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日本全国鐵輪巡礼 ~駅夫と羅針の珍道中~  作者: 劉白雨
第拾弐話 静和駅 (栃木県)
107/181

拾弐之捌


 朝6時。

 いつものとおり星路羅針が目を覚ました。

 温泉がないと旅寝駅夫は寝坊助である。隣でまだ夢の中を旅していた。


 羅針は旅寝を起こさないように、洗面を済ませ、パソコンを起ち上げて、カメラのデータをハードディスクに取り込み、使用した金銭の精算と、前日の旅程を纏めていった。それと、次の目的地である関内駅の観光で必要な予約も、ネットで取れるものはすべて申し込みをしておいた。受付時間の決まっているものは、後で逐一することになる。


 6時半を過ぎた頃、いつものとおり羅針は駅夫を揺り起こす。

「駅夫。朝だよ。」

「ん~お~は~よ~。」

 いつもの一言から駅夫が始動を始めた。

「取り敢えず、顔洗ってこい。」

 ポンと駅夫の背中を叩くと、羅針は作業に戻った。

 駅夫はゴソゴソと起き上がり、洗面所へ向かった。


 トイレと洗面を済ませた駅夫はすっきりした顔で、洗面所から現れた。

「朝食は7時からだよな。」

 駅夫が確認する。

「ああ。後15分位だな」

 羅針が答える。

 駅夫が、テレビのスイッチを入れると、丁度天気予報をやっていた。

「なんだよ、今日は雨か。」

 駅夫が残念そうに言う。

「ああ、夜まで雨みたいだな。小雨とは言っていたけど、予報変わってないだろ。」

 羅針が確認する。

「ああ。予報は断続的に降り続くって言ってる。いよいよ梅雨かな。」

「そうかもな。雨は別に良いんだけど、両手が使えなくなるのが不便なんだよな。」

「確かに雨自体は俺も気になんないけど、濡れないように準備するのが煩わしいんだよな。」


 そんな話をしているうちにもう間もなく7時になろうとしていた。

 テレビを切り、取り敢えずスマホを持って、階下の食堂へと向かった。

 食堂はまだ開いておらず、少し待つことになった。そこへ外から平櫻が入ってきた。

「おはようございます。」

 二人の姿を見付けた平櫻が声を掛けた。

「おはよう。」

「おはようございます。」

 駅夫と羅針が応える。

「散策?」

 駅夫が聞く。

「ええ。そこら辺を少し散策していました。少しポツリときたので、慌てて帰ってました。」

 単に朝の散歩だったのか、それとも動画の素材を捜しにでも行っていたのか、そう言う平櫻の服は雨粒で濡れた跡が残っていた。

「もう降ってきたのか。」

 駅夫が言う。

「ええ、たった今降り始めたばかりですけど。」

 平櫻が応える。

「大降りにならないと良いですね。」

 羅針が言う。

「そうですね。」

 平櫻が頷く。


 そんな話をしていると食堂が開いた。

「お待たせしました。どうぞ。」

 栃木アクセントが入った女将さんが声を掛けてくれた。

 三人は礼を言って、落ち着いた雰囲気のある食堂の中へと入る。


 朝食の献立は、卵料理、ハム、ウインナー、煮物の小鉢、和え物、海苔、漬物、味噌汁、ご飯と、献立には特段特徴のあるものはなかったが、小鉢は湯葉を使った煮物と、和え物には干瓢の胡麻酢和えが付き、郷土色がちりばめられた朝食となっていた。


「平櫻さんは、どこに行ってたの。」

 駅夫が好奇心丸出しで聞く。

「近所を散策していただけですよ。これを使って見て廻ってたんです。」

 そう言って平櫻はスマホを取りだし、栃木市散策のガイドアプリの画面を二人に見せた。

「へぇ、こんなのがあるんだ。」

「どういったアプリなんですか。」

 駅夫は感心したように言い、羅針はその仕組みが気になった尋ねた。


「このアプリは、観光スポットに近づくと、音声ガイドが案内してくれるんです。ガイドさんがいなくても、色々知ることが出来るんで便利なんですよ。スポットの一覧も見られますし、地図もあるから、行きたい場所が探しやすいんですよ。」

 平櫻が画面を見せながら簡単に説明する。

「へぇ、これは便利ですね。」

 羅針が関心を持って話を聞く。

 駅夫はまた難しいアプリが出てきたと少し敬遠気味で、あまり関心を示していなかった。


「で、どんなところを廻ってきたの。」

 駅夫はアプリの話よりも、平櫻がどこを散策してきたのかに興味を持っていた。

「あ、はい。まずは巴波川うずまがわに行って、川沿いを散策しました。遊歩道が整備されていて、犬の散歩をされている方もいらっしゃって、可愛かったですよ。」そこまで話して、駅夫が先を促すような眼差しをしているのに気付き、「あ、犬の話は良いですね。で、その後昨日歩いてきた蔵の街大通りでガイドを聞きながら、戻ってきたんです。やっぱり蔵の街というだけあって、一つ一つガイドを聞いていると、どんな建物なのか良く分かるので、ただ見て廻るより有意義でした。時間を忘れて動画を撮りまくってしまうほど、夢中になってしまいました。雨が降ってこなかったら、まだ歩き回っていたかも知れません。」

 平櫻は楽しそうに、ちょっと照れながら、今朝の散策について語った。


「俺たちも散策すれば良かったな。」

 駅夫が感化されたように言う。

「大丈夫だよこの後、街歩きはするつもりだから。」羅針がそう言って、「平櫻さんそのアプリってこれで間違いないですか。」平櫻に自分のスマホの画面を見せて、表示されたアプリが正しいかどうか確認する。

「はい。それで間違いないです。」

 平櫻が応えると、羅針はインストールを始めた。

「お前、本当にこういうのは躊躇なくやるよな。」

 駅夫が感心したように言う。

「便利なものはドンドン使わなきゃ損じゃん。」

 羅針がそう言って、インストールが終わったアプリの動作確認をしている。


 平櫻は、星路の順応の早さに驚きつつ、普段は好奇心旺盛な旅寝がこういうものになると二の足を踏むのが、不思議でならなかった。

「旅寝さんもどうですか。使い方お教えしますよ。」

 平櫻が駅夫にも勧める。

「う~ん。分かった。お願いするよ。」

 駅夫は、少し面倒くさがったが、折角ならと、平櫻に自分のスマホを手渡してインストールして貰おうとする。

「いいえ、それは駄目です。いくら私たちの間柄でも、自分のスマホを簡単に人に渡しちゃ駄目ですよ。ましてやインストールして貰おうなんて、絶対駄目です。ご自身で操作してください。分からなくても、ちゃんとお教えしますから。」

 平櫻は、あまりに無防備な駅夫の行動にぎょっとした顔をして、慌てて駅夫を制止する。そして、一つ一つ丁寧にインストール方法を教えていった。


「いつもは羅針にやってもらってたからな。平櫻さんはなかなか厳しいな。」そう言いながらも、駅夫はしっかりと平櫻の説明を聞き、間違いながらもなんとか操作していた。

「こいつ本当に機械音痴なんですよ。別に理数系が苦手って訳でもないのに、こと機械となると途端に幼児帰りするんですよ。この間なんて……。」

 羅針が駅夫の機械音痴について暴露を始めようとした。

「ちょっと待て、それ以上暴露したら絶交だからな。」

 駅夫がスマホを弄る手を止めて、慌てて羅針の口を押さえようとする。

「分かった、分かった。言わないよ。お前の数々の失敗談なんて、絶対言わないから。特に教習所での話は、絶対言わないから安心しろ。」

 そう言って羅針は笑った。

「勘弁しろよ。それ言ってるようなもんだからな。それ以上は絶対言うなよ。フリじゃないからな。マジで言ったら怒るからな。」

 そう言って駅夫は拳骨を振り上げながら念を押す。

「それじゃぁ、口止め料にその小鉢を寄越せよ。」

 羅針は駅夫の目の前にある湯葉の煮物を指差す。

「分かった。これで黙るなら安いもんだ。」

 そう言って、駅夫は躊躇なく小鉢を羅針の方に差し出そうとする。

「冗談だよ。お前から小鉢取り上げたら後で何言われるか分からないからな。口止め料なんかいらないから、ちゃんと食え。」

 羅針はそう言って笑った。

「ホントだな。」

 疑り深い目で羅針を見ながら念を押した駅夫は、漸く平櫻に操作方法の続きを教えて貰った。

 平櫻も話の中身が気になるようだったが、そこは男同士の約束、羅針は「内緒ですよ」と平櫻に言って、人差し指を一本口の前に立てた。その表情はまるで悪戯っ子のようなしたり顔だった。


 暫くして、「出来た。」という喜びの声と共に、駅夫はどうやらインストールを完了させたようだ。

「良かったです。後は言語を選択して、これをタップすると、はい。これで使えるようになりました。」

 平櫻が最後のプロセスを教えて、アプリ画面が起動したのを確認し、無事使えるようになった。

「ありがとう。あとは、項目をタッチすれば良いだけだね。」

「そうですね。観光ガイドについては、後で観光スポットに行った時に遣り方をお教えしますね。」

「助かるよ。よろしくね。」

「はい。お任せください。」

 平櫻はそう言って笑顔を見せた。


「凄いですね平櫻さん。こいつにアプリのインストールを教えちゃうなんて。こいつの機械音痴は筋金入りなのに。」

 羅針が感心したように言う。

「先程のお話から推測すると相当みたいですね。でも、私が見るに、旅寝さんはただのやらず嫌いだと思いますよ。

 うちの姉も機械音痴なんですけど、彼女は大体人の話を聞かずに、自分勝手に適当に弄って、分からなくなって、投げ出しちゃうんですよ。でも、旅寝さんはちゃんと話を聞いて、そのとおりやろうとしてくれますし、習慣づけることが大事ですから。慣れれば誰でも出来るようになりますから。旅寝さんも練習すればすぐに出来るようになるはずです。ねっ。」

 平櫻は羅針にそう言って、最後に駅夫に笑顔で頷く。

「半世紀に亘る駅夫の機械音痴が治る日が来るのか。これは神の福音だな。」

 羅針はそう言って大袈裟に十字を切って、天に向かって手を合わせている。

「おい、俺を何だと思ってるんだよ。それに比べて平櫻さんは女神だよ。救世主だな。」

 インストールしたばかりのアプリを夢中で弄っていた駅夫が、羅針の行動に抗議する。そして、平櫻に手を合わせて拝むような仕草をした。

「いや、ただの機械音痴。」

 平櫻を拝んでいる駅夫に、羅針があっさり、バッサリ、端的に言った。

「おいおい。」

 駅夫が手の甲で突っ込みを入れる。

 その様子を見て平櫻が笑い出し、二人もつられて笑った。


 そんな話をしながら三人は朝食を終えると、一旦部屋に戻って、再び宿の前に集まった。

 雨は既に本格的に降り始め、小雨とは言え、六月に打ち付ける雨としては少し冷たかった。あたりはペトリコールの匂いがして、都市部に降る雨独特の匂いが漂っていた。


「羅針、この雨独特の匂いって何だか知ってるか。草いきれとは違う、こういう街中だとするこの独特の匂いだよ。」

 駅夫が、雨降りの時にする鼻をつくような匂いについて聞いた。

「この匂いのことか。これには、確かペトリコールっていう名前が付いていたな。元々ギリシャ語の石という意味のペトラと、神々のエッセンスという意味のイコールという言葉を元に、鉱物学者たちが発表した論文の中で作った、この独特の匂いを指す造語らしいね。

 長い間日照りが続いた後の、最初の雨に伴う独特の香りをペトリコールと、その学者たちは定義したらしいよ。」

 羅針はこの匂いの名前を答えた。

「なるほどね。ペトリコールって言うのか。でも、場所によって匂いって異なるじゃん。それって成分が違ったりするんだろ。」

 駅夫が更に聞く。

「そうだな。雨の匂いは大気中に含まれる色んな匂いが混じってるから、当然場所によっても違うな。

 ペトリコールの主要な成分は、ゲオスミンと呼ばれる一種のアルコール性分である有機化合物らしくて、これが主に藍藻らんそうや放線菌、微生物の死骸から放出される物質みたいで、黴臭かったり、泥臭かったりするのはこれが原因らしいよ。人間は特にこのゲオスミンには敏感に出来ているなんて話も聞いたな。」

「へぇ、他にはどんな成分が混じってるんだ。」

「他か。他には、乾燥した土壌や岩に付着した、植物なんかから分泌された油分が、雨によって空中に飛散することもあるらしい。これは爽やかな精油の匂いがするらしいよ。後は、酸素漂白剤のような匂いがするオゾンだったり、排気ガスの成分だったり、とにかく色んなものが大気中には存在しているらしくて、それを匂いとして俺たち人間は感じているらしいね。」

 羅針が駅夫に分かりやすいように噛み砕いて答えた。


「でも、なんかそうやって聞くと、匂い一つ取っても身体に有毒なものが漂ってたりする怖さみたいなのを感じるな。」

 駅夫が真剣に考え込む。

「まあな。それの最たるものが公害であって、四日市ぜんそくなんてのは大気汚染が引き起こしたものだからな。そう考えると雨の匂いも、嫌な臭いと感じたら危険信号なのかも知れないな。」

「確かにそうかも知れない。で、この匂いはどうなんだ。危険だったりしないか。」

 駅夫がそう言って、鼻を広げて雨の匂いを嗅ぐ。

「そりゃ成分分析しなきゃ分からないけど、いつもの匂いと同じじゃないのか。これだけ車が走ってるんだから、当然有害物質は混ざってるだろうけどな。」

「そうだよな。こういう有害物質にも免疫機能を高めなきゃ人間は生きていけなくなるのかな。良く宇宙人なんかで鼻が極端に小さく描かれたりするじゃん。あんな風に人間も変わったりするのかもな。」

「まあ、そうなるのは何万年、何億年も後の話だけどな。」


 そんな話をしていた二人は、平櫻が真剣に二人の話を聞いていたのに気付いた。

「あっ、ごめんなさい。話に夢中になってしまって。そろそろ行きましょうか。」

 羅針が謝る。

「いいえ、とても興味深いお話だったので、聞き入ってしまいました。流石色んなことご存知なんですね。」

 平櫻は感心したように言う。

「いや、ただの年の功ですよ。」

 羅針がそう言って頭を掻く。

「だから、お前が年の功って言うと、俺が無駄に年取ってるみたいだからやめろって。」

 駅夫がいつものように羅針を咎めるように突っ込む。表面上は駅夫を馬鹿にしてるように聞こえるから止めろと咎めているのだが、その実、羅針がこれだけの知識を習得するのに、どれだけの本を読み、どれだけの情報に触れ、どれだけの努力をしてきたのか、単に歳を取っただけで得られた知識ではないと駅夫は知っているからこそ、そう言って咎めるのだ。


「いや、ただの年の功でそこまでの知識は得られないですよ。ウチの父親なんて、中学校の校長先生を勤め上げて、今は鹿児島の大学で臨時講師をしてるんですが、何にもものを知りませんから。」

 平櫻はそう言って、自分の父親と比べて知識豊富な羅針を称賛する。

「いや、それお父様がかわいそうですよ。きっと教育分野には精通しておられて、造詣も深いでしょうから。きっと私なんか足元にも及ばない知識をお持ちだと思いますよ。私の知識なんて広く浅くですから。」

 羅針は、大学で教鞭を執られている平櫻の父親が、平櫻が言うように、何も知らない訳がないと考え、謙遜も込めてそう言った。

「そうですかねぇ。まあ、そういうことにしておきましょ。これ以上言うと、父の拳骨が落ちてきそうなので。」

 そう言って平櫻は笑った。

「そうですね。あまりお父様をいじめないであげてください。」

 そう言って羅針も笑顔になる。

「ほら、二人とも時間が遅くなるから行こうぜ。」

 自分の疑問がすっきりした駅夫は、いよいよ我慢出来なくなったのか、二人を促した。

「分かったよ。では、行きましょうか。」

 羅針がそう言って、平櫻に声を掛けて歩き出した。その後に平櫻、最後に駅夫が続く。


 傘を差した三人はまず巴波川へと向かって歩く。

 街は既に明るくなってはいるが、雨で視界が悪いのを嫌ってか、車の多くがヘッドライトを点けたままで走っていた。濡れた路面がヘッドライトの光を反射して、煌めいていた。


 三人が向かっているこの巴波川は、栃木県南部を流れる一級河川で、栃木市川原田町(かわらだまち)白地沼しらじぬまを水源とし、栃木市内を南へと流れていき、栃木市藤岡町内野(ふじおかまちうちの)渡良瀬川わたらせがわに合流する。全長28.5㎞の河川である。

 江戸時代には、舟運しゅううんが整備され、大いに賑わったとされるが、暴れ川としても昔から人々を苦しめてきた。功罪両方を兼ね備え、人々の生活と色んな意味で密接に関わってきた川である。


「この雨だから、今日は遊覧船に乗るのを止めておきましょう。」

 羅針は平櫻に声を掛ける。

「そうですね。このぐらいの雨なら合羽を着れば大丈夫でしょうが、いつ大降りになるか分からないですからね。」

 平櫻も羅針の言葉に同意する。

 それに、明日は晴れのち曇りの予報だったので、天気予報を信じて、遊覧船は明日にして、沿岸を散策するだけにした。


 駅夫は、早速先程入れたアプリを使って、蔵の街に関するガイドを聞いていた。遣り方はもちろん平櫻に教えて貰った。

「これ、便利だな。お前のガイドがいらないよ。何度でも聞き返せるし。ただ、質問に答えて貰えないのが玉に瑕だけどな。だから、羅針、質問の回答はよろしく。」

 駅夫はそう捲し立てて、右手の二本指をおでこの前から大きく前方に振り出した。


「俺は質問箱か何かか。ったく。」羅針は呆れたように言い、「なら、そのご期待に添って、アプリにはないガイドをしてやるよ、まずはお前のそのポーズ、二本指を立ててするやつな。それは二指にしの敬礼と言って、英語ではTwo-finger saluteって言うんだ。元々ポーランド軍の敬礼方式で、治安維持を担当していたロシア人に投げ付ける石を持ちながら敬礼したからとか、重傷を負った兵士が絶命する際に残った二本の指で敬礼をしたからとか、色んな説があるらしいね。

 この敬礼がアメリカでも流行って、映画なんかに取り入れられ、それが日本にも入ってきて、お前のようなヤツが真似するようになったんだよ。」

 羅針が最後に嫌みったらしく言う。

「へぇ、壮大な話だな。」

 駅夫が自分の行動がさも壮大であると言わんばかりに頷く。

「どこがだよ。」

 羅針が突っ込む。

「今度からお前にぶつける石を仕込んでおこうかな。」

 駅夫が冗談めかして言う。

「それは勘弁しろよ。」

 羅針は両手を挙げて降参する。


 そんな下らない話をしながら歩いていると、すぐに三人は巴波川に掛かる常盤橋ときわばしに着いた。

 橋から見える雨に煙った巴波川の様子を、三人は写真や動画で撮影し、すぐに巴波川沿いに通る、綱手道つなてみちを歩き始める。この綱手道は文字通り綱を引くための道であり、船を上流へ引き上げるために綱を引くために整備された道である。今は遊歩道として整備され、観光客が歩きやすいように石畳になっている。


 この綱手道入口すぐのところに、横山郷土館があった。早速駅夫と羅針は先程のガイドアプリで解説を聞き始めた。

 ガイドによると、横山家は店舗の右半分で麻問屋、左半分で銀行を営んでいた明治の豪商で、両袖切妻造りょうそできりづまづくりと呼ばれる貴重な建物には、当時を偲ばせる帳場などが再現されているという。

 また、店舗の両側に建つ蔵は、鹿沼かぬま産の深岩石ふかいわいしで造られていて、向かって右が麻蔵、左が文庫蔵で腰まわりに岩舟石いわふねいし、軒まわりに赤レンガを組み、災害対策も充分に施されている。敷地内の店舗兼住居、蔵、洋館が、国の登録有形文化財に登録されているという。

 時間が早いので中に入ることは出来ないが、三人は写真や動画に収め、記念撮影をした。


 横山郷土館を後にし、更に綱手道を先に進んでいく。

 遊歩道として整備された綱手道は石畳になっているだけでなく、手摺りが設けられ、等間隔に柳の木が植樹されている。

「駅夫、ガイドが欲しいだろ。クイズを出してやるよ。」

 羅針が悪戯っ子のような顔をして、駅夫に声を掛ける。

「おっ、来たな。受けて立ってやる。平櫻さん、クイズだって。」

 駅夫が勝負師の顔で応え、少し離れたところで動画を撮っていた平櫻にも声を掛ける。

「分かりました。ちょっと待ってください。」

 平櫻も動画の撮影を切り上げ、小走りで近寄ってくる。


「多分平櫻さんは知ってると思うけど、まあ、良いか。それじゃ問題。」羅針は、平櫻が来たことを確認して、クイズを出した。「こう言った運河には欠かせないものがいくつかありますが、その一つにこの柳の木があります。では、問題です。この柳の木はなぜ植樹されたでしょうか。」

 羅針は、どこかのクイズ番組の様な出題の仕方をした。

「おっ、なんかクイズ番組らしいな。ちょっと待てよ、柳の木だろ。江戸時代から植樹されてるんだから、科学的な理由とか、現代的な理由じゃないんだよ、きっと。もっと原始的で、水運と密接に関わることなんだよ。

 そうすると、考えられるのは目印とか、あるいは緊急時の係留場所とか、でも目印にしても係留場所にしても柳でなくても構わないし。……マジか、結構難しいな。

 柳である理由があるんだよな、きっと。よし決めた。船を引くための綱の芯にするために必要になるから植樹した、だろ。絶対そうだ。柔らかい柳の枝なら、船を引っ張る綱の芯として使えば、丈夫になりそうだし。この道が綱手道と言うのも多分ヒントなんだよ。よし決めた。綱の芯にするためだ。」

 駅夫は、ブツクサと長時間考えていたが、漸く答えを導き出したようだ。


「これは、観光地で良く教えて貰いますね。答えは、地盤固めと治水のためですね。柳の木は根を深く広く張るので、地盤固めに良いらしいんですよね。それと柳の木は柔らかいので万が一氾濫が起こっても、水流を受け流すので、被害が軽減されるって聞きました。どうでしょうか。」

 駅夫が答え終わったのを見て、平櫻は何の躊躇いもなく、スラスラと回答した。

「ファイナルアンサー?」二人が頷いたのを見て、羅針は続ける「正解者は、……平櫻さん。」そう言って羅針は平櫻に向けて手を叩く。

「ありがとうございます。」

 平櫻は礼を言って頭をさげ、軽くガッツポーズをした。


「なんだよ、違うのかよ。」駅夫は外れて悔しそうだ。「で、理由は彼女が言ったとおりなのか。」駅夫は正答の解説を羅針に求める。

「そうだな。彼女の言うとおりだ。もう少し付け加えるなら、柳は特に湿潤な場所を好むから、水辺に植えても問題ないし、根が深く広く張るのもそうだけど、強靱なところも地盤固めに適していると言えるんだよね。それと、切り倒したとしても、そこから芽が出て来るという生命力の強さが、川沿いに植樹しやすかったのかもしれないね。」

 羅針は求められるままに、追加で解説を加える。

「へぇ、なるほどね。柳にはそんな効用があったんだな。全然知らなかったよ。おばけの背景だと思っていたからな。」

 駅夫はそう言って、傘を持たない方の手でおばけの真似をする。


 その様子を見た羅針と平櫻は目を見合わせて、笑い出した。

「確かに、おばけの背景でしかないな。でも、なんで柳と幽霊が結びついたか知っているか?」

 羅針が駅夫に聞く。

「いや、全然分からない。柳の枝が幽霊に見えたとか、それこそ川岸に立っているんだから、自殺者の霊が乗り移ったとか、話題に事欠かなかったとか、そんなところだと思っていたけど。」

 駅夫はそう言って、平櫻を見る。

「私も、そんなところだろうと思っていました。そうでないとするなら、柳には魂が宿ると信じられていたとか、そんなところでしょうか。」

 平櫻も頭を横に振り、それ以外は想像出来ないと答えた。


「二人とも知らないのか。まあ、これは諸説ある話だから、正しいとは言えないですけど、一応自分が聞いた話では、柳というのは境界を表す木でもあるんです。つまり境目ですね。

 川の治水で植えられてもいましたが、町と町の境界に植えて、目印にもしていました。良く街道なんかに立つ一本松や一本杉みたいな、あんな役割ですね。

 それが、いつしか異界との境界として怪談話にも用いられるようになったんです。柳の向こうには幽界や霊界が存在していて、成仏出来なかった人がそこからおばけとなって現れる。そう言う話が数多く生み出されたんですね。だから、今ではおばけと言えば柳が付きものとなったんですよ。」

 羅針が説明を終えると、二人は感心したように羅針を見ていた。

「お前、本当によく知ってるな。」

「星路さんって本当に物知りですね。そんな話し始めて聞きました。」

 駅夫は感心はするものの、いつものことと、それほど驚きはないようだったが、平櫻は羅針の知識の幅広さに感心頻りであった。

「たまたま知っていただけですよ。」

 羅針は羨望の眼差しで見る平櫻に照れ隠しにそう言った。

「たまたまだとしても凄いです。」

 平櫻は羅針の言葉に納得せず、微笑みながら目を輝かせて称賛を送った。




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