表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾肆話 館腰駅 (宮城県)
139/181

拾肆之捌


 ホテルのロビーに降りてきた旅寝駅夫と星路羅針は、既に待っていた平櫻佳音に声を掛けた。

 駅夫は、先程の動画のことが頭にあるのか、平櫻をまともに見られないでいる。それを見た羅針は、まったく良いおっさんが、中坊みたいにと思いながらも、いつもはポニーテールにキャップを被っている平櫻が、動画の中では髪をアップに纏め、生え際からうなじ、そして肩に到るまでの肌を晒していて、その美しさが湯煙と相まって、際立って見えていたのだから、おじさん二人にはちょっと刺激が強かったことは否めなかった。

 ただ、駅夫はそのあでやかさに当てられ、羅針はただ美しいと思っただけである。


「どうしたんですか、お二人とも。」

 平櫻が、少し様子の変な二人に何かを感じ取ったのか、訝しげに尋ねた。

「いや、何でもないよ。」

 平櫻をまともに見られない駅夫が慌てたように応える。

「ええ、何でもないですよ。バスの時間に遅れるので、急ぎましょう。」

 羅針は誤魔化すように、先頭に立ってホテルを出る。

 平櫻は首を傾げながらも、慌てて羅針の後を追う。

 駅夫は、大きく溜め息をついて、その後を追った。


 ホテルを出ると、今日も名取市は雲一つしかない曇天で、厚い雲が重たく垂れ込めていた。青空のない灰色の世界は、まさに梅雨真っ只中といった様相で、空気はどこか湿り気を帯びており、今にもポツリと雨粒が落ちてきそうな雨模様だった。


 ホテルの前を走る朝の国道4号は、仙台方面に向けた車列が連なり、ゆるゆるとしか進んでおらず、エンジン音にも苛立ちを帯びているように感じた。

 三人は、その国道沿いを、館腰駅前のバス停へと急いだ。館腰駅の東口から仙台バスの運行する臨空循環バスが、9時丁度に出るからだ。


 やや足早になりながらも、無事バス停に辿り着き、三人はどうにか間に合った。

 バス停には、彼らの他に三人が既に並んでいた。先客のウチの一人は大型のスーツケースを引いており、見たところ空港へ向かう旅行者らしい。残る二人は軽装で、手には小さな鞄が一つだけ。通勤の途中なのか、それとも自分たちのようにふらりとした旅の途中なのか、おそらく後者だろうなと、そんなことを羅針は考えていた。


 程なくして白地に青いラインが映える路線バスが、ゆっくりとバス停に滑り込んできた。排気ブレーキの音と共に停車したバスからは、運転手の声で、臨空工業団地経由、仙台空港行きの循環バスであることが外部マイクで告げられた。


 バスに乗り込むと、車内は拍子抜けするほど空いていた。確かに一般的な出社時間のことを考えたら、この時間に乗っていたら遅刻確定である。フリーランスを長くしていると、そんな時間感覚もなくなってしまうんだなと、羅針は改めて思い、先程の二人は観光か遊びに行くのだろうと改めて思った。


 料金は均一で、往復乗車客用に二枚綴りの割引回数券もあるようだった。しかし、今回は片道のみの利用にし、帰りは鉄道で戻る予定なので、三人は現金で支払いを済ませた。


 座席に余裕があることを確認した三人は、迷わず奥へと進み、最後部の席に腰を下ろした。

 定刻の9時、ドアが閉まり、運転手の案内と共にバスが静かに発車した。

 その途端、女性の柔らかくも淡々とした声で自動音声のアナウンスが流れ始める。

『本日も仙台バスをご利用いただきありがとうございます。このバスは臨空工業団地、仙台国際空港、館腰駅東口経由、岩沼駅行き循環バスです……。』

 良く聞く路線バスのアナウンスである。その後も、次のバス停である関迎せきむかいの案内や、道路状況による遅延の可能性、急ブレーキの注意喚起、優先席のお願いなど、長い時間ずっとアナウンスしていた。


 三人が乗るこの仙台バスは1975年に仙台市で開業したバス会社で、現在は岩沼市に本社を移転している。貸切と路線のバスを運行しているこの会社は、貸切バスの運行が中心で、現在運行している路線バスはこの臨空循環バスと、冬季限定で完全予約制の山形蔵王号のみである。仙台空港と仙台駅を結ぶエアポートリムジンバスを、タケヤ交通と共同運行していたが、現在はタケヤ交通だけの運行になっており、休止している。


「これが、前に言ってた、駅と空港を結んでいたバスなのか。」

 そんなアナウンスを聞きながら駅夫が羅針に聞く。

「いや、昔はもっと単純なルートだったみたいだよ。1985年に館腰駅が開業してから、仙台空港へ向かう足としてバスが運行されてたけど、あれはもっと直線的なシャトルバスのようなものだったらしい。」

 羅針は、駅夫に向かってゆっくりと首を横に振ってから、そう答える。

「じゃ、このバスはいつから運行してるんだ。アクセス線が出来てからか。」

 窓際に座っていた駅夫は、改めて外に目をやりながら、再び羅針に聞く。

「この臨空循環バスは、2016年に運行開始だから、仙台空港アクセス線開業よりもずっと後の話。もちろん震災よりもね。おそらく工業団地が震災から復興する中で、通勤の足として要望されて、整備されたんじゃないかな。資料を探したけど、前身となる路線は見付からなかったから、それ以前はどうしていたのかはわからないけどね。」

 羅針が熟々と説明する。

「なるほどね。それじゃ、このバスは空港専用の送迎バスとは別物って訳か。」

「そういうこと。もともとシャトルバスもこの会社が運行していた訳じゃないし、仙台空港に乗り入れるバス会社は、いろいろと競争が激しいのかも知れないな。」

 羅針が想像で言う。

「決まったパイを奪い合うみたいな感じか。」

「そう言うこと。」

「なるほどね。どこも生き残り競争は激しいんだな。」


 二人がそんな会話を続けていると、バスは仙台方面の渋滞を横目に、反対車線を岩沼方面に向けて暫く走る。道路の両脇には広大な駐車場を抱えた企業が並び、既に業務を始めているのか、大型トラックが出入りしていた。


 やがてバスは、目の前に走る県道258号線の高架橋を見上げながら、国道4号線から側道へと滑り込む。そこは県道20号線である。

 その20号線を、車体が緩やかにカーブしながら進むにつれ、まわりの風景が少しずつ開けていく。県道258号線の高架が降りてきてクロスする最初の信号に差し掛かる頃には、視界の先に田畑が広がっていた。稲だろうか、それとも別の作物か。青々とした葉が風に揺れ、湿気を孕んだ空気の中で、静かにその存在を主張していた。


 常磐自動車道の高架橋を潜り抜けると、景色は再び変わる。左手には仙台空港の施設が見え始め、飛び立つ飛行機の姿も見えた。

 しかし、バスは空港には向かわず、途中で右折して工業団地の中へと進んでいく。


 片側二車線の県道20号線から、片側一車線の工業団地に入っていくと、無機質な工場群を縫うようにバスは走っていく。

 企業名がデカデカと書かれた壁、緑十字旗と企業旗がはためく旗竿、敷地内に整然と並ぶコンテナや、積み上げられた資材、そして大型トラックが並ぶ駐車場など、まさに日本の産業を支える人々が働く場所が、そこに集まっていた。


 その無機質な外観の工場群で、バスは一つずつ停留所を廻っていく。バス停の名前も〔渡信鉄鋼前わたしんてっこうまえ〕とか〔東北鉄骨橋梁前とうほくてっこつきょうりょうまえ〕など、工業団地らしくて分かりやすい実用一辺倒の名称で、観光気分で乗るには少々味気ないが、逆にそれが工業団地らしさを際立たせ、ルーレット旅なんていう奇妙な旅を続ける三人にとっては、地元感や日常感を抱くことができ、嬉しく感じた。


 工業団地をぐるりと廻り、中野馬場なかのばばバス停を過ぎると、バスは再び県道20号線に戻り、相野釜あいのかまバス停を通過すると、次はいよいよ空港である。

 ここに到っても乗客は数えるほどで、少し心配になる程である。

「なあ、羅針、この路線儲け出てるのかな。」

 駅夫が余計な心配をする。

「さあな。赤字路線なら、大抵どこかが補填してるだろうけど、朝夕にしか運行しないから、通勤客なんかで儲けは出てるんじゃないかな。これも朝の最終便でこの後は夕方までないんだし。」

 羅針が言う。

「そうか。でもさ、この運賃で、この人数なら、運転手さんの時給払ったら終わりだぞ。」

 駅夫が言う。そう言う数字は気になるようだ。

「そういうところが、お前らしい目線だけど、こういうインフラ会社って言うのは、儲けが出なくても、運用できるようになってるんだよ。

 たとえばの話、このバスを運行して欲しいのは工業団地や仙台空港、自治体なんかだろ、そしたら、そういうところから補助金が出てたり、寄付金が出てたりするんだよ。出す出さないや、金額ベースは交渉次第ってことにはなるだろうけど。

 まあ、この路線がそうしてるかどうかは分からないよ。でも、もし、赤字で立ち行かないなら、そう言う手もあるってことだ。それに、この会社は観光バスが主体だからな。そちらの儲けで補填すると言うことも有り得るし、そもそも朝夕のラッシュ時間はギュウギュウでボロ儲けしている可能性だってある。」

 羅針が説明する。

「物事は一面じゃないってことか。そうは言っても、もし赤字路線なら、高々数人の乗客のために、企業がそんなことするか?自治体ならさもありなんだけど。……儲けてるんなら良いんだけどさ。」

 駅夫はブツクサ言いながら、それでも納得できないのか、腕を組んで考え込んでいた。


 左へ曲がる大きな緩いカーブの道路。それと平行するように流れる貞山堀ていざんぼり、その向こうには土が高く盛られた土手が現れた。地図を見ると、土手には名取市道広浦(ひろうら)北釜きたがませんが走っている。かつて、津波の猛威を受けたこの地に、今は防潮堤を兼ねた道路が静かに延びているのだ。


「以前はここからも太平洋が見えたんだろうな……。」

 駅夫がポツリと呟く。

 窓の外に広がる風景は、おそらくかつてあった風景ではないのだろう。しかし、この土地の者ではない部外者である駅夫が、それをとやかく言う筋合いはない。ただ、かつてあったであろう美しい風景を犠牲にしなければならなくなったあの脅威に、駅夫はただただ悲しみと虚しさと、何か言いようのない感情が湧き上がってきた。


「ああ、そうだな。でも……、だからこそ、仙台空港は無防備だったんだ……。」

 羅針も窓の外を見つめた。脳裏には、あの日テレビに映し出された津波の映像が、今もなお鮮明に残っている。

 その羅針の胸の中にも、言い知れぬ思いが込み上げてきて、あの土手があの時あればどんなにか良かったのだろうと、過去を嘆いても仕方がないが、そう思わずにはいられなかった。


 車窓の動画を撮影していた平櫻もどこか表情は硬い。言葉もなく、窓の外を撮影し続けるその脳裏に、三陸で被災した当時が思い起こされるのだろう、色んな思いが去来しているようだった。


 バスは空港の広い敷地に入ると、緩やかに円を描くように旋回し、やがて排気ブレーキの音と共に、ターミナルビルの前に停車した。

 眼前に現れた仙台国際空港のターミナルビルは、まるで空と海の狭間に浮かぶ近未来の港のようだった。光と風と夢をデザインしたその建物は、大きく波を打った屋根を持ち、一面ガラス張りの正面の壁には、厚く垂れ込めた雲がそのまま映り込んでいて、空と陸との境界が曖昧になっていた。


 〔仙台国際空港〕と白く誇らしげに綴られた文字が、そのガラスの壁から静かに見下ろしている。その目の前を吹き抜けていく風には、かすかな潮の香りが混じっていて、すぐ傍に海があることを肌で感じる。


 あの震災で、かつてはこの空港さえも、その海水に呑まれた。

 滑走路は完全に沈み、ビルの一階は浸水し、多くのものが流されていった。人々の記憶に深い爪痕を残したのだ。

 そんな過去があったとは思えないほど、今の空港は清潔で整然としていた。磨き上げられたガラスの壁、きらめく金属の柱、そして何事もなかったかのように行き交う旅人たち。その光景は、まるで時間そのものが書き換えられたかのようだった。


「ここまで、……ここまで来たんだよな。」

 バスを降りた駅夫が、ターミナルビルを見上げながら呟いた。その声には、かすかな戸惑いと、悔しさと、敬意にも似た静かな感情が滲んでいた。目の奥には、ただの風景を越えたものが映っているようだった。


「ああ。そうだな。」

 羅針もまた、言葉を探していた。だが、うまく見つからない。ただ、震災当時の記憶、……あの日の光景や音、胸を抉るような無力感が、不意に胸の奥でざわめいた。


 少し離れた場所で、平櫻がターミナルビルの映像を撮影していた。カメラに向かって語りかける彼女の声が、風に乗って二人の耳に届く。語っているのは、やはり震災のことだった。ビルの美しさや復興の早さよりも、その過程にあった人々の物語を、彼女は記録に残そうとしていた。そして、自身が被災したその記憶も。


 三人は、言葉少なに、ただ立ち尽くしていた。

 静かに佇むターミナルビル。そのガラスに映るのは、柔らかな青ではない、ただ重く垂れ込める灰色の雲だった。

 それでも、ビルの前に立つ彼らの胸の奥には、確かに何かがあった。ここに到るまでの長い時間が、復興に掛けられたのだ。その日々を、そのすべてを、今この瞬間に重ねていたのだった。

 

「かつて、仙台には飛行機の離着陸場が点在していたんだ。その一つとしてこの空港が出来たんだ。」

 羅針は、駅夫に聞かせるかのように語り始めた。


 1940年、この仙台国際空港の前身である熊谷くまがや陸軍飛行学校増田(ますだ)分校教育隊が配置されたのが、この場所に飛行場が出来た最初となる。

 戦後、GHQに接収されたこの飛行場は、1956年に漸く返還されると、運輸省と防衛省で共同管理をすることになる。

 1962年、航空自衛隊が移転すると、運輸省の単独管理となり、本格的な民用空港としての運営が開始された。

 1964年、仙台飛行場から仙台空港へと名称が改められると、高度経済成長の波に乗り、空港も滑走路を増やすなど、拡張を続けていった。

 1978年には初の国際チャーター便が運航し、1990年には初の国際路線が就航するなど、国際空港としての顔も持つようになった。

 1997年、差し込む自然光の〔光〕、波打つ大屋根の〔風〕、外国や未来への憧れである〔夢〕をテーマにデザインされた、現在の新旅客ターミナルがオープンする

 1998年には3000m級の滑走路が完成し、2007年には仙台空港アクセス線が開業するなど、仙台の玄関口としてでなく、東北の、そして日本の玄関口としての役割を担うようになっていった。


 そんな矢先、2011年3月11日14時46分、あの未曾有の大震災が発生したのだ。

 しかし、様々な方面からの尽力により、津波に呑まれた仙台空港は、驚愕の33日で復旧した。2011年4月13日に日本航空が第一便を再開して以降、2012年7月30日に中国南方航空が再開するまでを含めると、およそ1年5ヶ月で全面復旧したことになる。

 復旧なんて不可能だろうと、誰もが諦めていたのにである。


「どれだけの苦労があったんだろうな。」

 駅夫が、仙台空港の歴史について語る羅針の話を聞いて、感慨深げに呟く。

「そうだな。相当な苦労があったと思うよ。

 震災当日も奇跡的に人的被害はなかったって言うから、空港スタッフには相当危機管理の意識が行き渡っていたんだろうし、その意識が、復旧への原動力にもなっていただろうし、日本だけでなく、世界中から応援されていたからね。それに応えようと関係者は必死に頑張ったんだと思うよ。血の滲むような努力をしてね。」

 羅針はそう言って、ここまで復旧させた人々に思いを馳せた。


「そうだよな。スタッフ中にだって、家族や親戚、友人、知人が命を落とした人もいただろうし、その精神的打撃は、余人には計り知れない程の傷だったと思うよ。傷なんて簡単な言葉では言い表せない程の苦痛が、彼らの心を抉っていただろうことは、その痛みを共有出来なくても、慮ることは出来る。それを押して頑張ったんだもんな。」

 駅夫はそう言って、復興のために尽力した関係者に敬意を表した。


「そうだな。テレビやパソコンの画面の向こうで起こっていた出来事だったから、どこか他人事ひとごとのように感じてはいたけど、平櫻さんの体験談を聞いて、こうして、あの当時ニュースで見た場所に立つと、如何に自分が何も感じていなかったのかが、良く分かるよ。」

 羅針は自虐的に言う。

「でも、それは仕方ないだろ。俺たちは目の前で起こったことしか、実感が湧かない普通の人間なんだから。でも、こうして、思いを馳せることが出来たことに感謝して、彼らの生活の足しに少しでもなるように、お金を落としていくのが、その罪悪感に対する浄財になるじゃないかな。偉そうかも知れないけどさ。」

 駅夫が言う。

「浄財か……。そうだな。そうするのが良いかもしれないな。俺たちに出来るのはそれ位しかないしな。」

 羅針は駅夫の言葉を聞いて、ゆっくり大きく頷いた。


「それじゃ、そろそろ中に入ろうか。」

 羅針は、駅夫に言う。

「そうだな。」

 駅夫は頷く。

「平櫻さん、そろそろ中に入りませんか。」

 羅針は平櫻にも声を掛けた。

「はい。今行きます。」

 離れたところで動画を撮影していた平櫻が応えた。


 三人は自動扉を抜けて、ターミナルビルの中へと入っていった。

 中に入ると正面は国際線到着ロビーであったが、今日はまだ到着便はないようで、静まりかえっていた。

 羽田や成田を見慣れた羅針の目には地方空港という印象だが、空港には縁遠い駅夫の目には空港という非日常の空間に心が躍った。

 平櫻にとっては、何度か利用したことのある空港であるため、見慣れた光景ではあるが、来る度に津波で壊されていたものが、綺麗に直されていく姿は、平櫻の心に勇気と希望と前向きになる気持ちを育ててくれた、思い入れのある場所でもあるのだ。


 一階ロビーを進むと、国際線と国内線の間に、センタープラザと名の付いたステージがあった。

 その一角に、女性をかたどった石像が建っていた。〔震災にたたずむ女神〕と名付けられたこの像は、須佐尚康すさたかやす氏の作品で、説明書きによると、元々氏の作品である〔無言の花〕が展示されていたが、津波で流されてしまった。しかし、奇跡的に瓦礫の中から見付かった像を、氏は自ら修復し、震災と津波で犠牲になった方々の慰霊碑として、〔無言の花〕が展示されていた場所に、展示しているのだそうだ。

「あの瓦礫の中から見つけ出したんだ。」

 駅夫がその説明書きを読んで驚愕している。

「そうだな。よく見付け出したな。もしかしたら、本当に女神の魂が宿っていて、探し出して貰ったのかも知れないな。」

 羅針が言う。

「ああ。まさに奇跡だな。」

 駅夫も頷く。


 その女神像の傍には、津波到達地点を記した柱があり、3.02mの高さに青い線が記されていた。見上げるこの高さにまで津波が到達したのだ。もし、無防備でここに立っていたら、流されるだけではすまないことは、この印からも容易に想像出来る。高さ2m、重さ300㎏の石像すら流されたのだ。生身の人間など一溜まりもないだろう。


「3.02mか。数字で見ると大したことないって感じるけど、こうして実際に見ると、この高さだからな。恐怖以外の何ものでもないよな。」

 駅夫が柱を見上げながら言う。

「そうだな。ここまで、……この高さまで波が上がってきたんだからな。」

 羅針は思った。天気予報で良く聞く〔3mの波〕なんて、普段はたいしたことには感じない。でも、実際に目の前の柱に付けられた印を見ていると、それがどれほど異常なことだったのか身に迫ってくる。波と津波ではその意味するところが大きく異なるのだ。

 絶対的な物差しである〔数字〕というものが、こんなにも印象を変えることに、言い知れぬ恐怖を覚えたのだ。


 印が付けられた柱の脇には、仙台空港の歴史がパネル展示してあり、羅針が先程説明していたことが写真と共に解説されていた。

 パネルはもちろん震災のことにも触れていた。おそらく三階から撮影されたであろう津波が押し寄せてくる写真と共に説明書きがあり、旅客、周辺住民、従業員がターミナルビルに避難したこと、そして津波によって自動車や瓦礫が流れ込み、小型機やヘリコプターなどの被害が甚大であったことが記されていた。

 その下には時系列の表があり、翌日には避難者の退避が開始され、16日には職員以外の退避が完了し、沖縄から来た米空軍が滑走路を復旧させた。4月には米空軍、米海兵隊と自衛隊による、〔トモダチ作戦〕の名称で知られる合同救援活動が開始され、その拠点がこの仙台空港であったことが記されていた。

 更に、被災状況の写真や、救助活動に来た米軍輸送機などの写真も掲載されていた。


「この空港から、復興が始まったんだな。」

 駅夫が言う。

「そうだな。ほら、ここ見ろよ、最後の一文。……やっぱりそうだよな。」

 羅針が時系列の最後の一行を指差す。そこには〔この間、空港管理スタッフは空港の機能回復に全力を注ぐ。〕とあった。

 三人はこの一文に込められた思いを想像し、暫し沈黙が流れた。


「……皆さんあの時から復旧に尽力されていたんですね。」

 平櫻が二人の後ろから、ポツリと呟いた。その声は悲しみを湛えながらも、どこか優しさに満ち、内に秘める強さのようなものを感じた。


 おそらくこの先歴史の教科書には、〔2011年3月11日に東日本大震災が発生し、津波によって多くの人が犠牲になった。〕という一文が載るだろう。震災を知らない世代にとっては、ただ教科書の一文にしか過ぎないが、しかし、その一文には、人々の悲しみや、痛み、恐怖、そして復旧、復興への並々ならぬ苦労がすべて込められているのだということを、羅針は改めて感じていた。


 一階は到着ロビーで、センタープラザのステージを挟んで反対側には、国内線到着ロビーがあり、その傍にはお酒も飲める喫茶店や売店、そして牛タンの名店があった。

 奥には、空港周囲をランニングする人向けのシャワールームもあった。荷物を預けてランニングして、戻ってきてシャワーを浴び、すっきりしてから飛行機に乗る。もしくはすっきりしてから仙台市内に向かうなんていう使い方が出来る。もちろん、ランニングしない人でも利用可能で、シャワールームとして旅行前、旅行帰りに利用することも可能らしい。

 こんなものがあるのかと感心して羅針は見ていた。


 ふと、羅針が傍に二人がいないことに気付き、辺りを探すと、駅夫が、傍に立つ自販機を眺めていた。平櫻もその隣にある自販機を熱心に見ている。

 羅針が後ろから覗き込むと、駅夫が見ていたのは、ご当地ラーメンの自販機で、平櫻が見ていたのは、可愛い動物の形をしたマカロンの自販機だった。

「買うのか。」

 羅針が、駅夫に声を掛ける。

「一つ買ってみたいけど、ホテルじゃ調理出来ないからな。ちょっと躊躇してる。」

 駅夫はそう言ってるが、諦められないのか、まだ品定めをしていた。

 その隣で、ガコンと言う音が響いた。見ると平櫻が、マカロンを購入していた。彼女には躊躇という文字はないようだ。

 驚いてみている駅夫と羅針に向かって、平櫻は買っちゃいましたという笑顔を見せた。


 エスカレーターで二階に上がると、そこは出発ロビーで、一階とは違いかなりの賑わいを見せていた。吹き抜けになっているせいか、開放感もある。

 まず目に付くのは、正面にあるお土産物屋と飲食店のエリアである。三階に上がるエスカレーターを取り囲むように、店が配置され、買い忘れたお土産物、食べ忘れた仙台名物や銘菓を、すべてここで購入し、味わうことが出来る。多くの人が出発前に、土産物を選んだり、腹拵えをしたりしていた。


 その売店エリアの両脇には、国内線の保安検査場と国際線の保安検査場が物々しく旅客たちを受け付けており、搭乗手続きを始めた国内線の方では人々が中へと吸い込まれるように入っていった。

 更にその隣には、各航空会社のチェックインカウンターがあり、搭乗手続きに並んでいる人たちを、グランドスタッフが笑顔で対応していた。


 二階をぐるりと見て廻った三人は、土産物店で気になるものもあったが、更にエスカレーターで三階に上がった。

 三階には飲食店街が並び、カフェや蕎麦屋、和食店に洋食店などがあった。昼にはまだ早いせいか、人通りは然程なかった。

 中には、〔とぶっちゃ〕という名前のエアポートミュージアムがあり、子供から大人まで楽しめる飛行機のことが学べる施設があった。フライトシミュレータと称した飛行機の操縦体験が出来るゲーム機もあり、CGとはいえ本格的なコースが用意されているという。


 三人は、それぞれ挑戦してみた。

 初級、中級、上級と、伊丹から仙台、仙台から那覇をボーイング機のB737で飛ぶ、全部で五つのコースが用意されていた。

 まず挑戦したのは一番乗り気だった駅夫だ。

 コースは初級を選択した。

 画面はどこかの海の上を飛行する映像で始まり、正面には陸地が見える。男性の声でガイダンスが流れ、操縦桿を軽く握り、前を飛ぶ黒い点のようにしか見えない飛行機を追いかけるという簡単なものだった。


 1分33秒というフライト時間はあっという間に終了し、画面中央に点数が表示された。200点満点中110点だった。

「なかなか難しいな。」

 駅夫は、思うように操縦桿を操作出来なかったようだ。


 女性の声で次の人に替わってくださいとアナウンスが流れたので、次は平櫻が挑戦する。

 平櫻は駅夫がやるのを見ていてコツを掴んだのか、元々こういうのが得意だったのか、終わってみると175点と高得点を叩き出した。

「結構上手く出来ました。」

 そう言って平櫻は嬉しそうだ。


 最後は、羅針が挑戦する。羅針は性格なのか、慎重に操縦したが、それでも平櫻の点数には届かず、165点だった。

「平櫻機長には俺たち遠く及ばなかったな。」

 駅夫が笑って言う。

「ホント凄いですね。飛行機免許も持ってるんじゃないでしょうね。」

 羅針も感心しつつ、冗談で言う。

「持ってませんよ。それに、こんな点数だったら免許取れないと思いますよ。」

 平櫻は謙遜して言う。

「平櫻さんの点数で駄目なら、俺なんか最悪ってことじゃないか。」

 駅夫はそう言って、おいおいと泣く振りをする。

「そんなつもりで言ったんじゃ……。」

 平櫻が慌てる。

「冗談だよ。」

 駅夫が泣く振りを止めて、顔を覆っていた掌を外して笑う。

「もう。旅寝さんたら。ホントに子供みたいなんだから。」

 平櫻が口を尖らかして咎めるが、顔は笑っていた。


 その後も他に待っている人がいなかったので、伊丹から仙台へ向かうコースを選んで挑戦した。

 結果は、駅夫がスピードオーバーで着陸出来ず、そのまま仙台空港を通過し、折り返そうとして時間切れ。平櫻は離陸も着陸もどうにか出来たが、着陸ではかなり過走し、危うくオーバーランするところだった。

 最後に羅針は、二人の失敗を見ていたせいか、慎重になりすぎるあまり、仙台空港手前で失速し、危うく滑走路に突っ込みそうになり、なんとか建て直してどうにか着陸した。


「俺たち三人が機長だったら、命がいくつあっても足らないな。」

 駅夫が当然のことを言う。

「それはそうですよ。始めて握った操縦桿なんですから、上手く飛べたら機長さんたちの苦労はいらないですよ。」

 平櫻が言う。

「そうですよね。でも、墜落しなくて良かったよ。危うく大惨事になるところだった。」

 羅針は自分がなんとか着陸出来たことにホッとして言った。


 三人はシミュレータを楽しんだ後も、展示物を見て廻った。

 仙台空港に就航している航空会社の、模型飛行機が展示され、仙台空港の歴史や役割、データから見る空港の内情、仙台空港にはどんな仕事をしている人がいるのかが、パネル展示され、更に仙台空港に関するQ&Aもあった。

 他にも、エアバスA300-600R型機のコクピットが展示され、他にもギャレーや座席なども展示されていた。


 こういうのは丁寧に見て廻りたい羅針が、駅夫に解説をしながら、一つ一つゆっくりと見ていた。平櫻はその後を動画に撮りながら、付いていった。


 ミュージアムを見終わった三人は、表に出てくると、仙台空港オリジナルフレームが撮れるプリクラが設置されているのを見付けた。10種類のフレームから選べるようで、伊達政宗の銅像や、仙台七夕、蔵王の景色、仙台空港などをデザインしたフレームがあった。

「これ撮りませんか。」

 平櫻がおねだりする。

「いいよ。撮ろうぜ。」

 駅夫が頷き、羅針を誘う。好奇心旺盛な駅夫は、機械は苦手だが、自分が操作しなくてすむなら、何でもやりたがるのだ。

「ああ。」

 羅針は、あまり乗り気ではなかったが、渋々頷く。

 羅針にとって、プリクラなんて、女性がやるものだと思っていた。その存在は知りつつも、興味が湧くことも、やってみたいと思うこともなかった。むしろ、男性が近づいただけで犯罪者扱いされるなんて言う、まことしやかな話を小耳に挟んでいた羅針は、忌避していたぐらいである。


 おじさん二人はプリクラの存在は知っていても、使うのは生まれて初めてである。機械音痴の駅夫はまだしも、こういうのが得意なはずの羅針も、平櫻の前では何も出来ない。

 平櫻は手慣れているのか、早業のように見える手際で操作し、設定していく。フレームを選ぶ段になると、三人は迷わず仙台空港のフレームを選んだ。

 駅夫も羅針も、何が世界でここだけなのかは良く分からなかったが、平櫻のお陰で無事撮影を終え、シールが出来上がった。

 ただ、シールは一枚、三人で分けるわけにはいかない。

「ここのQRコードをスキャンしてみてください。」

 平櫻が、シールに印刷されているQRコードを指差した。

「これですね。」

 羅針は、言われたとおりQRコードをスマホでスキャンする。すると、ユーザー登録画面が出てきたので、羅針はパパッと登録を済ませると、今撮影したプリクラが保存出来た。

 スマホに保存出来てしまえば、あとは羅針の独壇場だ。

 ちゃちゃっと操作して、駅夫にもシェアする。もちろん平櫻にも。

「おっ、来た。」

 自分のスマホが着信を知らせたので、駅夫は確認すると、羅針から写真が送られてきていた。駅夫はそのまま保存する。

 シール原本は平櫻に譲り、駅夫と羅針は、スマホに保存した画像で満足した。

 こうして、おじさん二人のプリクラ初体験は終了したのだった。


 プリクラを楽しんだ三人が、次はこの上にある屋上展望台へ行こうということになり、エレベーターへと向かって歩き出した。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ