

 腫れ物に触るようにする必要はないし、いつもどおり接して貰って構わないけど、多分、自分で整理を付けるまであんな調子だから。あまり、気にしないでやってくれ。頼む。」

 女関係が云々とか、元妻が云々とかいう話は完全に端折り、要点だけを絞って説明し、駅夫は平櫻に手を合わせる。

「そうなんですね。私のはしゃぎすぎを怒ってるんじゃなくて。でも、そうは言っても、結局私が根掘り葉掘り話を聞いてしまって、はしゃいじゃったのが間接的に、負担になってるんですよね。星路さんには重ね重ね、本当に申し訳ないことをしました。」

 平櫻は、それでもまだ自分のせいではないかと心配をしていた。

「良いんだよ、そんなこと気にすることないから。あいつはそんなことを気にしてないから。ただ、整理を付けるのに時間が掛かるだけだからね。」


「二人とも早く。乗り遅れますよ。」

 羅針が不意にこちらを振り向き、自分が大分先行していることを知って、声を掛けてくる。その声に覇気はなかったが、先程までの意気消沈した感じはなかった。むしろ、駅夫には無理しているようにも見えた。

「分かったよ。……少し急ごうか。」

 駅夫は羅針に返事をすると、平櫻を促す。

「はい。」

 平櫻は返事をすると、駅夫の後に付いて足を速めた。


 三人は踏切を渡り、西口へ回ると、館腰駅のホームで仙台行きの列車を待った。

 平櫻は、いつものように動画撮影をしていたが、駅夫と羅針は言葉もなく、ホームに立ち尽くしていた。

 暫くして到着した列車はE721系0番台の仙台行きである。前面から側面に掛けて、腰帯はフレッシュグリーンに赤と白、幕板部はフレッシュグリーンの帯が入っている。

 この列車に乗るのもこれで六回目。気分がフレッシュするような色味の列車だが、三人の心は、この日の空模様と同様、晴れなかった。


 列車に乗り込むと、旅寝は佳音の肩をポンと叩き、「頼む」と一言残してかぶりつきへと向かった。

 残された佳音は、まだ気難しい顔をしている星路とクロスシートに座った。この時ばかりは、佳音も旅寝と一緒にかぶりつきへ行きたくなったが、折角旅寝がくれたチャンスだと思い、勇気を持って星路の正面に座った。


「日本橋、楽しみですね。」

 佳音は、努めて明るく声を掛ける。

「そうですね。」

 答える星路の声にはやはり覇気がない。

「ホテル、旅寝さんどんな反応するか、楽しみですね。」

「そうですね。」

 羅針は、何を聞いても、何を言っても素っ気なかった。


 こんなウジウジした男性は、いつもならウザったく感じるのだが、その原因を知っている上、その一因が自分にあるだけに、佳音は逆に罪悪感でいっぱいだった。

 かといって、このまま沈黙に陥ってしまっては、二度と出ることのできないブラックホールに嵌まるような気がして、佳音は何か話題がないか探そうとする。だがしかし、星路と共通する話題が意外と無いことに、改めて驚愕した。

 それもそのはず。出会ってから一週間強である。趣味も、興味も、好きなことも、思い出も、世代共通の話題も、どれも共有できそうな話題が無いのだ。如何にまだ自分が星路のことを知らないか、理解していないかを、改めてまざまざと感じてしまった。


 仕方がないので、佳音は自分語りをすることにした。幸い、星路は佳音を煙たがるそぶりは見せず、話は聞いてくれそうだったので、これ幸いと語り出した。

「星路さんは、旅寝さんとご兄弟のような関係を築かれているんですよね。そう言う関係って素敵ですよね。私には、気の置けない関係って言うんですかね、そう言う関係の友人っていないので、凄く羨ましいです。

 あっ、もちろん、友人はいますよ。こんな旅烏みたいなことをしていると、自然と知り合いが増えて、仲良くなった人も沢山いますし、学生時代からの友人もいまだに何人かいます。まあ、ほとんどが年賀状を遣り取りするだけの浅い関係なんですけど……。」

 佳音はこうして語り出したが、星路の目は興味も無く虚ろで、どこか虚空を見る感じだった。それでも、佳音は話を続けた。


「今度、北海道へ行く話をしたと思うんですけど、大学時代からの友人で、一番親しくしているのが、一緒に行く女性なんです。

 あっ、名前が五百旗頭いおりべ灯凪ともなって言うんですけど、漢字が五百の旗頭はたがしらで〔いおりべ〕、灯台の灯に、朝凪、夕凪の凪と書いて〔ともな〕って書くんですよ。珍しい名前ですよね。関西に多い名字らしいんですけど、私は彼女に会って始めて知りました。星路さんはご存知でしたか?」

 佳音は、星路に質問してみるが、彼は首を少し横に振るだけだった。


「で、この彼女が大坂の人で、もう典型的な大坂人って感じなんですよ。良く大坂のおばちゃんはすぐアメちゃんくれるって言うじゃないですか、灯凪もいっつもアメを持ち歩いていて、会うとすぐに『アメちゃんいる』って言うんですよ。私と同い年なのに、もうしっかり大坂のおばちゃんしてるんですよね。」

 佳音はそう言って、笑いを取ろうとしてみたが、星路は「そうなんですね。」と言っただけだった。星路が少しずつ反応してくれることを嬉しく思い、佳音はそこで心が折れるどころか、逆に変な使命感みたいなものに駆られ、何としても星路の心を開こうと、俄然やる気が出てきた。


「その灯凪とは大学時代に意気投合してから、良く一緒に遊ぶんですよ。昔は良く旅行にも一緒に行ってたんですよね。

 彼女が独身の時は私の撮影旅行に良く付いてきてくれました。日本国内だけでなく海外にも行きました。ヨーロッパを一周したり、アメリカ横断をしたりもしました。そうそう、中国も行きましたよ。北京や上海、それから台北なんかも行ったんですよ。台北は食事が美味しくて、また行きたいですね。星路さん今度一緒に行きましょうよ。でも私と行くと食べ歩きになっちゃうかも知れませんけど。」

 そうやって佳音が自虐的に言うと、星路は「ええ」と言っただけだったが、佳音は星路の表情がピクリと動いた気がした。


「で、そんな彼女が、今は結婚して三児のママをやってるんで、なかなか一緒には行けないんですが、それでも旦那さんが出来た人で、今回の旅行も、一週間、灯凪が家を空けるって言っても、快く送り出してくれるんですよ。良い旦那さんですよね。旦那さんに言わせたら『入り婿やから、なんも言い返せへんねん』ってことらしいんですけど、愛が無きゃ絶対出来ないですよね。」

 佳音は再び星路の顔色を窺うが、目に生気はないものの、耳は佳音の話を聞いてくれているようだ。それが証拠に、今まで硬かった表情が、少し柔らかくなったような気がしたからだ。


 佳音は気を良くして、五百旗頭灯凪の話を続けた。学生時代の思い出話、旦那さんとの馴れ初め、出産時のエピソードなどについて、大坂人らしい五百旗頭灯凪の人柄を面白可笑しく脚色して、佳音は星路に語った。

 羅針の反応はいまいちだったが、列車が仙台駅に到着する頃には、短い時間だったが、星路の表情は少し柔らかくなり、瞳にも生気が少しだけだが宿っているように、佳音は感じた。

 だが、ミッション成功とは言えない。依然まだ予断を許さない。星路から笑顔を引き出して、始めてミッション成功である。



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