拾肆之壱
朝だ。いつものとおり、カーテンが明るくなり、6時少し前に星路羅針は目が覚めた。
昨日は少し飲み過ぎた。三人で泡盛を一瓶空け、その後バーにハシゴしてカクテルを含め、きつめの酒をかなり飲んだ。二日酔いという感じではないが、寝起きのすっきり感がない。喉もかなり渇いている。
今日は車を運転する予定はないから、アルコールが残っていても問題ないが、頭が重いのはいただけない。
羅針はいつものようにスマホのアラームを解除して、頭を振りながら、ベッドから降り、洗面所へと向かった。
洗面を済ませ、身嗜みを整えた羅針は、ベッドルームへ戻ると、いつものルーティンを始めた。
パソコンの脇には水の入った水筒を置き、喉の渇きを癒やしながら、作業を進めた。
6時30分、旅寝駅夫を起こし、いつもの「ん~お~は~よ~。」を聞く。
「おはよ。顔洗ってこいよ。」
羅針はそう言って、駅夫の背中をポンと叩く。
「ああ。」
駅夫は眠そうな声で頷き、ベッドを降りて洗面所に向かった。
洗面所から出てきた駅夫は、頭が痛いのか、掌底で軽く頭を小突いていた。
「どうした。二日酔いか。」
羅針が聞く。
「いや、少し頭が重いだけ。お前ら二人みたいに、がぶ飲みしてないから。」
駅夫はそう言って、痛みを飛ばすかのようにブルブルと頭を振った。
「そうか、それなら水飲んどけよ。そうすりゃすぐ治る。」
「ああ。そうだな。」
駅夫は頷いて、冷蔵庫に入れてあるペットボトルの水を飲み干した。
「なあ、このケーキとかどうするんだ。なんか、食べる機会無くしてるけど。」
一昨日、元町で購入したケーキやパンがそのままになっているのを見て、羅針に聞いた。
「ああ、食べちゃわないとな。今日列車の中ででも食べるか。」
羅針が答える。
「そうだな。そうするか。」
駅夫も同意する。
7時、二人は朝食のために階下のレストランへ向かった。
「おはようございます。」
平櫻佳音が、レストランの入り口で二人を待っていた。化粧で隠しているのか、彼女の顔に酒の痕跡はなく、二日酔いらしき様子は見られなかった。
「おはよう。」
「おはようございます。」
駅夫と羅針が、挨拶をする。
「二日酔いは大丈夫?」
駅夫が単刀直入に聞く。
「はい。大丈夫ですよ。ちょっと喉が渇いて、夜中に目が覚めちゃいましたけど。」
平櫻は平気な顔をして答えた。
「そう。羨ましいね。俺はちょっと頭が重くて。」
駅夫はそう言って、また掌底で自分の頭を小突いている。
「大丈夫ですか。」
平櫻は心配そうに駅夫を見るが、当の駅夫は左手を挙げて、「ああ、大丈夫だよ。」そう言って、小刻みに頷いた。
三人は、レストランに入り席を決めると、朝食バイキングの料理を選んだ。
駅夫は昨朝同様、胃に優しそうなスープやフルーツ、ヨーグルトなどを中心にした洋風のラインナップ。
羅針は、食欲があるのか、和食を中心に、洋食と中華も少し取り入れた、がっつり目のメニューだ。
平櫻は言うまでもない。全部載せとまではいかないまでも、目を惹く料理はすべて皿に載っていた。
ホテルの朝食を、この後のスケジュールを確認しながら堪能した三人は、一旦部屋に戻り、8時半過ぎにロビーで集合した。それぞれ、チェックアウトの手続きをすると、いよいよ次の目的地、宮城県の館腰駅へと出発である。
フロントの女性に三人は礼を言って、ホテルを後にする。
外はドンヨリと曇っていた。
今朝のニュースで、昨日関東地方が梅雨入りをしたようだと発表があった。しかし、昨日のカンカン照りで梅雨入りとは、正直駅夫も羅針も嘘だと思っていたが、今見上げる空は、雨こそ降ってはいなかったが、梅雨の空そのものだった。
「確かに、この空模様は梅雨だな。」
羅針が言う。
「だな。」
駅夫が頷く。
「梅雨ですか。」
平櫻が聞く。
「ええ、今朝のニュースで関東地方は梅雨入りしたって言ってましたね。」
羅針が答える。
「そうなんですね。ネットで予報しか見てなかったので、梅雨入りは気が付きませんでした。」
平櫻がもうそんな時期かといった顔をする。
ホテルの前を走る、尾上通りと称される国道16号は、月曜日の朝であるためか、車通りが昨日よりも多く、特に大型トラックが目立つ。
「どこへ、何を運んでいるんだろうな。」
駅夫が、トラックを見ながらそう呟く。
「さあな。でも、ナンバーとか見てると、全国から集まってるみたいだから、これから全国へ向けて走り通すんだろうな。」
羅針が、推測で答える。
「そうか。ご苦労なことだな。でも、彼らのお陰で、どこに行っても美味いものが食えて、どこでも同じものが買えて、どこでも同じ生活が出来るんだからな。感謝しかないな。」
駅夫がそう言って、丁度目の前を走り去っていく、福岡ナンバーのトラックを見送った。
「あれ、福岡ナンバーですね。東京の品物が、九州でも買えるのは彼らのお陰ですからね。本当に感謝ですね。」
平櫻もそう言って、にこりと微笑む。
三人は関内駅北口まで来ると、写真や動画を撮影し始めた。
スクランブル交差点と、白い軒が突き出た駅舎に、高架橋の取り合わせが妙に画になると、羅針が言うので、それに習って、駅夫と平櫻もレンズを向けたのだ。
忙しそうに、足早に駅へ吸い込まれていく人々や、駅から吐き出される人々を、羅針はスローシャッターでカメラに収めた。
「どんなのが撮れたんだ。」
駅夫が、羅針に聞く。
「たいしたのは撮れてないよ。ありふれた感じかな。」
そう言って羅針は一眼のモニターを起動して、駅夫に見せる。
そこには、月曜の朝、忙しそうに出入りする人々がブレて映っており、更に高架橋の上にも列車がブレて映っていて、動きのある良い写真に仕上がっていた。朝日が差し込んでいればなお良かったが、それは無い物強請りである。
「すげぇじゃん。三脚なしで、こんなのが撮れるんだ。」
駅夫が感心したように言う。
「ああ、まあな。このカメラ、上手く撮れば2秒近く、三脚なしで撮れるからね。」
羅針がそう言って、自慢の一眼を撫でる。
「良いカメラだもんな。」
駅夫が羨ましそうに言う。
「ああ。俺にはもったいないぐらいの相棒だよ。」
羅針がそう言って微笑む。
「平櫻さん、そろそろ時間です。ホームに上がりましょう。」
一人で駅周辺の動画を撮りながら、レポートしていた平櫻に、タイミングを見て羅針が声を掛けた。
「はい。分かりました。」
平櫻は、そう返事すると、撮影を止めて、羅針のところまで戻ってきた。
「それじゃ、行きましょうか。」
「おう。」
「はい。」
羅針の一言に、駅夫と平櫻が応えた。
9時を回り、ラッシュのピークを過ぎた関内駅のホームは、人がまばらで、先程までの混雑が嘘のようだ。
三人がホームに上がると、程なく、水色のラインが入ったE233系1000番台、大宮行きの列車が入線してきた。
駅夫は早速いつも通り、前面展望のかぶりつきへ、羅針と平櫻はロングシートへ腰を下ろした。
「そう言えば、平櫻さん、元町で買ったケーキとかはどうされました。」
羅針が、平櫻に聞く。
「えっ、ああ、全部いただいちゃいました。」
平櫻は、なんでそんなことを聞くのか不思議だというような面持ちで答えた。
「もう食べちゃったんですか。」
羅針は驚いて、思わず声を上げそうになる。
「ええ。一昨日の夜は煉瓦のケーキとロールケーキをいただいて、昨日の夜にはパンと和菓子をいただきました。とっても美味しかったですよ。」
そう言って平櫻はにこりと微笑む。
「マジですか。だって、一昨日は食べ放題であれだけ食べて、昨日もかなりお酒を飲まれましたよね。」
羅針は驚きながらも、確認するように聞く。
「ええ。ですから、一昨日は胃のウォームダウンに少々いただいて、昨日は締めって感じですかね。」
そう言って、平櫻は照れたように、はにかんだ。
「少々って、ロールケーキ一本に、煉瓦のケーキをいくつか購入されていたように思うのですが。」
羅針は、驚愕半分、尊敬半分、呆れを少々感じていた。
「そうですね。でも、そんなたいした量じゃないですよ。……私にとっては。」
平櫻は最後に取って付けたように言って、照れ臭そうに舌を出す。
「そうですか。凄いですね。なんか、私の常識が塗り替えられたような気分です。」
羅針は、平櫻の食べる量が尋常じゃないと知ってはいたが、どうやら理解できていなかったようだと、改めて思い知った。
「お二人は、まだ召し上がっていらっしゃらないのですか。」
平櫻は、不思議そうに質問した。
「ええ、この後、新幹線の車内でいただこうかなって思ってたんですよ。そうですか……。」
羅針はそう説明して、三人で一緒に食べようと思っていたことを知られてしまったようで、少し気恥ずかしくなって、言葉を濁した。
「気にせずお二人で召し上がってください。私は、これをいただきますから。」
そう言って、平櫻は、トートバッグの中に入っている、昨日赤レンガ倉庫で買ったお土産の紙袋を、チラリと見せた。
「ああ、昨日のお土産。色々買い込んでましたもんね。」
羅針は納得した。
「ええ。お恥ずかしい限りですが。いくつかはコンビニから家族や友人に送ったので、ここにあるのはその残りですけどね。」
平櫻はそう言って笑った。どうやら昨晩の内に、平櫻は近くのコンビニに行っていたようだ。
そんな話をしていると、列車は桜木町を過ぎ、横浜駅に到着しようとしていた。
「駅夫、乗り換えるぞ。」
羅針が、駅夫に声を掛ける。
「おう。」
駅夫が応え、巨大なリュックを背負った。
「そのリュック、重くないんですか。」
横浜駅について、ホームに降りると、平櫻が気になったのか、駅夫に尋ねた。
「まあ、軽いって言えば嘘になるけど、それほど重くはないよ。10㎏、いや15㎏位じゃないかな。量ってないから分からないけど、そんなもんだと思うよ。」
駅夫は背中のリュックを揺すってみて、体感で答える。
「10㎏、15㎏は充分重いですって。」
平櫻は呆れたように言う。
「そうか。まあ、羅針にも呆れられたからな。もしかしたら重いのかも知れないな。」
駅夫は、そう言って、平櫻にウインクして、ニッと片方の口角を上げる。
三人は、階段を降りて、東海道本線のホームに移動し、小金井行きの列車を待った。
一昨日の横浜駅は人で溢れかえっていたが、今日はラッシュ時間を過ぎた平日のためか、それほど人はいなかった。それでも、乗客がホームに並んでいるのだから、横浜駅の巨大さ、乗降人数の多さが分かるというものだ。
湘南色と言われる、オレンジとグリーンのラインをした、E233系3000番台が入線してくると、駅夫は前面展望へ、羅針と平櫻はクロスシートに座った。
「星路さん、あの旅寝さんの荷物って何であんなに大きいんですか。」
どうしても気になるのか、平櫻は羅針に尋ねた。
「ああ、あれですね。多分キャンプ用具ですね。」
羅針が答える。
「なんで、キャンプ用具なんですか。」
平櫻が不思議になって聞く。
「役に立つからとかなんとか言ってましたね。
以前は、寝袋とか、調理器具とか、明らかに使わないだろってものまで、持って歩いてましたからね。あれでも、秋田に行く前に減らさせたんですよ。全然減ってないですけどね。」
羅針がそう言って苦笑いをする。
「旅寝さんってキャンプがお好きなんですか。」
平櫻が尋ねる。
「ええ。好きみたいですね。一人で行くこともあれば、仲間内で行くこともあるみたいですよ。私も何度か連れてって貰いました。」
羅針が言う。
「へえ。そうなんですね。なんか良いですね。お二人とも人生を楽しんでるって感じで、羨ましいなあ。」
平櫻が少し大袈裟なことを言う。
「人生を楽しんでるですか。そんなことないと思いますよ。あいつにも色々ありましたからね。キャンプはあいつのささやかな楽しみなんじゃないですかね。楽しむと言うより、心を浄化させてるっていう感じだと思いますね。」
羅針はそう言って否定する。
「そうなんですね。他人の苦労は分からないって言いますもんね。ああやって明るく振る舞ってらっしゃるのも、そんな内面を見せないようにする旅寝さんらしい心遣いなんですかね。」
「そうかも知れませんね。」
羅針がそう言うと、二人は、前面展望にかぶりついている駅夫の背中を、座席から覗き込んで、二人で顔を見合わせて、笑った。
二人がそんな話をしていると、列車は新橋を出て、間もなく東京駅に着こうとしていた。
「さあ、乗り換えですね。」
羅針が、平櫻に降車準備を促し、立ち上がる。
「はい。」
平櫻もそう言って頷き、羅針に続いて立ち上がった。
「駅夫、降りるぞ。」
羅針が、そう駅夫に声を掛けると、列車は東京駅に滑り込んでいった。
東京駅のホームに降り立った三人は、乗り換え時間があまりない為、少し急ぎ目で、新幹線ホームへと向かった。
平日の東京駅は、スーツを着た人々が忙しそうに行き交っていた。中にはこれから出張なのか、大きなトランクを持って歩くスーツ姿の人も散見された。
既に、スマホで購入済みのチケットを乗り換え改札でスキャンして、新幹線ホームへと急ぐ。途中コンビニに寄って、ペットボトルの紅茶だけ買い込んで、漸く新幹線ホームへと上がる。
既にホームには、常磐グリーンと飛雲ホワイトに、はやてピンクのラインが映えるE5系新幹線が停車していた。
指定は3号車の7列目、三人掛けのシートだ。
席を見付けると、駅夫と平櫻が窓際の席を譲り合った。
「窓際にどうぞ。」
駅夫が平櫻に譲ると、
「いえ、前回窓際を譲って貰ったので、今度は旅寝さんがどうぞ。」
と平櫻が返す。
暫く、二人でそんなことをやっていたが、人が通るのに邪魔なので、取り敢えず羅針がじゃんけんをさせて、負けた方を窓際にさせた。
「俺の負けか。」
駅夫は、残念そうにしながらも、どこか嬉しそうだ。
「星路さん、真ん中の席へどうぞ。」
平櫻が今度は羅針に真ん中の席を譲る。
「それじゃ、お言葉に甘えて。」
羅針はそう言って素直に従う。
「おまたせいたしました。東北新幹線はやぶさ13号仙台行きは間もなく発車いたします。御乗車になってお待ちください。」
三人が席に着くと、車内放送で出発の案内が流れた。
「この放送が掛かると、いよいよって感じがするな。」
駅夫が窓の外を見ながら言う。
「ああ。旅のスタートって感じがするな。」
羅針が頷く。
「アナウンスに、そんな感想を抱くんですね。」
平櫻が不思議そうに言う。
「ああ、いつもじゃないけど、たまに思うよ。……なっ。」
平櫻の言葉に駅夫はそう言って、羅針に同意を求める。
「ああ、そうだな。……考えたこともなかったけど、言われてみればって感じですね。」
羅針は、駅夫に同意し、平櫻に答える。
そうこうしているうちに、列車は静かに東京駅を出発した。
「早速始めるか。」
東京駅を出て、暫くしてから地下へと潜っていくと、駅夫はケーキが入った紙袋をテーブルに置いた。
「ああ。」
羅針が頷き、先程買った紅茶を置く。
「お二人とも気が早いですよ。」
そう言う平櫻はすでに、昨日赤レンガ倉庫で買った土産物をテーブルに並べていた。
「他人のこと言えないですよ。」
それを見て羅針が笑った。
「あれ、平櫻さん、元町で買ったケーキや和菓子は?」
隣で笑っていた駅夫が、平櫻がテーブルに並べていた物が、自分たちと違うものであることに気付いて、尋ねた。
「ええ、夜にいただいちゃいました。」
平櫻が答える。
「マジで。だって一昨日は食べ放題した後だろ、昨日だって、大分飲んでたし。どっちにしたって、あのあと食べるなんて、……なぁ。」
駅夫が、先程の羅針と同じような反応をし、羅針に同意を求める。
それがおかしいのか、平櫻は笑いを堪えながら、「ええ。ですから、一昨日は胃のウォームダウンにケーキをいただいて、昨日は締めって感じでパンと和菓子をいただきました。」と答えた。
「マジで。……ってお前、聞いてた。」
平櫻の言葉に反応せず、駅夫の反応を見て笑っている羅針に、駅夫は聞く。
「ああ、俺もさっき同じこと言って、同じこと聞いた。」
羅針がそう言って笑う。
「なんだ、マジかよ。」駅夫ががっかりしたように言い、「……で、そこに並んでるのは、赤レンガ倉庫で買ったお土産だ。」駅夫が、並んでいるものを見て、推理したようだ。
「そうですね。」
駅夫の言葉を聞いて、平櫻がにこりと笑う。
「まずは、これからだな。」
一頻り笑った後、そう言って、駅夫がロールケーキを取り出す。
「それか。一本だからな……。」
駅夫が取り出した一本丸々のロールケーキを見て、羅針が呟く。この大きなロールケーキを二人で分けるにしても、どう食べるか、羅針は思案した。
「大丈夫だよ。」
そう言って、駅夫はバッグからサバイバルナイフを取り出し、器用にスパッスパッと切り分けていく。
「流石、用意周到だな。」羅針が感心したように言いながら、早速一切れ摘まんで口に運ぶ。「……うまっ。……なにこれ。甘さ控えめの生地に、たっぷりのクリームが相性良いのは当然として、香ばしいクルミが良いアクセントになってるから、食感が豊かで、これは最高。」
そう言って、思わず自分が食べたロールケーキを見る。
「確かにこれは美味い。クルミの食感が良いな。時間を置いたからか、しっとり感もあるし。……平櫻さんが一本丸々ペロッと食べちゃうの、分かる気がする。」
駅夫も一口食べて唸る。
「ですよね。煉瓦のケーキが人気の店ですが、ここのロールケーキも侮れないんですよ。」
そう言って、平櫻が自分のことのように嬉しそうだ。
そう言う平櫻は、赤レンガ倉庫の写真が印刷されたクッキーの箱を開けていた。もちろん動画で撮影しながら、食レポもしていた。そのあたりはプロ根性と言わざるを得ないかも知れない。
三人は、こうして仙台まで、ケーキやお菓子を堪能した。