拾肆之玖
プリクラを撮った三人は、展望デッキへ上がろうと、エレベーターホールまで来た。
展望デッキ行きのエレベーター前には、〔スマイルデッキ〕の案内板があった。展望デッキのことをここではスマイルデッキと呼んでいるようだ。
案内板によると、高さ23mの展望デッキで、エンジン音や風を感じ、飛行場ならではのライブ感を楽しんで欲しいとあった。
「なんでスマイルデッキなんだろうな。まあ、笑顔をコンセプトにするのはあるあるだけどさ、あまりにベタすぎないか。」
駅夫が疑問を呈する。
「〔仙台の空に笑顔が集まって、遙か遠くの街と世界に繋がる〕っていうのがコンセプトで、仙台のS、スカイのS、スマイルのSと、遙か遠くの距離を表すマイルで、SSSマイルから、スマイルらしいよ。」
羅針がスマホで公式サイトを見ながら答える。
「なるほどね。って、ちょっと強引すぎないか。それじゃ、ベタにもなるよ。スマイルありきで意味は後付けって感じじゃん。」
駅夫が呆れたように言う。
「まあ、そうだけど。俺はベタでも良いと思うけどな。飛行機見て笑顔になって欲しいって気持ちが表れているし、意味は後付けであっても、気持ちはそう言うことなんだろ。なら、それで良いじゃん。」
羅針が反論する。
「そりゃそうだけど。平櫻さんはどう思う。」
駅夫は、反論出来ず、平櫻に振る。
「私ですか。確かにベタな名称だとは思いますけど、変わった名前を付けても、誰も知らないって話になって、愛称としての役割がなくなっちゃうと思うんで、これぐらいベタな方が良いと思いますね。」
平櫻も、羅針と同じ立ち位置のようだ。
「そうか、俺は孤立無援か。」
駅夫ががっかりしている。
「まあ、皆が気に入れば、スマイルデッキって呼んで貰えるし、気に入らなければいつまでも展望デッキって呼ばれるだけだよ。来訪者に愛着を持って貰えるかは、俺たちじゃなくて、空港スタッフの手腕に依るってことだから、好きな風に呼べば良いよ。スマイルデッキも展望デッキも嫌なら、〔駅夫デッキ〕って呼んだって良いんだから。まあ、誰もその意味が分からずに、話が通じないだろうけどな。」
羅針が長々と語ったと思ったら、最後に落ちを付けた。
「なんだよそれ。分かったよ。スマイルデッキって呼ぶよ。別に悪い名前って訳じゃないんだからさ。ただ、ちょっとベタだなって思っただけじゃん。」
駅夫は羅針に遣り込められて、ちょっと悔しそうに拗ねた。
そんなことを言いながら、三人はエレベーターに乗り込み屋上のスマイルデッキへと上がった。
エレベーターを出て、正面の自動ドアを抜けると、飛行機が立てる轟音が聞こえてきた。三人がクランクを曲がったその先には、空港の滑走路と、広い空が広がっていた。ドンヨリと曇ってはいたが。
ワイヤーロープが張り巡らされた柵の向こうには、360度、全方位の仙台平野を見渡すことが出来た。東を向けば太平洋を一望でき、北を向けば遠く岩手県の県境に聳える山々を見ることができ、西を向けば奥羽山脈に連なる山々が聳えていた。そして南を向けば、福島県に跨がる阿武隈高原の山々を望むことが出来る。
その壮大な光景に三人はすぐ虜になり、その雄大な景色に心を奪われた。
太平洋までは目測で2㎞はあるかないか位だろうか。その奥には牡鹿半島に奥州三大霊場の金華山も見える。その左には、小さな島々が点在していて、あれがおそらく松島湾であろう。あの松尾芭蕉の俳句としても馴染みのある日本三景の一つだ。
「松島やああ松島や松島や。」
駅夫がかの有名な俳句を読んで、ドヤ顔をしている。
「駅夫、その俳句、誰の句か知ってるか。」
羅針が薄笑いを浮かべながら聞く。
「もちろん。松尾芭蕉だろ。」
駅夫が即答する。
「ブー。残念でした。違いますぅ。」
羅針が、引っかかったとばかりに煽り気味に言う。
「何でだよ。松尾芭蕉だろ。そう習ったぞ。」
駅夫が食い下がる。
「残念ながら、松尾芭蕉が詠んだ松島の句は遺っていないんだよ。この句は、田原坊が詠んだもので、それが人伝に変わっていったものだと言われているんだよ。」
羅針が答える。
「誰?たわらぼう?聞いたこともないな。」
駅夫が満面に疑念を湛えた顔をしている。
「田圃の田に、原っぱの原、お坊さんの坊で、田原坊。江戸時代後期に活躍した狂言師だよ。
この〔松島やああ松島や松島や〕っていうのは、元々は〔松島やさて松島や松島や〕と詠まれていて、松島図誌という今でいうガイドブックのようなものに掲載されていたんだ。それがいつの間にか、〔さて〕が〔ああ〕に変わって人伝に伝わり、いつの間にか芭蕉の句になってしまったんだよ。」
羅針が経緯を説明する。
「マジ。それホントかよ。っていうことは、学校の先生は嘘を教えてたってことじゃねぇか。詐欺だよ詐欺。」
駅夫が憤る。
「まあ、詐欺だな。でも、今の時代なら、情報リテラシーに照らし合わせれば、騙される方が悪いとなる。だろ。怪しい情報は自分で調べなきゃ。騙される前にね。」
羅針がもっともらしく言う。もちろん、駅夫が本気で怒っていないのを知っているからだ。
「くぅ~。じゃ、お前はどうやって、嘘だって見抜いたんだよ。」
駅夫は悔しそうに聞く。
「簡単な話だよ。松尾芭蕉は松島に行った時、あまりの美しさに句が詠めなかったって言ってるんだ。それなのに、句があるっておかしな話だろ。そうしたら、そういうのを研究している人の話がネットにはゴロゴロしているんだ。諸説はあるだろうけど、有力な情報としては、今言った説が一番だということだ。」
羅針が説明する。
「マジか。ホントに松尾芭蕉は松島を詠んでないのか。それは知らなかった。あれほどの俳人なら、簡単に詠めそうな気がするけど。まさかね……そうなんだ。」
駅夫は、納得出来ない気持ちを無理矢理納得させようとしていた。
「まあ、納得出来ないのは分かるけど、松島図誌にあるのは確かだし、さてがああに変わったという説も理解は出来る。なんと言っても芭蕉自身が句を詠めなかったと言っているんだから、芭蕉作説は真っ先に消える。そういうことだよ。」
羅針は、駅夫が納得しようかしまいが、事実であることに変わりはないと言う。
「平櫻さんは知ってた?」
駅夫が、隣で二人の話を聞いていた平櫻に聞く。
「いいえ。私も初耳です。それこそ、ずっと松尾芭蕉の句だと思ってました。先生方には噴飯物ですね。」
そう言って平櫻は笑う。
「噴飯物か。確かにな。騙された方も悪いけど、騙した方も悪いよな。」
味方を得たと、駅夫が嬉しそうに同調する。
「でも、先生たちはそれが正しいと確信して教えてたわけだからな。ある意味確信犯ではある。それを見抜けなかったお前はテロに加担した信者と言うことにもなるな。」
羅針は、駅夫に向かって言う。
「おれ確信犯の共犯者なのかよ。」
駅夫が大袈裟に頭を抱えている。
「そう、虚偽の風説流布罪として3年以下の懲役または50万円以下の罰金だな。」
羅針が適当なことを言う。
「マジ。悔い改めるから、それは勘弁して。」
駅夫が羅針に両手を合わせている。
その姿があまりにも滑稽で、羅針はとうとう吹き出して、笑い出してしまった。
「ったく。お前の滑稽さには敵わないよ。罪を決めるのは俺じゃなくて裁判官な。俺に減刑を求めても、罪は変わらないぞ。」
一頻り笑った後、羅針はそうぼやいた。
「そんな殺生なぁ。そう仰らずに、助けてくだせぇおでぇかん様……。」
羅針に縋るように、駅夫の小芝居は続いた。
三人は更に奥へと進む。
眼下には、駐機場が広がり、ターミナルビルからボーディングブリッジがいくつも延びていた。そこに何機か駐機していて、搭乗を開始している機体もあった。
その向こうには3000mの滑走路が横たわり、視線を上げていくと、仙台の市街地に建つビル群も見渡すことが出来た。
景観を説明したパネルには、岩手県と宮城県の県境に位置する栗駒山が見られると書いてあったが、今日は曇っているせいか、その影も形も見られない。
説明書きの続きには、「見られることは希で、もしカップルで見ることができれば永遠の愛がもたらされる」と書いてあった。
「見ることができたら、お二人の愛は永遠だったのに、残念ですね。」
それを読んだ平櫻が、駅夫と羅針をからかって言う。
「俺たちの?」
「愛が永遠?」
駅夫と羅針が顔を見合わせ、互いの肩に手を置き、二人して見つめ合い、唇を尖らして、顔をゆっくりと近づけていく。
「えっ、えっ……。」
と平櫻が戸惑っているの見て、二人は大声で笑い出した。
「冗談だよ。」
「冗談ですよ。」
駅夫と羅針が腹を抱えて笑っている。
「もう。お二人には敵いません。」
平櫻は、悔しそうに笑った。
屋上の展望デッキ、スマイルデッキを吹き抜ける風は生温く、ターミナルビルの入り口でも感じたが、潮の匂いが混じり、湿り気を帯びた風だった。
その風に逆らうように、目の前を一機の飛行機が海の方へ向けて離陸していった。
「駅夫、飛行機が離陸する時は、追い風と向かい風、どっちが良いと思う。」
羅針が再びクイズを出す。
「そりゃ、今の見てたら分かるよ。向かい風だろ。」
駅夫は、当然だろ、とでも言う風に答える。
「じゃ、着陸の時はどっちが良いと思う。」
羅針が続けて聞く。
「着陸?……着陸か。オーバーランしないように逆噴射したりするから、やっぱり向かい風だろ。」
駅夫が少し考えてから答える。
「そうだな、正解。じゃ、それぞれの理由は分かるか?」
更に羅針が聞く。
「理由?……理由なんて分かるかよ。」駅夫は文句を言いつつも、頭を捻る。「……、着陸はオーバーランしないようにってことは分かるけど、……でも、逆に離陸する時はなんで向かい風なんだろ。追い風なら風に乗って後押しして貰える気がするんだけど。向かい風だと押し返されちゃうしな、……降参。離陸の方は分かんない。」
駅夫が諦めた。
「キーワードは揚力だな。」
「揚力って、あの機体を持ち上げる空気の力か。」
「そう、翼の上下に流れる気流の速度の違いによって、機体を浮き上がらせる力だな。これが大きく関係してるんだ。」
「つまり、どういうことだよ。」
「つまり、着陸する時は向かい風だと揚力があるから、ゆっくりと降りてこられる。スピードを落としても飛んでいられるからな。だから停止距離が短くてすむんだ。教習所でも習ったろ、スピードによる制動距離の違い。」
「ああ。早ければ早いほど止まるまでに距離が必要ってやつな。」
「そう。それ。だから、着陸時に向かい風があると、ゆっくり着陸出来て、短い距離で停止出来るから、向かい風の方が良いんだ。降りてからも押し返されるしね。」
「じゃ、離陸の時は。」
「離陸の時も同じだよ。揚力があれば、すぐに上昇出来るし、滑走距離が短くてすむって話だ。スピードを上げなくてすむ分、エンジンにも負担は掛からないし、燃費も多少は良くなるんじゃないかな。」
「なるほどね。燃費が良くなるのは大きいな。……それにしても揚力か。昔学校で習ったけど、そんな基礎知識が、こんなところで活きてるんだな。」
駅夫が感心したように言う。
「まあな。ライト兄弟が初飛行に成功したのが1903年12月17日だから、およそ120年経ってるんだ。当時は画期的な理論であっても、いまじゃ基礎理論になるってもんだよ。」
羅針が言う。
「よくそんな日付を覚えてるな。まあ、お前らしいけど。……でも、120年か凄い時間だな。そう考えたら、今画期的な技術でも、100年もすれば、小中で教えるような技術になってしまうのか。なんか、人類の進歩ってすげぇんだな。」
駅夫が何度も頷いて、感心している。
「そう言うことだ。」
羅針もそう言って頷く。
暫く三人は思い思いに行き来する飛行機を眺め、遠くの景色を眺め、写真を撮り、動画を撮り、案内板に書いてあったように、エンジン音と風を感じた。
「羅針、そろそろ飯にしないか。」
駅夫が飛行機を撮影している羅針のところに近寄ってきて、声を掛ける。
スマホの時計を見ると、間もなく12時になろうとしていた。
「そうだな。混むことはないと思うけど、飯にするか。平櫻さんにも声かけてきて。」
羅針は、今飛び立とうとしている飛行機にレンズを向けながら応えた。
平櫻も、離れたところで飛行機を撮影していた。
動画だと思ったので、駅夫は気を利かして、カメラの画角にはいらないように、目の前に手を翳して、注意を促した。
「何でしょう。」
平櫻は慌てて撮影を中断し、聞いた。
「ああ、ごめんね。撮影中断させて。そろそろ、お昼どうかなと思って。」
駅夫が謝りながら、伝える。
「もう、そんな時間なんですね。」
飛び立つ飛行機を撮影し終えた平櫻は、スマホを取りだして、時間を確認する。
「それじゃ、行こうか。」
「はい。」
二人は、羅針の方に歩き出し、合流してから、スマイルデッキを出て階下へと向かった。
エレベーターホールに来ると、〔知ってる?〕と大きく書かれたポスターが壁に貼ってあった。良く見ると、飛行機のことについて階段でビックリ発見があると言う。
三人は、顔を見合わせ、折角だからと、階段を降りていく。
非常階段の壁一面に上空で撮影された機窓の写真が貼られ、ここにも畳みかけるように〔知ってる?〕とある。
更に階段を降りていくと、踊り場にまず、スロットルレバーの写真がデカデカと壁一面に貼られ、その脇に、エンジンの力を調整するレバーだと説明がされていた。要は車で言うアクセルである。
次の踊り場には飛行機の正面が撮影された写真が貼られていた。今度はコクピットの説明である。飛行機の司令塔であると記されていた。
その次はジェットエンジンの写真である。説明書きにはその大きさや重さ、更に仕組みについて詳しく説明されていた。要は中の羽が回転することで空気を吸い込み、空気を圧縮して、燃料と混合させて、爆発させて推進力を得る。そのことが詳細に説明されていた。
最後はタイヤである。ジャンボジェット機だと、巨大なタイヤが18個で支えているそうだ。1ヶ月に100回以上離着陸するタイヤは、およそ1ヶ月半で交換されるそうだ。
「なかなか、勉強になるな。」
駅夫が感心したように言う。
「こういうのって子供向けの説明が多いけど、大人向けに書いてあって、為になったな。」
羅針も頷く。
「でも、星路さんはほとんどご存知だったんじゃないですか。」
平櫻が言う。
「いや、私でも流石にタイヤの交換サイクルなんて知らないですし、エンジンの大きさやタイヤの大きさなんて、数字で聞くことなんてないですからね。それに、こういうのって、知ってることでも、ちゃんと読んでおくと、知識の再確認にもなるし、知識の定着にも有用なんですよ。」
羅針が持論を言う。
「そうなんですね。それは勉強になります。『知ってる知ってる』ってどうしてもやりがちですもんね。私も気を付けなきゃ。」
平櫻は、羅針の持論に納得し、自分も実践しようと思った。
最後に〔楽しんでくれたかな?〕と飛行機のイラスト共に張り紙がしてあり、駅夫がその張り紙に向かって、「楽しかったよ。」と応えて笑っていた。
三階に降りてきた三人は、結局また何を食べるかで頭を悩ませた。
目の前には三陸をスペイン語に直訳したと思われる店名のレストランがあり、牛タンの丼やデミオムライス、カレーを始め、海鮮を使った丼、ラーメンや蕎麦、冷麺などもあった。目玉は東北6県の名物をワンプレートにしたものもあった。
どれも美味そうだし、ワンプレートは惹かれたが、それでも三人の気持ちは傾かなかった。やはり、宮城の、欲を言えば名取の郷土料理を食べたかったからだ。
「羅針、さっき見たさ、和食の店に行こうぜ。あそこにはらこ飯ってあったんだよ。はらこ飯ってこの辺の料理だろ。」
駅夫が、先程三階をぐるりと見て廻った時に目を付けていた和食の店を指定してきた。
はらこ飯とは、炊き込み御飯の一種で、醤油や味醂などで煮込んだ鮭の煮汁を使って炊き込んだ御飯の上に、煮鮭の身とイクラを載せて頂く、宮城県南部にある亘理郡の郷土料理である。
「そうだな、はらこ飯は確かにこの辺の郷土料理だな。それなら、そこに行こうか。平櫻さんはどうですか。」
羅針は頷き、平櫻にも確認する。
「はい、私もそれが良いです。」
平櫻も頷いた。
三人は、はらこ飯があると言う和食のお店へと向かった。
〔和食、寿司、牛たん〕の巨大な文字が目を引くレストラン式の店舗で、入り口の脇にあるショーケースの中には、まるでカーテンコールの舞台のように食品サンプルがずらりと並んでいた。肉汁がしたたりそうな牛タン、はらこ飯の上で宝石のように輝くイクラ、寿司桶に一貫一貫丁寧に並べられた芸術品かと思わせるような寿司。こういう食品サンプルを眺めるのも楽しい。
お昼を少し回ったが、待ち客はおらず、すぐに案内して貰った。
店は滑走路側に面していて、飛行機の離着陸を眺めながら食事が出来るようだ。席も四人席が窓際に並べられていて、どの席も眺めが良い。
奥の一角が空いていたので、三人はそこに陣取った。もちろん、全員はらこ飯を選択する。しかし、当然それだけで終わりではない。平櫻は更に仙台辛味噌ラーメンと仙台あおば餃子に笹かまを注文する。駅夫と羅針はそれを見て、自分たちも辛味噌ラーメンを食べたいと思ったが、流石に一人で一杯は多いと思い、二人で一杯にし、餃子と笹かまも二人でシェアすることにした。
「酒は?酒は良いのか。」
羅針が駅夫に聞く。
「ああ、酒は良いかな。」
駅夫は即答する。
「平櫻さんは?」
羅針は平櫻にも聞く。
「私も結構です。」
平櫻も即答した。
「そうなんだ。じゃ、俺も止めておくか。」
羅針は駅夫が飲まないというのは頷けるが、平櫻も飲まないというのはおかしいなとも感じたが、駅夫と平櫻がお互いに目を合わせて、頷き合っているのを見ると、いつもなら、気にせず自分だけでも飲んでしまうのだが、今回は自分も飲まない方が良いと判断したのだ。
注文を終えると、駅夫が、「はらこ飯ってなんではらこ飯って言うんだ。」と羅針に聞いてきた。
「はらこってお腹の子って意味で〔はらのこ〕、それでイクラのことを〔はらこ〕って言うんだよ。」
羅針が答える。
「なるほどね。ただそれだけの話なのか。」
駅夫は納得した。
「ちなみに、鮭とイクラを使った丼は各地にあるんだけど、はらこ飯と呼ばれるもので、ここのはらこ飯のように炊き込み御飯にするところはなくて、気仙沼や岩手県、新潟県で出されるはらこ飯は、白米に煮鮭を載せるらしいよ。」
羅針が説明を加える。
「へえ。そっちも食べてみたいな。……鮭の刺身が載っているのとかはないのか。」
駅夫は、ふと疑問に思ったことを聞く。
「それは、〔鮭いくら丼〕とか〔鮭親子丼〕とか呼ばれてるヤツだろ。まったくの別物だよ。」
羅針が答える。
「そうか、そうだよな。刺身だもんな。」
駅夫が納得する。
そんな話をしていると、はらこ飯が到着した。その後続けてラーメンと笹かまが届き、餃子はもう少し待って欲しいと言われた。
三人は早速、仙台辛味噌ラーメンから手を付ける。
この仙台辛味噌ラーメンは、1960年代にとあるラーメン屋が山形の辛味噌に影響を受けて、赤味噌である仙台味噌をベースに唐辛子やラー油でピリ辛に仕上げたのが始まりで、東北の寒い気候に合う一杯として、人気を博している。
まずは、レンゲで一口スープを啜った三人は、普通の味噌スープに拍子抜けする。
辛味噌は後入れで、味を調節しながら添加していくスタイルらしく、三人はそれぞれの好みに合わせて、この辛味噌を追加していく。
「うっま。」
「美味しい。」
「いいねぇ。」
駅夫、平櫻、羅針がそれぞれ感嘆する。
やはり、ピリ辛の味噌が加わることで、味に深みとコクが生まれるようだ。
「麺との相性もこれなら合格点だな。」
駅夫が言う。
「だな。辛味があるからこその、この麺、このスープなんだろうな。麺も太めの縮れ麺で、噛み応えがあるから、小麦の風味と相まって、旨味が増している気がする。」
羅針も頷いて、分析する。
「やっぱり、仙台の味噌は美味しいってことですよね。」
平櫻も言う。
「そうですね。伊達政宗が味噌造りを後押ししたという話も聞きますし、仙台ラーメンと言えば味噌なんて言う人もいるぐらいですからね。この辛味噌もそんな流れで受け入れられていったんでしょうね。」
羅針が言う。
「この笹かまも美味いぞ。」
二人が味噌談義に話を咲かせようとしているところに、駅夫が口を挟む。一口食べて、堪らずに呟いたのだ。
「どれ。……確かに。このプリプリの食感が良いな。淡泊な魚の旨味とさっぱりした甘味が口に広がるのも良い感じだ。」
羅針も一口笹かまを口に運び、頷いている。
「ホントですね。これは美味しい。この辛味噌を付けても美味しいですよ。」
平櫻は辛味噌ラーメンの辛味噌を少し付けて食べていた。定番の山葵醤油がないための代替なのだろう。
駅夫と羅針も平櫻の真似をして、辛味噌を少し付けてみる。
「うまっ。」
「美味い。」
駅夫も羅針も、目を見開いて驚いていた。
「ピリ辛感が加わると、またこの旨味をより感じられる気がする。」
駅夫が言う。
「確かに。この笹かまの甘味にピリ辛が加わることで、旨味を引き出しているような気がするな。」
羅針の分析癖が再び発動した。
ラーメンと笹かまを堪能した三人は、満を持してはらこ飯に箸を入れる。
元々漁師飯だったものを、亘理に訪れた伊達政宗に漁師が献上したことで広まったといわれるこのはらこ飯は、秋の風物詩として亘理の周辺で食されるものだ。それが、夏になろうとするこの時期に食べられるのは、嬉しい限りである。
「これは美味い。」
「はい。本当に美味しいです。」
駅夫と平櫻が開口一番美味いと言う。
「確かにこれは美味い。煮汁を炊き込んでいるからか、煮鮭とイクラにもこの御飯が良く合うし。」
羅針が言う。
「そうですね。この甘辛い御飯がふっくらジューシーで、良い塩梅です。」
平櫻も同意する。
「このイクラのプチプチ感も良くないか。」
駅夫が言う。
「そうだな。プチプチ感もだけど、その後の蕩けるような口当たりも良い感じだし。」
羅針も同意する。
「旬を過ぎてるのに、この鮭もしっとりしてて、美味しいですよね。」
平櫻が言う。
「だね。脂が載ってるとは言えないけど、それでも充分美味いし。」
駅夫が同意する。
「これが、旬の時期に食べたら、ドンだけ美味いんだろうな。」
羅針が言う。
「丼だけにか。」
駅夫がそう言って笑う。
三人はこの美味いはらこ飯を、笑いながら頂いた。
三人が食事を楽しんでいると、餃子も届いた。
店員の説明によると、皮に雪菜という小松菜のような葉物野菜を練り込んであって、もちろん具材にも雪菜がたっぷりと入っているという。
具材のシャキシャキ感と、皮のもっちり感、そして焼き目のカリカリ感が楽しめ、雪菜のちょっとほろ苦さが良いアクセントになっていて、大人の餃子といった味わいである。
「そう言えば、お二人は餃子には何も付けないんですか。」
駅夫と羅針が今日は餃子に何も付けないで食べていたので、不思議に思って平櫻が聞いた。
「普段食べる餃子なら、酢とラー油にちょっと醤油を垂らして、たっぷりの胡椒を掛けるのが好きですが、こういう餃子にはもったいないですからね。」
羅針が答える。
「そうそう、餃子にはたっぷりの胡椒が合うんだよな。でも、ほら、こういう餃子って、餃子そのものの味わいがあるでしょ。だから、何も付けないよ。そう言う平櫻さんだって付けてないじゃん。」
駅夫もそう答えて、平櫻に言う。
「まあ、そうなんですけど。お二人が仰るように、この味を味わわなかったらもったいないですから。」
平櫻もそう言って微笑む。
「平櫻さんは、普段、どんなタレが好きなの。」
駅夫が興味半分で聞く。
「私ですか。普段はさっぱりいただきたいので、酢に多めのラー油と醤油を少し垂らしたのが好きですね。これに、もしあればゆず胡椒や味噌、胡麻油なんかを混ぜるのもありですね。代替として黒胡椒を掛けることはありますけど、たっぷりはいらないですね。アクセントになれば良いので。そうそう、口臭を気にしないのであれば、ニンニクを足したりします。あっ、ポン酢でいただくのも好きですね。他には、蜂蜜を少し垂らすのもありですよ。コクと甘味が加わって、良い塩梅なんですよ。
でも、どれが一番かと言うよりも、その時の餃子に合わせて、そこにある調味料を調合するのが好きかもしれませんね。ピッタリ合った時は、思わず喝采してしまいそうになります。」
餃子のタレ一つで、平櫻の口からは、まるで調味料の瓶を次々に取り出すように、タレへの知識と情熱が際限なく湧き出していた。
駅夫と羅針は、その拘りに圧倒されてしまった。自分たちが胡椒だけで満足していたのが恥ずかしいぐらいだ。
「す、すごいね。拘ってるんだね……。」
駅夫が、タジタジで言う。
「平櫻さんらしいですね。タレ一つにも探究心が滲み出ていて、まるで科学者みたいですね。」
羅針は感心したように言う。
「そうですね。子供の頃から研究熱心だってよく言われました。父が大学教授をやっているんですが、多分父の影響だと思います。遺伝かも知れませんね。姉妹の間でも私が一番父の影響を受けてるみたいですけど。」
平櫻はそう言って照れ臭そうに笑った。
「俺たちも、現状に満足せず、研究しなきゃ駄目だな。」
駅夫が羅針に言う。
「だな。胡椒で満足しているようでは、人生損するというものだからな。」
羅針もそう言って頷いている。
三人はそんな話をしながら、仙台の郷土料理を心行くまで楽しんだ。
平櫻には少し物足りなかったかも知れないが、三人は美味い食事に満足した。
「この後は、どうするんだ。」
水を飲みながら、駅夫が聞く。
「この後は、アクセス線で館腰駅に戻って、周辺をプラプラするぐらいかな。」
羅針が答える。
「あのさ、さっき下でさ、一人乗りの電気自動車貸出って見たんだけど、あれに乗らないか?」
駅夫が目を輝かせて強請る。
「ああ、何かあったな。コンビニのデリバリーで使ってるようなやつな。平櫻さんはどうですか。」
羅針は、平櫻にも確認する。
「良いですよ。私も乗ってみたいです。」
平櫻も乗り気だ。
「それじゃ、電気自動車に乗ってみますか。」
羅針が同意すると、駅夫と平櫻が二人してサムズアップをしている。どうやら、二人とも申し合わせていたようだ。
「なるほど、それで二人して酒を飲まないようにしていたんだな。俺が飲むって言ったらどうしてたんだよ。まったく。……で、どこに乗っていこうって言うんだ。」
羅針は駅夫を詰りながらも、駅夫に聞く。
「あの、すみません黙ってて。実は、閖上の方に〔かわまちてらす閖上〕ってところがあるんですよ。そこまでは行きたいなって。」
平櫻が駅夫に替わって申し訳なさそうに答える。
「ああ、良いんですよ。……で、閖上ですか。分かりました。その代わり、自動車に乗るなら、後でアルコールチェックはさせてもらいますからね。」
羅針は、それだけは妥協出来ないと、念を押す。
「ええ、もちろん大丈夫ですよ。」
平櫻はそう言って頷いた。駅夫も羅針の隣で頷いている。
「そうと決まれば、早速行こうぜ。」
駅夫の一言で、三人は席を立ち、会計を済ませて、レンタカー屋のある一階へと向かった。