拾弐之漆
旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、静和駅へ向かう途次、今後の予定について話をしていた。
ひとまず駅夫の希望どおり、静和地区を散策することに決めた三人は、明日改めてこの静和地区へ来ることにした。どこに行くということもなく、町を散策することに決めたのだ。
予定が大きく変わってしまったので、羅針は組み直した案をいくつか発案する。
急遽予定変更するなどと言うことは、旅行会社に勤めていた時には日常茶飯事で、特に中国に駐在していた時には、ツアーに行けば予定変更というぐらい、毎回何かしらのトラブルが発生していたのだ。事故渋滞に巻き込まれたとか、乗る便が遅延したとか、お客に急病人が出たなんてこともあった。その度に支店と連絡を取りながら、再手配を掛けたり、予定の組み換えをおこなったりするのだ。
そんな訳で、羅針にとってリスケは手慣れたものである。とはいうものの、今回は駅夫という上客である。その要求が何もない場所を観光すると言うことで、羅針にとってかなり難易度が高く、その要求を満たすために、羅針は知恵を絞りに絞った。
そんな風に明日の予定を話し合いながら歩いてきた三人は、駅に着くと、お手洗いに寄り、ホームの待合室で列車を待った。
無音だった静和駅に、列車到着の案内が響き渡ると、東武日光行き20400型が入線してきた。三人が乗り込むと列車はすぐに出発した。
栃木駅までは田園地帯を抜けて7分で到着した。静和駅に行く時は特急の通過待ちがあったので時間が掛かったが、今回は新大平下駅での通過待ちがなかったため、時間は掛からなかったのだ。
栃木駅に到着すると、三人はコインロッカーから預けて置いた荷物を取り出し、北口へと向かう。
コンコースには、既に営業を始めたチェーン店の居酒屋から、店員の大きな声が漏れ聞こえ、既に仕事を終えた人々や学生たちが、宴会に興じているようだった。三人はその楽しげな雰囲気に誘われるのをぐっと堪えて、北口出口から宿へと向かう。
駅を出ると大きなロータリーがあり、正面には赤と黒の巨大なモニュメントがあった。羅針が例の如くネットで検索すると、作品名は「煌樹」で、大地にしっかりと根を張り、力強く息づく一本の栃の木を表し、栃木市内を流れる巴波川から受ける豊かな恵みを一本の大きな栃の木に託し、その実りをまた大地に宿すというイメージを表現したモニュメントであると、説明があった。
モニュメントの周囲には、直径1m弱ぐらいの球が点在し、おそらくこれが実りを表すのだろうと三人は推測した。
「ところでさ、栃木県の名前の由来って知ってるか。」
羅針が駅夫に聞く。
「トチノキから採ったんだろ。トチノキが沢山生えてたからとかそう言う理由だろ。」
駅夫がもっともらしく答える。
「平櫻さんは知ってますか。」
羅針が平櫻にも聞く。
「えっ、私ですか。旅寝さんが言うトチノキ説は一説としてありますけど、遠津木説というのを聞いたことがあります。確か、昔このあたりは〔きの国〕と言って、木材の木の国と書いたそうなんです。和歌山県にある紀の国も、今は糸偏に己と書く紀の字を使いますが、昔は字も読み方も一緒だったから、栃木県にあった木の国を遠津木の国と呼んだことが始まりで、時代と共に〔とちぎ〕と転訛したという説ですね。」
平櫻は以前聞いたことのある説を言った。
「よくご存知ですね。実は、栃木の名前の由来はいくつかあって、駅夫が言ったトチノキ説、平櫻さんが言った遠津木の国説の他にも、たとえば神明宮という神社の社殿にある千木が10本に見えたから、十本の千木で十千木と言ったという説、市内を流れる巴波川というのが昔から暴れ川で、氾濫が絶えず、千切れた土地という意味で〔とちぎ〕と言ったとする説など、いくつか説があるみたいだね。」
羅針が諸説をいくつか披露する。
「へえ、そんなに説があるんだ。まあ、昔からの地名は色んな謂われが出てくるよな。」
駅夫は驚きつつも感心し、納得した。平櫻は声には出さないが、同じように感心している。
「ところで、栃木の栃の字はどうして決まったか知ってるか。」
羅針が再び駅夫に聞く。
「これは、あれだろ、お前のことだから会議で決まったとか言うんだろ。」
駅夫がオチを先読みして言う。
「平櫻さんはどうですか。」
羅針は駅夫にオチを当てられて内心ぎくりとしたが、おくびにも出さず平櫻に聞く。
「さあ、良くは分かりませんが、栃の字は国字ですよね。他にも木偏に万と書く杤の字もあるし、元々は木偏に象と書く橡が正式な字だというのは聞いたこともありますし、それこそ、旅寝さんが言うとおり会議で決まったとしか思いつきません。」
平櫻は一生懸命答えを探すが、降参したように、駅夫と同じ答えを選択した。
「どうして、二人してオチを言い当てるかな。その通り県の会議で決定しました。この字にした理由は分かりませんが、おそらく当時は木偏に万と書く杤の字が使われることが多かったようなので、区別するために木偏に雁垂が付いた万と書く栃の字を使用したと思われますね。
当初は混用されることが多く、平櫻さんが挙げていた字は、いずれも使われていたようですが、明治12年に正式決定し統一を果たしたようです。」
羅針は、今度は平櫻に説明するように言った。
「それでは、決定した理由は分からないけど、県議会で正式に決まったと言うことなんですね。」
平櫻が確認する。
「そういうことですね。」平櫻に応じた後、「……絶対変な回答をすると思ってたのに。」今度は駅夫に向けて、当てが外れたことを愚痴る。
「お前の魂胆は見え見えなんだよ。」
駅夫はそう言って羅針をからかうように、右手の親指を頬に突き立てて、掌をひらひらさせて舌を出した。
「こいつ。」
羅針が拳を振り上げながら笑った。つられて駅夫が笑い、平櫻は呆れたようにも微笑ましく見ていた。
暫く写真や動画を撮影した後、宿に向かって県道213号、別名〔蔵の街大通り〕を歩く。
「羅針、この通りは何で蔵の街大通りって言うんだ。蔵なんて見当たらないけど。」
駅夫が通りの別名に疑問を持つ。
「この先に、古い建物や蔵が点在しているみたいだから、それが理由らしいよ。それにこの先は日光例幣使街道って言って、毎年京都から日光東照宮に幣帛を奉献するための勅使が通った街道として使われていたみたいなんだ。それで、観光の目玉として整備しているみたいだよ。」
羅針が簡単に説明する。
「幣帛って確か供物だよな。神社にお供えする。それを京都からわざわざ毎年届けるのか。だって当時は歩きだろ、滅茶苦茶大変じゃん。どれぐらい掛かるもんなんだ。」
「京都を三月末から四月一日までに出発して、日光東照宮に到着するのが四月十五日だったらしい。帰りは江戸に寄ってから帰京してたらしいから、丸1ヶ月以上の行程になるな。」
「マジか。それはすげぇな。半月で京都、日光間を歩くのかよ。俺なら絶対三ヶ月はかかるね。」
駅夫は当時の人々の健脚ぶりに驚く。
「ほら、これ見ろよ、京都御所から日光東照宮まで徒歩で検索掛けると、512㎞、123時間掛かるらしいぞ。」
羅針がマップで経路検索を掛けた結果を駅夫に見せる。
「123時間って5日位か。でもこの数字は歩き通しの数字だろ、仮に1日8時間歩いたとしたら、これの3倍、そうすると15日間か。確かに半月で日光まで行かれるのか。……って、いや、絶対無理だから。今みたいにアスファルトが敷いてある訳じゃないし、草鞋だろ、……いや、絶対無理だから。」
駅夫は、自分で計算して、その結果が信じられず、何度も考え直しては、絶対無理を繰り返していた。
「無理かどうか、一度やってみるか?平櫻さんに動画を撮って貰って。」
羅針がからかうように言う。
「えっ、私がですか。……あっごめんなさい。今のカットしますので。」
平櫻が突然振られたことに驚き、街並みを撮影していたカメラを羅針に向けてしまった。
「おい、平櫻さんを巻き込むなよ。って、そもそも絶対そんなことやらないからな。」
駅夫は、羅針に抗議する。
「なんだよ、やらないのか。折角バズると思ったのに。」
羅針が残念そうに言う。
「おっさんが歩いてるところなんて、誰も見たがらねぇよ。平櫻さんが歩いたなら、バズるかも知れないけど。」
今度は駅夫が平櫻に矛先を向ける。
「えっ、私が歩くんですか。いや、歩けるかも知れませんが、それこそ無理ですよ。」
平櫻もそんな無謀な企画には二の足を踏むどころか、足を踏み出すことすら嫌なようだ。
「それは残念ですね。」
羅針がそう言って、項垂れる。
「そう言うお前はやらないのかよ。」
駅夫が今度は羅針に矛先を向ける。
「俺か?俺はやらないよ。やるならお前を歩かせて、俺は車かバイクで併走だな。」
羅針がそう言って笑う。
「なんだよ、結局それかよ。」
駅夫が、悔しそうにしている。
平櫻は二人の様子に、キョトンとした顔をしていた。
「またこいつの冗談だよ。俺たち担がれたんだよ。」
駅夫が平櫻に説明する。
「完全に騙されました。本気で今計画を練ろうかどうか悩んでました。」
駅夫の説明を聞き、漸く平櫻も合点がいったが、完全に騙されていたようで、そう言ってホッとしている。
「まったく、人が悪いぜ。」
駅夫が拳を振り上げて、拳骨を喰らわすフリをする。
羅針は、頭を両手で防御しながら、「悪かったって。ごめん、ごめん。」と言いながらも笑っていた。
やがて沿道に、江戸時代を彷彿とさせるような古い建物がポツリポツリと現れた。
もちろん商店などの出入り口はガラス戸が嵌まっていて、当然当時の建て付けではなく、改装、改築をされているものと思われる。
例の緑色の喫茶店も木造建築を彷彿とさせる建物で、脇にあるマーク以外、緑が一切使われていなかった。最近よくある観光地仕様というやつだ。
並び建つ建物を良く見ていると、江戸時代の長屋造りだけでなく、いわゆる看板建築といわれる大正期に流行った洋風建築も散見された。もちろん平成、令和になってから建てられたと思われるお洒落な建物もいくつか散見された。
夕陽に染まる栃木の街を15分程歩くと、黄色い暖簾が掛かる、江戸時代に創業した宿に到着した。創業二百年以上の老舗旅館というが、暖簾を潜ると、中はかなり改装がなされた、ビジネス旅館の様相ではあった。ただ、通路の奥には往時の蔵がそのまま残っており、江戸時代と現代が混在したような雰囲気があった。
三人が中に入ると、気さくな感じの女将さんが出迎えてくれた。入口脇のフロントでチェックインすると、予約してあった夕食の開始時間は過ぎているため、20時までに済ませるように言われた。それと部屋にシャワーがついてはいるが、予約してあったグループ毎で利用出来る浴室の時間も教えて貰った。
三人はそれぞれ部屋の鍵を貰い、二部屋に別れて一旦荷物を置きにいった。
二階にある部屋は六畳間の畳敷きで、ユニット式の浴室に、小型の冷蔵庫とテレビもあった。老舗旅館にも関わらず無線LANがあるのもありがたい。
ひとまず荷物を置いて、一階の食堂へと向かう。
食堂は、落ち着いた雰囲気で、木の温もりが感じられる内装で、天井も真っ黒な梁が渡されていて、おそらく松か欅か何かの建材なのだろうが、煤で染まっているはずなのに、漆で塗られたような色をしていた。その天井から下げられた照明には、料理を美味しく見せる暖色系の明かりが灯されていた。
夕食は、事前予約をすれば豪勢なものにありつけたが、残念ながら締め切りが過ぎており、今回は叶わず、前日までに予約出来る一般的なタイプを選んだ。
相変わらず、平櫻は行動が早い、既に席に座って食事の動画を撮りながら二人を待っていた。
「お待たせ。」
「お待たせしました。」
駅夫と羅針が平櫻に声を掛ける。
「いいえ。ごゆっくりどうぞ。」
平櫻はそう言って二人に着席を促した。
二人が席に着くと、料理が次々に運ばれてくる。
メニューは、メインに肉料理、魚料理、刺身があり、その他に煮物、和え物、茶碗蒸しが付いて、後はご飯、漬物、味噌汁が出て、最後にデザートが付いてくる。簡易的ではあるが、典型的な会席料理であった。
早速頂き始めた三人は、素朴ながらも丁寧に作られた一品一品に舌鼓を打つ。
今日のメインは、栃木和牛を用いた鍋料理、岩魚の焼き物、刺身は鮪、鯛、烏賊が盛り合わせてあった。
もちろんどれも美味しいのだが、それぞれの食材を活かした調理具合に、三人は言葉を失ったかのように、黙々と頂いた。
添え物の煮物には栃木産の野菜を使った煮染め、和え物は栃木名産の干瓢と菠薐草の胡麻和え、そして茶碗蒸しは、銀杏の入ったシンプルなものでありながら味に深みがあった。
「どれも美味い。」
駅夫がとうとう唸るように声を漏らす。
「確かに、何がどうと言う訳ではないが、一品一品に込められた職人魂みたいなものを感じる。」
当然のように追加で頼んだ地酒を飲みながら、羅針も唸るように言う。
「どれも美味しいのはもちろんなんですが、見た目も良いですよね。このちょっとした飾り包丁や、盛り付けの丁寧さが、目を楽しませてくれます。」
平櫻はそう言って美味しそうに料理を口に運んでは、地酒をグビグビとやっていた。
三人は料理を堪能し終わると、地酒を酌み交わしながら、デザートに手を着けていた。今日のデザートはわらび餅で、きなこにたっぷりの蜜が掛かったわらび餅は、これまた絶品だった。
デザートを堪能しながら、いつものルーレットタイムを開催することにした。
「それじゃ回すぞ。」駅夫がそう言って、スマホの画面をタップする。「ドゥルドゥルドゥルドゥル……ジャン。関内駅だ。横浜だよ!」
他のお客さんもいるため、声を抑えていた駅夫だったが、出た目を見て、思わず声を上げてしまった。慌てて、周囲にペコペコと謝罪した。
「関内か。駅夫、今日決めたルール早速破ることになるぞ。ほら。」
そう言って羅針はスマホで関内駅の所在住所である、神奈川県横浜市中央区港町の検索結果を表示した。そこには駅の東側をほんの少し赤い点線で囲っただけの地図が表示されていたのだ。観光地があるとかないとか、見所があるとかないとか、そんなの関係ないぐらい、狭小のエリアがそこにあった。
「マジか。これ。」
駅夫はその地図を見て目を見張った。どうひっくり返してみても、観光地らしきものはなく、駅前に通る道路を挟んだ建物がエリアに入るだけだった。
「これだと、駅前に降りて観光は終わりだな。」
羅針が半分巫山戯て絶望的な声で言う。
「マジかよ。関内って中華街が近くになかったっけ。」
駅夫が羅針の気を引こうと中華街の名を出す。
「いや、中華街は隣の石川町駅だよ。その名も括弧付きで元町・中華街って駅名に入ってるから。」
羅針が駅夫の企みを粉砕する。
「マジかよ。」
駅夫は三度目のマジかを吐き出す。
「な、だからルールに縛られるとこうなっちゃうんだよ。臨機応変ですよね、平櫻さん。」
羅針は平櫻に話を振る。
「えっ、ええ。そうですね。臨機応変です。」
平櫻は突然話を振られ、どう返して良いのか分からなかったので、羅針の言葉をオウム返しする。
「そりゃ、臨機応変なんだけどよ。なんか解せない。お前何か仕込んだだろ。」
そう言って駅夫は羅針を詰りつつ、自分の携帯を矯めつ眇めつ眺めた。
「いくら俺でも、そんなこと出来る訳ないだろ。」羅針はそう言って抗い、話を続ける「で、どうするんだ。関内は駅前を見て終わりにするか、それとも周辺に拡大して観光地や街ブラを楽しむか。」
「もちろん、街ブラを楽しみたいよ。どうせなら中華街に行って、例の上海蟹とやらも食べてみたいし。」
駅夫は刈和野の宿で話題に出た上海蟹のことを覚えていたようで、それを食べたいという。
「分かったよ。じゃ、中華街はマストということで、後は定番の大さん橋、赤レンガ倉庫、ヨコハマエアキャビン、大通公園に、横浜スタジアム、港の見える丘公園、元町エリア、外国人墓地、……。」
羅針は、このあたりに何度も行っているのか、そのすべてを諳で熟々と並べていく。
「待て、待て、ストーーーップ。」駅夫は、羅列していく羅針を手で制止、「静和とは偉い違いだな。そんなに廻りきれないだろ。取り敢えず中華街で上海蟹は食いたい。赤レンガ倉庫は行ったことないから行ってみたい。それと何、その横浜なんとか、それも知らないから行ってみたい。後は行ったことあるから、任せる。」
駅夫は、いつまでも続きそうな羅針の暗唱にストップを掛け、取り敢えず自分の行きたいところを列挙した。
「横浜なんとかって、ヨコハマエアキャビンな。要はロープウェイだよ。桜木町の方に出来た新しいヤツ。赤レンガ倉庫に行くついでに乗れるから。でも、中華街は石川町駅の方だから、関内で降りたら、桜木町に戻って、エアキャビンに乗って、赤レンガ倉庫、大さん橋、そして中華街ってコースが考えられるな。定番中の定番コースだけど。
平櫻さんはどこか行きたいところありますか。」
羅針は、コース設計をざっとして、平櫻のリクエストを聞く。
「出来れば元町に行ってみたいですね。やはり〔横浜と言えば元町〕みたいなところがありますから。時間があれば是非お願いします。」
平櫻は女性に人気の元町を希望した。
「分かりました。多分廻れると思いますので、どこかに予定を入れましょう。」
羅針は快諾する。
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
平櫻は頭を下げる。
「でも、懸念していたことがこうして起こるとは思いもしなかったよ。」駅夫は観光地選択のことを言っているのだろう。「今日の今日で似たようなシチュエーション、ましてや所在住所に文字通り何もないって状況はホント有り得ないよな。」あまりの偶然すぎて、駅夫も呆れたようにぼやいた。
「確かにな。偶然にしてはできすぎてる。まあ、桜木町も石川町も観光地はふんだんにあるから、ダブっても然程問題ないけど、これまでみたく、頑なに考えていたら、横浜のど真ん中に行って、何も見ずに帰ってくることになってたな。」
羅針がそうならずに良かったとホット胸を撫で下ろした。
「平櫻さんのお陰だよ。」
「ホントにそうだ。ありがとうございます。」
駅夫が言うと、羅針がお礼を言った。
「いや、私なんか何もしてないですから。単に思いついたことを言っただけですから。」
平櫻は恐縮したように、二人を制するような仕草をする。
「それじゃ、ヨコハマエアキャビン、赤レンガ倉庫、大さん橋、横浜中華街、そして元町を廻るってことで良いかな。随分定番コースだけど、構わないね。」
羅針が再度駅夫に確認する。
「ああ、それで構わないよ。スケジューリングとかは任せたから。よろしく。」
そう言って駅夫は巫山戯て敬礼する。
「ったく。分かったよ。平櫻さんも問題ないですね。」
駅夫の態度に呆れた羅針は、平櫻にも確認する。
「はい。問題はないです。よろしくお願いします。」
平櫻は恐縮したように頭を下げた。
予定も決まった三人は、デザートのわらび餅を食べ終わり、地酒も三人で四合瓶を3本空けた。殆どが羅針と平櫻の二人が飲んだのだが。駅夫も二合ほど嗜んだ。
良い心持ちで、食事を終えた三人は、それぞれ部屋に戻り、酔いを覚ましつつ風呂の時間を待った。
駅夫と羅針の二人はテレビを見ながら、駅夫は自分のブログを更新し、羅針は関内でのスケジューリングを早速始めていた。
風呂の時間になり、階下へ降りていくと、平櫻と擦れ違った。
「お先に頂きました。良いお湯でした。」
予約時間が二人より一つ前だった平櫻は、乾ききっていない髪を下ろし、浴衣を着ていた。二人にぺこりとお辞儀をする。
「ごゆっくりどうぞ。」
「それは良かった。楽しみだな。」
駅夫と羅針はそう返事をしたものの、自分家の風呂ではないし、なんかおかしな返事だなと感じつつも、階段を登っていくいつもと雰囲気の違う平櫻を見送った。
「やっぱり女性って変わるもんなんだな。」
駅夫がそう言って羅針を小突く。
「そうだな。化粧で変わるのは当然だけど、ああやって化粧を落として、着るもの一つで雰囲気ががらりと変わるって、やっぱり男にとっては毒だな。」
羅針がそう言って苦笑いをする。
「確かに、〔近寄るな、危険〕だな。」
駅夫もそう言って、身震いする。
「手を出すなよ。」
「分かってるって。出す訳ないだろ。」
「さあ、馬鹿なこと言ってないで、サッサと入ろうぜ。後ろも閊えてるんだから。」
「だな。って変なこと言い出したのお前だろ。ったく。」
駅夫は羅針を詰った。
二人は脱衣所でパッと服を脱いで、浴室へと向かう。
浴室は然程広くはないが、カランが三つあり、一人二人で使うには贅沢な広さである。
二人は、頭のてっぺんから足の先までしっかりと洗い、終了時間まで湯船にしっかりと浸かった。温泉ではないが、低山とは言え山を登り降りした身体には染み渡った。
時間ギリギリまで使って、浴室を堪能した二人は、備え付けの浴衣に着替えて部屋に戻る。
部屋に戻った二人は、そのままふかふかの布団に潜り込み、遅くまで話をしていたが、いつの間にか眠ってしまった。