拾弐之陸
旅寝駅夫と星路羅針、平櫻佳音の三人は、栃木市の富士山の麓にある、浅間神社の鳥居の前で羅針の蘊蓄を聞いた後、記念撮影をし、いよいよ鬱蒼とした参道を登り始めた。
脱帽一礼し鳥居を潜ると、そこは鬱蒼とした森林が広がっていた。落葉が敷き詰められ、申し訳程度に設置された石段、違和感しかないピカピカ光るステンレスの手摺り、神社の参道としては決して手入れされているとは言えないが、手摺りがあるだけありがたいといった感じの山道が続いていた。
ここ栃木市の富士山は標高約93m、入り口にある鳥居の標高が約36mなので、標高差57mと、二人が香登で登った山々よりは圧倒的に低かった。しかし、鬱蒼とした雑木林の木々に囲まれ、落葉に足を取られながら登る山道は、整備されているとはいえ、結構大変だった。
とはいうものの、ものの10分も掛からず登り切り、浅間神社の社殿に到着した。
参道を上がりきったところには苔生した八角柱の石柱が、その存在感をアピールするかのように建っていた。
石柱には一部判読不明の場所もあったが、神々の名が刻まれているようで、〔奉納 猿田彦大神、興玉大明神、天鈿女命〕などとあった。何のために建っているのか、その理由も目的も不明だが、その存在感だけはこの山頂で群を抜いていた。
その八角石柱の奥には、古びた社殿がポツリとあるだけで、境内には別段特別な施設がある訳ではなく、木々の間から、静和の町並みが見下ろせるだけであった。
こうして静和の街並みを見下ろしていると、眼下の喧噪とは切り離されたここが、神聖な場所なんだということを感じずにはいられなかった。
山頂に建つ社殿は入母屋の檜皮葺で、こぢんまりとはしているものの、その佇まいは大きな神社に引けを取らない、荘厳な趣はあった。
御祭神は木花開耶姫命で、相殿には、大日靈貴命・伊弉諾命・伊弉冊命・猿田彦命が祀られているようだ。山火鎮護、五穀豊穣、養蚕守護、縁結び、子授け、安産の御利益があると言われている。
駅夫と羅針はいつものとおり旅の安全と美味い飯を祈願し、平櫻も旅の安全と美味しい御飯と、そして良い出会いを祈願した。
祈願を終えた三人は、それぞれ写真や動画を撮って廻った。
「駅夫、こっちに来て見ろよ。」
社殿の裏に回っていた羅針が駅夫に声を掛ける。
「どうした。」
山から見下ろす景色を写真に収めていた駅夫が、羅針の声がした方を振り返る。
「こっちに山頂の看板があるぞ。」
そう言って羅針が手招きしている。
駅夫が近づくと、羅針の傍に立つ木には、〔栃木283山 No.279 富士山 標高93.7m〕と書かれた看板が取り付けられていて、それを羅針が指差していた。
「ほら、これ。」
「なるほど。確かにここは富士山か。」
駅夫が納得したように、看板の写真を撮った。
「へえ、こういう表示があるんですね。」
後から来た平櫻が、物珍しそうに動画を撮影していた。
「平櫻さんは、本物の富士山に登ったことあるの。」
駅夫が、ふと疑問に思ったのか、平櫻に聞く。
「はい、学生時代に友達と登りました。」
平櫻は少し言いにくそうに応えた。
「へぇ。凄いね。俺たちは高尾山ぐらいしか登ったことないからね。富士山に登ったなんて、凄いことだよ。」
そう言って駅夫が平櫻を褒める。
「ありがとうございます。でも、あんまり褒められた話じゃないんですよ。」
平櫻は少しうつむき加減で言う。
「どうして。富士山なんてそう簡単に登れるものじゃないし、充分凄いと思うけど。」
駅夫は不思議に思って聞いた。
「実は……、弾丸登山だったんですよ。……昼過ぎに登り始めて、夜中に登頂して、御来光を拝んでから帰ってきたんです。」
平櫻は申し訳なさそうに告白した。
「そうなの。確かに、それはいただけないな。」
駅夫は窘めるような口調になる。弾丸登山が危険なことであると、最近あちこちで見聞きしていたからだ。
「はい、おっしゃるとおりです。もちろん、今ではどんなに危険なことか、どんなに馬鹿なことをしたか、良く分かっているんですけど、あの時は、そんなことに思い至ることもなく、気楽な気持ちで登ったんですよね。」平櫻は当時を振り返り暗い気持ちになる。「当時は弾丸登山なんて言葉も、概念すらも知らなくて、自分たちのやったことが、そんなヒドいことだとは知りもしませんでした。
何事もなく下山出来たから良かったのですが、もし何かあったらと思うと……。」
平櫻は自戒の念を込めて、そう言った。
「何事もなかったのなら、良かったじゃないか。富士登山自体は楽しめたんだろ。」
駅夫はそう言って、平櫻の罪悪感を少しでも和らげようとする。
「ええ、確かに、富士登山自体は有意義でした。友人と三人で登り、誰一人脱落することもなく、無事に帰ってこられたし、御来光を拝んだ時は、人生の悩みなんてすべて吹き飛んだくらいでした。こんな美しい御来光がこの世にあるのかと思ったぐらいです。
でも、帰ってきてから色んなことを見聞きするにつれ、私たちがやったことの愚かさを痛感しました。
今でもそんなニュースや注意喚起の広告を見聞きする度に、寒気がするほどです。」
「夏になるとそう言うニュースが良く流れてくるよね。最近では登山料だか入山料を取るようになったとか聞くし。確かに、弾丸登山の注意喚起はここ数年で良く聞くようにはなったよね。でも、平櫻さんが気に病むほどの話ではないんじゃないかな。君は無事に帰ってきたんだし。」
駅夫はそう言いつつも、平櫻の言うとおり危険な行為であり、自分も香登の熊山に登った時に、羅針に同じようなことを言い放っていたと思い至り、偉そうなことは言えないなと思い、自戒の念に苛まれながらも平櫻を慰めようとした。
それでも、平櫻の心がそう簡単に晴れる訳はなく、俯き加減で話を続けた。
「いいえ、無事に帰ってきたから良いとか、そういう話じゃないんです。
聞いた話によると、弾丸登山者が急病になってしまうケースが後を絶たないようで、搬送が間に合わないケースもあって、結局亡くなってしまうこともあるんだそうです。富士山の遭難は毎年70件前後発生していて、死者数も10人前後いるそうなんです。自分の命に関わる問題でもあるし、多くの人の手を煩わせ、迷惑を掛ける話でもあるんですよ。
それを若気の至りで済ませてしまうような、そんな愚かな話はないと思うんです。たまたま、本当にたまたま、私は無事に帰ってきたんだとそう思うんですよ。
私にとって富士登山はあまり自慢できる話じゃないんですよね。ある意味黒歴史というか、汚点なんです。」
最後は自虐的に言いつつも、平櫻は罪悪感に苛まれたような表情だった。
「まあ、やってしまったことはいけないことだけど、無事に帰ってこられたんだから、それはそれで良かったじゃないか。得るものも多かったんでしょ。」
駅夫が慰めるように言う。
「そうですね。良い教訓にはなっています。死亡ニュースを見る度に自分がああなっていた可能性を考えると、もうあんな馬鹿なことは絶対出来ないし、絶対にしないと誓っています。」
駅夫は、達成感とか、山頂の景色とか、御来光とか、日常では得られない体験のことを言いたかったのだが、駅夫の思惑とは異なり、平櫻にとっては〔得るもの〕と言う言葉が〔教訓〕という意味にしかならず、俯き加減で表情は沈んでいた。
しかし、その目にはもう二度とあんなことはしないという決意の色があり、駅夫に対してその決意を表明するように、平櫻は宣言したのだ。
「それならさ、もう一度登ろうよ。懺悔行脚じゃないけどさ、もう一回きちんと登り直せば、きっとその罪悪感も少しは和らぐんじゃないかな。良い思い出にした方が良いって。日本一の霊峰登山だよ。嫌な思い出のままにしておくのは絶対もったいないって。一緒に行く人がいないなら、俺たちが付き合うしさ。」
駅夫は、なんとか平櫻の気持ちを晴らしてやりたいと、そんなことを言い出す。
「ありがとうございます。そうですよね。もう一度登頂するのは良いかもしれませんね。お二人が良ければ、その時はぜひ一緒にお願いします。」
平櫻は少し考えて、登るかどうかは別にして、駅夫の提案をありがたく受け取った。
「そろそろ下山しないか。時間も時間だし。」
羅針がスマホの時計を見ながら、二人の話に口を挟んだ。あまり遅くなると陽が落ちるからと心配したのだ。
「了解。」
「はい。」
駅夫と平櫻が返事をした。
三人は、そのまま、落葉が敷き詰められて足場が悪い裏参道を、ゆっくりと降りていった。先程登ってきた参道とは反対側に出ることになる。
「足元気をつけてくださいね。」
羅針が平櫻に向けて注意喚起する。
「はい。分かりました。」
平櫻はそう言って、羅針の後を慎重に降りていく。
駅夫は最後尾からその様子を見守りながら、ヒョイヒョイと降りてくる。キャンプで鍛えているのだろう、一番体力がある上、こういう足場の悪いところも慣れているようだ。
登りよりも若干時間を掛けて慎重に降りてきた三人は、朽ちかけた鳥居を潜ってから振り返り、脱帽一礼をする。
ここでも、写真や動画を撮影した三人は、この後の行動について確認する。
「一応、静和駅周辺の散策は、これで以上。後は宿に行くけど、それで良いか。」
羅針が駅夫に言う。
「って、ちょっと待てよ。散策はこれで終わりって、どういうこと。時間も時間だから宿に行くのは良いとして、散策は以上って。明日はどうするんだよ。」
駅夫が驚いたように、羅針に確認する。
「ああ、静和駅周辺の散策は終了って意味で、明日の観光は予定してるよ。」
羅針が不思議そうに応える。
「変な言い方するから、てっきりもう静和駅周辺を観光しないのかと思ったじゃん。」
駅夫がホッとしたように言う。
「いや、そうだよ。静和駅の周辺はもう観光しないよ。明日は栃木市の観光をするから。」
羅針がもったいぶった言い方をする。
「どういうこと?」
駅夫の頭にはクエスチョンマークが回転していた。
「どうもこうも、文字通りの意味だよ。静和駅の住所は、栃木県栃木市岩舟町静和。つまり、岩船町静和の観光はこれで終わり。この後は栃木市の観光をするってことだよ。」
羅針は、駅夫が何を疑問にしているのか分からないと言う風に説明する。
「分かったような、分かんないような。取り敢えず、明日も観光するんだよな。」
駅夫が念を押すように確認する。
「そうだよ。」
羅針が大きく頷く。駅夫に視線を送られた平櫻も大きく頷いた。
「う~ん。なんか腑に落ちないけど、とにかく分かった。……俺一人行き先を知らないって、これほど不安になるとは思わなかったよ。」
駅夫が不承不承納得はしたが、その反面何も知らないで連れて行かれるミステリーツアーの怖さや不安を、ヒシヒシと感じていたのだ。
「どうする。もうミステリーツアーを止めるか。それなら全部行き先を開示するけど。」
羅針が笑いを堪えるように言う。駅夫が頑なにミステリーツアーに拘っている様子が、羅針にとっては面白可笑しく映るのだ。
「いや、別にこのままで良いよ。不安はあるけど、これが醍醐味だからな。」
羅針は笑いを堪えていたが、駅夫に撮っては真剣そのもので、ひとまずは羅針の言葉に首を横に振った。
「了解。それじゃ、これからもっとレベルアップしていこうか。」
羅針は悪巧みをするような顔で言う。
「レベルアップは勘弁しろよ。これ以上ミステリー感増したら、夜しか寝られなくなるから。」
駅夫は真剣に考えていたが、重くなる雰囲気を嫌って、羅針の言葉に頭を抱えて冗談で返す。
「それ、昼寝出来ないって事だから。」
そう言って、羅針は笑い、バレたという表情で駅夫も笑う。それを見ていた平櫻も二人を微笑ましく見ていた。
「取り敢えず駅に向かうぞ。」
羅針が駅夫に言う。
「了解。」
駅夫が巫山戯たように敬礼をする。
「平櫻さんも、大丈夫ですか。どこか寄りたいところがあれば言ってください。」
羅針が平櫻にも声を掛ける。
「はい。大丈夫です。」
平櫻は頷いて応えた。
陽が傾き始めた県道67号を、三人は駅へと向かって歩き始めた。
「羅針、ところでこの静和ってどんな町なんだ。」
駅夫が、前を歩く羅針に尋ねる。
「静和の町についてか。……、どこから話したものか……。」そう言って羅針は少し考えてから話し始めた。「まずは静和の正式地名が栃木市岩船町静和っていって、およそ二千人強の地区になる。ちなみに栃木市は十五万人都市と言われてるから、単純計算で市全体の75分の1の人たちが住んでいることになるかな。
静和地区は元々静和村といって、駅名の由来でも説明したけど、1889年、明治22年に、市制・町村制が施行されて、三和、和泉、静戸、五十畑、曲ヶ島の5村が合併して誕生した村で、名前は5村の内、三和、和泉、静戸の3村から採ったと言われてるね。」
「静和村はさっきも聞いた。その後が気になるんだよ。で、どうなったんだ。」
駅夫が羅針に続きを促す。
「その後は、1956年に岩船、小野寺、静和の3村が合併して岩船村大字静和となって、1962年に岩船村が岩船町になって、2014年に栃木市に編入されて、今の栃木市岩船町静和になったらしいよ。」
羅針が事前に調べておいた知識を諳んじる。
「なるほどね。いや、気になったのはさ、ほら、富士山の周りの住所表記が岩船町静だったり、岩船町和泉だったり、さっき見かけたコンビニだって岩舟和泉店だったりしてたからさ。なんでだろって思ってたんだよ。要は合併合併で名前が残ってるからってことなんだろ。」
駅夫が疑問に思っていたことを、自分なりに納得しようとしていた。
「まあ、そう言うことだな。色んな地名がくっついて、今の地名になっているってことは、間違いないね。」
羅針が駅夫の考えに大きく頷く。
「じゃ、今回の観光は厳密には静和ではないのか。」
駅夫が聞く。
「まあ、そう言うことだな。厳密に言えば、岩船町静の観光だな。」
羅針が応える。
「別に厳密にルールを守れとか言うつもりもないし、同じ栃木市内だから、ルール的にはセーフなんだろうけど、なんでここにしたんだ。静和地区には見るところがなかったとかか?」
駅夫が問い詰めるように聞く。
「まあ、端的に言っちゃうと、静和地区に見るところがないっていう話なんだけど、実は、静和地区内にも赤塚山ってのがあって、ルール的にはそっちを登るべきなんだろうけど、それこそ山頂には小さな祠があるだけだし、大きな建造物があって一部私有地になっているようで、立ち入り禁止場所もあるみたいだから、平櫻さんと相談して、名前も良いしってことで富士山にしたんだよ。」
羅針が説明する。
「はい。星路さんと相談して、こちらにしました。」
駅夫が後ろを振り返って平櫻を見ると、平櫻がそう言って応えた。
「そうなんだ。まあ、それは良いんだけど、それじゃ静和の観光じゃなくて岩船町の観光ってことだな。」
駅夫がそう言う。
「そう言うことだな。だから、正確には静和の観光が終了ではなくて、岩船町の観光が終了ってことだな。」
羅針が言い直す。
「まあ、そんなのはどっちでも良いんだけど。」
駅夫がそう言いつつも、何か納得がいかないような、一人頭の中で思考の海を漂流しているような、そんな表情になっていた。
「一応、明日も岩船町は散策する予定だよ。」
羅針は難しい顔になっていた駅夫に向かってそう言う。
「そうなのか。……ていうか、今考えていたのはさ、そう言うことじゃなくてさ、観光のルールって目的駅が所在する市区町村を観光するってことになってるよな。」
駅夫が確認するように言う。
「ああ、そうだな。旅星スタイルってやつだな。」
羅針が、峰吉川駅で二人して話していた、自分たちの旅のスタイルに付けようとした名前を持ち出す。
「そう、それ。その名前は議論の余地があるけど、そこじゃなくて、今回は市区町村で言うと栃木市だろ、でも栃木市にはいくつも駅があって、その中で静和駅は地区名で言うと岩船町静和になるんだよな。それを基に考えると、市区町村にすれば選択肢は増えるけど、別の駅のテリトリーになる訳だよ。逆に地区に拘ってしまうと、選択肢が減って、今回みたいに、最悪ないなんてことも起こり得る訳だ。」
「そうだな。」
羅針は頷く。
「で、今回は、お前と平櫻さんの二人で考え出したのが、隣接する地区の観光をするっていう折衷案だよな。」
「そうだな。」
羅針はもう一度頷く。
「ルールとしては、同一市区町村だから抵触していないんだけど、少しモヤモヤするんだよ。もし、栃木市に静和駅しかないというなら、隣接してようがなんであろうが、栃木市内であれば、どこを観光しても良いよ。でもさ、栃木市には栃木駅を始めとして、いくつも駅がある訳で、もし、今後ルーレットで栃木市の別の駅を引いた場合に、どうするって話なんだよ。
いや、もちろん、同じ観光地を再度廻るのも良いよ。観光地なんて何度見たって良いんだから。でも、一駅一回っていうルールを作ったんだから、観光地がダブるって言うのも違う気がするんだよ。
埼玉の本庄駅に行った時は、隣接する深沢市にも行ったけどさ、あそこは渋沢栄一さんの縁の地に絞って廻ったから、もし再訪しても、別のところを見て廻ることも可能じゃん。でも、ここはどうだ、もし再訪した時に、別のところを見て廻ることが出来るのか。もし、出来るならば、それでも構わないよ。でも、出来ないなら、考え直すべきだと思うんだけど。」駅夫はそこまで言いたいことをぶちまけて、ふと我に返り、「……ごめん。二人して一生懸命予定を組んでくれたのに、横槍を入れるようで。ネタバレを嫌った俺が全面的に悪いんだけど、ただ、俺はそう思うんだよ。」
駅夫が、二人の労を労いながらも、一生懸命自分の言いたいことを、言葉を駆使して伝えようとした。
「いや、言いたいことを言ってくれるのは全然構わないよ。お前の言わんとしていることはこういうことだろ、要はルーレットで当てた駅は次回以降同じ駅には来ないっていうルールがあるから、駅の所在する市区町村であれば観光地がダブることはなかった。だけど、今回のように同一市区町村内に駅が複数ある場合、観光地がダブる可能性が出てくる。それならば、観光地がダブらないように工夫すべきだってそう言うことだろ。」
羅針が簡単に駅夫の言いたいことを纏める。
「まあ、そうなんだけど、でも言いたいことはそう言うことじゃなくて、そんな単純な話じゃなくてさ、観光地がダブるダブらないとかは良いんだよ。
俺が言いたいのは、市区町村でダブるから、地区で限定する。その場所に観光地がないから、隣接する場所にする。そのプロセスについて文句を言っているんではないんだよ。どう言ったら良いのかな。……あああ、頭がぐちゃぐちゃになってきた……。」そう言って駅夫は頭を掻き毟る。「……例えば、前回の刈和野駅だってそうじゃん。あそこも刈和野は市でも町でも村でもなくて、一地区だったじゃん。同一市区町村内と言うなら、大仙市の大曲駅周辺だって観光の対象になっていたよね。
でも、刈和野駅周辺には幸い見所があった。大綱引きという観光の目玉もあった。だから、駅の所在地である刈和野地区を観光するだけで事足りた。
もし刈和野に今回同様観光する場所がなかったら、別の場所、例えば大曲とか、近隣の地区へ行く必要があったってことになるだろ。もし次に大曲駅を引いた時にどうするんだって話だよ。それじゃ、刈和野駅をルーレットで出した意味がなくなるって話なんだよ。
ルールとしては問題ないんだろうけど、それが、どうも解せないんだよ。」
駅夫が思いの丈をぶちまけるように言う。
「……。確かにお前の言いたいことは分かる。ルールとしては問題ないけど、観光地のあるなし、見たいもののあるなし、したいことのあるなしで、その駅が所在する地区を蔑ろにしても良いのかって、そう言うことだろ。」
羅針は駅夫の言わんとしていることは肌感覚で分かるのだが、その真義が掴めず、それを言葉にするのが難しく、自分なりに駅夫の言いたいことを解釈して、言葉を返してみた。
「……。蔑ろって言うか、……、でもそう言うことなのかな。つまり、ちゃんとその場所を見て、知って、その空気を味わって、そこに来たっていうことを、もっときちんと記憶に留めようぜってこと。つまり、お前の言うとおり、蔑ろにするなってことなのかも知れない。……それも違う様な気もするけど……。要はさ、こんな観光するなら、1万分の1のルーレットじゃなくて、市区町村ルーレットで良いじゃんて話なんだよ。そうじゃなくて俺たちがやってるのは、あくまでも駅のルーレットなんだよ。市区町村じゃないんだよ。上手く言えないけど、どう言って良いのか分からないけど、要は、今やってることは違うってことなんだよ。」
駅夫も自分が何を言いたいのか、心のモヤモヤがなんなのか、良く分かってはいなかったが、それでもなんとか自分の気持ちを伝えようと、何度も言い直し、言葉を駆使し、結局最後は強引に結論づけた。何かが違うんだと。
「そうだな。まあ、お前の気持ちを言葉で表すことは出来ないけど、もっとこの静和という場所をしっかり見て廻りたいってことなんだよな。」
羅針は、駅夫が抱く違和感が結局良く分かっていなかった。別に駅夫を陥れようとか、蔑ろにしようというのではない。彼の真義が見えてこないのだ。それでも、なんとか駅夫の気持ちに寄り添い、その真義を汲み取ろうとする。そして、その手助けをもう一人の人物に求めたのだ。
「平櫻さん。駅夫はこういう風に言ってますが、あなたはどう思いますか。」
羅針が少し歩道が広くなった場所で足を止めて、振り返り、平櫻に意見を求めた。
「えっ、私ですか。」二人の会話の行方を記録するために、動画を撮影していた平櫻は、自分に矛先が向けられて驚いたものの、撮影を続けながら、「……私は、お二人の意見に従うだけなので、口を出すべきではないと思うのですが、敢えて言わせて貰えば、旅寝さんの意見はごもっともだと思います。
ルーレット旅をお二人が始められた時には駅周辺を観光するっていう、気楽な気持ちだったんでしょうが、今は色々と経験を積み重ねられて、ルールも厳密になって、重複してはいけないというルールが重くのしかかっているんだと思います。
今やっていることが駅のルーレットではなく、市区町村のルーレットになってしまっているという旅寝さんの指摘もその通りだと思います。
駅夫さんの考えとは異なるかも知れませんが、でも、私が考えるに、この旅のルールってお二人が旅を楽しむためのルールですよね。偶然の旅を楽しむために作り上げてきたルールですよね。決してお二人の旅の足枷になるようなものではないですよね。
であれば、旅寝さんが静和地区をもっとご覧になりたいのであれば、それを尊重すべきだし、もし周辺にもっと魅力的な場所があって、そこを是非見たいというのであれば、そこに行けば良いし、そこは臨機応変で良いと思います。もし、次回近隣の駅を引いた場合は、その時改めて考えれば良いのではないでしょうか。また来る可能性がそれこそ1万分の1の確率なのに、行きたい場所を我慢するというのは、お二人の旅のスタイルから外れるような気がします。
凄く生意気なことを言ってるかも知れませんが、私はそう思いました。」
平櫻は、一気に自分の考えを述べた。
駅夫も、羅針も、言葉がなかった。改めて二人の頭の中にこのルーレット旅を始めた時の気持ちが湧き上がってきた。
「……そうですよね。旅を楽しむ。それを忘れてました。ルールに沿ってスケジュールを熟す。それに終始していたかも知れません。」
羅針は、平櫻の言葉を聞いて、はたと気付いたように言葉を絞り出した。
「……確かに、平櫻さんの言うとおりだな。ルールに縛られすぎてた。もっと自由に、もっと成り行きでも良いんだよ。誰かのためにやってる旅じゃないんだ。俺たちが俺たちのためにやってる旅なんだから。」
駅夫もそう言って、平櫻の言葉に、頑なになっていた自分を恥じた。
「それじゃ、俺たちが最初にやった観光の仕方、原点回帰をしてみるか。」
羅針が駅夫に言う。
「そうだな。」
「原点回帰って、どんな風にされていたんですか。」
平櫻が尋ねた。
「いや、簡単なことだよ。駅に着いた時に観光する場所を検索かけたり、観光案内に聞いたりして、その場で行く場所を決めてたんだよな。」
駅夫が説明する。
「でも、それだと、予約とかが必要で行けなかったり、足がなくて困ったりするから、予め行きたい場所を決めておこうって話になったんですよ。で、こいつがネタバレは嫌だからっていう話になって、現在の遣り方に落ち着いたんですけど。
それを元の遣り方に戻そうって言うことですね。」
羅針が追加で説明する。
「でも、それでは色々と不都合があるんですよね。……では、こうされたらどうですか。ルーレットを回した時に、観光地を検索して、行きたい場所の候補を絞って、そこで行き先を決めてしまえば良いのではないですか。旅寝さんにとってはミステリーツアーの醍醐味がなくなってしまいますが、ルーレットを回した時が駅に着いたと思えば、その原点回帰に近い形になると思いますけど。いかがですか。」
二人の説明を聞いて、少し考えてから、平櫻がそう言って提案する。
「確かに、それなら、私も予定を組んだり予約を取ったりする余裕が出来るので、ありがたいですね。」
羅針は平櫻の提案に乗った。
「……う~ん。まあ、仕方ないのか。これ以上俺の我が儘を通す訳に行かないし。良いよ、ルーレットを回した時に、候補を挙げるって遣り方で。」
駅夫は不承不承ながらも納得する。
「でも、その代わり、お前の希望も反映出来るんだぜ。今回みたいに、何もないところを散策したいって、俺には思い付きもしないからな。お前がそうしたいなら、俺はそうするし、だから、ちゃんと希望は言ってくれよ。お前がミステリーツアー好きなのは分かったから、サプライズも出来れば用意するからさ。」
羅針がそう言って駅夫を宥める。
「悪いな。なんか我が儘を通したみたいで。」
駅夫は少し済まなそうにする。
「良いってことよ。……さっ、列車の時間に遅れるから、急ごうぜ。」
ひとまず旅の方向性、ルールが決まったところで、羅針はそう言って、気持ちを切り替えたように駅へ向かって歩き出した。その後ろを平櫻と駅夫が続いた。