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切り落とす過去と髪

 目を丸くしたレオに構わず、ジャンヌはくるりとソフィアに向き直る。


「いい、ソフィア。選択肢はふたつ。一、家に帰る。二、ほとぼりが冷めるまで、この無愛想なレオと暮らす。どうする?」

「え、えっと、あの」


 ――どうするって。

 まったく予想していなかった選択に狼狽えるしかできない。

 だが動揺しているのはソフィアだけではなく、レオもだ。


「なんで俺の家なんだよ。このままジャンヌのところに置いてやればいいじゃないか」

「診療所をなんだと思ってるのよ。第一、いつ誰が来るか分からないところなんて、ちっとも安全じゃないわ。それと、マクシムはルームシェアしているからだめ。今、何人いるの?」

「僕を入れて四人だな。ちなみに全員、男だよ」


 レオがソフィアを匿う、という妙な話の流れに、マクシムはにやにやと楽しそうに答える。


「ほらね。マクシムのほかは押しかけてくる友人が一人もないレオの家が一番安全よ」


 来る者拒まずの診療所と、男ばかりの同居人が複数いて常時人の出入りが多いマクシムのアパートは論外だ。

 お前のところなら訪問客もないだろうと当て擦られて、レオは顔を顰める。


「なんかすげえ貶されてる気がする」

「自分の社交性のなさを反省するか、逆に誇るかすれば?」

「余計なお世話だ」

「ほかに当てがあるなら、レオがそこに連れて行けばいいでしょう。私の仕事は治療まで。それ以上は筋違いよ」


 そう言い切って、ジャンヌはソフィアにまた顔を向ける。


「ソフィア。あなたが嫌いなわけではないし、怪我の面倒はみるわ。だけどね」


 悪びれるところのないジャンヌに、ソフィアは自然と背を伸ばした。


「全員に差し伸べる手はないし、誰か一人だけ助けるわけにいかない。お貴族様にこの診療所が睨まれて、潰されるのも御免だわ」

「……わかります」


 下町に医師は多くなく、貴重な存在だ。特に女医は少ないから、きっと多くの女性患者がジャンヌを頼りにしているだろう。

 もしジャンヌに保護されていることが知られたら、叔父はソフィアを連れ戻すだけでなく、この診療所そのものも報復の対象とするに違いない。

 それを分かった上で置いてくれと頼むことはできないし、これ以上面倒を掛けるのも気が引けた。


「お金があるなら、偽名でホテルっていう手もあるけどね」

「そういえば、銀行に口座が……!」


 マクシムに言われて、ソフィアの名前で両親が作ってくれた口座があることを唐突に思い出した。

 だがジャンヌは、仕方ない子ねと言わんばかりに溜め息を吐く。


「叔父さんに気づかれずに引き出せるのかしら」

「……無理です、ね」


 解約はされていないはずだ。しかし当然のように叔父が管理しており、もうずっとソフィアは触れていない。

 出金しようとすれば絶対に知られてしまう。


「頼れる人もいないんでしょう。いたら、今みたいになってないはずよね。実行犯を手配できるくらいの相手だもの、街中をウロウロしていたらあっという間に見つけられてしまうわよ」


 さらに、家からほとんど出してもらえなかったソフィアは城下の道も知らない。一人で逃げられるわけがないというのは、いくら世間知らずでも分かる。

 相変わらず顔色が悪いままのソフィアに、ジャンヌは不憫そうに、だがしっかりと尋ねる。


「でも、本当の犯人は別にいるかもしれないし、今日のあれこれは全部偶然だった可能性もあるわ。だから、自宅に帰りたいと言うなら止めない。ソフィアはどうしたい?」

「それは……」


 もしかしたら、偶然もあったかもしれない。けれど、向けられた殺意は紛れもない事実だ。


(わたし――)


 叔父たちに抑圧され続け、生きている価値や意味が無いように思われて、考えることも止めてしまった毎日だったが、襲われてはっきり分かった。


「……死にたくない」


 三人には届かないくらいか細い声で呟く。

 生きて、幸せになりたい。

 自分はそれを望んでいいはずだ。


 もうずっと心の底に押し込めていたそんな願いが自然と浮き上がって、両親が生きていた時のことが急に思い出される。

 あれは何歳かの誕生日。祝いのご馳走が載ったテーブルを囲み、両親はソフィアをぎゅっと抱きしめて「生まれてきてくれてありがとう」と何度も繰り返した。


 子どもができにくいと医師から言われていた両親が、結婚して何年も経ってからようやく生まれたソフィアは、二人の愛情を一身に受けて育った。

 叔父たちに罵倒され続けても、危ない目に遭っても、枯れたように乾いていた瞳に涙が浮かべてソフィアは顔を上げた。


「あの家に、叔父の元に戻るのは嫌。わたし、生きたいです」


 言い切ったソフィアに、渋り続けていたレオが息を呑んだようだった。

 初めてしっかりと言葉にして、改めてその意味が心に落ちる。

 両親が亡くなって九年。人生の半分を、下を向いて過ごしてきた。こんな生き方はもう十分だ。


「当たり前ね」


 滲んだ涙を瞬きで散らしたソフィアに頷いて、ジャンヌは組んでいた腕を解いて指を立てる。


「誕生日は来月って言ったわよね。逃げるのも隠れるのも、二十歳になって家督を継げるようになるまでよ。当主になれば、そんな叔父さんなんて簡単にやっつけられるわ」

「頼もしいねえ」

「マクシム、茶化さない」


 ひゅーっと口笛を吹くマクシムを小突くジャンヌの傍で、レオはむっすりと黙り込んだままだ。

 庇護される側の今のソフィアに発言権はないのは事実である。警察や司法に訴えたところで、優先されるのは叔父の主張。「姪には心の問題があり、事実を誤認している」などと言われたらお終いだ。


 しかし、ソフィアが当主になれば違う。

 むしろ、代理の任を解かれた叔父は部外者となる。


 下町の女医であるジャンヌが、平民には関わりのないそんな事情まで知っていることは意外だったが、指摘されたことですっと頭が冴えた。


(来月の誕生日になれば、わたしは叔父様たちから自由になれる)


 これまでよりずっと明確に、そのことを実感した。

 ほんのひと月、叔父たちから逃げて生き延びる。虐げられた9年に比べたら、どれほどのことだろう。

 だからこそ、改めて「生きたい」と思った。


「レオはまだ文句があるの? まあ、別にあなたがソフィアを引き受けなくてもいいけど、それなら()()()()()()()()()()が見つかったら 、ガゼット誌で責任持って取り上げなさいね。私は証言インタビューを受けてあげるわ」


 縁起でも無いことを言いだしたジャンヌに、レオは眉を寄せた。


「……俺の家に匿ったところで、見つからない保証はないだろう」

「私が言っているのは確率の問題よ」

「だってこいつ、どっからどう見たって貴族のお嬢さんだろ。俺なんかと一緒にいたら余計に目立つし、疑われる」


 ほとほと困った様子のレオの気持ちも分かる。

 ソフィアのような、訳ありの貴族令嬢を匿うなんてトラブルの予感しかしない。しかも、もし叔父に見つかったら絶対に罪に問われるのだ。


 けれどソフィアには、レオに頼る以外の選択肢は無さそうである。

 それに、川で意識を失っていたソフィアは、レオに見つけてもらえなければあのまま水底に沈んだだろう。

 ソフィアを放っておけなかったレオに、もう一度だけ助けを求めるのは、許されるだろうか。


(わたしができることならなんだってして、恩返しをするから)


 なにか、レオが承諾してくれるようなものはないだろうか。治療費にドレスを渡してしまったから、いよいよソフィアにはなにもない。

 考えようと頭にやった手が、長い髪に触れた――これは、使えるかもしれない。


「あの、わたしだと叔父にバレなければいいんですよね」

「あ? ああ、まあ。最終的にはそういうことになる、のかな?」


 話しかけられたのが余程意外だったのか、ややしどろもどろに答えるレオに頷いて、ソフィアは立ち上がり、キャビネットに向かうとハサミを手に取った。

 ガーゼや包帯に使っているだろうそれで、迷いなく自分の髪を切る。ジャキン、という金属音とともに、ばさりと濡れた髪の束が落ちた。


「お、おいっ!?」


(わあ、明るい……!)


 前髪に邪魔されない視界を手に入れたのは、本当に久し振りだ。広くなった視界はそのまま、世界が広がったように感じられた。

 高揚した気分で手当たり次第に髪を切り落としていくソフィアの手を、誰かが摑んで止めた。

 瞬きを繰り返すソフィアの灰緑の瞳に、信じられないと顔に大きく書いたレオが映る。


「お、おまっ、なにやったゃ……!」


 狼狽えすぎて噛んだレオに、逆にソフィアのほうが落ち着いた。

 にこりと笑って、最後にもうひとつジョキンと切り落とす。


「わたしの顔を、ちゃんと見たことのある人はいないと思うので! それに、こうしたらきっと叔父でもすぐには分からないと思います!」


 ソフィアはいつも俯いていたし、叔父たちは蔑むような視線を送るだけで正面から顔を合わせることは稀だった。

 だから一緒に住んでいたとはいえ、ソフィアの顔をまじまじと見たことはないはずだ。


 貴族の令嬢はドレスや宝石と同じくらい髪を重要視しているから、滅多なことでは切らない。ソフィアの顔の特徴が分からない以上、捜索は髪の長さや色を目印に行われるに違いない。

 一番の目印になるだろう髪を潔く切ったソフィアに、レオは呆気にとられた後、盛大にため息を吐いた。

 一方のマクシムはなぜか拍手をしているし、ジャンヌはへえ、と見直したように笑っている。


「なによ、額を出したらかわいいじゃない。さあ、女の子にここまでさせて、どうするのレオ?」

「――っ、ああ、分かったよ! 俺の家で匿えばいいんだろっ」

「あ、ありがとうございます!」


 こうして、レオ・ジラールの元でソフィア・フォルジュの新しい生活が始まることになった。





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