拾肆之伍
住宅街の中で偶然に見付けた洋食店で、オムライスとハンバーグをいただいた、旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、予約してあるホテルへと向かった。
住宅街から東北本線の線路を渡り、国道4号線を北上する。
工場や営業所、中古車販売店、それに、全国展開する食べ放題で有名なチェーンの焼き肉店など、片側二車線の道路には様々な企業が林立していた。
その中でも一際高く聳える、白い壁の建物が見えてきたが、どうやらそれが目的のホテルのようだ。最上階の上のところに、しっかりと大きくホテルの名前が英語で明記されていたから、三人はすぐに分かった。
ホテルにチェックインすると、ロビーで枕やパジャマを選んだ。
平櫻は女性限定のアメニティが貰え、シャンプーや化粧水だけでなく、フェイスマスクやリラックスシートなどから、自由に5点を選べた。
「こういうのは嬉しいですね。」
平櫻はどれにしようか楽しそうに選んでいる。
「益々美人さんになるな。」
駅夫がからかうように言う。
「私が美人になっても、惚れちゃ駄目ですよ。」
平櫻はそう言って、科を作って、にこりと微笑む。
「その笑顔が、怖いんだよな。」
駅夫が身震いしてみせる。
じゃれ合っている二人を横目に、羅針は枕を選んでいた。檜やパイプ、低反発の枕から、羅針は檜を選んだ。
「枕は部屋にあるってよ。」
駅夫が、枕を小脇に抱えてる羅針を見て、言う。
「ああ、でも、檜の枕って使ったことないから、お試しにな。」
羅針はそう言って、パジャマを一揃え選んだ。
「なるほどね。じゃ、俺はパイプのヤツにするか。」
そう言って、パイプ枕とパジャマを選んだ。
平櫻もパジャマを選んだ。
平櫻はレディースルームへ、駅夫と羅針はスーパールームへと向かうため、エレベーターホールへとやってきた。
「こうやって、選べるのは面白いな。」
三人がエレベーターに乗り込んでドアが閉まると、駅夫が口を開いた。
「ああ、そうだな。珍しいよな、こういうの。他のホテルではなかったもんな。」
羅針が答える。
「確かに珍しいですけど、最近増えてきてますね。特に女性客を取り込もうとしているホテルでは、必須のサービスみたいですよ。」
流石に全国を旅して歩いている平櫻である。よく知っている。
「へえ、そうなんだ。でも、こういうサービスって、女性ばっかりなんだよな。まあ、アメニティとか貰ってもあんま嬉しくないけどさ。」
駅夫がそう言って笑う。
「駅夫、着いたぞ。」
羅針がそう言うと、エレベーターのドアが開いた。
「おっ、おう。」
羅針に続いて、駅夫は慌てて降りた。
「平櫻さん、それでは18時に、ロビーで。」
羅針はそう言って、平櫻を見送る。
「はい。18時に。」
平櫻はそう応じて、ドアを閉めた。
二人は、自分たちの部屋を探し出すと、入り口で戸惑った。鍵がなくて番号キーが備え付けてあったからだ。
「これ番号押すのか。」
駅夫が聞く。
「ああ、そうだね。」
羅針が応え、登録した番号を押して、解錠する。
部屋は珍しい二段ベッドだ。二段ベッドと言っても、下は普通のベッドで、上は後付けのようなパイプベッドになっていた。
「こういうベッドって、ホテルとかでは珍しいな。」
羅針が言う。二段ベッドを寝台列車では良く見るが、ホテルや旅館では見たことないなと羅針は思った。
「氷川丸では見たけどな。あの三等船室のとこ。……で、俺、上な。」
横浜で、氷川丸を見学した時の話をしているのだろう。そして、駅夫は自分が上だと主張すると、一目散でベッドへと向かった。
「子供か。……好きな方で寝て良いから。」
羅針が呆れたように言う。
二人とも独りっ子で、ベッドは買って貰っていたものの、兄弟姉妹のいる家が二段ベッドなのを知ると、憧れたものである。
「頭に気を付け……」
羅針が言い終わらないうちに、ゴンという鈍い音がした。
「いったぁ。」
駅夫がベッドのハシゴの上で頭を押さえている。
「言わんこっちゃない。」
羅針が呆れたように言う。
「こんなに天井って低かったっけ。友達の家に行った時は、もっと天井高かったけどな。」
駅夫が二段ベッドの上に寝転がりながら言う。
「いくつの時の話をしてるんだよ。」
「小学生の時の話。」
「お前、成長って言葉知ってるか?」
「なにそれ、美味しいの?」
「アホか。」
そう言うと羅針は吹き出し、駅夫も笑った。
「ところで、晩飯はどうするんだ。」
駅夫が聞く。
「晩飯か、どうしようかね。一応、ウエルカムバーで寿司は出るらしいけど、多分平櫻さんには物足りないだろうからな。」
羅針が答える。
「だな、平櫻さんに食わせたら、多分ネタ全部なくなっちゃう。」
駅夫がそう言って笑う。
「悪っ。言い付けちゃおうかな。」
羅針がからかうように言う。
「それは、内緒で頼むよ。」
駅夫はベッドの上から顔を出して、手を合わせて羅針を拝んだ。
「言わねえよ。ってか、言えねぇよ。」
羅針はそう言って笑う。
「で、飯、どうする。」
駅夫が答えを促す。
「ああ、来る時に見た、焼肉屋か、この先にチェーン店のカレー屋かハンバーガー屋、それかラーメン屋が歩いて行ける範囲かな。それ以上になると、タクシーで行くことになるかな。後は名取駅の周辺で探すか、仙台まで出るかだな。」
羅針が言う。
「仙台まで出るなら、牛タンか、ずんだ、笹かま、……それ位しか思い浮かばないな。」
駅夫が頭を捻るように言う。
「そうだな。他にもいくつか郷土料理はあるけど、まあ、いずれにしても平櫻さん次第ってことだ。」
羅針はそう言って頷く。
「そうだな。」
駅夫も頷いた。
羅針がパソコンで作業をしていると、いつの間にか、駅夫は二段ベッドの上で眠っていた。声がしないなと思ったら、寝息を立てていた。
そろそろ、時間になるので、羅針は駅夫を揺り起こす。
「ああ、眠っちまったか。」
駅夫が大きな欠伸をしながら、起き上がる。その大きな身体を天井に閊えそうにしながら、窮屈そうに降りてくる。今度は頭をぶつけなかった。成長したようだ。
「取り敢えず、顔洗ってこい。」
羅針が言うと、駅夫は頷いた。
時間ぴったりにロビーへ降りると、平櫻が既に待っていた。
「早速ですが、夕飯はどうしますか。候補としては、ここのウェルカムバーでお寿司をいただくか、チェーン店の焼肉屋、ここは食べ放題ですね、それとカレー屋、ハンバーガー屋にラーメン屋ですね。後は、名取駅周辺か、仙台駅まで出るかといったところですが。」
羅針が平櫻に確認する。
「お寿司も良いですが、焼肉も惹かれますね。お二人は何か食べたいものはないのですか。」
平櫻は少し考えて、二人に尋ねた。
「俺は何でも良いけど、食べ放題はちょっと辛いかな。お昼も遅かったし。」
駅夫が言う。
「じゃ、食べ放題にするか。」羅針が天邪鬼のように言う。「……って、冗談だよ。」羅針は駅夫が拳を振り上げてるのを見て、慌てて撤回する。「まあ、私も何でも良いので、平櫻さんが決めて良いですよ。」
羅針がそう言って平櫻に決定権を渡す。
「私が決めるんですか?」平櫻の問いに駅夫と羅針が頷く。「……そうですか。……なら、チェーン店は外すとして、食べ放題も旅寝さんが嫌なんですよね。そしたら、仙台まで繰り出しますか?それなら、牛タンの美味しい店は知ってますが……、でも、それは違うんですよね。なら、私にも選択肢はないですね。」
結局、平櫻も決定出来なかった。
「平櫻さんにも決定打はなしか。」
駅夫ががっかりしたように、項垂れる。
「それじゃ、昼間行った洋食店にするか?」
羅針が冗談半分で言う。
「いや、それはなしだろ。美味しかったけど、二連チャンはな。」
駅夫は、速攻で反対する。
「だよな。じゃ、振り出しだ。結局何でも良いはずなのに、何でも良くないんだよ。」
羅針が諦めたように言う。
「じゃ、やっぱり仙台に繰り出しましょう。仙台駅周辺なら、何かしらあるでしょうから。」
平櫻が決断を促すように言う。
「そうだな。仙台に出るか。」
「そうしますか。」
駅夫と、羅針も同意する。
「そうと決まれば、急ぎましょうか。次の電車が……26分。11分後です。」
羅針がスマホで時刻表を確認して、平櫻に言う。
「分かりました。」
「了解。」
平櫻と駅夫が応える。
国道4号線で、まずは来た道を戻る。気持ち、早歩きだ。
陽は大分延びたとは言え、辺りは少しずつ暗くなりつつあった。あと1時間もしないうちに日の入りだ。通り過ぎていく車の中には、早くもヘッドライトを点けているものもいて、夜の帳が降り掛かっていた。
踏切を渡り、西口へ回り、どうにか時間に間に合った。
すぐに仙台行きのE721系0番台が入線してきた。今度は駅夫もクロスシートに同席した。
「前、行かなくて良いのか。」
羅針が駅夫に聞く。
「ああ、もう暗いしな。たまには二人の邪魔をさせろよ。」
駅夫は冗談半分で言う。
「なんだよ、邪魔って。確かに邪魔だけど。」
羅針はそう言って笑う。
「こいつ、言うなぁ。」
駅夫、羅針の返しに、肩を小突いて笑う。
そんな二人のじゃれ合いを、平櫻は微笑んで見ていた。
「ところで、何にするつもりなんだ。」
駅夫が仙台で何を食べるか尋ねた。どうやら本音は飯が気になるようだ。
「一応、仙台と言えば、牛タン、ずんだ、笹かまだけど、他には仙台辛味噌ラーメン、はらこ飯、それに芹鍋なんかも有名なんだって。だから、旬ではないけど、芹鍋なんかどうかなと思うんだけど。……平櫻さんはどうですか。」
羅針は、そう言って、平櫻にも尋ねる。
「芹鍋ですか。いただいたことはないので、是非お願いします。」
平櫻はそう言って頷く。
「駅夫はどうだ。」
「平櫻さんがイエスなら、俺はノーのノーだな。」
駅夫が巫山戯て言う。
「じゃ、芹鍋と言うことで、決まりだな。店は……、駅ビルの中に一店あるな。閖上に本社がある店みたいだ。ここなら、名取市のお店ってことで、良いんじゃないか。」
羅針が、早速スマホで調べて言う。
「閖上のお店か。そうだな。そこにしよう。平櫻さんはどう。」
駅夫が平櫻にも聞く。
「はい。そこにしましょう。」
平櫻が頷く。
「応援なんて烏滸がましいが、売り上げの足しにでもなればいいもんな。」
駅夫が言う。
「そうだな。」
羅針も頷く。
そうこうしているうちに、列車は仙台駅に到着した。
夜の帳が降りようとしている仙台駅は、帰宅する人々でごった返していた。三人は、そんな人の流れを掻き分けるように、改札を抜けて目的の店を目指す。
目指す店は、駅ビルの地下にあった。
平日の夕方である。夕飯を求めて人々が集まりだしていた。中には既に行列が出来ている店もある。観光客はもちろんだが、仕事を終えた会社員の集団もチラホラいた。
目的の店にも、既に待つ人がいたが、羅針が駅に着いたと同時に、電話で予約を入れていたので、すぐに通して貰えた。
「流石羅針。手際が良い。」
駅夫がサムズアップをしている。
「まあな。」
羅針もサムズアップを返す。
ほんのちょっとの手間が、こうした差を生む。羅針は旅行業界で嫌という程学んだし、中国にいた時には、個人でも高い外国人料金を支払う特権として、現地の中国人を横目に、優先してもらったことも一度や二度ではなかった。
駅夫に流石と言われても、羅針にとっては当たり前のことだ。だが、サムズアップは何気に嬉しい。
店内に入ると右手にカウンターと厨房があり、通路の奥に通された。入り口の正面左奥にテーブル席や小上がりがあったが、三人はテーブルが二つだけ並ぶ右奥の席に案内された。
テーブルには〔ご予約〕のプレートが置いてあり、三人はそこへ座った。
「雰囲気の良い店だな。」
駅夫が辺りを見渡しながら満足そうに言う。
「確かに、良い感じの店だな。」
羅針も頷く。
「そうですね。仙台は何度か来たことありますけど、このお店は初めてです。」
平櫻が言う。
「注文はどうする。」
駅夫がメニューを捲りながら聞く。
「鴨肉の芹鍋はマストとして、折角ならこの牛タン焼きも欲しいな。平櫻さんはどうします。なにか欲しいのがあれば。」
羅針がメニューのおすすめを見ながら、平櫻にも聞く。
「芹鍋は、鴨肉だけですか?このしらすも食べてみたいんですけど、良いですか?」
芹鍋には定番の鴨肉入りの他に、釜揚げしらす入りのもあり、平櫻は遠慮がちに言う。
「折角だから、両方いただこうぜ。」
駅夫が後押しする。
「そうだな。じゃ、二つとも頼んじゃいましょう。全部で6人前になるけど、平櫻さんがいるから大丈夫ですよね。」
羅針が確認する。
「すみません。責任重大ですね。余ったら私が全部いただきますので。」
平櫻が申し訳なさそうに言う。
「良いって。俺たちも色々食べられるんだから、気にしないで。」
駅夫が言う。
羅針が店員を呼んで、注文を告げる。店員は6人前にもなることを三人に念を押していたが、大丈夫だと伝えてお願いした。
メニューを見ながら、羅針がふと思い出したように言った。
「ちなみに、このしらす、今までは北限が福島県の相馬市だったんだけど、2016年からこの辺りでも解禁になって、〔閖上しらす〕として売り出してるみたいなんだよね。」
羅針がしらすと聞いて、そんな説明をする。
「へえ、それも温暖化のせいかな。」
駅夫が言う。
「かもしれないな。そのうち、岩手、青森と北限が上がっていったら、ホント大変なことになるな。」
羅針が応える。
「しらす一つで、そんなことが分かるんですね。私は、ここでも獲れるようになったんだとしか思っていませんでした。確かに考えたら、温暖化の影響ですよね。」
平櫻は感心したように言った。
「まあ、本当にそうかは、調査次第ってことでしょうけどね。震災もあったし、相馬市での漁が制限されてたというのもあるし、色んな要因が考えられるので、一概には言えませんけど、概ねその可能性が高いと思います。」
羅針はあくまでも推測に過ぎないことを、説明する。
「なるほど。でも、地球の環境が大きく変わっているのは確かなんですよね。」
平櫻は羅針の説明を聞いて、更に尋ねた。
「まあ、そうですね。それが、地球の歴史における誤差の範囲なのか、それとも人類が滅亡し、別の生態系が誕生する予兆なのかは、神のみぞ知るってところですけどね。」
羅針は言う。
「人類の滅亡が懸かっているってことですね。それが神の気分次第ってことですか。」
平櫻はそれを聞いて顔を曇らせた。
「平櫻さん、羅針のその話は、あと何万年、何億年後の話だからね。気にしなくても大丈夫だよ。」
駅夫がにこやかな顔をして言う。
「そう言うことです。直近では人類にとって、暮らしづらくなったな位にしかならないですから。まあ、それも大変な話なんですけど。」
羅針が言う。
「そうですよね。ビックリしちゃいました。」
平櫻は、ホッとして、照れ臭そうにした。
そうこうしているうちに、まずは運ばれてきたビールで三人は乾杯した。
メニューには飲み放題もあったが、1時間の時間制限と、日本酒のラインナップが福島県産のみだったので、この店が厳選した地元の銘酒、特に閖上産の銘酒に魅力を感じ、ビールで喉を潤した後は、それらを楽しもうと考え、飲み放題にはしなかった。
「星路さん、秋田の動画なんですが、一応編集が終わりましたので、後で確認していただけますか。これに動画ファイルが入っていますので、よろしくお願いします。」
一息ついたところで、平櫻が切り出し、ケースに入ったSDカードを羅針に手渡した。
ルーレット旅に同行する平櫻に、動画撮影を許可はしたが、公開前に必ず駅夫と羅針の二人が最終確認することを条件にしていたのだ。その契約に基づいた話である。
「もう、出来たんですか。後で確認しますね。」
羅針はSDカードを受け取りながら言う。
「はい。1時間程の分量になりますが、よろしくお願いします。」
平櫻がそう言って頭を下げる。
「1時間とはすごいね。ちょっとしたテレビ番組だな。」
隣で聞いていた駅夫が驚いたように言う。
「いつもそのぐらいになっちゃうんですよね。」
そう言って平櫻が少し照れ臭そうにする。
そんな話をしていると、店員が来て鍋の準備を始めた。
赤身が綺麗な鴨肉が載った鍋と、白く美しい釜揚げしらすが載った鍋がテーブルに並んだ。芹の良い匂いが辺りに漂い、食欲をそそる。
鍋の準備が整うと、羅針が駅夫に話しかける。
「次の目的地を決めようか。」
「あっ、ルーレットね。また忘れるところだった。」
駅夫が、はっとして、慌ててスマホを取りだして、アプリを起動する。
「慌てなくて良いよ。平櫻さんも、準備良いかな。」
多分動画を撮るのだろうと、羅針は平櫻にも確認する。
「はい。大丈夫です。」
平櫻は応えた。既に動画を撮っているので、準備は万端のようだ。
「準備出来たよ。」駅夫は羅針と平櫻の顔を見る。「……じゃ、回すぞ。ドゥルドゥルドゥルドゥル……ジャン。えっ、マジ。」
駅夫が出た駅名を見て驚いている。
「えっ、どこ。」
羅針が問い質す。
「日本橋だって。」
駅夫ががっかりしたように答え、平櫻のカメラにスマホの画面を向ける。
「日本橋って、東京のか。」
「そう。お江戸日本橋。」
駅夫がちょっと茶化す。
「マジか。東京のど真ん中じゃないか。それこそどこ観光するんだよ。」
羅針は、あまりに出目が渋すぎて頭を抱えた。今回の館腰以上に行く場所が思い付かない。特に用事がないから訪れることはほぼないし、遊びに行くにしても、ショッピングに行くにしても、行く先がないのだ。
「日本橋ですか。道路元標のあるところですよね。私はまだ降りたことないので、楽しみです。」
嘆いている二人を他所に、平櫻が嬉しそうに言う。
「そうか。他所の人には、観光地にもなるのか。」
駅夫がそうだよなといった顔をする。
「俺たちにとっては、ただの街も、見方が変わるのか。」
羅針も平櫻の言葉には納得するものの、かといって観光先が突然現れるわけでもなく、困り果てた。
「平櫻さんは、どっか行きたいところあるの。」
駅夫が聞く。
「日本橋の道路元標は見てみたいですね。もちろん日本橋の橋も。あとは何があるのかは分からないので、お二人にお任せします。」
平櫻はにこやかにそう言う。
「一応、これが日本橋周辺の地図です。ここが地下鉄の日本橋駅。ここが日本橋の橋、位置的には、ここが東京駅になるので、直線距離で1㎞もないですね。で、観光地ですが、ご覧の通りオフィス街なんで、橋以外見るところがないんですよ。後は、足を伸ばして東京駅八重洲口あたりとか、……って、ああ、そうか、日本銀行もこんなに近いんだ……。」
羅針は、地図を平櫻に見せながら、観光候補地を探していく。
「日本銀行も近いんですね。見学出来たら面白そうですね。」
平櫻が日本銀行と聞いて、行ってみたくなったようだ。
「そうですね。ちょっと調べてみないと分からないですけど、……あっ、無理ですね。一ヶ月前までに氏名の登録が必要らしいので、今日明日で予約しても一ヶ月後ですね。」
羅針が、スマホでさっと確認すると、予約の注意事項にそのような記載があった。
「それは残念ですね。まあ、どうしてもと言うのではないので、構いませんが。」
平櫻は少し残念そうに言う。
「他にどこかあれば、いつでも言ってください。」
羅針は、平櫻にそうは言ったが、とにかくどこか探さないといけないなと改めて頭を抱えてしまった。
しかし、鍋が丁度出来上がってきたので、話はそこで中断した。
芹の根っこが煮えたのを確認した、鍋奉行を買って出た羅針が、残りの葉っぱをそれぞれの鍋に入れる。すると、芹の香りがふわりと立ちのぼった。
駅夫が鼻をひくつかせ、「こりゃ、堪らんな。」と顔を綻ばせる。
羅針も取り箸を入れて、煮え具合を確認し、「もうそろそろ良いんじゃないかな。」と言って、二人に取り分ける。
「じゃ、食べるか。いただきます。」
「あっ、ありがとうございます、いただきます。」
駅夫と平櫻が、器を受け取って、一口運ぶ。
「うっま。」
「美味しい。このシャキシャキ感が良いですね。」
駅夫と平櫻が言う。
「確かに、このシャキシャキ感とほんのり感じる甘味、この出汁つゆも深みがあって美味い。」
羅針も一口食べて、感嘆する。
「しらすと鴨でも、味の深みが違いますね。しらすの方が少し塩味が利いているというか、ほんのり磯の香りを感じます。鴨はお肉の旨味が、このカツオベースの出汁と良く合って、旨味の相乗効果を発揮しているような気がします。」
平櫻が両方を食べ比べて言う。
「確かに。海味と山味って感じだな。」
そう言って駅夫は笑う。
「海味と山味か。確かにそんな感じだな。それにしも、この出汁が美味いな。カツオベースなのは何となく分かるけど、他にも何か使ってるよね。カツオの味とは微妙に違うんだよな。……、へえ、鰯、鯖、ムロアジなんかが使われてるんだって。」
羅針がさっとスマホで調べると、オンラインショップの商品欄に出汁の成分が一部載っていた。
「へえ、鰯に鯖、ムロアジね、なるほど……分からん。」
駅夫はそう言って、出汁を一口飲んでみるが、首を傾げている。
「確かに、深みは感じますけど、カツオ以外は良く分かりませんね。」
平櫻も出汁を口に含んでみるが、同じように首を傾げている。
「まあ、分かったら神の舌ってことだと思いますよ。」
羅針が平櫻に言う。
「でもさ、これで旬じゃないんだろ。」
こんなに美味いのに、旬じゃないことに疑問を感じ、駅夫が言う。
「ああ。旬は冬だからな。名取の芹は本当に美味しいらしいぞ。」
羅針が言う。
「名取の芹が美味しいのは、名取川の伏流水が綺麗だからって聞いたことがあります。」
平櫻が言う。
「へえ、それは旬の時期にも食べたいな。」
駅夫が言う。
「だよな。」
羅針が頷く。
三人は、いつの間にか運ばれてきた、閖上産の銘酒も飲みながら、鍋を食べ進める。
閖上産の銘酒は三種類のラインナップがあったが、どれも芹鍋に合っていて、美味い。しかし、飲み比べてみると、それぞれ特徴が有り、それぞれの良さがあった。
一杯目のは、みずみずしい華やかな香りがあり、口の中に旨味が広がる。二杯目のは、キレのある味わいに後味がすっきりとしていて、余韻が残る。三杯目のは、爽やかな香りとジューシーな感じが、特に脂の載った鴨の肉と良く合った。
三人は最後に鴨の方をおじや、しらすの方をうどんにして貰い、牛タン焼きをおかずに、ペロリと平らげた。
平櫻が大半を食べたことはもちろんなのだが、駅夫と羅針もかなりの分量を食べた。
「美味かったなぁ。」
駅夫が腹を擦りながら言う。
「本当に美味しかったです。」
そういう平櫻は、まだ物足りなそうだ。
「平櫻さんは、足りましたか。」
その様子を見て羅針が聞く。
「ええ、満足しました。あと、ちょっとデザートがあればなって感じですけど。」
平櫻が少し照れ臭そうに言う。
「じゃ、このアイスを頼んで締めますか。」
羅針が提案する。
「えっ、まだ食べんの。お前らすげぇな。」
駅夫が、呆れたように言うが、羅針が「いらないのか」と聞くと、駅夫は「いる」とすかさず応えた。
三人は、甘さ控え目で、濃厚な味わいの、苺とバニラのミックスアイスを平らげ、満足してお会計を済ませた。
店員さんが、6人前の鍋をペロリと平らげ、締めまで注文した三人に驚きながらも、「またお越しください。」と笑顔で見送ってくれた。その笑顔が引きつっているように見えたのは気のせいではないかも知れない。
三人は、ごちそうさまと礼を言い、店を後にした。
「どうしますか、まだちょっと早いですが、仙台の街に繰り出しますか、それともホテルに戻りますか。」
羅針が平櫻と駅夫に聞く。
「私はどちらでも。」
平櫻はそう応える。
「俺は、少しぶらつきたいな。仙台は初めて来たし。」
駅夫が言う。
「仙台駅は初めてじゃないけどな。」
羅針は駅夫の揚げ足を取る。
「そうだけど。」
駅夫が呆れたように言う。
「じゃ、ちょっとぐるりと散策してから帰りますか。」
羅針が平櫻に言う。
「はい。」
平櫻も頷く。