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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾弐話 静和駅 (栃木県)
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拾弐之拾陸


 宿の食堂で長話をしていた旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、周りに誰もいなくなったことに気付いて、慌てて食堂を後にした。

 時刻は9時近くになっており、部屋に戻った三人は、慌てて出発の準備をした。


 部屋を簡単に片し、一階に降りてきた三人は、チェックアウトの手続きをした。酒を飲みすぎたこともあり、追加の料金が多少掛かったが、懐を空にするほどではなかった。

「平櫻さんに身上しんしょうを潰されなくて本当に良かった。」

 駅夫が昨晩夕食時に言っていた冗談を蒸し返した。

「もう。旅寝さんまたそれ言ってる。そんな事言ってると本当に身上を潰しますよ。」

 平櫻もそう言って遣り返す。

「分かった。分かった。それだけは勘弁してくれ。」

 駅夫がすぐに白旗を揚げて降参する。


 お見送りをしてくれた女将さんが、「これからどちらへ。」と聞いた。

「この後は巴波川うずまがわの遊覧船に乗って、その後は横浜の方へ向かう予定です。」

 羅針がそう答えた。

「横浜ですか。川の港から海の港へ行かれる訳ですね。なんとも粋な旅ですね。」

 女将さんがそんな洒落たことを言った。

「女将さんその言葉の方が粋ですよ。その言葉、どこかで使わせて貰って良いですか。」

 駅夫がそう言って、確認を取った。

「ええ、どうぞどうぞ。ご自由にお使いください。」

 女将は別段気にすることなく、笑顔で許可してくれた。

「ありがとうございます。」

 駅夫が礼を言う。


「二日間ありがとうございました。お世話になりました。」

 羅針がそう言って、女将に頭を下げる。駅夫も、平櫻も礼を言って頭を下げ、三人は再訪を約束し、女将に別れを告げた。


 宿の外に出ると、曇り空ではあったが、昨日とは打って変わって、雨粒の一滴も降ってはいなかった。時折雲の隙間から陽射しも差し込み、観光するには快適な日和になりそうである。

「本当に良い宿だったな。」

 羅針がぽつりと呟く。

「だな。リピ確なんだろ。」

 今朝羅針が使った言葉を、駅夫が真似る。

「是非もう一度訪れたいですね。」

 平櫻も同意した。


 そんな話をしながら三人は、巴波川の遊覧船乗り場へと向かう。

昨日の雨に煙った巴波川も良かったが、雲を映した巴波川も良い雰囲気だ。

 昨日感じていた妙な違和感はなく、そこには普通の観光地が広がり、何人もの観光客が往来して、写真を撮ったり、川で泳ぐ鴨や鯉に餌をやったりしていた。

 その光景は、この街に活気を与えていた。


 羅針はこれが街を守ることに繋がるのだと言った。

 平櫻はこれが街を守ることには繋がらないと言った。

 駅夫は守るとか守らないとかそんなことよりも目の前の生活が大事だろうと言った。

 昨日の議論は結論を見なかったが、それぞれ考えることがあったのだろう。今日、三人の目に映る巴波川と蔵の街の光景は、違ったものに見えたのだ。

 それは、生きる糧を得ようと一生懸命であるようにも、この街を舞台に自分たちの生き様を披露しているようにも、この街の治安を守るために目を光らせているようにも見えた。

 今の三人は、この街の住民たちがこの街を守っているかどうかはあまり重要ではなくて、むしろ、自分たち観光客が、この街の人々の生活を壊さないように気を配ることの方が重要なんだと、そんな風に感じていた。

 だからなのか、今日見える光景は、昨日と違って見えたのかも知れない。


 三人はそんなことを考えながら、綱手道遊歩道を歩いていた。

 やがて、巴波川橋の袂に〔船のりば〕の看板が見えた。橋の下では、お客さんを迎えるために、船頭さんが船の出港準備を忙しそうにしていた。

 三人は、焼き杉の木塀で囲まれた建物へと入り、まずは受付をすることにした。


 門柱と冠木かぶきだけで造られた簡素な冠木門かぶきもんを潜り、中に入ると、少し広くなった前庭があり、その奥には昔ながらの日本家屋が建っていた。

 10時の営業開始まではまだ少し時間があり、この前庭で少し待つことにした。三人が中に入ってきた時は他に観光客はいなかったが、後から何組かのグループが堰を切ったように入ってきた。


 前庭は待合所になっていて、四阿もあり、水琴窟や鹿威しが設けられた小さな庭園もあった。建物の壁沿いに編笠あみがさかつら、それに衣装も掛けてあり、どうやらこれを身につけて写真を撮っても良いらしい。三人は受付開始時間まで、それぞれ笠や鬘を被り衣装を身につけては写真を撮り合った。


 三人がワイワイやりながら写真を撮っていると、建物の扉が開き、営業開始時間となった。建物の中に入ると、中は古民家を改造した造りになっていて、お土産物なども販売していた。

 三人は早速受付を済ませ、チケットを貰い、簡単な注意事項と説明を受ける。それと表に置いてある菅笠すげがさは自由に被っても良いと言うことだったので、三人はそれを被って乗船場へと向かった。


 川へ階段で降りると、川面より一段高くなった場所があり、そこから手漕ぎ船に乗船する。平日の昼間だというのに、船はほぼ満員になった。

 20人程が乗り込み、着席をすると、船頭さんが早速挨拶を始めた。

「はい、お客様こんにちは。お待たせいたしました。この遊覧船ね、出港する時セレモニーがありまして、船頭の私が『船が出るぞぉ!』と言いますからね、右手拳を作っていただきましてね、元気よく『おう!』と掛け声を掛けてくださいね。声が小さかったり、揃わなかったりしたら、やり直しをお願いしますのでね。是非一回でお願いします。よろしいですかぁ~。それでは……。」

 船頭さんは一気呵成にそこまで言うと、大きく息を吸って、「船が出るぞぉ!」と声高らかに宣言した。乗客たちは皆一斉に「おう!」と言って拳を突き上げた。

 三人もどこか恥ずかしさがありながらも、思いっきり声を上げた。

 どうやら、船頭さんは満足したようで、一発成功である。

「はい、素敵な掛け声をありがとうございます。」

 船頭さんがにこやかに礼を言うと、乗客たちからは拍手が巻き起こった。

 船頭さんが棹を刺すと、船はゆっくりと岸を離れ、まずは上流へと向かっていく。


「本日は蔵の街遊覧船にご乗船いただきまして、誠にありがとうございます。」という挨拶から始まり、船頭さんの自己紹介と鯉の餌の販売案内をした後、「小さい船ではございますが、大船に乗ったつもりでお楽しみいただければ幸いです。」と鉄板ネタらしい小ネタが披露されると、乗客からは笑いも零れ、拍手も起こり、乗客全員に何とも言えない一体感が生まれた。


 船頭さんは、早速巴波川の説明に入った。

「この川はうずまがわと言いまして、皆さんが被っている菅笠にあるように、巴、波、川と書きます。ちょっと読めないかも知れませんね。この巴という字は渦を表しまして、その昔、水位は今よりも1mから2mも高く、渦を巻いて流れていたと言われています。一説にはうずまき川がうずま川に変化したと言われています。」


 こうして始まった遊覧船観光は、すぐに幸来橋こうらいばしに差し掛かろうとしていた。

「この先の幸来橋は、昔、念仏橋ねんぶつばしと呼ばれていました。」

 そう、船頭さんはこの幸来橋の由来と伝承を語り始めた。その話によると、その昔巴波川は今よりも水量があり、流れも急で、渦を巻くほどであったそうで、そこから巴波川と名が付いたと言われるほどの暴れ川だったそうだ。

 今、幸来橋と呼ばれているこの橋も、巴波川が氾濫する度に流されてしまい、人々は難儀していたそうだ。そこで、この橋を架け替えた際に、少女を人柱にしたところ、水流は収まり、橋も流されなくなったが、その代わりどこの家からも子供が生まれなくなってしまったそうだ。

 人々はこの橋を〔子ない橋〕と呼んでいたが、いつしか念仏を唱えて渡る人が後を絶たなくなり、〔念仏橋〕と呼ぶようになったという。

 しかし、人々の願いも虚しく、人柱にされた少女がなかなか成仏しなかった。

 そこで、町を挙げて手厚い供養をおこなったところ、川から少女を乗せた大きな鰻が現れ、天高く舞い上がっていったという。今その名残として、8月1日に〔百八灯流ひゃくはっとうながし〕という、少女の御霊を供養する祭りが毎年開催されているという。

 それから、町には子供が生まれるようになり、いつしかこの橋を幸来橋と呼ぶようになったのだそうだ。

「……この少女を乗せた大鰻は、その後栃木市の南西に位置する太平山おおひらさんへと飛んでいき、そこで消えたという逸話が残っています。中腹には少女の御霊を祀る祠がございます。また、紫陽花の名所としても知られる太平山神社もございますので、お時間ある方は是非訪れてみてください。」

 船頭さんによる幸来橋の解説が済むと、年配の婦人が「なんて可哀相なのかしら。」と幸来橋に向かって手を合わせた。それを見た他の乗客たちも、一斉に手を合わせていた。

 もちろん三人もその婦人に習って合掌した。


 船は、この幸来橋のところで折り返し、今度は下流へ向けて舵を切った。

 船の後を付いてきた鯉や鴨たちは、船が折り返すよりも前に、方向転換を済ませており、男性の乗客から「頭良いなぁ」と褒められ、笑いが起こっていた。


 船頭さんの解説は今度は鴨と鯉に及んだ。

 鴨は、季節に関係なくいつもいるのがカルガモとオシドリで、カルガモは嘴が黄色いのが特徴だそうだ。また冬になるとマガモやオナガガモがロシアや中国から渡ってくるのだそうだ。そして、色彩の鮮やかな方が雄であること、人間は女性が化粧をするが、鴨は男性が化粧をするのだなどと面白可笑しく教えてくれた。

 更に話は鯉に移る。

「ここにいる鯉は、真っ黒いのばかりです。すべて真鯉ですね。実は以前は色鮮やかな錦鯉もいましたが、平成16年にコイヘルペスが大流行しまして、大量死してしまいました。その後稚魚も放流したんですが、すべて川鵜に食べられてしまいました。

 結局、放流も上手くいかず、病気の蔓延を懸念した市が、鯉の放流を全面禁止にしまして、今は錦鯉を放流することは出来ないんでございます。」

 それを聞いた先程幸来橋で手を合わせていた婦人が「鯉さんも大変ねぇ。」などと呟いたものだから、乗客皆がどこかしんみりとなってしまった。


 そんな、悲しげな雰囲気を払拭するように、船頭さんは案内を続ける。

「ただ、そんな鯉たちの中でも、生き延びたものが居りまして、鯉太郎と呼んで市民に親しまれている、全長1mを越える大きなヌシがおります。出会うことが出来たら、幸せになると言われていますので、是非探してみてください。

 さて、そんな水中の鯉とは別に、この川の上空には、毎年三月中旬から五月上旬まで、1151匹の鯉のぼりが泳ぎます。なぜ1151匹かと言いますと。……そう、もうお分かりですよね。良い鯉ですね。なぜ三月中旬から掲揚するのかと言いますと、単に彩りを添えたかったから、らしいですね。お陰で、今や市内外の人から好評を博しまして、巴波川の春の風物詩となってございます。」

 乗客たちは、頭上に1151匹の鯉のぼりが泳ぐ様子を想像しているのだろう。皆空を見上げるようにして、船頭さんの話を聞き入っていた。


 船頭さんの案内は更に続く。

「進行方向左手に、瓦が載った黒い塀のお屋敷がご覧いただけますが、この塀は幸来橋の袂から長さが120m程ございまして、敷地がなんと四千平米といいますから、およそ千二百坪ですね。これで一軒のお宅になりますから、もの凄い豪邸でございますね。なんとも羨ましい限りでございます。この敷地の中には八つの白壁土蔵がございまして、その威容をこの巴波川の川面に映す風景は、今や蔵の街栃木の代表的な風景となってございます。」

 船頭さんの笑いも交えながらの、流れるような案内に、皆クスクスしながらも「へえ」とか「ほう」といった感心の声を上げていた。


 船頭さんの案内によると、このお宅は、江戸の後期から木材回漕問屋もくざいかいそうどんやを営んだ塚田つかだ家のお宅で、当時栃木で切り出した木材を筏に組んで、巴波川から利根川を経由して、およそ四十三里、約170㎞を、行きは一昼夜、帰りは三日三晩掛けて、江戸の深川ふかがわにある木場きばまで運んだそうだ。帰りは江戸で獲れる海の幸や日用品などを大量に運んで、財を成したそうて、今でもこのお宅には、五代目と六代目の四名が住まわれているそうだ。


 この塚田家の建物はドラマのセットとしても使われ、京都のペニシリン工場として撮影されたらしい。船頭さんがこの話をすると、

 乗客が「あれ京都じゃなかったんだ」とぼそりと呟き、

 船頭さんは「実は栃木だったんですよね」と、笑って見せた。


 船は最初に乗船した巴波川橋の袂まで戻ってきた。船の速度は然程速くはない。遊歩道を歩く人の方が余程早いぐらいだ。ゆっくりと川の流れに乗って揺られる遊覧船観光は、贅沢な時間であった。

 橋の上からは、乗客たちに手を振る人、鯉の餌を川に投げ込む人、それを写真に撮る人など、観光客たちで賑わいを見せていた。

 川に目を移すと、一見緑がかった水が、川の汚れを意識させるが、良く見ると川底まで見通すことができ、その透明度に驚かされる。

 匂いも、青臭くはあるものの、然程気になることはなく、川面を吹き抜ける風が心地よかった。

 この巴波川橋を潜ると川幅は一挙に広がり、本流と支流に別れる瀬戸ヶ原堰(せとがはらぜき)に到着する。船はここで再び上流へと向けて方向転換をするため、大きくカーブを描いた。


 船頭さんは忙しげに棹を操りながら方向転換しながらも、案内を続けてくれる。

「この巴波川の両岸には、一段高くなった場所がご覧頂けると思います。これは綱手道と申しまして、当時、船を上流へ引き上げる人馬が使うために整備されたものでございます。

 この場所が舟運の拠点として栄えるようになったのは、徳川家康公が亡くなった翌年、静岡の久能山くのうざんから栃木の日光山へ霊柩を移した際に、日光御用の荷物を陸揚げしたのが始まりとされています。

 その後、栃木からは、船を引き上げるためにも使われた、鹿沼かぬま産の野州麻やしゅうあさを始めとして、木材、石灰、薪、炭、下駄、屋根瓦や農作物などを江戸迄運び、江戸からは、海無し県の栃木には大変貴重な塩、油、砂糖、肥料、醤油、干物や日用品、更には遠く関西のお酒なども運ばれてきたと言われています。

 当時の船は、この船の倍ぐらいの大きさがありまして、都賀船つがぶねとか、べか船とか呼ばれておりまして、米俵で50俵程積み込むことができたと言われています。そのような船が、最盛期には200艘も行き来して荷物を運んでいたようです。船が繋がって見えたなんて逸話も残ってございます。

 そんな盛んな舟運も、鉄道の発展と共に一艘消え、二艘消えと、姿を消していったのでございます。

 この巴波川の上流、丁度栃木市役所の裏手当たりに、開運橋かいうんばしと言うのがございます。その橋には、明治の頃から昭和に掛けて、鍋山人車鉄道なべやまじんしゃてつどうという人力の鉄道が通っておりました。石灰などを栃木の駅まで運んだと言われています。しかしこの鉄道もやがてトラックに取って代わられ、いまは跡形もなく消えてしまいました。」

 船頭さんは、時代の盛衰に少し物悲しげな表情を浮かべていた。


 そんな遊覧船観光も佳境を迎え、後は上流の船着き場へと戻るだけとなった。そんな乗客たちの寂しい思いを知ってか知らずか、乗船時に貰ったチケットを見て欲しいと船頭さんは言った。

 このチケットは一日乗船券になっているため、時間があれば、今日一日何度でも乗り放題なのだという。また、提携施設では割引も利くという。

「……宣伝はこれぐらいにしまして、チケットに〔栃木河岸船頭唄とちぎかしせんどううた〕というのがございますので、ご覧ください。一番から三番まで歌詞が書いてございます。間にはカタカナで〔ハー ヨイサー コラーショ〕と掛け声がございますので、皆さんご一緒に大きな声で掛け声をお願いいたします。

 では、一回皆さんで練習してみますね。」

 船頭さんがそう言って「はい」と合図を出すと、皆一緒に「ハー ヨイサー コラーショ」と掛け声を掛けた。少し照れ臭かったが、三人も大きな声で、船頭さんに合わせて声を出した。


「皆さん良いお声ですね。では、本番もその調子でお願いいたします。それでは唄います。栃木河岸船頭唄。」

 船頭さんがそう言うと、尺八の伴奏だろうか、ゆったりとした音楽が流れ始め、それに合わせて船頭さんが唄い出した。

 歌詞は、日光街道から古河までの道中を唄い、二番は栃木から都賀船に乗って江戸へと向かう。そして三番では江戸からの帰り道、都で買った商品が、飛ぶように売れることを花にたとえて唄い上げる。

 ゆったりとしたその調子が、西洋音楽に耳慣れた三人にはテンポが取りづらいが、どこか懐かしく、郷愁をそそる。

 岸壁が良い反射板となり、船頭さんの美声に程よくエコーを掛けてくれるのもポイントが高い。


 船頭さんによると、この唄は昭和30年代にある蔵から出てきた歌詞で、後からメロディーを付けたのだそうだ。

 そうするとこの唄は、新しいものとなり、江戸の当時は唄われていなかったのだろうが、当時の船頭さんたちも、似たような唄を唄っては、棹を差していたのだろうと、三人は往時に思いを馳せた。


 最後に船頭さんはこんな話をしてくれた。

「この巴波川には鯰の伝説がございます。昔、巴波川が干上がった時、ある鯰が浅瀬でもだえておりました。そこへ通りがかった一人の人物が、可哀相にとその鯰を深みへと逃がしてやったのでございます。それから後、その鯰を助けた人物の子供が、巴波川に落ちまして、大層な大騒ぎになったそうですが、それを知った件の鯰がその子供を岸まで押し上げたのだそうでございます。栃木では〔巴波の鯰の恩返し〕として今でも語り継がれております。

 もしお時間ありましたら、栃木は鯰料理も絶品でございます。是非、一度ご賞味ください。」

 船頭さんは最後にそんな寓話を、冗談ともとれる宣伝を交えて披露した。

 幸来橋で合唱をしていた婦人が「あらやだ。」と言って口を押さえていた。


「本日はご乗船いただき誠にありがとうございました。私どもは宣伝費があまりございませんので、是非皆さんご自宅にお戻りになりましたら、栃木にこんな面白い船頭が乗った遊覧船があるぞと、宣伝していただければ幸いです。ネットでも口コミでも大いに宣伝してやってください。よろしくお願いします。

 また、船頭によっても、案内する内容が若干異なりますので、全船頭の案内をコンプリートするなんて遊びもよろしいかと存じます。誰の船頭唄が一番上手かったかなんて順位付けされるのも一興かと思います。私の順位が一番であることは揺るぎないでしょうが。

 と、冗談はさておき、以上で蔵の街遊覧の旅は終わりになります。またのお越しをお待ちしております。お降りの際は足元にお気を付けて下船ください。ありがとうございました。」

 船頭さんが、流れるように冗談を交えながら、終わりの挨拶をした。

 乗客たちからは、大きな拍手が送られ、「ありがとうございます。」と声が掛かった。


 三人は、下船前に、船頭さんと一緒に記念撮影をお願いし、駅夫の自撮り棒で撮影した。

 船頭さんに礼を言った三人は、岸に上がると、大満足の表情で、何度も船頭さんに頭を下げた。あっという間の30分だった。




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