拾参之拾
旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、横浜赤レンガ倉庫でウィンドウショッピングを楽しんでいた。
三人はまず、1号館と呼ばれる1号倉庫をぶらついた。
この赤レンガ倉庫は、歴史的な建造物であるが、内部は完全にお洒落な、現代のショッピングモールに生まれ変わっており、床はフローリング、天井は白く塗り固められたコンクリートで、辛うじて格子状の梁だけが当時の面影を残していた。
館内は、中央の通路を挟んで店舗が並び、雑貨にステッカー、ガラス製品、お菓子、化粧品やスキンケア商品など、男性向けよりも、女性に向けた商品のラインナップが多かった。
休日と言うこともあってか、混雑はしていたが、人を掻き分けて歩かなければならない程ではなく、レジに多少並んでる店がある程度だった。
平櫻は、ガラス製品をいくつか手に取って見たり、雑貨店を廻ってみたり、スキンケア商品を手に取ったりしていたが、結局横浜の銘店からセレクトしたお菓子と、クラフトビールを購入していた。
駅夫と羅針も、クラフトビールは唯一惹かれて購入していた。
一番奥のカフェから漂うコーヒーの匂いに三人は惹かれたが、取り敢えずまだ2号館があるとして、ひとまず我慢した。
三人は表に出ると、今度は2号館と呼ばれる2号倉庫へと向かった。
1号館は一階だけがショップフロアーで、二階と三階は多目的スペースとホールになっていたが、2号館の方は全館ショップになっていた。
こちらは、1号館よりも人が多く、場所によっては人を掻き分けなければならなかった。
館内の内装は、板張りの床に、天井は板蒲鉾が並んだようなアーチ型の、いわゆるコルゲート天井と呼ばれる形状をしていた。
こちらも、真ん中に通路が一本通っていて、その両脇に店舗が並んでいた。革製品やアクセサリー等の雑貨、帽子やシャツなどの洋品、おつまみや御飯のお供、それに菓子折りやスイーツ等の食品が並んでいた。また館内中央にはフードコートもあり、中華にオムレツ、ハンバーガー、サラダボウル、韓国料理、パエリアなどの専門店が並び、シウマイで有名なお店も出店していた。飲食店はこれだけでなく、カフェレストランを始め、イタリアン、ハワイアン、スイーツのお店なども点在していた。
三人は色々と食べたくなるのを我慢して、階段で二階に上がる。
二階は雑貨や小物、ステーショナリー、アパレル、ジュエリーやアクセサリー、それに和雑貨のお店も並んでいた。中には似顔絵やカプセルトイなどの観光地で良く見かけるお店も出店していた。
似顔絵店ではデフォルメされた顔が面白く、二組が描いて貰っている最中だった。
三階は完全にレストラン一色で、肉料理、シーフード、ハンバーガー、ギフトショップが併設されたカフェと、ダイニングカフェがあった。
フロアの中央部に壁があるためか、通り抜けが出来ず、全部を見るためには一旦二階に降りなければならず、それはちょっと不便であったが、取り敢えず、これで三人は一通り全館を見て廻ったことになる。
「さて、ぐるりと見て廻ってきたけど、どうする。そろそろ飯屋も混み始める時間だし先にどっかで食べておかないか。」
更に見て廻る前に腹拵えをしたいと、駅夫が二人に聞く。
「そうだな。俺もその方が良いと思うな。平櫻さんはどうですか。」
羅針が賛成し、平櫻にも聞く。
「そうですね。もう、ずっと美味しそうなものばかり見せられてきたので、お腹空いちゃいました。」
平櫻も照れ臭そうにしながら、同意する。
「それじゃ、どこにしますか。私はこのピザ屋さんで、がっつり食べたい気分ですが。二人は。」
いつもは皆の意見を聞いてから提案する羅針が、余程食べたかったのか、珍しく最初にピザ屋を提案する。
「俺も、ここで良いよ。」
「私も、ここが良いです。」
駅夫と平櫻も目の前にあるピザ屋から漂ってくる溶けたチーズの香りにやられていたのか、羅針の提案に二つ返事で応じ、シカゴピザを売りにした、クラフトビールの店を選んだ。
店内はアメリカナイズされた内装で、天井には剥き出しの鉄骨から沢山の電球がぶら下がっていて、それがまた星条旗を想起させる。
四角いテーブルが並び、西洋風レストランの様相がありつつも、壁際にはボックス席も並び、落ち着いた雰囲気で食事が出来る場所もあるようだ。また、テラス席もあり、横浜港を見ながらの食事もなかなか良さそうだ。夜景を見ながら食事をしたら、最高かも知れない。
「どうする。」
店員に人数と、座りたい席を聞かれ、駅夫が二人に尋ねる。
「流石に、この昼日中にテラスは勘弁だな。出来れば中で涼みたい。」
羅針がそう言って、店内を主張する。
それもそのはず、太陽は天空高く昇り、横浜の街をジリジリと照りつけていたからだ。そんな中でテラスに出るのは、海風があるとはいえ、流石に自殺行為である。
「私も室内が良いですね。あそこのボックス席にしませんか。落ち着いて食事が出来そうですし。」
平櫻もそう言って、室内を希望する。
「俺も、室内が良いかな。」
駅夫も結局、室内を希望した。
「じゃ、済みません、あそこのボックス席で良いですか。」
羅針が、店員に確認を取った。
店内は間もなくランチの時間ということもあり、大分混んでいて、7割方埋まっていた。
其処此処から漂ってくる、溶けたチーズやグリルされた肉の匂い、そしてビールから漂うアルコールの匂いが三人の鼻をつき、否が応でも食欲が湧き上がってくる。
壁際のボックス席に案内された三人は、座高よりも高い背もたれの、黒に近い紺色のソファで、窓からは横浜の街を見ることができた。
ランチメニューは、プレート、グリルソーセージ、ステーキ、パスタ、サラダ、揚げ物、そして厚さ4㎝もあるシカゴピザがラインナップされていた。
シカゴピザは焼き上がりまで25分掛かるため、早めのオーダーをとお願いされたので、一つはBBQソースのものと、もう一つはシュリンプの載ったものの二つを、直径18㎝のMサイズで、先に頼んだ。
他には、アンガス牛のチャックアイステーキをメインでそれぞれ頼み、それに平櫻はパスタを追加、他には、シェア用にグリルソーセージ、サラダなどを適当に見繕った。
もちろん飲み物はクラフトビール。自家製のものから、大手ビールメーカーや、ベルギー直輸入のものまで色々と取り揃えられていた。
三人はその中から、店員の説明を聞きながら、自分好みのものを選択した。
注文が済むと、ここまで歩き通しだった三人は、漸く人心地つき、出されたお冷やをがぶ飲みした。
「どうだった、赤レンガ倉庫は。」
水を飲み一息つくと、羅針が駅夫に尋ねた。
「ああ。悪いけど、こんなもんかって感じ。」駅夫はやはりがっかり感が拭えなかったのか、一通り見てきた後でも、感想は変わらないようだが、「ただ、」と言って話を続ける。「横浜土産は集まっているし、良く聞く名前の名店も入ってるし、買い物を楽しむには良いスポットじゃないかな。」
「そうか。確かに買い物には良いけど、歴史的な雰囲気を味わう場所ではないな。外観とか、天井とかに名残があるぐらいで、当時の面影はほぼ見えないからな。……平櫻さんは、どうでしたか。」
羅針は駅夫に同調し、平櫻にも尋ねる。
「確かに歴史的な雰囲気はあまりないですが、私は満足ですよ。」
そう言ってにこりと微笑んだ平櫻の隣には、いくつかの店で購入したものが入った紙袋が鎮座していた。ほぼ食べ物ばかりだが、中には化粧品やお土産物用の雑貨も入っているようだ。
「大分買ったね。」
駅夫がその紙袋を見て言う。
「後で、旅寝さんに請求書出しますね。」
平櫻はそう言って笑う。
「おっ、俺の味方になってくれる決心が付いたか。」
駅夫が嬉しそうに言う。
「それはないですね。倉庫ごと買っていただかなくちゃ。」
平櫻は相変わらず容赦がない。
「マジかよ。そりゃ勘弁だよ。」
駅夫は糠喜びだったと知り、大袈裟にがっくりと肩を落とす。
平櫻と羅針はその様子を見て笑った。
「お待たせしました。」
店員の一言で、テーブルにまずクラフトビールが並んだ。
羅針は、力強くボリューム感のある、柑橘系アロマと苦みが特徴のビールを、駅夫は、バナナの香りが仄かに香る、黒胡椒のようなスパイス感が特徴のビールを、平櫻は、甘くて爽やかなフレーバーが楽しめる、ジューシーなホップ感が特徴のトロピカル系ビールをそれぞれ頼んでいた。
「まずは、赤レンガ倉庫と美味い食事に乾杯。」
駅夫が音頭を取る。
「なんだそれ。」
と言いつつも、羅針は駅夫が掲げたグラスに、自分のグラスも掲げる。
平櫻はそれを微笑ましそうに見ながら、「乾杯。」と言って、自分のグラスを掲げる。
一口飲んだ三人は、その今まで飲んだどのビールとも異なるその味に驚いた。
「なにこれ。これがビールなのか。」
駅夫が驚いたように自分が口を付けたグラスを持ち上げて、まじまじと見ていた。
「確かに、海外のビールも色々飲んできたけど、これだけ柑橘系の匂いが香るジュースのような、いやカクテルと言った方が良いか、とにかく、常識が覆されるな。こういうのもありだな。」
羅針が味わうように、舌で転がしながら、鼻に抜けていく香りを楽しんでいた。
「私は、この甘味のあるビール、好きですね。ビールって言うとただ苦いだけってのも多いじゃないですか。もちろんそう言うのも良いんですけど、こういう、ジュースみたいなビールって良いですね。飲みやすくて、ドンドン進んじゃいそうです。」
平櫻が、半分近くを空けたグラスを見て、そう言う。
三人がビールを味わっていると、続々と料理が運ばれてくる。
まず到着したのは、ケイジャンサラダ。スパイシィな味わいの鶏肉が入ったサラダは、ビールとドンピシャだった。
タコとホタテの南米風マリネもこれまたスパイシィで美味い。どこが南米風かと聞かれると、良くは分からないが、とにかく味は良い。
こうして次々に運ばれてくる料理に、舌鼓を打っていると、いよいよアンガス牛のチャックアイステーキが届いた。
アンガス牛とはアバディーン・アンガスという肉牛の品種で、黒毛和牛よりも毛が黒く、角がないのが特徴で、やや小さめで丸みのある体型をしている。また、原産地がイギリスのスコットランド東部にある、アバディーンシャー州とアンガス州であり、13世紀頃から飼育の記録が残っている、歴史のある品種である。日本では1916年から飼育が始まり、徐々にその知名度を上げているようだ。
また、チャックアイとは肩ロースのことで、赤身とサシのバランスが絶妙で、柔らかくジューシーで、あっさりしていながらも旨味がしっかり感じられるのが特徴と言われている。
「このアンガス牛、なかなか美味いな。赤身一辺倒の海外産よりも適度にサシが入ってるし、かといって、和牛の霜降りのようにサシが入りすぎていないのも、ポイント高いな。」
羅針が一口味わってから、早速分析を始める。
「始まったよ。羅針の分析。」駅夫がからかうように言うが、一口食べると、「マジかよ、お前の言うとおり、この味はドンピシャだ。サシの具合が丁度良いな。鋤焼きとかなら、霜降りは大事だけど、ステーキはやっぱりこうでなくちゃ。」と言って、結局羅針に同意する。
「まったく、お二人は仲良いですね。」そう言って、微笑みながら、平櫻も一口運ぶ。「……本当に美味しいですね。確かにステーキはこれぐらいのサシが丁度良いかも。脂の甘味も良い感じだし、私もこれ好きです。」そう言って微笑み、平櫻は食べ進めていく。
テーブルの上の料理が粗方片付き始めた頃、漸くシカゴピザが届いた。
分厚いピザは、ピザと言うよりもホールケーキのようだ。
香り立つチーズが溶けた匂いは、腹が大分膨れているにもかかわらず、食欲をそそる。
三人は、切り分けられたこのケーキのようなピザに手を伸ばした。二枚というか二ホールのピザは全部で六人前にはなる大きさだが、先程来たパスタも半分以上を一人で食べた平櫻が、四人前を平らげていく。
「これがシカゴピザですか。ホント美味しいですね。チーズが利いているのは匂いからも分かりますが、外がカリカリ、中がふわふわで、まるでパンを食べているような、そんな感じですね。
このBBQの方は、具材がシンプルな分、味が勝負って言う感じで、モッツァレラチーズにBBQソースが良く合うんですよ。
こっちのシュリンプが載ったものは、見た目が鮮やかで、シュリンプの味で勝負してるのかと思いきや、ベースのベシャメルと上に掛かったアメリケーヌソースがこのシュリンプとマッチしていて、口の中に広がる芳醇なコクが良いですね。これなら、何枚でもいけそうです。」
平櫻が、二つのシカゴピザを食べ比べながら、感想を言う。
駅夫と羅針は、この分厚いピザが平櫻の口にドンドン消えていく様が、もう見慣れた光景となり、驚きはなく、流石だなと思って見ていた。
「まず、この厚さが信じられない。これをピザだって言ったら、何でもありのような気がするけどな。」
駅夫がそう言って、この分厚いピザにかぶりついた。
「そんな事言ったら、ピザまんとか、ピザ味の菓子とかの立場はどうなるんだよ。……とはいっても、これはどう見てもピザケーキって感じだけどな。……まあ、元々生地を深皿にして、そこに具材をたっぷり載せようって発想のピザだから、厳密にはケーキとは違うんだけどな。」
そう言って羅針は笑いながら、食べ進めていた。
「そうなんですね。これって深皿が原形なんですか。」
平櫻が聞く。
「そうみたいですね。発案者が誰とか、どこの店が始めたとかは諸説あるみたいですが、シカゴのどこかで深皿ピザとして、沢山の具材を載せて、ケーキ用やパイ用の焼き皿を使って作ったのが始まりみたいです。」
羅針がさっき調べたばかりの知識を披露する。
「それじゃ、厚いって言うより、縁を折り曲げたって言う方が正しいのか。」
駅夫が言う。
「まあ、そう言うことになるのかな。」
羅針も受け売りの知識であるため、何とも言えないが、そう言うことだろうと応えた。
「良く宅配ピザで、たっぷりの具材が載ってるのあるけど、あれをこれにしたら良いんじゃね。」
駅夫が勝手な発想を言う。
「だから、シカゴでこれを思い付いた人がいるんだろ。ただ、他の薄いピザが追随しないのは何かあるのかも知れないな。」
羅針も考察をしようとするが、何も思い付かなかった。
「この厚みという見た目が問題なんじゃないですかね。ピザって気軽に食べられるものですけど、これだけ厚いと、気軽に手で持って食べられないし、ナイフとフォークで食べる程のものは求めていないじゃないでしょうか。」
平櫻がそんな考察をする。
「なるほど。それなら、具材はそこそこでも気軽に食べられる薄いピザの人気が下がらない理由にはなりますね。」
羅針も納得する。
「まあ、俺は美味ければどっちでも良いけどな。」
駅夫は、結局身も蓋もないことを言って、場を笑わせた。
最後に三人の許に現れたのは、ソルベだ。いわゆる果汁を凍らしたシャーベットで、今日はブルーベリーのソルベだった。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がり、ピザでコッテリしていた口の中を洗い流してくれた。
三人はそれぞれに満足した。味も量も。