拾参之陸
旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、その煌びやかで、派手な佇まいの店の前に立っていた。
赤い文字で書かれた店名の上に、大きく〔食べ放題〕と書かれてあり、ここが目的の店であることが分かる。
店の入り口前には食べ歩き用のコーナーも設けられ、北京ダックや肉まん、スープにソフトクリームまで売っていた。まるで、「ここですべての中華を味わい尽くせ」と言わんばかりである。入り口に掲げられたメニューや食品サンプルたちは、三人を誘惑するかのように店の前で誘っていた。
看板の文字を見て、素っ頓狂な声を上げ、ワナワナと震えていた駅夫に、「ほら、入るぞ。」と羅針が一声掛けて、先に中へと入っていく。
入り口脇にある受付カウンターで、羅針が予約した者だと伝えると、二階席に案内された。
階段を上がるとそこは、まさに中華であった。装飾からテーブルに椅子、そして匂いに至るまで、すべてが日本ではなかった。しかし、漏れ聞こえてくるお客同士の会話が日本語なので、この場所が日本にあるということを、辛うじて思い起こさせた。
席は中華特有の円卓ではなく、四人掛けの席で、卓上にはいくつか基本的な調味料と食器、それにメニューとタブレットが置かれていた。
注文はすべてこのタブレットでおこない、冷たい飲み物やデザートなどは、室内備え付けのドリンクコーナーと冷蔵庫から自由に持ってくることが出来るようである。
ただし、食べ残しはペナルティがあり、持ち帰りも完全禁止であり、厳格なルールとなっている。
三人は席について、店員の説明を聞いた後、メニューを開いて早速注文する料理を選んでいく。
「さて、中華の専門と、食べ放題の専門の二人に、攻略方法を伝授いただこうじゃないか。」
珍味を食うと騙された挙げ句、食べ放題と聞かされた駅夫は、メニューを見ながら、反撃とばかりに、羅針と平櫻に詰め寄った。
「普通は前菜から、主菜、そしてデザートへって流れだけど、食べ放題のセオリーは違うんですよね。」
駅夫の言葉を受けて、羅針は通常のコースの流れを言って、平櫻に尋ねる。
「そうですね。……セオリーって程のことはないですが、よく言われているのは、まず、サラダや温かいスープなどで胃のウォーミングアップをします。それから、炭水化物類は避けて、高級食材など、値段の張るものから攻略していきます。決して元を取ろうと考えず、食事を楽しむことが、沢山食べるコツだと言われてますね。腹六分から七分位になってきたら、好きなものを食べて、最後に炭水化物で締めると良いと思います。途中にデザートを挟むと、口の中がさっぱりしたり、味覚が刺激されたりするので、良いなんて言いますね。」
平櫻は、今まで聞きかじって、自分でも実践している食べ放題のセオリーを披露した。
「すげぇな。マジでそんなセオリーがあるのか。でも、そんな計画的に食べなきゃいけないもんなのか。」
質問した駅夫が一番驚いていた。
「もちろん、無計画に食べても良いですよ。食事を楽しむという意味では、好きなように食べるのが一番ですから。でも、もし、旅寝さんが一品でも多く料理を味わいたいというのであれば、是非実践してみてください。」
平櫻がそう言ってにっこりと笑うと、駅夫は唸るように考えていた。
「そうは言うけど、入る胃袋の大きさは変わらないんだから、入れる順番が変わったところで、たいした違いはないと思うんだけど。」
駅夫が食い下がる。
「確かに、胃袋の大きさが物理的に変わらないのであれば、その考え方も一理あります。ただし、胃袋は中に入る食べ物だけでなく、精神的な影響も大きく受けるんですよ。
つまり、食べ方によっては胃袋の大きさが変わることがあるんです。胃に負担のかかる食べ物ばかり食べていると、逆に胃が縮こまってしまい、食べ物が入りにくくなったりします。また、精神的に重く感じると更に食べ物が入らなくなったりするんです。
それとは逆に、別腹と言われる現象がありますが、あれは、食べたいという気持ちが胃にスペースを作るために起こるんです。
胃って本当に不思議なんですよ。だから、プロのフードファイターは胃を鍛えるために、沢山食べることももちろんですが、精神修行をしたりするんですよ。」
平櫻はそう駅夫に説明する。
「つまり、食べ放題は、単に食べ物を詰め込むんじゃなくて、精神鍛錬の場でもあると言う訳か。」
駅夫が何かを納得したように言う。
「まあ、そう言うことですね。」
平櫻が頷く。
「よし、分かった。半世紀も付き合ってきたこの食わず嫌いを克服するためにも、やってやろうじゃないか。」
駅夫が何か、大袈裟に変な決意をし始めた。
「ところで、平櫻さん、他に何か注意すべき点はありますか。」
羅針は、やはり慎重派だ。変に勢い込んでいる駅夫とは違って、既に頭の中で色々と戦略を組み立てているのだろう。
「そうですね。……注意すべきは、飲み物ですかね。必要以上に飲まないことです。お茶や水が一番良いですが、流し込むようにしているとすぐにお腹が膨れてしまいますから、気を付けてください。後は、油ものや腹に溜まりやすいものは後半にすると良いと思います。まあ、無理なく楽しむのが一番ですから。楽しみましょうね。」
そう言って平櫻は注意事項を言った後、にっこりと二人に微笑みかけるが、その表情はどこか気負っているようで、緊張感が漲っていた。
「では、まずお茶ですね。何にしますか。色々あるみたいですけど。」
平櫻の言葉を聞いた羅針は、アドバイスに従って、タブレットに表示されたお茶を読み上げていく。
二人も、メニュー表を見て悩んでいたが、羅針がジャスミン茶、駅夫が普洱茶、平櫻は鉄観音茶にした。
そして、一品目はサラダ系ということで、クラゲの冷菜、海鮮サラダ、それとちょっと辛めの棒々鶏を前菜として、それに、フカヒレ入りのスープも併せて注文した。
「まずは、セオリー通りという訳だな。」
駅夫は顎に手を当てて、何かに納得したようだ。
散々二人に振り回され、何を食わされるか戦々恐々としていたのが、蓋を開けてみたら、高級中華も並ぶ食べ放題ときた。先程までの意気消沈した姿はどこへやら、今や食べる気満々になっていた。平櫻の食べ放題に関するセオリーが駅夫の心に火を着け、彼に変な決意をさせたのだ。
平櫻は、そんな駅夫の言葉を聞いてにこりとしながらも、すでに次のターゲットを決めるべく、メニューを吟味していた。平櫻としては、食べ放題は自分のテリトリーである。羅針は自分に期待してここに連れてきてくれたのだろうから、失望させる訳にはいかない。
自分の役割は、数多く食べること、そして、二人に色んなメニューを楽しんで貰うこと。大飯喰らいの本領をここで発揮しないでいつ発揮するというのだ。もし、数多くの中華を定額で頼んだとしたら、いくら掛かるか分かったものではない。だからこそ、自分が数を食べ、二人には楽しんで貰う。
そんな思いから、気負う気持ちが勝り、どうしても緊張する心をなんとか落ち着けようと、深呼吸をして次に注文する料理を決めていく。
「やっぱり北京ダックはいかれますよね。」
平櫻が二人に確認する。
「もちろん。」
二人は声を揃えて頷く。
「星路さん他に高級食材はどれになりますか。」
平櫻は、セオリー通りこの後は高級食材狙いで行くと言うことなのだろう。
「まずは、そうですね。北京ダックとフカヒレ、それからここにある冬虫夏草の花なんかも高級食材になりますね。あ、ちなみにそのロコ貝っていうのは美味しいですけど、アワビの代替食材になるんで、少し安くなります。」
羅針が一通りメニューを見て、この三つを高級食材として挙げた。
「ちょっとまて、その冬虫夏草って、虫に寄生して出来るって言う茸の、あの冬虫夏草か?」
駅夫が耳聡く聞き取り、羅針に聞く。
「あの冬虫夏草だよ。滋養強壮に利くっていうあれな。
一番高級なのは、標高三千から四千メートルの高山地帯に生息する蝙蝠蛾の幼虫に寄生するものらしいけど、まあ、そう簡単に手に入るものじゃないからな。」
羅針が説明する。
「そういうものなんですね。良く名前は聞きますけど、そこまで高級なものだとは知りませんでした。でも、そんな高級食材を食べ放題で使うんでしょうか。」
横で聞いていた平櫻が、何か文句を言い出そうとしていた駅夫を差し置いて、疑問を呈する。
「もちろん、こういうところで出されるのは、そんな超高価な、グラム当たり何万もするような高級品や特級品とは違って、安価な人工栽培ものか、薬効があまり期待出来ない種類のものだったりしますよ。名前に釣られると、偽物を掴まされるってこともあるから気を付ける必要があるんです。
薬効がないだけならまだしも、人体に有毒なもので偽装した偽物が流通したなんて話も聞きますから、本当に気を付けなきゃいけないんですよ。まあ、素人にははっきり言って見分けは付かないし、錠剤や粉剤、液剤になってしまったら、そもそも見分けるなんて無理ですから。素人の私たちは信用するしかないんですよ。
この店が偽物を使うってことはないでしょうが、最高級品とは程遠い次級品、三級品が使われていると思いますので、それ程高価ということもないとは思います。ただ、高級食材には変わりませんので、それなりの値段はしますから、この中では高級食材に分類しても良いと思います。」
羅針がそう言って、平櫻の疑問に答える。
「分かりました。では、それを片っ端から頼みましょう。お二人とも好き嫌いないですよね。」
平櫻はそう言って、高級食材に羅針が選んだ三種類、北京ダック、フカヒレ、冬虫夏草の花の入った料理を注文するように頼んだ。
平櫻は先程の深呼吸で、完全に戦闘モードに切り替わることが出来たようだ。特に食べず嫌いをする駅夫にプレッシャーを掛ける。
「もちろん。食べられるよ。何でもござれだ。こうなりゃ、珍味でも何でも来やがれってんだ。」
駅夫は完全に感化され、さっきまでとは打って変わって、何でも食べると息巻いている。完全に覚悟を決めたようだ。
羅針は、そんな二人を見ながら、冷静にタッチパネルで注文をしていく。一回の注文個数が決まっているため、料理が来るまではクールタイムである。そのため、次に注文する予定のものを、スマホにメモをしておくことも忘れない。
平櫻に依ると、注文の順番があるようなので、その順番通り待機させるためだ。そして、ここでは羅針の知識が活きてくる。注文から料理の出来上がる時間を計算し、食べる順番に丁度来るように、調理に時間の掛かるものは早めに、提供の早そうなものは後回しにするのだ。
簡単に言えば、火を入れるものは時間が掛かり、盛り付けだけで済むものは時間が掛からない。だが、それだけではない。下準備がどこまで進んでいるかによっても大きく変わってくるし、調理方法によっても大きく異なってくる。
たとえば北京ダックは、ダックを一匹丸々焼くため、一から作ると相当な手間暇が掛かる。しかし、注文が入ってからダックを焼き始めるのでなければ、基本、切り分けて盛り付けるだけだから、然程時間は掛からない。スープ類にしてもそうだ。材料から火入れを始めていたら、それこそ提供まで何時間掛かるか分からない。しかし、出来上がっているものを温め直すだけなら、これも然程時間は掛からない。
逆に、どうしても時間が掛かるものは、炒め物や揚げ物の類いである。作り置きが出来ないため、一から作る必要がある。たとえ下ごしらえが済んでいたとしても、それなりに時間が掛かってしまう。
そういう料理の基本と、中華の知識が、このオーダー表を作成するのに、威力を発揮するのだ。羅針は、こうしてスマホに打ち込んだオーダー表を、平櫻と確認しながら決めていった。
まずは、三人それぞれ注文したお茶が届いた。茶葉の入った茶器にお湯が入っており、自分で注いでいくスタイルだ。三人は、まずお茶で喉と胃を潤し、臨戦態勢を整えると、食べ放題開始のゴングが鳴り響いた。
次に運ばれてきた、クラゲの冷菜と海鮮サラダでウォーミングアップをする。そして、フカヒレのスープで更に胃を温める。
羅針は休む暇なく、料理が来ると次の料理の注文をしていく。
出てきた料理は確かに美味い。味もさることながら、食材への手抜きが一切感じられない。食べ放題の店では、大抵調理は二の次、とにかく量をという店が多い中、この店は違った。
だが、羅針が感じることが出来たのは、そこまでだ。いつもなら、一品一品味わいながら、この味がどうだ、この食材がどうだと分析しながら食べ進めていくのだが、今はそれどころではない。味わっている場合ではなく、出されたものを胃に運ばなければならないからだ。
羅針がそんなことを考えている一方、平櫻は、一応テーブル全体が映るように動画を回し、食べながらも胸元のマイクに向かって食レポを欠かしてはいない。
「このクラゲの冷菜は、まず見た目が良いですね、透明なクラゲが綺麗です。食べてみると、このコリコリ感が良いですね。メニューには確か広東料理とありましたが、あまり中華に詳しくはないので、その違いは良く分かりませんが、本場の中華料理という味わいがします。食べ放題の前菜としては、胃にも優しく、ウォーミングアップにはもってこいですね。」
などと、もの凄いスピードで出されたものを口に運びながらも、もごもごすることなく、レポートしていくのは、流石プロと言ったところか。
そして、駅夫はそんな二人を他所に、ひたすら目の前の料理を口へ運ぶことに専念していた。平櫻のセオリーを忠実に守り、これこそ究極の修行であるとばかりに、修行僧のように「美味い。美味い。」と念仏のように唱えながら、無心で口へと運んでいた。
「星路さん、中華料理について、色々教えて貰えますか。」
平櫻が、動画のネタにでもしようと思ったのか、羅針に尋ねてきた。
「良いですよ。中華料理には中国四大料理といわれる、北京、上海、広東、四川の料理があるんですが、この店で出しているのがまさにこの四種類ですね。」そうやって、羅針は説明を始めた。
北京料理は北方民族にルーツをもつ料理と、宮廷料理に由来するものがあり、豪華で繊細な料理が多く、香辛料は控え目なものが多い。羊料理が多いのも特徴と言える。
上海料理は、甘味とこってりとした味が特徴で、醤油や砂糖を多用し、煮込み料理や蒸し料理が多くある。川魚や川蟹など、淡水系の水生生物を使うのが特徴とも言える。
広東料理は、新鮮な食材を活かし、調理方法が多岐に亘る。種類が豊富なためか、中華料理というと広東料理を指すことも多い。軽くて、さっぱりと食べられるものも多いが、炒め物や、蒸し料理が多いのも特徴と言える。点心と言えばやはり広東料理の右に出るものはないだろう。
四川料理は、辛さと香りが特徴で、唐辛子や花椒を多用する。独特の辛味と痺れである〔麻辣〕が魅力の料理が多い。内陸部であるため、肉や野菜をふんだんに使ったものが多いが、やはり他の料理と一線を画す辛さは類を見ない。
もちろん、中華料理はこれだけではない。大陸ではこの他にも地方毎に特徴のある調理法があり、また、少数民族毎に独特の料理もある。更に台湾にも独自の料理は数多くあり、世界に散らばった華僑に至っては、現地の料理と融合した、もはや中華と呼べるのかとも思われる料理を編み出しているケースもあり、その種類は無限にあると言っても良い。
「ざっと、こんな感じです。ちなみに日本では、中華料理と中国料理、それに町中華ってジャンルがありますが、厳密に言うとそれぞれ違うものを指すんです。
中国料理というのが、まさに先程言った、四大料理を中心に中国で生まれた本場の料理です。これに対し、中華料理というのは、その中国料理を日本人の口に合うようにアレンジしたり改造したりしたものになります。焼餃子やラーメンなんかは、ここに入ります。そして、町中華は、完全に日本人向けの中華で、日本発祥の中国風料理を指します。たとえば天津飯やエビチリ、冷やし中華なんかが町中華に当たりますかね。」
羅針がざっと、中華料理について説明した。
「そんなに細かく分類されるんですね。それに、天津飯とかエビチリって日本発祥だったなんて、初めて聞きました。」
平櫻は、料理を次々に口へ運びながら、羅針の話を熱心に聞いて、感心していた。
「ちなみに、丸い円卓と回転テーブルも実は日本発祥なんだよ。」
駅夫が横から口を挟み、長崎で羅針から聞いた豆知識を披露する。
「そうなんですか。だって、香港映画とかでも良く見るじゃないですか。てっきり向こうのものだと思ってたんですが、中国にとっては逆輸入だったんですね。」
平櫻は更に驚いていた。
「そうなんですよ。1932年に東京の目黒にある高級中華店の創業者が開発したんですよ。中華って基本取り分けて食べるじゃないですか、でも、日本人にはその取り分ける習慣がなくて、難儀していたので、給仕が付きっきりにならなくても済むようにって考え出されたのが、回転テーブルみたいですね。」
羅針が更に知識を披露する。
「へえ、発明された年まで分かってるんなんて、凄いですね。」
平櫻は驚いてばかりだった。
「また、羅針に上行かれちまったよ。」
折角ドヤ顔で豆知識を披露したのに、いつものこととはいえ、すぐさま羅針にマウントを取られ、少しがっかりし、駅夫は再び料理を食べることに専念した。
さて、前菜を制した三人はというと、食べた端から注文していくので、テーブルの上には常に料理が並んでいた。この辺りは羅針のファインプレーと言ったところだろう。
北京ダックから始まり、フカヒレの姿煮、フカヒレの玉子炒め、フカヒレの海鮮炒め、冬虫夏草の花入りのフカヒレスープ、などなど、高級食材で攻めていく。
どの料理も手抜きはない。北京ダックはしっかりと焼かれ、ネギと胡瓜を皮で包んで食べるスタイルも変わらないし、付ける味噌も深みのある味わいである。フカヒレの姿煮に至っては、食べ放題で出てくるクオリティではない。とろみのあるスープに浮かんだフカヒレが、舌の上でパラパラと解けていくのは最高の食感である。味付けも良い。醤油ベースに深みのある濃厚なスープは、胃に染み渡っていくようである。
こんな、そう簡単に手が出ない料理が、食べ放題の手軽な値段で味わえるのだ。然程量がないといっても、そこは量より種類が生命の食べ放題である。食べたければ、再度注文すれば良い。とにかく、平櫻と羅針がタッグを組んでオーダー順を決めていく。言うなれば、平櫻監督と、その指示を的確に捌いていく羅針キャプテンのような関係だ。そして、選手である駅夫は、ひたすら出されたものを胃袋に収めていくだけだ。
駅夫は、まるで自分に言い聞かせるかのように、ひたすら「美味い、美味い……。」を連発し、羅針はそれに対し、「一品の量はセーブしろよ。この後、これだけの料理が来る予定だからな。」そう言ってスマホにメモしたリストを見せる。
平櫻頼みの戦略に、羅針は少し罪悪感を覚えはしたが、嬉々として料理を口に運んでいる平櫻を見ると、そんな罪悪感も薄れていった。
この三人の中で、やはり頼りになるのは平櫻である。伊達に大飯喰らいを標榜していない。羅針と駅夫が自分の分を取り分けると、残りはすべて平櫻が平らげていく。そのスピードはまるで、フードファイターのようである。駅夫と羅針が取り分けた二口三口分を食べ終わる間に、残りの分を平らげていく。決してガツガツしている訳ではない。涼しい顔をして、食レポを熟しながらであるから、二人は驚きの表情で平櫻を見てしまう程だ。
一通り高級食材を注文し、満足いった三人は、食べたいものをここからは選んでいく。
駅夫は回鍋肉や油淋鶏、豚の角煮など馴染みのある料理を、羅針は宮保蝦仁(海老とカシューナッツの辛味炒め)、魚香茄子(茄子の辛味炒め)、四川麻婆豆腐など中華街でしか味わえない本場の四川料理を、平櫻はとにかく目に付いたものを次々にオーダーしていった。
平櫻は、間にデザートを挟みながら、出てくる料理を次から次へと胃袋に収めていく。すでに注文した料理は30種を越え、このままいけばメニューを全部制覇するのではという勢いではあるが、そのゴールはこの5倍以上であるから、それは叶わない。
だが、それでもここまでの客は珍しいのか、料理を運んでくる店員も、何かを言いたげな顔で料理を置いていく。
駅夫と羅針も、二口三口ではあるが、すべての料理に手を着けていた。だが、流石にもう苦しくなってきたのか、弱音を吐く。
「羅針、どうだまだいけるか。」
駅夫が息も絶え絶えと言った風に、羅針に聞く。
「だいぶ来てるな。まだ、もう少しいけそうだけど、だいぶキツい。」
羅針も腰のベルトを緩めながら、大きく息を吐く。
すると平櫻が、「お二人とも、もしお腹が苦しくなったら、一回立ち上がると良いですよ。それで、身体を上下に揺らすんです。そうすると、少し楽になりますから。それと、そこのデザートを取りに行くついでに、脚を動かすのも良いと思いますよ。」と言った。
駅夫と羅針は、言われたとおり椅子から立ち上がり、身体を上下に揺らしてみたり、デザートを取りに行ったりして、身体を動かした。すると、今まで腹一杯に感じていたのが嘘のように軽減され、まだ食べられそうな気がしてきた。
「確かに、少し楽になった。これなら、もう少しいけそうだな。」
駅夫が自分の腹を擦って言う。
「ああ、大分楽になった。こんなことで、ここまで変わるんだな。」
羅針も腹に手を当てて、驚いたように言う。
「でも、もう、そうなったらフィニッシュですね。慣れない人がこれ以上無理すると、胃を痛めますから。
後は、クールダウンのために炭水化物です。麺でも、御飯でも、餃子でも、お好きなものでお腹を整えてください。これをしておかないと、身体に負担が掛かりますから、しっかりと入れておいてくださいね。腹八分目じゃなくて、腹九分九里目です。一杯になるちょっと手前で終了にしてください。」
平櫻が最後に炭水化物を入れるように注意喚起する。
平櫻が聞いたところに依ると、最後に炭水化物を入れるのは、血糖値の急激な上昇を抑えるためだけでなく、食後も急激な空腹感に襲われないよう、満腹感を持続し、消化不良などを防ぎ、正常な消化をおこなうためらしい。真偽の程は分からないが、こうするようになってから、大量に食べても胃が楽なのは確かなので、平櫻はずっとこれを実践している。
駅夫と羅針が脱落し、レタスチャーハンと水餃子を頼んでいたが、平櫻はラストスパートとばかりに、肉料理をいくつかと、これまで避けてきた揚げ物をいくつか食べてから、ネギそばに焼餃子、それとおこげで締め括った。それこそ、平櫻にとっては腹八分目にも到達していないのだが、自分の役目は終わったのだと、ここでゴールテープを切った。
三人は最後の口直しにマンゴープリンと杏仁豆腐で締めた。
平櫻はまだ余裕があったが、駅夫と羅針は完全にノックアウトで、テーブルの上に頭を載せて突っ伏していた。
「こんなに食ったのはいつ以来だ。」
駅夫は腹を擦りながら言う。
「覚えてねえよ。でも、この店には一度来てみたかったんだよ。ずっと気になってたから。でも、今日でもう満足した。食べたいものは、ほぼ食べ尽くしたし。平櫻さん。本当にありがとうございます。お陰で、長年の夢が叶いました。こんなに腹一杯、それも色んな種類の中華料理を食べられたのは、平櫻さんのお陰です。ありがとうございます。」
羅針はテーブルから顔を上げて、そう言って頭を下げるが、やはり苦しいのか、腹をさすりながら、お茶を飲む。
「どういたしまして。お役に立てて本当に良かったです。また、来ましょうね。」
平櫻はそう言ってにこりと笑う。ベルトを緩めた平櫻のお腹は明らかに膨らんでいたが、彼女自身はまだ余裕のようだった。
「いや、もう暫くの間、中華は勘弁して。」
駅夫がウンザリしたように言う。
それを聞いて、羅針と平櫻は笑った。
三人は暫く余韻に浸りたかったが、そろそろラストオーダーだと言われ、綺麗に食べきったテーブルを見て、タブレットから清算ボタンを押す。
店員がテーブルに来て、食べ残しがないことを確認すると、「お姉さん凄いね。」と舌足らずな中華訛りで、平櫻を褒めた。
平櫻は「謝謝。」とこちらも舌足らずな中国語で応えていた。
三人は、会計を済ませ、店を後にした。
腹一杯に食べた三人は、別の意味で脚が重かったが、潮の香りが混ざる夜風に吹かれながら、ホテルへと向かって歩き始めた。
戦いを終えた三人に、夜風が心地よかった。