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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾参話 関内駅 (神奈川県)
122/182

拾参之伍


 港の見える丘公園で、陽が沈みゆく横浜港を眺めていた旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、すっかり暗くなった公園を、横浜中華街の方へ向けて歩き出した。


 先程まで観光客の大声が飛び交っていたが、今はすっかり静かになり、時折ベンチで休むカップルが愛を育んでいた。その後ろに茂る木立の中では、小鳥たちが夕飯の準備に忙しなく飛び回る声が聞こえてきた。


 愛に満ちた公園の中を照らす街灯に導かれるように、三人は階段を一つ一つ降りていく。

 さっき広場で、駅夫が標高アプリを使って計測した値は38mだった。単純計算でも150段はあることになる。上りでないだけまだマシである。


 街灯の明かりだけを頼りに、三人は公園の入り口手前の広場まで降りてきた。

「平櫻さん、他に寄りたいところはありますか。」

 羅針が最後に平櫻に確認する。

「はい。もう大丈夫です。お時間頂きありがとうございます。凄く楽しめました。」

 平櫻は公園の入り口でちょっとがっかりはしたが、憧れの街を散策出来たことに満足していたし、最後の最後に綺麗な夕陽を見ることができたので、嫌な思いはすっかり消え去っていた。


「それは良かったです。私たちも楽しかったです。……それじゃ、この後は中華街で食事をしてから、ホテルに戻りますね。20時にお店を予約してあるので、まだ少し余裕はありますが、遅れるといけないので、急ぎましょうか。

 駅夫、この後中華街で食事な。一応店予約してあるから、急ぐぞ。」

 羅針が平櫻と駅夫にそれぞれ言って、平櫻に替わり今度は羅針が先導した。


 羅針は公園の入り口を下まで降りず、脇にある歩道橋へと進んでいった。その後を何も分からずに、駅夫と平櫻は付いていく。

 この歩道橋は首都高の下を、中村川を渡るように架けられており、水町通りへと抜けられるようになっていた。


「こんな裏道をよくご存知ですね。」

 平櫻が感心したように言う。

平櫻が元町を調べていた時に見た地図では、中華街はもっと北西の方だったと思ったのだが、真っ直ぐ北進してきたので、こんな道をよく知っているなと思ったのだ。

「ここは、若い時分に良いバーを見付けましてね。

 実は、この水町通りは、山下町が外国人居留地だった頃に、水道管が敷設されたことからこう呼ばれたらしいんですが、ただ、見ての通り落ち着いた雰囲気があって、隠れた名店が何店舗かあるんですよ。酒を楽しみたい人には通好みと言われる場所にはなっているんで、だからじゃないですけど、()町通りって言われてるんだ、なんて言う人もいたりするんです。」

 羅針が今歩いているこの水町通りの話を、冗談を交えてする。

「星路さんは良く来られるんですか。」

 平櫻が興味深そうに聞く。

「たまぁに来ますよ。と言っても数年に一回ぐらいですね。なかなかゆっくりと酒を楽しむ時間がないですからね。酒を頼んで、独りの時間を楽しむなんて贅沢は、この歳になるとなかなか出来なくなりましたから。若い頃は背伸びして、良くこういうところで飲んだりしてたんですけどね。」

 羅針はそう言って照れ臭そうに笑う。

「そうなんですね。お洒落ですね。私にはハードルが高そうです。」

 平櫻はそう言って羨望の眼差しで羅針を見た。

「そんなことないですよ。平櫻さんもちょっと着飾って入ってみると良いですよ。きっと画になりますから。それに、マスターは案外気さくに応じてくれますし、ビシッとスーツを着たOLさんが、独りで飲んでることも良くありますから、ハードルは然程高くないと思いますよ。」

 羅針がそう言って勧める。

「そうなんですね。それじゃ、今度挑戦してみます。もし良かったら星路さん連れて行ってくださいね。」

 平櫻がお願いする。

「私がですか。まあ、別に構いませんが、彼も一緒になら。」

 羅針はそう言って、後ろをキョロキョロしながら歩いている駅夫を指す。

「もちろん構いませんよ。」

 平櫻は二つ返事で応える。


「何だ、俺がどうかしたか。」

 駅夫が話を聞いてなかったのか、指を指されたことに気付いて話に入ってきた。

「何でもないよ。今度飲みに行こうって話。」

 羅針が応える。

「ああ、飲みか。もちろん良いよ。」

 駅夫も二つ返事で応じた。

「じゃ、明日の夜にでも如何ですか。」

 羅針が平櫻に聞く。

「えっ、明日ですか。心の準備が……って、いらないんですね。」

 平櫻は言いかけて、首を横に振る羅針の表情を見て言い直した。

「そう、思い立ったが吉日って言いますから。」

 羅針はそう言って笑った。

「着ていく服なんてないですよ。」

 平櫻はそれでも食い下がる。

「大丈夫。観光客なんですから、小綺麗にしていけば、何の問題もありませんよ。ドレスコードがある訳じゃないですから。」

 羅針がそう言って、平櫻を後押しする。

「分かりました。それじゃ、よろしくお願いします。」

 平櫻は、覚悟を決めたように言った。


 三人は水町通りから中華街の朝陽門ちょうようもんへ向かう通りで左折する。

 遠くに見える朝陽門は、夜の賑わいを見せる中華街の入り口で燦然と輝いていた。


「夜の中華街も煌びやかですね。」

 大通りで信号待ちをしている時に、平櫻が近くで見るその門のあまりの美しさに感嘆していた。

「そうだね。ホントに綺麗だ。」

 駅夫もその美しさに感嘆している。

「朝陽門ですね。」

 羅針にとってはいつも見ている光景で、然程感動は起きないためか、二人に向かって朝陽門の説明を始めた。


 この朝陽門は牌楼ぱいろうと呼ばれる独特の門で、中華街には10基の牌楼が存在する。そのうち東西南北を守る門のうち、朝を守り、春を守る門として重要な役割を司っているのがこの朝陽門である。

 ちなみに、昼間見た西側に建つ延平門は夕方と秋を守る白い門である。

 朝陽門の屋根に当たる楼頂ろうちょうは青い瓦が使われ、青色を基調にした楼柱ろうちゅう花板かばんには多くの龍が装飾されていて、これは、四方を司る神獣である、青龍せいりゅう朱雀すざく白虎びゃっこ玄武げんぶの四神のうち、東の守護神が青龍であるためだ。

 日本で言う扁額に当たる牌匾ぱいへんには金色の文字で中華街と大きく書かれ、ここから先が中華の街であることを示している。この牌匾の裏には、朝陽門の文字が書かれているが、もちろんこちらから見ることはできない。

 

 煌びやかな門の下を多くの人々が行き交っていた。

 羅針は、いつもの通り賑やかな街だと思う。

 駅夫は、中華独特の雰囲気に、羅針の好きそうな街だと思う。

 平櫻は、海外へ来たかのような錯覚を覚え、心躍ると共に、気を引き締めた。


「日本国内だから治安は問題ないけど、スリと置き引きだけは気を付けてください。ここは日本でありながら、日本ではありませんから、いつも以上に注意を払ってください。」

 羅針はそう言って特に平櫻に向かって注意を促した。どこの観光地へ行っても同じことなのだが、気が緩んだ観光客を狙う悪漢はどこに潜んでいるか分からない。ここ中華街もそれは例外ではない。むしろ普通と違う雰囲気に普段注意していることが出来なくなるのだ。

 羅針一人なら自然と貴重品に神経を張り巡らし、怪しい人物に目を光らせながら街歩きを出来るので、特に問題はないのだが、駅夫と平櫻の二人には慣れない街である。何かあると困るので、注意しすぎることはないのだ。

 羅針の注意喚起を聞いて、二人とも今一度貴重品の確認をし、羅針を真似てリュックを背中からお腹側に移した。

 駅夫には常日頃から財布の中身、仕舞う場所、荷物の持ち方等々、観光地での注意事項を事ある毎に羅針が喚起しているので、流石にそのあたりは心得たものだが、一方平櫻の方はと言えば、やはり国内旅行ばかりが多いのだろう、日本では問題なくても、羅針から見ると少し危なっかしい部分は見て取れた。しかし、ここは一応日本国内だ、そこまで厳密にすることはないだろうと、特に気をつけるようにだけ言って、及第点を出す。


 三人は朝陽門の前で、記念撮影をし、写真や動画を撮影したあと、開港通りを進む。

 朝陽門から中華街に一歩入ると、まさにそこは中華圏である。街の雰囲気からして違うのだ。ただ、中華街だからと言って、すべてのお店が中華の店ではなく、大手の喫茶店チェーンや、オフィスビルのようなものも散見される。

 しかし、開港通りから中華街大通りへと入っていくと、そこは完全に中華圏だった。

 独特の匂いが其処此処から漂ってきて、この街の匂いを形成している。龍が飛び、鳳凰がおどり、吉祥紋が鏤められ、更に、赤い装飾が目立つ街並みは、どこか派手さがあり、煌びやかである。赤は幸運の象徴であり、悪霊退治の効果があるとされる色なので、どの店にも赤い色をした装飾が飾られるのである。

 夜の中華街は、昼間以上に煌びやかで、電飾が光り輝き、中華独特の装飾を夜の街に浮かび上がらせていた。


 三人はその独特な雰囲気のある通りを、人混みを掻き分けて進んでいく。流石に春節時期の人出には及ばないが、それでもその6から7割程の人出であり、混んでいることに変わりはない。

 舌足らずな中華系訛りの呼び込みが其処此処から聞こえ、時折中国語が飛び交う。

 中国語と一括りに言っても、中華圏は広いため、北京語、上海語、広東語、台湾語と大きく分けてもそれだけある。それに加えて方言があり、更に言えば中国本土だけで55の少数民族、台湾には16の原住民族がいるとされ、それぞれの民族で言語を持つため、その数は把握出来ないほどに膨れ上がるのだ。

 日本語で言えば、アイヌ語、津軽弁、標準語、沖縄弁ぐらいの違いはあり、当然互いに通じることはないのと同じようなものである。

 この中華街でも、聞こえてくる中国語は羅針が話せる北京語よりも、広東語や台湾語系の言葉が多く、羅針にとってはすべて聞き取れる訳ではないが、それでも慣れ親しんだ言葉は、何となく耳心地良い。


 高校時代から、中国語の練習に通ったことを羅針は思い出していた。

 広東語や台湾語があることも知らなかった羅針は、拙い北京語を駆使して、店員と会話を試みた。しかし、実力がないために通じないのかと思いきや、広東人や台湾人、はたまた日本人だったりして、そもそも北京語自体が通じないこともあったのだ。そんなときは、仕方なく、共通語である日本語で遣り取りする羽目に陥るのだ。

 そんなことにもめげず、北京語を話す店員を探しては、会話を試みた。羅針にとっては、血の滲むような努力だった。人と接すること自体が恐怖だったのだから、その苦労は人並み以上だった。しかし、羅針はとにかく中国語を話せるようになるという目標に向かって、無我夢中だったのだ。そうして、まさに生きた言葉、生の中国語を学んだのである。

 こんな話は駅夫にもしたことはない。羅針の心の中にある懐かしくも、苦しい思い出だった。


「あの店は前来た時行ったよな。」

 駅夫が懐かしそうに、路地に少し入った一軒の高級中華店を指した。駅夫とは二度程来ていて、前回から既に数年経っているので、懐かしそうだ。

「それにしても、凄い人ですね。」

 平櫻は、長崎の中華街には良く行くようだが、横浜は初めてのようで、あまりの規模の違いに驚いていた。

 めぼしい人気店はどこも行列が出来ていた。その熱気は、確かに長崎の中華街に行った時に感じることはなかった熱気であった。


 久々に来た横浜中華街は、羅針にとっては懐かしい思い出が其処此処に詰まっていた。もちろん新しく変わったところも多々あるが、初めて中華街を訪れた時に入ったお粥屋も健在だったのは、嬉しい気持ちと、安心感を覚えた。


「この店はお粥専門でね、高校時代初めて中華街に来た時に、入ったお店なんですよ。学校の先生に連れてきて貰ったんですが、初めて食べた中華粥の味に驚いたのを、今でも鮮明に覚えてます。」

 羅針が懐かしそうに、平櫻に説明する。

「どうして、学校の先生に連れてきて貰ったんですか。」

 平櫻が聞く。

「当時必修クラブの授業で中国語クラブを選択してたんですけど、その時の先生がクラブ参加者全員を連れて来てくれたんです。中華圏の雰囲気を体感したり、生の中国語を使う機会を得るためだったりっていうことでした。パスポートのいらない超短期留学ですね。」

 そう言って羅針は当時を懐かしみながら笑う。

「へえ。良い先生ですね。」

 平櫻が感心したように言う。

「お陰で、すっかり中華圏の魅力に取り憑かれてしまって、今や中国語で飯を食うまでになってしまいましたから。あの先生には感謝しかないですけどね。」

 羅針が言う。

「お前、中国語始めたのって、それが切っ掛けだったのか。」

 駅夫が驚いたように言う。

「あれ、言ってなかったっけ。」

「いや、高校の時に初めて中華街に来た話は知ってる。でも、中国語を始めた切っ掛けは初耳。」

 駅夫が言う。

「そうだっけ。その先生が俺のこと心配してくれてさ、まあ、ほら、色々あったから。それで、中国語でもやれば日本人とは合わなくても、価値観の違う人たちなら話も合うんじゃないか、みたいなことを言われてさ。」

 羅針が、少し言い出しにくそうに駅夫に言う。

「そうか、それでか。本当に良い先生に出会えたんだな。」

 駅夫が自分のことのように嬉しそうにする。

「まあな。俺にとっては恩人だな。なにせ、人生の方向を決めて貰ったんだから。」

 そう言って、羅針も少し嬉しそうに、恩師を懐かしむ表情になった。


 平櫻は、そんな星路を見て、こんな物知りで、そつなく色々と熟す人に、昔何があったのか気になった。旅寝は星路がコミュ障だと言うが、その片鱗はほとんど見られないし、歳下の自分との会話が敬語になっていることに違和感を覚えるものの、話が出来ない場面と言うのを見ることはないのだ。

 もし、星路が本当にコミュ障で、それを克服するために努力を重ねてきた結果が、今の星路だとするならば、どんな人生を歩んできたのか、想像を絶する苦労であり、平櫻としても気になるところではあった。

 しかし、人の過去である。そう簡単に話をして貰えるはずもないことは、平櫻でも分かる。今のように断片的に知るしかないのだろう。いずれ、もう少し仲が深まれば、詳しい話をしてくれるかも知れないと、期待をしながら、二人の話を聞いていた。


「で、今日の晩飯は、どこにするんだ。まさか、ここのお粥じゃないだろ。」

 駅夫が聞く。

「ああ、ここのお粥は最高に美味いけど、晩飯にはならないからな。まだこの先だ。」

 羅針が勿体振る。

「何だよ、勿体振るなぁ。平櫻さんは聞いてるの?」

 羅針では埒が開かないと、平櫻に矛先を向ける。

「ええ、まあ。……でも、内緒です。」

 羅針の顔色を見ながら、そう言って平櫻はにこりと笑う。

「また、その眩しい笑顔だよ。その裏で何を企んでるか分からないのが怖いんだよな。」

 駅夫は、悔しそうに言う。

「大丈夫だよ。たぁぁっぷりの珍味がお前を待ってるから。」

 羅針が横から脅すように囁く。

「マジかよ。また珍味攻めかよ。……ちょっと待てよ、中華の珍味って、あの四本脚は椅子以外、飛ぶものは飛行機意外なんでも食うっていう中華の珍味ってことだろ?!マジかよ。」

 羅針の言葉を聞いた駅夫は、一挙に顔を真っ青にして、額に汗を浮かべ、絶望の表情になっていた。

「分かってるよな。食べないという選択肢はないからな。食べないと中華圏の人に失礼だからな。」

 羅針が笑いを堪えて、更に追い打ちを掛ける。

「分かってるよ。地元の珍味は尊重しなきゃだろ。分かってるよ。分かってるって。」

 自分に言い聞かせるようにそう応えるが、それでも、完全に駅夫は恐怖に満ちた顔になっていた。

「旅寝さん大丈夫ですよ。きっと美味しいですから。食べればきっと満足しますって。」

 平櫻が駅夫を慰めようとする。

「……それ、慰めになってないからぁ。」

 駅夫が、平櫻の言葉を聞いて、情けない声を出し、肩を落とす。

 それを聞いた、羅針が堪えきれずに声を出して笑い出し、つられて平櫻も笑っていたが、駅夫だけは、世界が終わったような顔をしていた。


 三人は中華街大通りをひたすら進んでいく。美味そうな匂いが三人の行く手を阻むが、心が折れた駅夫は、別の意味で完全に脚が重かった。更に羅針が、匂いの元であるその点心の解説を加えるものだから、余計に歩みが遅くなる。

「旅寝さん、急がないと予約に間に合いませんよ。」

 平櫻がそう言って、先を促すが、駅夫の重い足は一向に速くはならなかった。


 駅夫にとってはショックだった。二人が絶賛していた上海蟹は季節違いでおじゃんになり、それならば、以前羅針に連れてこられた高級中華の味を楽しめるのかと思ったら、ゲテモノ、いや、中華の珍味だと言う。

 確かに駅夫は食わず嫌いである。羅針のせい、いや、お陰でだいぶ克服してきたが、それでも、苦手なものは苦手なのだ。話を聞くだけで、汗が噴き出てくるぐらいには。

 そんな気持ちでは、この煌びやかな中華街の賑わいも目に入らなかった。

 羅針と平櫻は美味そうな点心の匂いにつられ、立ち止まることもあったが、駅夫はそもそも脚が重かった。

 平櫻に促される度に、情けなくなるが、半世紀も前からこうなのだから、今更そう簡単に治るはずもない。

 楽しげに歩く羅針と平櫻、それに周りの観光客を、駅夫は恨めしそうに見ながら、二人の後をとぼとぼと付いていった。


 そんなこんなで、漸く中華街の象徴とも言える善隣門ぜんりんもんに到着する。

「星路さん、あそこの扁額には〔親仁善隣しんじんぜんりん〕と書かれていますけど、先程の朝陽門の説明だと、裏には門の名前が書かれてるんですよね。なんで、善隣門と書いてないんですか。」

 平櫻が、羅針に尋ねる。

「この〔親仁善隣〕という言葉は、〔仁に親しみ隣にくするは国家の宝なり〕という、春秋戦国時代の歴史書にある一節なんです。元々この牌楼が中華街で一番初めに建てられたんですけど、華僑と日本人が力を合わせてこの街を発展させようという願いを以て、善隣門としたらしいんです。この門は、1989年に建てられた二代目になるんですが、この門に込められた願いを、この牌匾に書いていると言うことだと思いますよ。」

 羅針が解説をする。

「へぇ、これ二代目なんですね。」

 平櫻は動画を撮りながら、感心したように言う。

「そうですね。初代が1955年に建てられましたから、老朽化だったのかも知れませんが、建て替えられた理由は私も良く知りません。

 ただ、東西南北の四門が整備された時期に重なるので、おそらくそれらとデザインを合わせたんじゃないかなと思います。初代の善隣門は今よりも質素なデザインで、壁みたいな感じでしたから。」

 そう言って、羅針はスマホで検索した初代善隣門の写真を平櫻に見せる。

「本当ですね。これはこれで素敵ですけど、今のを見てしまうと、質素感は否めませんね。」

 平櫻もそう言って納得する。


「お店はこの先です。駅夫もうすぐだからな。」

 善隣門を潜った羅針は、店の方角を手で示し、駅夫にも声を掛ける。

「ああ。」

 すっかり意気消沈した駅夫は、それでも二人にしっかりと付いてきていた。


 三人が来たのは、善隣門から然程離れていない場所にある食べ放題の店だった。

「食べ放題?」

 素っ頓狂な声を出したのは駅夫である。どんなゲテモノを食わされるかと内心ヒヤヒヤしていたのだから、声が裏返ってしまうのも仕方がない。

「そう、食べ放題。しっかり元取ってくれよ。」

 羅針がおかしそうに言う。

「旅寝さん。頑張りましょうね。」

 平櫻も鼓舞する。

「お前らぁ。」

 完全に騙されたことを知り、ワナワナと震えているが、今度は大量に食わなきゃいけない恐怖とプレッシャーに別の意味で、駅夫は額に汗を浮かべていた。





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