拾肆之肆
旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、住宅街の通りを抜けて、館腰神社の前に到着した。
〔縣社館腰神社〕と彫られた石碑の脇を脱帽一礼して境内に入っていく。入り口には〔災害時一時避難所〕の町内会が設置した立て看板があった。
「あの日は、皆ここへ逃げたんだろうな。」
駅夫が立て看板を見て呟く。
「だろうな。」
平櫻の話を聞いた後だったためか、駅夫も羅針も少し口が重い。二人にとって、今までは心配や同情、お悔やみはすれど、どこか他人事だった東日本大震災だった。しかし、目の前にいる知り合い、平櫻の体験談というのは、二人に大きく響いたようだ。
さっきは重苦しい雰囲気を解消しようと、いつものように冗談を言い合って笑ったが、やはり心に刺さった重苦しい気持ちは拭い去れなかった。
二人が石川の羽咋へ行った時は、能登地震の被害を目の当たりにして、大きく衝撃を受けた。羽咋の被害は、能登半島先端部程ではなく、ニュースなどで見聞きしていたような、目を覆いたくなるような状態ではなかったが、それでも衝撃を受けたのだ。
それが、今回はその時以上に二人の心を揺さぶったのだ。平櫻の話を聞いただけなのに、である。
三人が境内に一歩足を踏み入れると、其処此処に石灯籠が建つ閑静な境内だった。何の鳥かは分からないが、鳥の声も聞こえてくる。
「羅針、この神社について教えてくれよ。」
駅夫が重くなった空気を払拭するように、尋ねる。
「ああ、そうだな。簡単に説明しようか。」
そう言って羅針は館腰神社の由来について、話を始めた。
この館腰神社は、弘仁2年(811年)、嵯峨天皇の御代、弘法大師空海が弘誓寺を創建する際に、京都伏見稲荷大社より分霊したことが由来とされる。日本三大稲荷の一つとされる岩沼市の竹駒神社と同じ御霊を祀るが、開創年がこちらの方が早かったこともあり、姉神様としても崇敬されている。
御祭神は倉稲魂神、大宮姫神、猿田彦神の三柱である。
配祀は大雷神、須佐之男命、武甕槌神、御食野神、伊邪那美神、誉田別尊、羽山津見命、熊野櫛御気野命、中井新三郎命、稲田姫命、天照大御神の十一柱である。
「配祀が多いな。」
駅夫が率直な感想を言う。
「まあな。ところで、配祀ってどうして配祀になるか知ってるか。」
羅針が聞く。
「そりゃ、あれだ。神様を沢山祀っておけば、それだけお賽銭が儲かるからだよ。」
駅夫が冗談半分でそんなことを言う。
「おいおい、罰当たりなこと言ってるよ。
あのな、配祀っていうのは、そもそも主神に対するそれ以外の神様を一緒にお祀りするという意味で、そう言う神様のことを昔は相殿神なんて呼んだりしていたんだ。神様の相席みたいなもんだな。
つまり、本来神様は一神社一神だったんだけど、縁のある神様として、一緒に祀ることで、一緒に御利益を賜ろうってことだね。
それが、明治時代に官国幣社で神様の配置転換が進められて、祭神を主神と、配神に分け始めたんだ。
それが全国にも広まって、多くの神社が縁の神様を一緒にお祀りすることになったらしい。」
羅針がそこまで説明すると、駅夫が「それで、配祀が多いのか?」と聞く。
「いや、更に、それを加速させたのが、明治の市町村合併だよ。
平成の大合併は覚えてるだろ。あれの明治版が、明治22年にあったんだ。
市町村が7万強から1万5千強に激減した大合併では、神社にも大きな影響を与えたんだ。
表向きは神社の財政負担を減らし、経費を集中させることで、一定基準以上の設備、財産を備えさせて、神社の威厳を保たせるのが、政府の目的だったようだけど、要は、無駄な神社を取り壊して、浮いたお金で富国強兵を進めようって魂胆だったんじゃないかな。
まあ、真義はともかく、そのせいで、一町村一神社の基準が設けられて、ほとんどの神社がお役御免にされたんだよ。
ちなみに、大正時代までに、7万社の神社が取り壊されたらしいし、特に伊勢神宮がある三重県なんかは9割が取り壊されたらしいね。
要は、配祀って、行く宛てのなくなった神様たちを受け入れて、お祀りしてるってことなんだ。だから、配祀が多い神社は、明治の頃までは周辺に多くの神社があったってことなんだよ。」
羅針が長々と説明をした。
「なるほどね。じゃ、ほら、さっきの太子堂駅に太子堂がないって言うのも、その時の影響なのか。」
駅夫が聞く。
「おそらくな。太子堂がいつ取り壊されたのかは知らないけど、そういうことだろうな。」
羅針もそう言って頷く。
「ところでさ、羅針、配祀については分かったけど、ここの御祭神である、倉稲魂神と大宮姫神についても、詳しく教えてくれよ。どんな神様なんだ。」
駅夫が羅針に説明を求める。
「まず、倉稲魂神は伏見稲荷大社の主祭神で、いわゆる稲荷神だ。つまりお稲荷さんと呼ばれている神様だな。その昔は御倉神と呼ばれ、穀物の神様、五穀豊穣の神様として祀られていたらしいね。稲荷神として祀られるようになったのは室町時代頃からだと言われているね。
それと、大宮姫神は天照大御神に侍女として仕えたとされる神様で、女官特有の麗しい言葉を駆使して、君臣、つまり君主と臣下の間を取り持つような働きをしたらしいね。会社で言えば社長と従業員の間を取り持つOLさんって感じかな。だから、接客業の守護神や、家内安全、家族和合の神様として信仰されてるんだよ。」
羅針がさっと二柱の神様について解説する。
「へえ。お稲荷さんとOLさんね。なるほど。」
駅夫はそう言って納得した。
「おいおいOLさんって。……まあ良いか。」
羅針は呆れながらも、理解して貰えたのならそれで良しとした。
「じゃ、本殿にお参りに行くか。……平櫻さん、そろそろ行きましょうか。」
境内を撮影していた、平櫻に羅針が声を掛ける。
「はい。分かりました。」
平櫻が応える。
「うちの大宮姫は本当に熱心に動画撮影するな。プロの仕事だよな。」
駅夫がそう言うと、
「大宮姫って私のことですか。なんかお稲荷さんとOLさんって言葉が聞こえてきましたけど。」
平櫻が駅夫に聞く。
「なんだ、聞こえてたのか。そう、OLさん、大宮姫は、家内安全、家族和合、接客業の神様なんだってさ。ウチのOLさんは、俺たち二人の間を取り持つ重要な神様なんだよ。」
駅夫は、そう言って微笑み、平櫻に向かって手を合わせる。
「神様にたとえられるなんて光栄ですけど、OLさんって、私一回も会社勤めしたことないんですけどね。」
平櫻はそう言って笑い、駅夫が手を合わせているのを手で窘める。
「そうなの。なんか、大宮姫は社長と従業員の仲を取り持つ神様だったらしいからさ。平櫻さんもそんな感じでしょ。」
駅夫が言い訳がましく言う。
「おいおい、社長と従業員の仲を取り持つんじゃなくて、取り持っていたのは君臣の仲、君主と臣下の仲だからな。」
羅針が慌てたように訂正する。
「ああ、それで、君主と臣下の仲を取り持つのが私の役目って事ですか。」
平櫻はそう言って、君主と言って羅針を指し、臣下と言って駅夫を指した。
「平櫻さん、それ逆だから。……えっ、そうなの。……マジで。俺の方が年上なのに……。」
駅夫は反論しようとして、平櫻が首を横に振るのを見て、諦めた。
「年上って、半年だけだからな。」
横で羅針がそう言って笑い、平櫻に向けてサムズアップをする。
平櫻はそれを見て、サムズアップを返す。
「おまえら。」
それを見た駅夫は嵌められたことに気付き、そう言って、がっくしと肩を落とした。
「ほら、臣下くん、参拝に行くぞ。」
羅針がからかうように言うと、
「へいへい、君主様の御随意に。」
と駅夫が返す。
平櫻はそんな二人を見て、微笑ましそうに笑った。
三人は用水路を渡り、本堂へ続く石段を一歩一歩上がっていく。
石段を上がると右手に手水舎があり、そこでお清めをすませ、石造の明神鳥居を潜り、更に石段を上がっていく。途中朱塗りの明神鳥居を潜り、更に続く石段を上がり切ると、向唐門の神門があった。門を抜け、広場に出ると、社殿が出迎えてくれた。
平入の拝殿は入母屋造りで、正面の向拝には太い注連縄が下げられ、神の住まわれる本殿に続く建物であることを示していた。
三人は賽銭を入れ、鈴を鳴らし、二拝二拍手一拝の作法で参拝をした。
駅夫と羅針は日頃の感謝と、いつもの通り旅の安全と美味い飯をお願いする。平櫻はお稲荷様には美味い飯を、大宮姫様には良いご縁をお願いした。
そして、三人は13年前の震災で亡くなった大勢の人々の冥福を祈った。
「ちなみに、ここの神社はソフトテニスの必勝祈願もしてるらしいね。国内では唯一らしいよ。」
参拝を住ませた羅針が、駅夫に言う。
「へえ、ソフトテニス限定って珍しいな。球技全般じゃないんだ。」
駅夫が不思議そうに言う。
「お二人、テニスは?」
平櫻が二人に聞く。
「遊びでやったぐらいかな。硬式だけど。」
駅夫が応える。
「大学の授業で硬式をやったぐらいですね。平櫻さんは、されたことは?」
羅針も答える。
「私も大学の授業で硬式を、軟式は中学の時に遊びでやったぐらいです。」
平櫻が答える。
「と言うことは、俺たち三人とも縁がないということか。」
そう言って駅夫が笑う。
「そうだな。」
「そう言うことになりますね。」
羅針と平櫻はもそう言って苦笑いした。
「じゃ、全国のソフトテニス競技者の皆さんに幸があらんことを。」
そう言って、駅夫が再び拝殿に向かって手を合わせる。
「おう。」
「ですね。」
羅針と平櫻も駅夫に習って手を合わせる。
祈り終わった三人は顔を見合わせて、再び笑った。
三人が参拝を終えた拝殿の隣には、元々弘誓寺の本堂だった観音堂があり、その前には撫牛大黒天が安置されていた。
財宝の守り神である大黒天の御使いである牛は、素食に耐えてよく働くというので、その牛に肖って質素に勤勉な生活を営み、その財を蓄えるようにと教えている。
この撫牛大黒天は、牛の像を撫でることで肖ろうというものだ。三人は思い思いに像を撫で、質素勤勉な生活を送ることを誓った。
「でも、ちょっとは美味い飯と、良い旅はお願いしたいな。」
駅夫が悪戯っ子のように我が儘を言う。
「神様が聞いたら、天罰が下るぞ。」
羅針がそう言って笑う。
「それは、勘弁だな。」
駅夫はそう言って、撫牛に手を合わせる。撫牛に許可でも貰っているのだろうか。
「でも、牛って一日30㎏から60㎏位食べるんですよね。」
平櫻が言う。
「そうですね。大体体重の5%前後、乾草か青草でも変わるみたいですけどね。」
羅針が付け加える。
「へえ、じゃ、俺も一日3.5㎏位は食っても大丈夫だな。」
駅夫が自分の体重の5%よりちょっと少ない数字を言う。
「毎日、3.5㎏も食ってたら、それこそ牛になるぞ。」
羅針がそう言って笑う。
「じゃ、私はもう牛ですね。」
平櫻がそう言って自虐的に笑う。
「あっ、いえ、そういうつもりで言ったんじゃ……。」
羅針が慌てて、平櫻に言い訳をしようとする。
「あ~、羅針君が、平櫻さんをいじめたぁ。先生に言ってやろぉ~。」
駅夫が小学生みたいなことを言う。
それを見て平櫻が耐えられなくなったのか、声を出して笑い出し、駅夫も釣られて笑う。羅針は気にしていない様子の平櫻に、安堵したような笑みを浮かべた。
境内には、日切地蔵堂もあり、説明書きによると、中には身の丈五尺程の石造りのお地蔵様が安置されているという。
その昔、北上川の河川改修が難航した際、伊達政宗は天台宗の栄存法師を招聘して工事を完成させた。しかし、時の領主、笹町新左衛門は、その評判を妬み、誹謗中傷により流罪にした。ところが、栄存法師は法力を用いて笹町新左衛門を調伏し、狂乱させた後、家族を惨殺させ、笹町家を断絶させてしまう。
ここ館腰から奉公に出ていた娘が、その栄存の菩提を弔うために、等身大の地蔵菩薩を奉安したのが、この日切地蔵堂に安置されている地蔵であると伝わる。
日切とは、日を決めて願掛けをすることで、栄存の法力に縋ろうと、多くの人が参詣に訪れたという。
三人も、もちろんその法力に肖ろうと、参拝した。
上がってきた階段とは別の階段を降りると、山門である仁王門があり、その先には、弘法大師空海が開山した弘誓寺の本堂である、明王殿があった。
仁王門は入母屋造りの立派な山門で、本堂の明王殿も入母屋造りに唐破風の向拝が設えられていて、こちらも仁王門に負けず劣らず立派な外観の建物である。
庭には、立派な弘法大師空海の像も安置されていた。
もちろん三人はこちらの弘誓寺にも参拝し、参拝後は寺務所と社務所でそれぞれ御朱印を拝受し、館腰神社と弘誓寺の参拝を終えた。
石段を降り、旧奥州街道まで戻ると、三人は予約していたホテルへと向かうことにする。
ホテルは国道4号線沿いにあるため、東へ向けて三人は歩き始めた。
すると、5分も歩かないうちに、茶色の建物で、一見アパートのような佇まいの建物の一角に設けられた、喫茶店らしき店を見付けた。住宅街にポツリとある店で、どこか場違いでもありながら、店自体の雰囲気は良い感じだ。
「ここで、飯にしないか。流石に腹減った。」
駅夫がそう言って腹を押さえる。
「平櫻さんはどうしますか。寄りますか。」
羅針が、駅夫の言葉を聞いて、平櫻に確認する。
「はい。是非。」
平櫻が応える。
二人の同意を得た駅夫が店のドアを開けた。
こぢんまりとした店内だが、テーブル席に、カウンター席、そして小上がりもある、落ち着いた雰囲気で、温かみのある木調のインテリアが特徴的である。床もダークブラウンの木目調のフローリングで、自然光がたっぷり入る大きな窓が取り付けてあるため、比較的明るい。
奥にあるカウンターテーブルの前には、アクリル板で仕切られた厨房があり、コック姿のマスターが腕を振るっていた。
「三人なんですけど、良いですか。」
駅夫が応対に来た店員に聞くと、空いているテーブル席を案内してくれた。平櫻は撮影の許可を取ることも忘れない。
昼の営業時間が間もなく終わる時間だったのか、小上がりで一組が食事をしているだけだった。
三人は席に着くと、早速メニューを開くと、オムライスやカレーライス、ピラフ、そしてハンバーグが並んでいた。それぞれ2、3のバリエーションがあり、店員に聞くとお勧めはオムライスで、人気なのだそうだ。
駅夫と羅針は迷わずオムライスを、平櫻はオムライスに和風おろしハンバーグを頼んだ。オムライスはソースが選べ、駅夫はデミグラスソースを、羅針と平櫻はトマトソースを選んだ。
出されたお冷やは檸檬水で、薄らと汗を掻いた身体に染み渡るようで、心地よかった。
最初にサラダが運ばれてきた。自家製のドレッシングがあっさりしていて、ダイレクトに野菜の味が楽しめた。
10分程して、まずオムライスが運ばれてきた。タマゴの良い匂いが食欲をそそる。三人は早速、スプーンを入れて、一口いただく。
「うっま。」と駅夫。
「美味い。」と羅針。
「美味しいです。」と平櫻。
三人は、思わず目を見合わせてしまった。
「このタマゴのふわふわ感はもちろんなんだけど、厚みがあるのが、食べ応えがあって良いな。」
駅夫が言う。
「ああ。それに、このケチャップライスもバターが利いた香ばしさが絶妙で、最高だ。」
羅針が続ける。
「このトマトソースの酸味とオムライスの甘味も相性が良いですね。本当に美味しいです。」
平櫻も言う。
そうこうしているうちに、ハンバーグも到着した。
平櫻は、そちらも口に運ぶ。
「たっぷりの肉汁と、さっぱりのこのおろしが絶妙にマッチしていて、美味しいです。食感も良いですし、お肉をいただいているっていう実感があります。」
平櫻は満足そうに、オムライスをおかずにハンバーグを、いやハンバーグをおかずにオムライスを食べた。
「なんか、平櫻さんの食べっぷりを見ていると、自分はもっと食べなきゃいけないんじゃないかって思えてくるよ。」
駅夫が、冗談半分なのか、ぼそりと呟く。
「それは、錯覚だからな。沢山食べるのは良いことだけど、お前は特別な訓練を受けてないんだから、即効身体を壊すぞ。」
羅針がからかい半分で言う。
「そうですよ。私は特別な訓練を受けてるんで、……って、受けてませんから。もう。」
平櫻はそう乗り突っ込みをして、口を尖らせ、笑う。
「そうか、特別な訓練を受けてるのか。それじゃ、俺には無理だな。」
駅夫もがっかりと肩を落とす。
「ふたりして、もう。」
平櫻がそう言うと、羅針と駅夫は笑った。
「でも、冗談抜きで、そんなに美味しそうに食べてると、自分もそれ位食べられるんじゃないかって、錯覚しちゃうよな。ホント美味そうに食べるんだもん。」
駅夫は羨ましそうに言う。
「でも、食費は人一倍掛かりますからね。まさに食べるために働いてるようなものですよ。」
平櫻は自虐的に言う。
「でも、その仕事は大好きな旅行ですよね。羨ましいですよ。」
羅針は言う。
「ホント、幸せそうだもんな。好きな仕事して、好きなだけ食べて、その食べてるところまで動画で撮って仕事にする。夢のような生活だよな。」
駅夫も羨ましそうに言う。
「そんなことないですよ。動画一本作るのだって、結構大変だし、見て貰えなかったら、それだけで骨折り損なんですから。」
平櫻がそう言って大変さをアピールする。
「でも、楽しいんですよね。」
羅針が核心を突く。
「はい。楽しいです。」
平櫻が思わず頷く。
「ほら。やっぱり。」
駅夫はそう言って笑った。
三人は、そんな話をしながら、食事をした。
美味い食事に満足した三人は、会計を済ませ、昼の営業時間を過ぎてしまったことを謝罪し、動画撮影と美味しい食事への感謝を伝えた。